遊撃部隊 - discipline -



「杖は?」
「これです」


 翌朝、アイリスは身支度を整えて指定された宿舎の中庭に来ていた。就寝時間までの間にもう少し身体を動かしておこうと鍛錬場に行こうとした際に明日、出撃することになったということを通達されたのだ。聊か急なことではないだろうかとも思ったが、昼間のゲアハルトの話を思い出せばすぐに納得がいった。敢えて作った国境の穴、北のベルトラム山の国境に帝国軍が出兵して来たのだろう。
 第二騎士団に異動となってすぐに出撃することにはなると思っていなかったアイリスは、その急な出撃に戸惑いを覚えたものの、自分が出来ることを一生懸命にすればいいのだというアベルの言葉を思い出した。自分が戦場で出来ることは人の怪我を治すことであり、守ることだ。それでも、足手まといにならないように、自分の身を守る術は付けるべきであり、やはり鍛錬をしてから寝ようと決めて足を踏み出したところで通達に来た兵士に名前を呼ばれた。
 そして伝えられたことは、翌朝、中庭でヒルデガルトの稽古を受けるようにというゲアハルトからの命令だった。何がどうして、そこでヒルデガルトの名前と稽古のことが出て来るのだろうかということにアイリスは困惑した。それでも命令であれば従わなければならず、また、何があってこうなったかは知らないが、彼女の稽古を受けることが出来るということは単純に有り難いことだった。ガンストの稽古も受けた上でヒルデガルトの申し出にも応えようと思っていた手前、有り難い命令ですらあったのだ。


「随分と使い込まれた杖だな」


 アイリスから受け取った杖を手に取って眺めたヒルデガルトは細かな傷が無数にあるそれに視線を向けたまま口にした。養父から受け継いだものだと言うと、納得がいったらしく杖をアイリスへと返した。


「そうか。しかし、細身の杖だな」
「そうですね、……振り回したら折れちゃいそう」
「かもしれないな。アイリス、予備は持っているのか?」
「いえ、この杖だけです」


 彼女の返答にヒルデガルトは考える素振りを見せる。そして一つ頷くと、予備の杖も用意しておくべきだということをアイリスに話した。アイリスが現在使っている杖は養父であるクレーデルの物であり、使い込まれた細身の杖だ。細身と言っても、そう易々と折れてしまうようなものではないが、接近戦になった時には折れる可能性も捨て切れない。
 そう話すヒルデガルトに「分かりました。予備の杖も用意します」とアイリスは頷いた。慣らす為にも出来るだけ早く用意した方がいいことは確かだが、昼頃には発つことになっているため、さすがに今日中に用意することは出来ない。


「店に心当たりはあるのか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「そうか。それなら、時間もないから稽古を始めるぞ」


 すっ、と雰囲気の変わるヒルデガルトにアイリスは息を呑んだ。最初に見本を見せる、と彼女は言うと、「メルケル、来い」と少し離れたところにいた兵士を呼び寄せた。どうやらヒルデガルトの部下らしい。しっかりとした体格でレックスやレオとはまた違った種類の剣士だった。


「アイリス、よく見ておけ。メルケル、準備はいいか」
「はい、団長」


 明らかに緊張した面持ちのメルケルにアイリスは不安が過る。まさか攻撃するのでは、と心配げな表情を浮かべる彼女に気付いたヒルデガルトは「攻撃するわけではないから心配するな」と声を掛ける。しかし、メルケルの様子は相変わらずである。そんな彼にヒルデガルトは目を三角にして、しっかりしろと声を張り上げる。
 途端にメルケルは背筋を伸ばし、表情を引き締める。が、十秒もしないうちに元の緊張した様子に戻ってしまった。そんな彼の様子にヒルデガルトは溜息を吐くと、「もういい、始めるぞ」と取り出した杖をメルケルへと向けた。
 ばちり、という音の後にメルケルの巨体が地面に転がった。まるで身体を縄で拘束されたかのように背筋を伸ばした状態で一歩も動けない様子だ。一体何が起こったのかとアイリスはその光景に目を瞠る。


「ゲアハルトから君に稽古を付けるように言われた内容だ」
「これを……」
「そう身構えることはない。これはただの防御魔法の応用だ。……おい、メルケル。いつまで寝転がっているつもりだ、とっくに動けるだろう」
「はっ!す、すみません、団長……」


 メルケルは睥睨するヒルデガルトの視線に震え上がりつつ、慌てて身体を起こした。そんな彼にヒルデガルトは呆れて何も言えないとばかりに大きな溜息を吐き出した。そして、アイリスに向き直ると、彼女はどのように今の魔法を使うのかを説明し始めた。 
 防御魔法の展開は一般的に壁をイメージして展開することが多い。壁を形成して、魔法による攻撃を防ぐ為だ。それに対して、ヒルデガルトが先ほどした応用技は、自分を守る為に展開するのでなく、相手を包み込むように展開する――反転することで相手の動きを封じるというものだ。壁を作るだけであれば、広く厚く展開すれば済むことだが、反転して相手の自由を奪うことは逆の行為だ。展開する範囲は極めて狭く、狭め過ぎれば相手の命を奪うことにもなりかねない。そして、瞬時にして展開出来なければ相手を捕縛することも出来ない。


「実戦では、相手も動き回っている。その動きを読み取って確実に一発で相手を捕縛することが求められる。指揮官の自由を奪うことが出来れば、帝国兵など烏合の衆だ」
「一発で……」
「もちろん、そう簡単に出来ることではないから、まずはメルケルのような大きい人間で練習することだ。失敗しても、その時すぐに私が止めに入る」


 失敗なしに成長する者なんていないのだから、失敗することを恐れるな。
 ヒルデガルトはそう言って軽くアイリスの背を叩いた。気付かぬうちに腰が引けていた彼女はその勢いにしゃんと背を伸ばした。メルケルも人好きのする笑みを浮かべると、「俺のことは気にせず、どんとやってくれ」と彼女を励ました。


「はい!よろしくお願いします!」


 自分に出来ることを精一杯頑張ろうと決めた。自分に出来ないことは、仲間がやってくれる。そうやって補い合っていけばいいんだと、アベルが教えてくれたのだ。
 アイリスは杖を構え、防御魔法を展開する。いつもは壁をイメージするそれを、今はメルケルの身体を包み込むイメージで展開している。すると、淡い光が彼の身体を包み込んだ。













「……アイリス」
「は、はい……」
「君が優しいということはよく分かった。それは君の美徳だと思う。……だが」


 ヒルデガルトは何と言えばいいのかと額に手をやり、アイリスは困り果てたように眉を下げ、メルケルは苦笑いを浮かべている。


「もっと締めなければ逃げられてしまうと、もう何度も言っているだろう!?」
「ご、ごめんなさい!」
「まあまあ、団長。そう怒らなくてもいいじゃないですか」
「メルケル!貴様、これでは練習にならないだろう!?」


 声を張り上げるヒルデガルトの言葉は尤もだった。
 あれからアイリスはメルケルを対象として防御魔法の反転の練習を繰り返していた。相手を包み込むというイメージで魔法を形成することまでは出来るのだ。しかし、肝心の相手の自由を拘束する、というところが出来ずにいた。あくまで包み込むだけであって、締め上げることが出来ず、メルケルはヒルデガルトが最初に魔法を掛けたときのように倒れることすらなく、容易にその緩やかな拘束から抜け出してしまった。
 包み込むイメージでなく、締め上げるイメージで魔法を使うようにとヒルデガルトはアイリスにアドバイスしたが、上手くいかないまま時間は経ってしまっている。


「アイリス、捕縛というものは相手の自由を奪うことだ。メルケルのように抜け出されては意味がないし、器用な奴は同量の魔力をぶつけて相殺してくるような奴さえいる。躊躇なんてせずに、思いっきり力を込めて分厚く展開して締め上げろ」
「分かってはいるんですが……」
「だったらやってみせろ。分かっていても出来なければ意味はない」


 もう一度、そう告げるヒルデガルトに頷き、アイリスは杖を構え直す。そしてメルケルを締め上げるイメージで防御魔法を展開する。最初にヒルデガルトが見せたように、きりきりと締め上げるイメージを浮かべ、メルケルを包囲する防御魔法の範囲を狭めていく。そして彼の身体を窮屈に締め上げたところで、メルケルは地面に倒れ込み、アイリスは慌てて防御魔法を解除する。


「誰が解除していいと言った、アイリス!」
「でも、」
「実戦ではそのまま拘束し続け、身柄が確保されてから解除する。こんなに早く解除したら意味がないだろう!」
「まあまあ、団長、落ち着いて……そろそろ昼ですから、練習もこれぐらいでいいでしょう?彼女だって疲れてますよ。それに、初めてにしては上出来じゃないですか。団長なんて締め上げ過ぎて死人を出しかけたことを忘れたんですか?」


 苦笑いを浮かべているメルケルの指摘にヒルデガルトは言葉を詰まらせた。確かにそろそろ稽古を切り上げた方がいい時間帯であり、数時間前から始めたにも関わらず、一応は形になっているのだから上出来とも言える。自分が稽古をしていた時とは反対に締め上げる過ぎということもない。かといって、それが良いというわけではないものの、先ほどやってみたときはすぐ解除してしまっていたが、一応は成功していた。
 ヒルデガルトは一つ溜息を吐くと、「稽古はこれで終わりだ」とアイリスに声を掛けた。


「だが、自分でも鍛錬は続けるように。今回の作戦で上手く出来なかったとしても、ゲアハルトは今後もアイリスを使っていくつもりだ。私が稽古を付ける以上、抜き打ちで確認しに来るからな、……それと」
「……」
「アイリス、君は少し優しすぎる」


 戦場では情けは不要だ。情けを掛けては自分が負ける。自分が負けるということは、死ぬということだ。
 それを決して忘れないように言うと、ヒルデガルトはアイリスの肩を軽く叩いて中庭を後にした。メルケルは苦笑いを浮かべつつ、「稽古ならいつでも付き合うから声を掛けてくれ」と言うと、準備をする為に踵を返した。


「ああ、そうだ。伝え忘れるところだった」
「どうしたんですか?」
「ゲアハルトから言伝を預かっていた。急なことですまない、と。あいつの予想ではあと2日間は猶予があって稽古の時間も今よりもあったんだ。急に覚えろと言われて覚えられるようなものでもないが、あいつが君に期待するだけあって飲み込みも早い。甘いところもあるが、私も君に期待している。がんばってくれ」

 
 ヒルデガルトはそう言って晴れ晴れとした笑みを浮かべると、踵を返した。そして立ち止まっていたメルケルを伴い、その背は見えなくなった。単純に掛けられた言葉が嬉しかった。期待されるということはやはり嬉しい。出来ると思ってもらえることが、とても嬉しかったのだ。
 アイリスは額に浮いた汗を拭い、大きな溜息を吐き出した。期待されることは嬉しいが、それと同じ分だけ自分の甘さが浮き彫りになったように感じられた。実戦では、相手は武器を持っているし、激しく動き回っているはずだ。抵抗もして来て、仲間だっている。そう簡単に拘束することは出来ないだろう――しかし、それをやらなければならないのだ。
 帝国軍は寄せ集めの軍隊だ。指揮官を拘束してしまえば、その動きは各段に落ちるはずだ。ゲアハルトがアイリスを遊撃部隊に入れた理由は、そこにある。このためだったのかと、アイリスも自分が異動となった理由に合点がいった。けれど、まだ自分はその役割を果たすだけの力がない。
 甘さは捨てなければならない。情けを掛けてはならない。そう強く自分に言い聞かせながら、アイリスも準備を整えるべく足早に中庭を後にした。



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