覚悟 - break away -



「作戦行動を確認する」


 夜明け前。準備を整えたアイリスらは整列し、前方に立つゲアハルトを見る。空はまだ暗いものの、あと一時間もすれば明るくなり始めるだろう。遊撃部隊として先発する彼らに順繰りに視線を向け、作戦行動を最終確認する。
 アベルと共にほぼ単独とも言える状態で帝国軍本陣を急襲し、レックスとレオが隊を率いて挟撃するまで注意を引き付けなければならない。成功するかどうかがアイリスの防御魔法が帝国軍の攻撃を耐え抜くことが出来るのか、そしてレックスとレオがどれだけ早く移動し、挟撃することが出来るかに掛かっている。
 作戦行動も不測の事態の際の行動も、全て頭に叩き込まれている。後は何があっても足を止めずに動き続け、そして生きて戻って来るだけだ。ゲアハルトに言われたことを思い返し、アイリスは一つ深呼吸をする。


「緊張してるのか?」
「ううん、大丈夫。……わたしに出来ることを、一生懸命にするだけだから」


 近くに立っていたレオがそっと耳打ちする。そんな彼にアイリスは安心させるよに笑みを向け、ゲアハルトへと視線を戻す。作戦行動の最終確認を終え、後は出撃の号令を待つだけだ。肌を刺すような、そんな緊張感がその場に満ち始める。


「必ず生きて戻れ。武運を祈る」


 敬礼する司令官に対して遊撃部隊の面々も敬礼を返す。そして誘導を務めるメルケルは「行くぞ」と声を掛けると、森へと向かって走り出した。走り出す間際、アイリスはちらりとゲアハルトを見る。青い瞳と、確かに視線が交差する。微かに目を細めて笑う彼に笑みを返し、アイリスは走り始めたアベルに続いて駆け出した。
 森の中はテントを張っていた場所よりもずっと暗い。太陽が出ている時間帯でもあまり明るくはないだろうと思いつつ、鬱蒼と多い茂る木々を見上げる。すると、脇から呆れた声で「ちゃんと前見て走らないよ転ぶよ」とアベルが声を掛けて来た。


「こ、転ばないよ」
「どうだか。木の根に躓いたって知らないよ」
「う……」


 アベルの言うように、森の中は木々が根を張り巡らせている。気を付けなければ彼の言う通りに木の根に躓いて転んでしまうかもしれない。回復魔法士だからといって、木の根に躓いて転んで出来た怪我を自分で癒すのは情けない。ちゃんと前を見て走ろうと思い直し、辺りを警戒しながら進むメルケルの背中を追った。
 殆ど獣道と言ってもいい緩やかな上り坂を走り続け、体力には自信があるアイリスも肩で呼吸を繰り返し始めたところで漸く件の抜け道である洞窟の前へと到着した。この抜け道を帝国軍が押えているか否かで、今後の作戦行動が大きく変わる。メルケルはアイリスとアベルの方を向き、「準備はいいか?」と問いかける。


「僕はいいよ。アンタは?」
「わたしも大丈夫です」
「それなら、行くぞ」


 アイリスは杖を握り、メルケルに続こうと歩を進めるも洞窟に入る前にレックスが彼女の肩を掴む。どうしたのかと振り向けば、「オレが先に入る」と先に行ってしまう。急にどうしたのかとその背を見ていると、アベルは溜息を吐きながらアイリスの腕を掴んで「僕たちもさっさと行くよ」と歩き出し、その後にレオが続いた。


「オレも前に行こうと思ったんだけどなー……」
「どうして?」
「アンタ、司令官が言ってたこと忘れたの?もしかしたらこの抜け道を帝国軍に押えられているかもしれないって」
「それは覚えてるけど……」
「さっきアイリスが先に行こうとしただろ?先に行ってもし帝国軍が潜んでいたときすぐに対処する為にレックスが先に行ったんだ。斬りかかられても大丈夫なように」


 苦笑いを浮かべながらレックスが先に行った理由をレオは目を瞠るアイリスに教えた。万が一、帝国兵がいたとしても自分は気付かないかもしれない――レオに教えられて漸くレックスの行動の意図が分かった。だが、分かると同時に有り難くもあり、申し訳なくもなった。自分の出来ないことを無理にするつもりはないが、それでも同じ兵士であるのに自分は随分と安全圏にいるのだと改めて感じたのだ。
 そんなアイリスの考えに気付いたのか、腕を引いていたアベルは溜息を吐きつける。あまりに大袈裟すぎる溜息に彼女はアベルが馬鹿にしているのだということに気付き、柳眉を寄せる。


「危険な目に遭いたいわけ?アンタは」
「……そういうわけじゃないけど」
「戦場に安全圏なんてないよ。前にいても後ろにいても、何処にいたって危険だよ」
「そうだけど……」
「アベル、そういう言い方をしなくてもいいだろ」
「アンタもレックスもこの人に甘すぎるよ」


 僕は本当のことを言ってるだけ。
 アベルはそう言ってつんとそっぽを向く。そんな様子にレオは眉を顰めるも、さすがに作戦行動中ということもあり、怒鳴るようなことはしなかった。


「今は確かにアンタも僕も隊列の真ん中にいて安全圏だけど、直にそれは終わる。アンタと僕の二人だけで帝国軍の本陣を急襲するんだ」
「……うん」
「あいつらの一斉攻撃を受けるの。分かる?たった二人の人間に対して何倍もの奴らが攻撃してくるんだ」


 危険なんてものではない。下手をすれば、命を落とすことになる。今から向かっている場所は、そういう場所であり、ゲアハルトから命じられたことはそういうことなのだ。分からなかったわけではない、知らなかったわけでもない。分かっていて向かっているところだというのに、またしても考えの甘さを指摘される。
 きゅっと小さく唇を噛むアイリスの腕を掴んだままのアベルの手に力が籠る。僅かな痛みを感じながら、視線を少し前を歩く彼へと向ける。


「僕はアンタに命を預けるんだ」
「……アベル」
「僕たちが生き残るかどうかはアンタ次第だよ。しっかりしてよ」


 彼は自分の身を守ることが出来ない。そのためにアイリスはアベルを守るようにとゲアハルトに言われたのだ。クラネルト川のときのように、守り切らなければならない。今回はあの時よりもずっと反撃されるだろう。しかし、防御魔法を破られるわけにはいかない。破られたその時は終わりを意味している。アイリスの負けは、そのまま二人の死亡へと繋がる。それでは、ゲアハルトに必ず生きて戻って来いと言われた命令も、入隊するに至った自分の意志も、何も守ることが出来ない。
 しっかりしなきゃ、強くそう自分に言い聞かせる。うん、と深く頷くアイリスの肩に手を置き、後ろを歩いていたレオが笑いかける。


「大丈夫。きっと上手くいくから」
「そうだよね」
「そうそう。……オレも、みんなも、頑張るからさ」


 だから、頑張れ。
 レオは手を伸ばしてアイリスとアベルの頭をぐしゃりと撫でる。二人の成功は、そのまま帝国軍への大打撃になる。本陣を急襲され、そこにレックスとレオが率いた別働隊による挟撃。そこから王国軍本隊と戦闘になっているであろう帝国軍本隊への背後からの挟撃、この流れに乗るには二人の成功が必要不可欠だ。
 アベルは嫌そうにレオの手を振り払いながら「分かってるよ。僕が下手を打つと思ってるの?」と鼻で笑う。そんな様子にレオは可愛くないなーと文句を言いながら手を引っ込めた。そしてアイリスへと視線を向け、表情を引き締める。


「最前線に立つっていうのは本当に危険だ。だから、覚悟しなきゃいけない」
「…うん、大丈夫」


 抜け道の終わりが見えて来た。差し込む光はないが、洞窟の先に木々が見えている。もうすぐだと思うと、緊張が高まって来た。


「覚悟なら、出来てるよ」
「馬鹿。違うだろ、それは」
「痛っ」


 レオを見て口にすると、いつの間にか立ち止まっていたレックスがアイリスの額を小突いた。いきなり何をするのだと額を押えながら彼を見上げれば、呆れた顔をしている。それは隣にいるアベルも同様だ。どうしてとレオを振り向いても、彼も苦笑いを浮かべるばかりで答えてはくれない。


「お前がしてるのは、死ぬ覚悟だろ。そんなのはしなくていい」
「でも……」
「レオが言ったのは……、オレたちがする覚悟は、いつだって生き残る覚悟だ。絶対生きて戻ること、生き残る為に最後まで諦めないこと。それがオレたちの覚悟だ」


 絶対に生きて戻る。だから死ぬ覚悟なんてするな。
 レックスの赤い瞳は真剣そのものだった。誰の目を見ても、それは同じ様で、アイリスは息を呑む。死ぬ覚悟でなく、生き残る覚悟。そして思い出したのは、死んだ孤児院の兄弟たちの分まで生きると決めたときのことだ。此処で死ぬわけにはいかないのだと、そう強く思い直す。必ず生きて戻る。それは、決して忘れてはならないことだ。


「うん、……絶対に生きて戻る。生きて、戻らなきゃ」


 そうでなければ、きっと悲しませてしまう。自身を送り出したゲアハルトのことを思い浮かべる。もしも、生きて戻らなければ、きっと彼は、気にしてしまう。何よりも直接、ゲアハルトに言われたのだ。必ず生きて戻って来い、と。
 紫の瞳ははっきりとした意思を湛え、彼女はしっかりと頷いた。生き残る覚悟を決めたアイリスにレックスは笑みを浮かべて頷いた。そしてアベルは「行くよ」と声を掛け、一歩を踏み出す。此処から先は二人だけだ。アイリスは一つ深呼吸をした後に、彼の後を追って歩き出した。


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