遊撃部隊 - discipline -



「踏み込みが甘い!」


 厳しい声音で注意されるも、アイリスはよく通る声で返事をして木刀を握り直して目の前に敵がいると想定し、足を踏み出す。そして構えた木刀で敵を斬る瞬間をイメージしつつ振り下ろす。木刀は空を斬り、アイリスはまたそれを構え直す。
 アイリスは宿舎の鍛錬場で剣の練習をしていた。たとえ回復魔法士であったとしても、戦場に出るのだから最低でも自分の身を守るぐらいのことは出来なければならない。身を守る術が魔法であれ、剣技であれ、常にそれを磨いていなければ、いざという時に間に合わない。だからこそ、アイリスも木刀を手に素振りや受け身の練習に取り組んでいた。
 素振りを終えた頃には既に腕は重く、木刀を握る手に力が入らない。肩で呼吸を繰り返すアイリスに少し休憩するように言うと、鍛錬場で指導担当に当たっていた第八騎士団のガンスト団長は素振りを続けている他の兵士の様子を見に踵を返した。鍛錬場の脇に移動すると、アイリスは額の汗を拭いながら用意されている水を飲む。
 改めて鍛錬場を見回すと、木刀を持って素振りや受け身だけでなく、実際に向き合って鍛錬に励んでいる兵士もいた。その動きは無駄がなく、確実に相手を倒す為に動いていた。自分はあのように動けているのだろうか――アイリスは木刀を握っていた自身の手を見つめ、溜息を吐き出す。とてもではないが、戦場で生き残れるような腕前ではないということを、彼女は自覚している。これから鍛錬を積んでいっても彼らのように動けるようになるとは思えず、アイリスの表情は暗くなる。


「……傷つけたくはないけど、それだとわたしが……」


 出来ることなら、誰も傷つけたくはない。怪我を治癒する回復魔法士が、たとえ敵であったとしても人を傷つけるということは自分のしていることと反していると思えてならないからだ。そんなことを考え出せば、限がないことは重々分かっているのだが、そんなジレンマに陥りそうになってしまう。
 エルンストが言っていたように、村の医者の方が自分には向いているのではないか――そう考えたこともあった。それでも入隊することを選んだのは、孤児院で育ったことに因るところが多い。自分を含め、あのような子どもを少しでも減らしたいと思ったのだ。そのためには戦争を終わらせなければならない。そこで少しでも人を助けることが出来れば、守ることが出来れば、戦争孤児は少なくなるはずだと思ったがために、彼女はこの道を選んだのだ。
 それでも、決して揺らがないというわけではない。一つ溜息を吐き出し、コップに口を付けたところで「私にも水をくれるか?」と声が掛けられた。アイリスが顔を上げると、赤茶色の髪をきっちりとまとめた長身の女が立っていた。


「あ、はい。少々お待ちください」


 整った顔立ちをつい眺めそうになり、アイリスは慌てて立ち上がると新しいコップに水を用意するとそれを彼女に差し出した。ありがとう、と受け取った彼女はアイリスの隣に座ると首筋を伝う汗を拭い、一気に水を煽った。
 一息吐いた彼女は手持ち無沙汰な様子で立っているアイリスに苦笑いを浮かべ、座るように促した。


「どうした?座ればいいだろう」
「……はい」
「ところで、君は兵士か?剣の素振りをしていたが」
「いえ、わたしは後方支援の回復魔法士です」
「そうか、道理で剣が不慣れなわけだ」


 納得がいった、と彼女は頷くと「剣は苦手か?」とアイリスに尋ねた。初対面の相手に、それも剣を持って戦っているであろう相手に自分が思っていることをそのまま伝えることは憚られたが、真っ直ぐに向けられる緑の瞳を前に当たり障りないことを言うことすら出来ず、思っていることをそのまま彼女に伝えた。アイリスが言い終えるまで口を挟まずに耳を傾けた彼女は、そうかと頷くと稽古を続けている兵士らの方を見やる。


「人を傷つけることに戸惑いを感じるのはごく自然なことだ。それが回復魔法士となれば、その戸惑いはより多いはずだ。君の感覚は正しいよ」
「……だけど、わたしは軍に入隊しました。戦場に出て、いざという時に何も出来なければ、自分の身を守ることが出来なければ、ただの足手まといです」
「そうだな」
「それにわたしは……攻撃魔法が使えません。いつも不発するばかりで……だから、剣なら……」
「剣なら何とかなる、と。それは本気で言っているのか?」


 厳しさを帯びた声音にアイリスはいつの間にか伏せていた顔を上げる。細められた緑の瞳は真っ直ぐにアイリスへと注がれ、視線を逸らすことさえ出来ない。


「そう思って剣を振るい、けれどまた疑問に思い、手を止めて思い悩む……それの繰り返しではないのか?」


 言い返す言葉が見つからない。まさに彼女の指摘通りだった――アイリスはこの数日、鍛錬場で剣の稽古をしながら、同じことばかりを考えていた。剣を持つ必要性は分かる、理解できる。しかし、そこに感情が追いつかない。何かあれば相談すればいいとレックスはアイリスにそう言っていたものの、彼女は相談出来ずにいた。彼は剣を持つ人間だ、そんな彼にこのようなことを相談することは、出来なかった。
 否、ただ怖かったのだ。感情が追いつかなくとも、そんなものは捨て置けばいいと、言われてしまうことが。レックスやレオらがそのようなことを言う人間ではないということは重々分かってはいるのだ。しかし、立場が違いすぎる。彼らは剣で命を絶ち、彼女はその傷を癒すのだ。まさに正反対の位置にいると言える。


「もう少し柔軟に物事を考えた方がいい。君が思っている以上に物事は単純に出来ている」
「……どういう意味でしょうか」
「君は回復魔法士で攻撃魔法は不得意と言ったな?防御魔法はどうだ?」
「得意です。わたしは、回復魔法と防御魔法しか使えないから……」
「そういう言い方は止めろ。しか使えないんじゃない、回復と防御魔法が使えるんだ」


 剣を持つ者の中には、そもそも魔法が使えない者も多いのだからそういう言い方をせずに、もっと自分に自信を持て。
 そう言う彼女の声音も口振りも厳しいものだが、緑の瞳は厳しさの中にも優しさを含んでいた。自信を持つように言われたのは、今が初めてではない。入隊してからと言うもの、何度も言われていることだ。それでも自信が持てずにいる理由は、怪我を治癒することが出来ても、攻撃から身を守ることが出来ても、自分から攻めることが出来ないからだ。そして、それ以上に、それら全てが自分の魔力に依存しているということが、最たる理由だ。
 魔力は無尽蔵にあるというわけではない。他者よりもアイリスは魔力も高く、多く持っている。しかし、回復も防御も全てその魔力に依存しているため、魔力がなくなれば彼女は無力だ。剣も護身術程度の腕前であり、そんな腕では戦場を生き抜くことは出来ない。自信が湧かないのは、それを自覚しているからだ。


「君は回復と防御魔法が使える。それはとても大切なものだ、怪我を治してくれる回復魔法士がいてくれなければ、私たちは戦場ですぐに死んでいる。君たちがいるから、生きて帰って来れるんだ」


 だから、そういう言い方をするなと彼女は笑い、そして思い出したようにアイリスに名前を尋ねた。


「アイリスです。貴女は?」
「ヒルデガルトだ。ヒルダと呼んで欲しい」


 快活に笑うと彼女は――ヒルデガルトは、アイリスが持っていた木刀へと手を伸ばした。それから「アイリスには少し長いかもしれないな」と軽く木刀を振りながら言う。


「そうですね、ちょっと長い気はしていました。でも、ガンスト団長が戦場にある剣はこの長さが多いからこれで慣れておくと良いと仰っていたので」
「ああ、なるほど。確かにこの長さが一般的な剣の長さだからな。……だが」


 考え込む素振りを見せるヒルデガルトにアイリスは首を傾げる。そして数瞬の後にいいことを思いついたとばかりに表情を明るくし、「そうだ、アイリス。いいことを思いついた」とその顔をアイリスへと向けた。


「私が君に稽古を付けよう」
「ヒルダさんが、わたしに?」
「そうだ。どうせガンストの稽古は素振りと受け身の繰り返しだろう?いや、それは基礎の中の基礎だからやらなければならないが、あいつが君に教えているのは剣技ばかりだ。戦場に出れば、確かに剣は周りにあるだろう。だが、そんな放り出されているような剣は止めておけ。剣は剣士の命だ。それを放り出しているような者の剣なんて高が知れている」


 ヒルデガルトのその一息で捲し立てる様子にアイリスは息を呑む。先ほどまでの厳しさや優しさとは違い、まさに燃えていた。その背に炎が見えるのではないだろうかと思うほどに意気込むヒルデガルトにアイリスは曖昧な笑みを浮かべた。
 彼女の申し出は素直に嬉しい。しかし、聊か論点がずれている上にガンストに断りなく、ヒルデガルトの申し出を受けるわけにはいかない。どうすればいいのかと思っていると、ヒルデガルトはアイリスの肩を掴み、「何の問題もない」と目を輝かせる。


「君は本来、剣ではなく杖だろう?ならば、杖での戦い方を教えよう。その方が君もやりやすいはずだ」
「え、杖で?」
「そうだ。ああ、ガンストになら私が話を付けておくから心配するな。君もあのむさ苦しい男よりも同性の私の方が気楽だろう、私は気楽だ」


 何と答えるべきかとアイリスは苦笑いを浮かべる。扱いにも慣れている杖での戦い方がどのようなものかも気になり、それを教えてもらえるのなら剣技よりもまだ早く身に付けることは出来るだろう。こうして親切にしてくれるヒルデガルトを無碍にすることも出来ないが、やはりすぐに二つ返事で返すことが出来ない。彼女がガンストに話を付けてくれるとは言ってはいるが、そういう話は自分がするべきだろうし、そもそもヒルデガルトが何者なのかも分からない。相手は第八騎士団の団長だ、それで彼女に何かあったとしたらと思うと、悩まずにはいられない。
 言葉を濁し、曖昧に笑うアイリスにヒルデガルトは「嫌なのか?」と少し落ち込んだ風に言う。そういうわけではない、とアイリスは慌てて首を横に振り、理由を説明しようとすると、「アイリス!」と彼女の名前を呼ぶ声が開け放たれた出入り口から聞こえて来た。


「レオ、どうしたの?」
「ゲアハルト司令官が呼んでる、…って、うわっ」


 鍛錬場に入ってきたレオは隅にいたアイリスへと近づくも、数歩進んだところで足を止め、彼女の隣にいたヒルデガルトを見て顔を引き攣らせた。その様子にどうしたのだろうかと思いつつも、ゲアハルトが呼んでいるのならば急がなければならない。


「分かった。ヒルダさん、すみませんが、さっきの話は、」
「考えておいてくれ。私はしばらく此処にいるから。それと、ガンストに君が抜けることは私が伝えておくから、早くゲアハルトのところに行くといい」
「すみません、よろしくお願いします」


 アイリスは申し訳なさそうに頭を下げると、レオに急かされて足早に鍛錬場を後にした。その際にちらりと見たレオの顔色は青く、一体どうしたのかと心配になったアイリスが問いかける。しかし、何でもないと青い顔のままレオは言うと、彼女に此処まで待っているから着替えて来るようにとその背を押した。
 何でもないとレオは言うも、やはり気に掛かる。だが、ゲアハルトに呼ばれている手前、すぐに身支度を整えて彼がいるであろう軍令部に行かなければならない。アイリスは後でちゃんとレオに聞こうと決めると、急がなければと階段を一気に駆け上がった。



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