遊撃部隊 - discipline -



「……それで、何でアンタは僕の前でご飯食べてるの」


 アベルは自分の前で平然と食事をしているアイリスに対して努めて冷静を装いながら尋ねた。僅かに顔を引き攣らせている彼に対し、彼女はサラダを口に運びながら、「だって此処しか空いてなかったんだもの」と答える。


「此処しかって、嘘でしょ!他にも空いてるところあるのに!」
「そんな細かいこと、気にしないで」
「気にするから!」


 そう言いつつもアベルは諦めたように深い溜息を吐いた。何を言っても無駄であり、言うだけ自分が疲れるのだということに気付いたのだろう。テーブルの向こうで夕食を口に運んでいるアイリスをちらりと見やり、アベルはもう一つ溜息を吐いた。そしてフォークを置くと、「それで、どうしたの?」と改めて声を掛ける。


「何でそんな顔してるの?」
「そんな顔?」
「不機嫌、というわけでもないけど……だけど何かあったって顔してる」


 アベルの指摘にアイリスは口を噤んだ。そして一息吐くと、ゲアハルトから第二騎士団への異動と遊撃部隊への所属を命じられた旨を話した。黙って話を聞いていた彼はつまらなさそうにしていたが口を挟むことなく耳を傾けていた。アイリスが話し終えると、アベルは面倒そうな表情を浮かべつつ、「それでアンタは何を悩んでるの?」と首を傾げる。


「何をって……、わたしが第二に移って遊撃部隊に入っても何も出来ないからだよ」
「あの人は出来ない人間をわざわざ連れて来るほど馬鹿でもなければ、目も曇ってないよ」
「……でも」
「でももだってもない。アンタはただ怖いだけなんだよ、前線に行くのが」


 平然と言い放つアベルにアイリスは動きを止めた。前線に行くことが怖いだけ――図星だった。心の何処かで、後方支援だから前線に行くことももうないはずだと、そう思い込んでいた。それが今日になって前線の赴く第二騎士団に異動となり、それも最前線に送られることは必至な遊撃部隊へと配属されることとなった。否応無しに、人の生き死にを目の当たりにすることになる。
 きゅっと小さく唇を噛むアイリスにアベルは目を細めながら「そんなに前線に行きたくないならさっさと辞めればいいじゃない」と然も当然のように言う。戦うことが怖いなら、前線に行くことが怖いなら、わざわざ残る必要もないではないか、と。


「アンタにはがっかりだよ。もっと骨のある人かと思ってたのに」
「え……」
「攻撃も出来ないのに、自分の出来ることをする為にわざわざ面倒な入隊試験を受けて入って来たっていうのにさ。分かってたことでしょ?回復と防御以外は何も出来ないって。それを司令官も分かっててアンタを呼んだんだ。アンタに攻撃しろなんてあの人は言ったの?あの人は回復魔法士としてアンタを呼んだんだ、そんなアンタに期待してるんだよ」


 何でそんなことも分からないの、とアベルはうんざりとしている。そして「誰もアンタに攻撃なんて期待してないし、当てにもしてないよ」と付け足した。人には得手不得手がある。それを補い合う為に集まっているのだと、そんなことも分からないのかとばかりに溜息を吐きながら彼は口にした。
 一人で抱え込む必要はないし、誰かを頼ってはならないなんてことはない。アベルの言葉に、アイリスは返す言葉が見つからなかった。まさにその通りだと思った。自分一人で全てのことが出来るほど、自分は出来た人間ではない。分かっていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまっていた。
 アベルは一つ溜息を吐き、「あのさ、」と口を開く。


「完璧でいる必要なんてないんだよ。アンタは攻撃出来ないんだから、僕がそれをするし、僕は回復や防御が出来ないからアンタがそれをやればいい。戦えなくったっていいんだよ」
「……アベル」
「大体誰でもこんなもんだよ。レックスもレオも同じこと、誰に聞いても同じことを言うよ。僕たちは万能じゃないんだ、だからみんな集まって戦ってる。苦手なことも出来ないことも補い合ってるんだよ」
「うん、……そうだよね」
「そうだよ。全部一人で出来る完璧人間なんて司令官ぐらいだよ、アンタは司令官にでもなりたいの?」
「な、なりたくないよ!」
「だったら別に無理して全部自分でしようと思わなくていいんじゃないの?アンタは、何処にいたって同じことだけしてればいいよ」


 怪我を治して、防御魔法を使って、それだけしていればそれでいいんだよ。
 アベルは苦笑混じりにそう言うと「それじゃあ、僕は先に戻るから」とだけ言って席を立つ。アイリスは慌ててその背に向けて声を掛ければ、立ち止まった彼はまだ何かあるのかとばかりに面倒そうな表情を作る。
 面倒だと言いながらも、こうして話を聞いてくれたのだ。そのことに礼を言うと、アベルは大きめな黒の瞳を瞬かせ、そして僅かな笑みを浮かべるとそのまま食堂を出て行った。
 彼と話して、気持ちは幾分も楽になった。悩んでいたことが馬鹿らしく思えて来るのは、アベルが戦えなくてもいいんだと言ってくれたからだ。早く一人でも身を守れるようにならなければ、いざという時に動けるようにならなければと焦っていたが、その気持ちも今は落ち着いている。それらを身に付けることは必要不可欠だが、焦ったところで上手くいくとも限らない。落ち着いて気負わずに取り組むことが大切なのだと、改めてそう思った。


「……やっぱり稽古のお願い、しようかな」


 ヒルデガルトの申し出を受けてみようという気にもなった。ガンストの稽古も大事だが、自分に向いているのはやはり杖だ。明日にでも彼女に返事をしようと決めると、失せていた食欲も少し出て来たようで、食事が進んだ。アベルと話して良かった――アイリスはそう思いつつ、ずっと軽くなった気持ちのまま、食事を続けた。
















 運ばれて来た北の国境、ベルトラム山付近の地図に目を通していると扉をノックする音が聞こえて来た。視線はそのままに入室を促すと、「何か用か」と不機嫌を隠そうともしないヒルデガルトが姿を現した。そんな彼女に座るように椅子を勧めつつ、自身も立ち上がると執務机に広げられていた数枚の地図を手に彼女の向かい側の席に着いた。


「帝国が布陣するなら何処だと思う?」
「単刀直入だな。そんなこと、私に聞かずとも容易に分かるだろう」
「確認の為だ。これで仮に外すようなことがあれば、此方の被害は甚大だ」


 自分で仕掛けたくせに、ヒルデガルトは柳眉を寄せつつもテーブルに広げられた地図へと視線を落とす。そしてこの辺りだろう、とある地点を指差した。ゲアハルトは「やはりそうか」とだけ頷き、彼のその反応にヒルデガルトは眉間の皺を深くした。確認をしておくことは必要なことではあると思うが、こうもあっさりと頷かれたのであれば少なからず苛立ちを覚える。
 ゲアハルトは地図へと視線を向けたまま、彼女の名前を呼ぶ。用が済んだのならば帰ると口にしかけたヒルデガルトは虚を付かれたような表情を一瞬浮かべるも、すぐに引き締めて何だと問い掛ける。


「確かこの辺りに地元の者しか知らない抜け道があるという話を聞いたことがあるんだが……」
「あ、ああ。そうだ、此処に洞窟があってそこを抜けると、……ゲアハルト、まさかこの抜け道を使って急襲する気か?」


 聞かずとも知れたことだった。ヒルデガルトは信じられないとばかりに表情を動かす。この洞窟はそう多くの者が通れるような広さでもなく、また、ヒルデガルトも実際にベルトラム山付近の防衛に就いて初めて知った抜け道だった。それをどうして滅多に王都を離れることのないゲアハルトが知っているのかと、改めてその情報網に感心した。そしてはたと気付いたことは、その為の少人数編成の遊撃部隊だったのか、ということだ。
 ゲアハルトは彼女の様子に然して興味が湧かない為か、相変わらず視線を地図へと落としていた。何を考えているのかが少しも読めないその表情にヒルデガルトは一つ溜息を吐く。そこまで知っているのであれば、やはり自分を呼び付ける必要はなかったのではないかと思いつつ。


「そこまで知っているのに、私は必要だったのか?」
「言っただろう、確認の為だと。俺にこのことを伝えた者が嘘を吐いていないとも限らない」
「……お前に嘘を吐くような、そんな肝の据わった者がいるとは早々思えないが」


 ゲアハルトを前にして、あの冷やかな目を前にして嘘を並べることが出来る者がいるのであれば会ってみたいぐらいだ。
 彼女は内心、そう零しつつ、ゲアハルト同様に地図へと視線を向ける。この作戦が成功したのであれば、帝国軍には手痛い損失となるだろう。クラネルト川だけでなく、ベルトラム山も国境越えに使うことが出来なくなる。そうなれば、今後は白兵戦に縺れ込むことになる――勝ち目はあるのだろうか、とヒルデガルトは不安を過らせる。
 それでも、ゲアハルトであれば何らかの方策でその危機も切り抜けてくれるのではないだろうかという期待もあった。


「いるさ。そういう者ぐらい、いくらでも」
「……怖いもの知らずだな」
「ああ。潜入した帝国兵が堂々と俺の前に現れることもある」
「何!?」
「過ぎた話だ、捕縛して牢に入れてある。……まだいるだろうがな」


 帝国の動きが思っていたよりも早い、誰かが情報を流しているんだろう。
 ゲアハルトは気に入らないとばかりに目を細めた。「俺の予想ではあと2日は此方に余裕があるはずだった」と零し、嘆息する。その言葉から、先の会議室でやけに強引に進めた理由が推察できた。とは言っても、彼のやり方は先とあまり変わることなく、常に強引なところはあるが。
 そうならそうと言えばいいものを、とヒルデガルトは溜息を吐くも何も言わずにおいた。


「誰が裏切っているのかは分かっているのか?」
「探らせているところだ。……第三を戻したことを知っている者からして、今もこの近くにいることは確かだろうな」
「つまり、絞れてはいないということじゃないか。一体此処に何人の兵士と関係者がいると思っているだ」
「問題ない。次の作戦の帝国の動き次第でより絞り込める」


 そう言いつつ、ゲアハルトは先ほど話に出ていた地元の者しか知らない抜け道を指差した。


「この抜け道を使って急襲することを知っているのは俺と君だけだ。このことは作戦開始直前まで伏せる。それでもこの動きが帝国に読まれていたのであれば、この抜け道を知っている第三の中に裏切り者がいる」
「おいっ!」
「もちろん、地元の者が帝国兵に漏らした可能性も捨て切れない。しかし、今よりもずっと人数は絞ることが出来る。第三か地元の者か、そのどちらかに一人はいる」


 その一人を見つける為ならば、どのようなことでもするのではないか――ヒルデガルトは底冷えのする青の瞳から視線を逸らし、鳥肌の立つその腕をテーブルの下で握った。帝国に勝つ為ならば、その勝利を脅かす者を排除する為ならば、彼はどのようなことでもするだろう。その行動を今までにも見て来ただけあり、彼女は一瞬過った予感が現実になることを理解した。
 自身が率いる第三騎士団の中に帝国に情報を漏らすような者がいるとは思っていない。しかし、次の作戦次第では彼の調査が入れられることは確かだ。それでも、共に戦って来たのだ、彼らの中にそのようなことをする者はいないという自信があった。


「好きにしろ。私の仲間にそのような裏切り行為をする者がいるはずがない」
「そうだといいがな。ああ、そうだ。もう分かっているとは思うが、次の作戦は第三と第二からの遊撃部隊を中心に実行することになる」
「道案内をしろということだろう、分かっている。ついでに書類も出来たから持って来た」


 そう言ってヒルデガルトは折り畳んだ書類をゲアハルトに差し出す。それを受け取った彼は遊撃部隊として選出する者の名前の一覧に視線をやり、「反対していた割に良い選出だな」と皮肉を口にした。その言葉にヒルデガルトは柳眉を寄せるも、猛反対していたことは事実である為、言い返すことが出来なかった。


「……それで作戦実行はいつなんだ」
「明後日の夜明けと共に。此処を発つのは明日の午後の予定だ」
「そういうことは早く言え!」
「通達なら既にしている。君は此処に来るから聞いていなかっただけだろう」


 そう怒るな、と相変わらず書面に視線を落としたままのゲアハルトに宥められ、彼女は眉間の皺を深くした。ヒルデガルトのそんな様子に気付いたのか、ちらりと視線を上げ、彼女の眉間に刻まれた皺に小さく笑うと「皺が取れなくなるぞ」と軽口を叩いた。貴様のせいだぞ、と息巻くヒルデガルトに対し、何処までも飄々とした態度を取りつつ、彼は書類をテーブルの脇に避けた。


「そうだ、もう一つ」
「何だ、まだ伝え忘れか。ゲアハルト、わざとやっているだろう!」
「そんなわけはないだろう。それでは俺の性格が悪いみたいだ」
「……それで、何だ。早く言え、私はそろそろ休みたい」
「うちの兵士に稽古を付けてやって欲しい」


 いきなり何を言い出すのだとヒルデガルトは脱力した。稽古を付けること事態は問題ではないのだが、既に次の作戦は動き始めている。今言うことではないだろう、と思いつつ、帰還したら稽古を付けようと口にする。しかし、ゲアハルトはそれを否とし、明日の朝にやるようにと彼女に告げた。
 明日の朝となれば、出撃前で目が回るほど忙しい頃だ。何を言い出すのだ、とヒルデガルトは彼を睥睨した。


「無理に決まっているだろう」
「俺は相手に出来ないことをやれと言うほど鬼ではない。うちの兵士と言っても、一人だ。アイリスという回復魔法士に教え込んで欲しいことがある」
「回復魔法士のアイリス……って、ちょっと待て、彼女は後方支援のはずだ」
「うちに異動にになった。どうやら知り合いらしいな、それなら話は早い」


 昼間に話していたアイリスの名前が此処で出て来るとは思いもしなかったヒルデガルトは驚きの表情を浮かべた。ゲアハルトは説明が省けて助かるとばかりに、彼女につけて欲しい稽古の内容を口にした。その内容にヒルデガルトは目を瞠るも、人を傷つけることに躊躇しているアイリスには丁度いいことでもあり、稽古を快諾した。
 元より稽古を付けようと思っていたことをゲアハルトに言うと、彼は珍しく不思議そうな表情を浮かべた。


「今朝、鍛錬場で彼女を見たが……とてもではないが、ガンストに任せてはおけなくてね」
「なるほど」
「しかし、私でいいのか?魔法のことなら私よりもエルンストの方が適任だろう」
「あいつには他にしてもらっていることがある。アイリスのことは君に任せる、ヒルダ」


 アイリスにもこの旨は通達してあるということを付け足せば、ヒルデガルトは深い溜息を吐き出した。そういうことはまず最初に自分に言うべきなのではないのかと言いつつ、もし自分が断ればどうしていたのかと頭を抱えたくなる衝動に駆られた。そんな彼女に気付いているのかいないのか、ゲアハルトは特に気にした風もなく、「君なら断らないだろう」と然も当然のように言う。
 そしてテーブルに広げていた地図を片付け、話はこれで終わりだとゲアハルトは席を立つ。執務机へと戻り、積み重ねられている書類を片付けるべく仕事に戻る彼を一瞥し、ヒルデガルトは席を立った。


「アイリスに急なことですまないと伝えておいてくれ」
「伝えておくが……、謝るとは珍しいな」
「予定通りならあと2日間の猶予があったが、半日で習得してもらうことになる。さすがに申し訳なく思うさ」


 習得することが前提となっていることにヒルデガルトは僅かに頬を引き攣らせた。これで間に合わなければどうなるのだろうかと一瞬考えるも、すぐにその考えを打ち消す。行動する前からこのような弱気になっていては、出来ることも出来なくなってしまう。仮に間に合わなかったとしても、そのことも計算した上でゲアハルトは作戦を立てているはずだ。
 ヒルデガルトはドアノブに手を掛け、肩越しに振り返る。書類へと視線を落としたままの彼に「おやすみ」と声を掛ければ、淡々とした声音の返事が返ってくる。


「ああ、おやすみ。気を付けてな」
「誰に言ってる」
「それもそうか」


 微かに笑った気配があった。珍しいものを見たと思いつつ、彼女は今度こそ司令官室を出る。そのまま廊下を歩き、出口を目指しつつ辺りを見れば今も忙しく動き回っている文官や武官が多くいた。明日の出兵の為だろう――彼らの働きを無駄にしない為にも、頑張らなければと気合を入れ直し、ヒルデガルトは軍令部を後にした。

   
 
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