遊撃部隊 - discipline -



「ゲアハルト司令官、わたしに何の用なんだろう」
「さあ、オレもアイリスを呼んで来るように言われただけだったから……はあ」
「どうしたの?レオ。さっきから様子がおかしいけど」


 軍令部に向かって小道を歩きつつ、アイリスは心配げにレオを見る。彼の顔色は青く、憂鬱な表情を浮かべている。


「……オレ、あの人苦手なんだよ」
「あの人?」
「第三の……バルシュミーデ団長」
「確か帰還されるんだよね。もういらっしゃったの?」
「へ?」


 つい先日のアベルの話を思い出した彼女が不思議そうに言うと、レオは目を瞬かせた。何を言っているのだとばかりに向けられる視線にアイリスは首を傾げ、レオこそどうしたのだとばかりに目で訴える。互いに暫しの間、視線を交わし、レオは「えー……っと、」と言葉を選びながら口を開いた。


「もしかして気付いてない?」
「何に?」
「さっきアイリスが一緒にいた人が、バルシュミーデ団長なんだけど……」
「……へ?」


 一瞬、レオが言ったことが理解できなかった。アイリスが先ほどまで鍛錬場で一緒にいたのは、ヒルデガルトと名乗った女性だ。しかし、思い返してみれば、名前以外のことは何も知らない上に、よくよく思い返してみれば、第八騎士団の団長やゲアハルトのことを呼び捨てにしていた。本人には聞こえないからそう呼んでいるだけだとばかりアイリスは思っていたが、レオが言うように、彼女自身も団長であるのならば、呼び捨てであっても何らおかしいことではない。
 アイリスはレオの言ったことを理解し、納得するにつれて顔色を青くしていく。相手が団長であったということに気付かずに、あのような話をしてしまったことを後悔した。気を悪くはした様子はなかったものの、失礼だったのではないかと心配になる。


「ど、どうしよう……」
「何かやっちゃったのか?」
「ヒルダさ、……バルシュミーデ団長がわたしに稽古を付けて下さるって仰ったんだけど……」


 ガンスト団長が付けて下さってるから迷っていたら、考えておいてくれって。
 そう言われたことを伝えると、レオは顔を引き攣らせて「それは……何というか……」と珍しく歯切れの悪い様子だった。その様子と彼がヒルデガルトが苦手ということを考えると、この件の相談は出来そうにない。どちらか一方だけに頼むということに気が引けるのであれば、二人に稽古を付けてもらうという手しかない。体力的にもきつくはなるだろうが、アイリス自身、魔法以外は素人に毛が生えた程度の腕前であるため、稽古に励むしかないのだ。
 そうしている間にも軍令部に到着し、アイリスはその建物を見上げた。レオは「アイリス、こっち」と先を歩き、彼女を手招きする。今は急ぎの用だったことを思い出し、慌ててその背を追いかけて建物の中に入ると中は武官や文官が忙しなく書類を片手に動き回っていた。各地から寄せられる情報の整理や軍の編成や備品など、その全てを此処で請け負っているのだ。忙しそうな彼らを横目にレオは足早に奥へと進んでいく。
 宿舎よりも長く広い階段を上り切り、廊下の突き当たりの部屋を目指す。どうやらそこがゲアハルトのいる司令官室らしい。レオは扉をノックすると、いつもとは違う、落ち着いた声音で「失礼致します」と声を掛け、扉を開けた。


「連れて来ました」
「ああ、ご苦労。いきなり呼び出してすまない、アイリス」
「いえ……」


 大きな執務机の向こうに座ったゲアハルトは室内でも相変わらずの出で立ちだった。
 こうして顔を合わせるのは、先日のクラネルト川での戦闘以来だった。元より相手は軍の司令官であり、彼女は一介の後方支援の兵士だ。顔を直接合わせる機会も、こうして話す機会も本来ならばないはずだ。そんな相手がどうして急に自分を呼び出したのか、アイリスは一抹の不安を感じながらゲアハルトの青い瞳を見返した。
 彼はあの日と少しも違ってはいなかった。アイリスに最前線への出撃を命じた時と、今も少しも変わっていない。喩えるならば、冷たい氷のような人だと、彼女は感じていた。アベルは否定したが、親切なところもある人物だとは思っている。けれど、それ以上に冷たい人間だとあの日以来、思っていた。ゲアハルトの何を知っているのか――このようなことを口にすれば、口々にそう言われるだろうことは予想に難くない。彼はこの国の者からしてみれば、なくてはならない存在だ。国の勝利の為には必要不可欠であり、軍の要であり、民からすれば英雄だ。
 アイリスもそう思っていた。彼はこの国に必要な人間であり、英雄だと。否、今もそう思ってはいるし、不信感があるわけでもない。けれど、ゲアハルトを前にすると、あの日のことを思い出すのだ。彼はその口で、その声で、どのような命令をも下し、勝利の為ならば友軍さえも犠牲にする様を。その冷酷さは必要なものではあるのだろう。そう理解はしていても、やはり思わずにはいられないのだ。彼はとても冷たい人――青い瞳を見返しながら、そっと心の中で呟いた。


「今日、呼び出したのは君に辞令を出す為だ」
「辞令を?」
「そうだ。アイリス・ブロムベルグ、君を後方支援から第二騎士団への異動を命じる」


 思いもしない言葉がゲアハルトの口から飛び出した。アイリスは目を見開き、どういうことなのかと脇にいるレオを顧みた。しかし、彼も何も聞いていなかったらしく、彼女同様に目を瞠っていた。
 何かの間違いではないだろうかとアイリスはゲアハルトを見返すも、やはり彼の瞳に変化はない。嘘や冗談でこのようなことを言う相手でもなければ、暇人でもない。ならば、この辞令は本当のことなのだろう。しかし、納得のいく辞令ではなかった。


「どういうことでしょうか、司令官。わたしは……」
「エルンストの了承なら既に取っている。君は本日付で第二騎士団に異動、以後は俺の指示に従ってもらう」


 これは決定であり、拒否は許さないと言外に含みを持たせるゲアハルトにアイリスは僅かに眉を寄せた。なかなか返事をしようとしない彼女に脇で控えているレオは小声でアイリスに返事を急かすも、彼女は取り合わずにゲアハルトを見返していた。納得がいく理由を得られていないにも関わらず、頷くことなど出来るはずもない、と。
 暫しの後、先に視線を逸らしたのはゲアハルトだった。可笑しそうに喉の奥で笑うと、「意外と頑固だな、君は」と目を細める。この部屋に入ってそこで初めて、彼の表情が動いた。


「理由だったな。アイリス、君はこれから帝国との戦争はどうなると思う?」
「激化していくのではないでしょうか。……此方側に余裕がないように、帝国側にも余裕はないはず」
「そうだな。先日のクラネルト川での戦闘以降、帝国は川を越えて来ようとはしていない。奴らは川の向こう、西岸に布陣して我々が進撃するのを待つだろう」


 そこで始まるのは大規模な白兵戦――会戦だ。
 今はまだそこまで帝国を追い詰めてはいないだろうが、最終的には互いの兵力をぶつけ合うことになるということは目に見えている。だが、そうするには、未だに兵力差に差が開きすぎている。それをどのようにして埋めるのか、つまりは帝国の兵力を削るかがこれからの問題だとゲアハルトは言う。
 確かにそれは解決するべき問題であるとアイリスも思っている。しかし、自分一人が第二騎士団に異動したところで一体何が出来るのか、彼女が求めているその答えは未だ明示されていない。


「当分の間は北の山の国境から帝国も攻めて来るだろう。そこの防衛に付けていた第三を戻しているから、奴らは必ずそこを狙って来る」
「どうしてそんなことを……」
「帝国の兵力を削る為、全ては勝つ為だ」


 その言葉はまるで免罪符のように、アイリスには感じられた。全ては勝つ為に――その言葉の下に、一体今までどのようなことが行われて来たのだろうかと考えるも、知りたいとは思えなかった。青い瞳は凍てつく氷のように揺れず、その瞳の奥に底知れない闇があるようだった。迂闊に触れれば、そのまま一緒に引き摺りこまれてしまいそうな、そんな深い深い闇だ。


「君にはこれから編成されることになる遊撃部隊に入ってもらうことになる」
「遊撃部隊、ですか?」
「そうだ。とは言っても、陛下との協議は済んでいるが、一部反発の声も上がっている。本格的に動き出すのはそれらを黙らせてからになるが、君にはそのつもりでいて欲しい」


 一体何をさせられるのだろうかと、アイリスの表情は不安の色が満ちる。実戦経験もほぼ無いに等しいというのに、遊撃部隊に配置されることになるとは思いもしなかった。後方支援での仕事と同様に回復魔法を掛けたり、先日のように防御魔法を展開するということぐらいならばいくらでも可能だ。しかし、ゲアハルトがそれだけを求めているようにはとてもではないが思えない。もし回復や防御だけを求めているのであれば、何もその役はアイリスでなくてもいいはずなのだ。
 アイリスの不安をその表情から読み取ったゲアハルトはそこまで身構える必要はない、と声を掛ける。しかし、そう言われたからといって頷けるということもなく、彼女の表情は変わらない。


「君のすることは変わらない。怪我人の治癒と防御魔法の展開……まあ、そんなところだ。俺は出来ない人間に無理難題を押し付けるようなことはしない。出来ることを出来る人間に求めるだけだ」


 その力があるのに、使わないでいることは罪だからな。
 エルンストがアイリスに掛けた言葉を、彼が口にした。出来ることがあるのに、その力があるのにそれを使わないでいることは罪だと――ゲアハルトは真っ直ぐに彼女を見据えて言う。


「俺はアイリス、君に期待している。君にはそれだけの力があると思っている」
「……買い被りすぎです」
「俺は出来ないことを出来ない人間に求めない。指示は追って通達する、下がってくれ」


 話はこれで終わりだ、とゲアハルトはアイリスから視線を外し、今まで脇に控えていたレオには残るようにと伝えた。まだ何か用が残っているのだろう、アイリスはちらりとレオに視線を向けた後にゲアハルトに一礼し、司令官室を後にした。
 重い扉を閉じ、数歩歩いたところで深く呼吸を繰り返す。肺に溜まった空気を全て入れ替えるようにゆっくりと呼吸を繰り返すも、気分は少しも晴れなかった。ゲアハルトが自分を買ってくれているということはよく分かった。しかし、その期待に応えられるだけの力が自分にあるとは、とてもではないが思えなかった。だからこそ、今回の辞令も、彼の期待も、肩に重く圧し掛かって来た。
 アイリスは深い溜息を吐き出すと、此処にいても仕方ない、とゆっくりとした足取りで歩き出した。軍令部を出ると、太陽はちょうど真上に上っていた。空はとても青く澄み渡っているというのに、アイリスの心は正反対の様相で、今はこの空の澄んだ様が羨ましくて仕方なかった。


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