強化兵 - the berserkers -



「だから、お前の相手はオレだって言ってるだろ!」


 怒鳴り声を上げながら、レックスは振り被った剣を帝国の強化兵に向けて力一杯振り下ろす。しかし、刃は強靭な筋肉に阻まれ、致命傷を負わせることも出来ずにいた。強化兵は彼の攻撃を物ともせず、ゆっくりとした足取りで後方で防御魔法を展開しているアイリスへと向かおうとする。それを阻むようにレックスが間に入るも、強化兵の目には障害物としてさえも映り込んでいないらしい。
 レックスの攻撃を受けながらも自身へと向かって来る強化兵にアイリスは息を呑む。どうして自分に向かって来るのか、その理由を考えるも、足に負った毒矢の傷の痛みが思考を邪魔する。掠り傷ではあるものの、毒が体内に入り込んでいるという事実に変わりはない。早急に解毒剤を服用しなければならなかったが、今この場をアイリスが離れるわけにはいかなかった。
 解毒剤を応援に預けると彼女の部下が言っていた。今はその言葉を信じて、応援が来るのを待つしかない。それまでにレックスが強化兵を倒すことが出来ればいいのだが、どうにも彼の攻撃は強化兵には効いていないらしい。しかし、魔法も少なくとも防御魔法は通用しないのだ。そうなると、やはりどうにかして剣で攻撃を加えるしかないのだ。
 アイリスはもどかしさを感じながら、一歩、また一歩と少しずつ後退する。レックスが食い止めようとするも、彼の力は人の倍以上の筋肉の持つ強化兵には及ばない。時折、振り回す腕を剣を構えて堪えるだけで精一杯の様子だった。だが、中隊をまとめるレックスでこの状態なのだ。他の兵士が束になったところで被害が増えるだけであり、迂闊に応援を呼ぶことも出来ない。それは東側のヒルデガルトや西側のメルケル、そして見ることは出来ないものの、北側にいるレオも同様の状況であるということが予想出来た。
 どうにかしてこの強化兵を倒さなければ、事態は悪化する一方だ――アイリスはぎゅっと杖を握り締めながら、じりじりと迫る強化兵から逃れるべく、一歩後退する。その直後、「アイリスさん!」と自身の名前を呼ぶ声が後方から聞こえて来た。どうやら応援が来たらしく、アイリスは肩越しに振り向いた。


「解毒剤を持って来ました!今までと同じ毒薬を使用しているのなら効くはずです」


 以前から帝国軍で使用されている毒薬は既にエルンストがそれに対しての解毒剤を開発していたらしい。小さな小瓶の中で揺れている液体を一瞥し、アイリスはそれに口を付ける。効くかどうかは飲んでみなければ分からない。一気にそれを煽ると、口内には苦味が広がる。そのあまりの苦さに眉を寄せながら小瓶を返しつつ、アイリスは何とか飲み込んだ。後はこの解毒剤が効くことを願うしかない。
 しかし、それ以上に彼女が気になっていたのは後方へと運ばれていった部下の負傷兵のことだ。彼はちゃんと治療を受けているのだろうかと不安になったアイリスがその旨を尋ねると、兵士は「現在、後方で治療中です」と彼は答えた。だが、彼女は知っている。助かる見込みがなければ、切り捨てるのだということを。アイリスの診立てでは、五分五分といったところだ。毒を抜く応急処置はしたが、後は彼の生命力と後方で手当に当たっている救護兵次第である。距離の離れたところにいる彼女はただ無事を祈ることしか出来ず、歯痒さを感じていた。


「後は我々が引き継ぎます。アイリスさんも下がってください」
「……はい」


 元々、アイリスがこの場に残っていたのも応援が来るまで防御魔法を展開し続ける為だ。今は既に到着した応援がそれぞれ配置について防御魔法を展開している。誰もがレックスの対峙している強化兵を恐れている様子ではあるものの、自身の任務を全うしようとしている。その様を見て、後は彼らに任せたらいいとそう確かに思うのだが、彼女の足は縫い止められたかのようにその場から動かずにいた。否、動くことが出来なかった。
 自身に向けられる殺意の籠った視線がアイリスを雁字搦めにその場に縫い止めている。彼女を縛るその視線はレックスをかわしてアイリスへと向かって来ようとしている強化兵のものだ。


「アイリス、こいつはオレが何とかする!だからお前は下がれ!」


 息を弾ませながらレックスは動けずにいるアイリスへと声を上げる。先ほどよりも彼の斬撃が効いてきているらしく、強化兵の身体には傷が出来ている。どこからどろりとした血を流しながらも、本来ならば感じるはずの痛みも感じていないらしく痛がる素振りすらない。そもそも、強化兵はリュプケ砦から飛び降りて来たのだ。ちらりと砦を見上げたアイリスはそのあまりの高さに、強化兵の恐ろしさを目の当たりにした。死の恐怖を感じず、痛みを感じず、ただ敵を殺す為だけの存在になり果てた人間。そんな者を生み出す薬を作り出した人下も、作り出した人間も、アイリスには恐ろしくてならなかった。
 いつまでも此処にいてはレックスの迷惑になる――アイリスは何とか足を動かして後方へと下がろうとする。じわりと広がる痛みと熱に眉を寄せながらふらつく足取りで後方へと歩き出すも、やはり背後が気になる。ちらりと肩越しに振り向きながらしばらく歩き、彼女はふとあることに気付いた。アイリスは気付いたそれを確認する為に身体ごと振り向き、ゆっくりと右の方向へと歩いていく。すると、強化兵もアイリスの動きに合わせるように同じ方向にゆっくりと移動する。彼女が逆方向に向きを変えれば、同様に強化兵も動くのだ。


「……まさか」


 そのような素振りは思えば、最初から見せていた。ゆっくりとアイリスへと向かって歩き出していた。ただ、それは単純に後方へと向かっているのではないかと考えていたが、今の動きを見て、後方ではなく狙いは自分自身なのだということを確信する。しかし、何故自分が狙われるのか――それを考えながらアイリスは後方から引き返した。
 何故戻って来るのかと持ち場を交代した兵士らは顔を見合せながら彼女に下がるように口々に言うも、アイリスは戻れないと声を張り上げる。そして「どうした!?」と自身を殴りつける拳を剣で捌きながらレックスは声を張り上げる。


「強化兵が狙ってるのはわたしだった!どこに動いても必ずわたしの方に来ようとするの!」
「そんな……!」
「下がれないよ、このまま後方に下がったら負傷兵のみんなが……!」


 考えただけで血の気が引く。顔を青くしたのはアイリスだけでなく、周りで防御魔法を展開している兵士らも顔を青くしている。だが、それは偏に強化兵への恐怖だけではない。アイリスがこの場に留まるということは、強化兵も留まるということだからだ。今はレックスが抑えているものの、彼の体力も無限にあるというわけではない。いつか必ず、体力が尽きる。それまでにレックスが強化兵を倒すことが出来れば問題はないが、死の恐怖も痛みからの躊躇も、強化兵は持ち合わせていない。つまり、首を刎ねるか、心臓を突き刺すか、または失血死を待つか、全てはレックス次第だった。
 強化兵の視線だけでなく、アイリスは自身へと向けられる仲間の視線にも気付いていた。彼らは言葉にはしない。けれど、その視線は雄弁にアイリスが何処かに行くことを願っていた。そのことにきゅっと唇を噛み締める。
 彼らの気持ちが分からないわけではない。ただでさえ、防御魔法を展開することに集中しなければならないのに、すぐ近くには帝国軍が放った強化兵がいるのだ。そして強化兵が狙っているのはどういうわけかアイリスであり、後方に下がることが出来ないのであれば、前線にいるしかない――そのような状況に耐えられる人間など早々いない。それでも、まだ口に出して直接言われないだけましだとアイリスは微かに自嘲気味に笑った。
 どうして自分が狙われているのか、それは分からない。しかし、狙われているからには、他の誰も巻き込まないようにすることも出来る。アイリスは深く息を吐き出し、杖を持ち直して強化兵を真っ直ぐに見返した。


「……レックス、わたしが」
「アイリス。狙われる心当たりは?」
「え?……ない、けど……」
「何でもいい、自分がこいつにしたことを思い出してくれ」


 アイリスが何を言おうとしたのか、それが分からないレックスではないだろう。しかし、彼はそれを遮ると、狙われる心当たりを思い出すように口早に言った。勢いを殺がれた彼女は困惑しながらも、強化兵がリュプケ砦から飛び降りて前線の真ん中に防御魔法を破って現れた時のことを思い出す。自分は強化兵に何をしただろうか――自身のしたことを思い返していく。最初、強化兵の傍にいたのは自分でなく、後方へと下がった部下の女兵士だった。そして、彼女らにすぐに逃げるように叫び、アイリスは防御魔法を反転させて捕縛しようとした。だが、最初は成功したかに思えたそれも破られ、その衝撃を真正面から受けて弾き飛ばされた。
 そこまでを思い返し、アイリスは顛末をレックスへと伝えた。何が引き金になったのか、彼女には分からなかったのだ。アイリスから事の顛末を聞いたレックスは暫し考える素振りを見せ、そして「……最初に攻撃したのが、アイリスだったから、かもしれない」と彼は口にした。


「攻撃って……わたしは……」
「アイリスは捕縛しようとしただけでも、こいつからしたら攻撃されたようなもんだ。それで、こいつは自分に最初に攻撃した奴をしつこく狙って来る、と。多分、そういうことだと思う」


 横薙ぎに空を切る強化兵の拳を避け、レックスは袈裟懸けに剣を振り下ろす。そして距離を取ると、近くにいた兵士に「伝令を頼めるか」と声を掛けた。


「は、はい!」
「バルシュミーデ団長とメルケルさん、遠いけどレオに。強化兵は最初に攻撃した相手を狙う特徴があるということと、魔法攻撃は一切効かないってことを伝えてくれ。それから、前線にいるうちの副隊長に前線の指揮は任せるとも」
「あの、それでは隊長はどうなさるんですか?」


 困惑した様子で聞き返す兵士にレックスはアイリスを一瞥すると、「アイリスを連れて強化兵を誘き寄せて相手をしてくる」と迷いなくはっきりと口にした。その言葉に驚いたのは他でもなく彼女自身だった。このまま此処にいては被害は広がるということは明らかであり、だからこそ、アイリスは自身が囮となってこの場から離れようと考えていた。それを伝えようとしたところを先ほどレックスに遮られたが、まさか彼が共に来ると言い出すとは予想外だった。


「待って、それじゃあ前線は……レックスがいないと、」
「大丈夫だ。うちの副隊長は任せて大丈夫な奴だし、お前一人で行かせるわけにはいかないだろ」


 お前の攻撃では倒せないんだから、と付け足されれば、アイリスに言い返す言葉はない。元々、囮になって誘き寄せた後のことを彼女は考えていなかった。とにかく、早くこの場から立ち去らなければという気持ちでいっぱいだったのだ。焦ってばかりのアイリスにレックスは苦笑いを浮かべ、「落ち着けよ。大丈夫だから」と彼は声を掛ける。


「お前が囮になって助かったって、お前が生きて戻って来なきゃ誰も嬉しくなんてないんだから」


 レックスはそう言って強化兵へと向き直り、アイリスに近くに来るように呼び寄せる。巻き込んでしまっている、とレックスに対して心苦しさと、彼の言葉に嬉しさを感じながら彼女は言われた通りに彼へと近寄る。すると、すっと手を差し出された。何だと目を瞬かせていると、「ほら、手」と促される。促されるままに差し出された手に遠慮がちに手を重ねると、力強く握り返された。自分よりもずっと大きく、温かい手だった。


「森に走り込むぞ」
「……うん」
「大丈夫だ、ちゃんとオレが守ってやるから」


 ぎゅっと強く握られる。レックスはちらりとアイリスへと顔を向け、場違いなほどに優しく笑った。その笑みがあまりにも優しく温かく、それがとても嬉しかった。アイリスは握られる手をそっと握り返し、うん、と小さく頷いた。

 
 
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