入 隊 - the first -



 入隊祝いにレオが買ってくれた焼き菓子を片手に宿舎近くの広場のベンチに腰かける。空は青く澄み、白い雲が流れている。こんなに天気がいいのに、同じ空の下で国境付近では小競り合いが続いているという現実に今一つ実感が湧かなかった。
 入隊すれば、もっと厳しく忙しいものとばかり思っていたアイリスにしてみれば、拍子抜けだった。それをそのままレオに言うと、彼はうんうんと頷きながらも暇な方がいいと口にした。


「軍人が暇だってことは、何にもない証拠だろ?……って言っても、国境で小競り合いしてるんだから何にもないってわけじゃないけどさ」
「……レオは怖いって思わないの?戦場に行くこと」
「そりゃあ、思うよ。思うけど、それ以上に帝国に負けたくないっていう気持ちの方が強いかな」


 オレたちが負けたらこの国は終わりだろ、とレオは後方に見える王城へと視線をやった。それにつられるようにアイリスも城へと視線を向けた。


「それに、怖いって気持ちが薄れることの方が、オレは怖いと思う」
「……」
「それってオレは人を傷つけることの痛さに慣れたように思えるんだ。人を傷つけるのは痛くて怖いし、逆も一緒。これを忘れたら、ただの殺しと変わらないと思ってる」


 そんなことを言ったって、オレに殺された奴らの家族からしたらオレはただの人殺しだ。
 そう口にする彼の表情は自嘲するもので、ここで初めてアイリスは人懐っこい笑み以外を浮かべるレオを見た。

 そして暫くの間、話題を変えて話をしていると広場に馬車が乗り入れて来た。黒い馬が引いた馬車は軍令部へと続く小道の前で停まり、馬車から人が降りて来た。そして降りた人物を見やり、レオは「おっ」と声を漏らすとベンチから立ち上がり、「ゲアハルト司令官!」と声を掛けた。
 レオの声に気付いた男は二人の方を振り向いた。黒のフードを被り、同色のマスクで口元を隠しているというある意味、目立つ格好をしている男ではあったが、その名前にはアイリスも聞き覚えがあった。すかさず立ち上がり、近くまで歩み寄っていた彼に緊張した様子で頭を下げる。


「こちらはアイリス、昨日入隊して後方支援に配属予定らしいです。アイリス、こちらはオレの上官のゲアハルト司令官……って、知ってるからそんなに緊張してるんだよな」
「は、初めまして……アイリス・ブロムベルクと申します」
「ゲアハルトだ。クレーデル殿の件、お悔やみ申し上げる」


 目礼するゲアハルトにアイリスは驚いた表情を浮かべながらも頭を下げる。
 コンラッド・クレーデル、彼女を拾い育て、魔法のいろはを教えた人物はかつて第七騎士団を率いる団長だった。魔法だけでなく剣技にも秀でた才能を持ち、何度か手合わせをしてもらっていたとゲアハルトは話した。
 レオもクレーデルのことを知っていたらしく、「養女の話は聞いたことがあったけど、お前だったんだな」と驚いていた。


「クレーデルを名乗ってないから分からなかった」
「隠していたわけじゃないんだけど、」
「いや、これからは隠した方がいい」


 ごめんね、と言いかけたアイリスを遮り、ゲアハルトは落ち着いた声音でそう口にした。どういう意味だとアイリスとレオの視線を受けるも、彼は感情の分からない表情のままマスクに覆われた唇を動かす。


「クレーデル殿は生前、第七騎士団の団長として活躍され、陛下とも親しくされていた。人望を集める、聡明で素晴らしい方だった。そしてそれに比例するように、クレーデル殿を妬む者もいた」
「つまり、そういう奴らから要らないやっかみを持たれない為にもクレーデルを名乗らない方がいいし、養女だっていうことも隠した方がいいっていうことですよね」
「そういうことだ。もし何か困ったことがあれば言ってくれ、可能な限り対処する。クレーデル殿には世話になったからな」
「ありがとうございます、ゲアハルト司令官」


 その心遣いが嬉しかった。しかし、なるべく迷惑を掛けることがないように気を付けなければ――アイリスは心にそれを刻む。


「オレのことも頼ってくれていいからな。あーあ……アイリスがうちの所属だったらいいのになー」
「その可能性はあるぞ、レオ。入隊試験の成績、彼女は総合3位だった」
「3位!?」
「何だか中途半端ですよね……剣技と攻撃魔法はあまり出来なかったからだと思います、その成績は」


 人を傷つけることにどうしても恐怖を感じてしまう。そのため、練習しようにも魔法は不発が多く、剣技もとても実践で通用するような腕前でなく、護身術程度だ。それが成績に響いたのだろう。
 親しくしてくれているレオと一緒だと心強いと思ったが、彼はゲアハルト率いる第二騎士団所属だ。自分が入れるとはまるで思えず、アイリスは肩を落とした。


「大丈夫だって!オレ、剣技以外は入隊試験ボロボロだったけど第二だから!」
「胸を張って言うことではないだろ、レオ。だが、レオの言う通り、こいつは剣技以外はボロボロでも第二でやっていけている。君の治癒、防御魔法は素晴らしい腕前だと聞いている。後方支援でも騎士団所属でもうまくやっていけるさ」


 レオに対して呆れたように溜息を吐くと、ゲアハルトはアイリスに向き直って目を柔らかに細めて励ますように言う。そしてアイリスの肩を軽く叩く。


「君の活躍に期待している」


 そして二言三言話した後にゲアハルトは軍令部へと踵を返した。黒い衣装の背中を見つめ、アイリスは期待しているという言葉に嬉しさを噛み締めた。レオも同じく嬉しそうに「よかったな」と目を細めて笑った。
 ゲアハルトは普段から人を褒めることは少なく、また、お世辞を言うような性格ではないとレオは言う。だからこそ、もっと自分に自信を持っていいのだとアイリスの頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫でた。

 それから昼食を取りに宿舎へと戻った後に夕刻まで辺りを周り、市場にも行った。これで一通り、宿舎の周りを案内したと言ってレオと宿舎に戻った頃には既に空には一番星が輝いていた。もう一日が終わろうとしているのかと思うと、あっという間の出来事だった。アイリスは改めて今日一日の礼をレオに伝えると、大したことはないよと彼は笑った。


「オレも楽しかった。明日も頑張れそうだ」
「明日……、気を付けてね、レオ」


 明日、レオは国境に行くことになるのはほぼ確実だと街を歩いているときに言っていた。ゲアハルトが軍令部に行っているのだから、ほぼ間違いないだろう、と。それなのに自分と過ごしていていいのかと問えば、彼はあの人懐っこい笑みを浮かべて言うのだ。こういう時だからこそ、自分のしたいことをするべきだ、と。そしてそれが、アイリスに街を案内することなのだとレオは笑みを浮かべて言い切った。
 それでも、何の心配もないということはない。まだ出会って一日でレオのことを知っているとは言い切れない。しかし、彼がとてもいい人であるということは分かっていた。戦場で危ない目に遭って欲しくない、生きて戻ってきて欲しい。そう思うぐらいに、アイリスにとってレオはそういう人物であった。


「ああ、ありがとう。アイリスも、明日から忙しいだろうけど……オレが戻って来たら、またどこか案内させてよ。本当はもっともっと案内したいところがあるんだ」
「楽しみにしてる。……わたしも頑張るよ」


 約束は一人では為し得ない。自分ともう一人がいるからこそ、成し得るものだ。
 互いに握った拳をこつんと合わせ、笑い合った。



 その後、レオと夕食を取り、彼とは玄関で別れた。アイリスは先に入浴を済ませてしまおうと爪先を部屋に続く階段から浴場へと向けると、その廊下からタオルを首に掛けたレックスが歩いて来た。
 真正面から視線がかち合う。一瞬、レックスは驚いた顔をする。その表情に目の前のこの青年はやはり自分の知る人物だと分かり、アイリスは声を掛けようと口を開く。レックス、そう名前を呼ぼうとした矢先――非常招集を意味する鐘が宿舎全体に響いた。
 それが耳に届いた瞬間、レックスはアイリスの脇をすり抜けて走り出した。すぐにその後にアイリスも続くが、同様に部屋を飛び出して来た他の軍人たちに紛れてすぐにその背は見えなくなった。


「出撃は第二騎士団、第四騎士団。国境、クラネルト川東岸の防衛に就き――」


 第二、第四騎士団所属の軍人らは返事の後にすぐに部屋に取って返し、次々と玄関から飛び出していく。その中にレックスやレオの姿もあった。レックスは全く気付いていなかったが、レオはアイリスに気付くとにこりと一つ笑みを浮かべ、玄関を飛び出して行った。
 明日だとばかり思っていた。今から出撃ということは、早朝には展開されることになるだろう。アイリスは彼らの無事を祈りつつ、次いで指示される入隊したばかりの軍人の配置を聞き逃さないように耳を澄ました。


「後方待機。次、アイリス・ブロムベルグ」
「はい!」
「国境前線の後方支援だ。準備を整えて出撃命令が出るまで待機。次、――」


 心臓が早鐘を打つ。まさか、こんなに早く前線に配置されることになるとは思わなかった。一瞬、ゲアハルトの顔が脳裏を過る。彼の進言だろうかとも考えるが、入隊間もない新人を第二騎士団の団長であり、軍全体の司令官であるゲアハルトがわざわざ指名するとは思えない。
 今はそんなことを考えるよりも任されたことをしっかりとこなすことの方が重要だ。アイリスは思考を切り換えると、部屋へと取って返した。そして、養父から受け継いだ杖を手に身支度を整える。最後にローブの白いフードを被り直し、部屋を後にした。



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