強化兵 - the berserkers -



 レックスに手を引かれながらアイリスは懸命に足を動かす。ずきずきと傷が訴える痛みに眉を寄せながらも足を動かし続け、森へと駆け込んだ。その後を追いかけて来る強化兵の足取りは先ほどよりも早いものに変わっていた。早々に追いつかれるということはないだろうが、体力的にはレックスとアイリスは分が悪い。しかし、それでも隊への被害を最小限に留める為には強化兵を引き付けて倒さなければならない。
 何とかしなければと思えば思うだけ、焦りが募っていく。どうしよう、と彼女が考えていた矢先、ぐらりと身体が傾いだ。倒れ込みそうになるアイリスに気付いたレックスが咄嗟に足を止めて彼女を抱き止め、心配げな様子で顔を覗き込む。


「大丈夫か?……おい、怪我してたのか?」
「ちょっと……でも、大丈夫だよ。これぐらい何ともないから」
「何ともないわけないだろ。仕方ないな……嫌かもしれないけど、ちょっと我慢してろ」


 そう言うや否や、レックスはアイリスの返事も聞かずに彼女を抱き上げる。突然のことにアイリスは素っ頓狂な声を上げるも、すぐにまたレックスは走り出し、落ちない為にも彼の身体にしがみつく他なかった。立ち止まっていた為に強化兵との距離は縮まってはいたが、すぐに走り出したことで何とか追いつかれることはなかった。


「怪我の具合は?隠さずにちゃんと言えよ」
「……帝国軍の矢が掠ったの」
「はあ!?帝国のって言ったら、あれには毒が、」
「お、落ち着いて。止血の手当てもしてるし、解毒剤も飲んだから多分大丈夫だと思う」
「……ならいいけど、ちょっとでも身体がおかしいと思ったらすぐに言うこと。いいな?」


 眉を寄せて真剣な表情で言うレックスにアイリスはこくりと頷いた。正直なところ、身体の不調はあった。全身が熱っぽく、倦怠感に襲われていた。特に傷口は熱を持ち、ずきずきと痛みの間隔が短くなっている。しかし、今それを口にしたところでレックスの足を引っ張ることにしかならない、とアイリスはすぐに言うように言われたものの、口を閉ざした。
 ちらりとレックスの肩越しに後方を見れば、相変わらず強化兵は追いかけて来ていた。生茂る木々をその巨躯で折りながら一直線に向かって来る様を見ていると、本当に倒すことが出来るのだろうかと不安が込み上げて来る。アイリスは込み上げる不安に顔を歪めながらも、せめてすぐに強化兵の変化に気付くことが出来るようにと後方へと視線を投じた。


「……、っ」


 それから暫し経った頃、アイリスはレックスの変化に気が付いた。先ほどよりも格段に荒くなった呼吸と僅かながら走っているスピードが落ち始めているのだ。だが、それは無理もないことだった。ただでさえ、連戦の状態で満足な休息を取ることもなく、前線で戦い続けていたのだ。そして今はアイリスを抱えて当てもなく森の中を走り続けている。その状態で疲れないはずがない。
 レックスは何も言わずに走り続けているが、限界が近いということはアイリスにも見て取れた。視線を後方の強化兵へと戻すと、距離は縮まって来ている。このままでは間もなく追いつかれてしまう。そうなると、レックスは剣を取って戦うのだろうが、疲労した状態で勝てる相手ではない。アイリスはきゅっと手を握り締め、後方に迫る強化兵を見据えた。


「……レックス、」
「馬鹿なことは言わなくていいぞ」
「下ろして、レックス」
「だから、馬鹿なことは言うなって」


 絶対下ろさないとばかりにレックスは腕に力を込める。彼との距離が縮まり、アイリスは一瞬息を呑む。しかし、ばきりと木々の枝が折れる音が間近で聞こえると一気に緊張が全身を駆け抜けた。それはレックスも同様らしく、彼もまた緊張しているのだということが伝わって来る。このままでは共倒れになってしまう――アイリスは軽く身を捩り、下ろして欲しいと懇願する。


「嫌だ。絶対下ろさない」
「でも、このままじゃ……!」
「アイリスを下ろしてオレだけ逃げるなんてそんなこと、出来るわけないだろ!」


 真剣な表情だった。アイリスに対して怒りを露にするレックスに彼女は息を呑み、そして気まずくなって視線を逸らした。そんな彼女の様子にレックスは一つ息を吐き出すと、どうやら落ち着きを取り戻したらしく、「怒鳴ってごめん」と口を開いた。しかし、彼の意志は変わらず、アイリスを下ろそうとはしない。寧ろ、先ほどよりもずっと腕に力を入れているぐらいだった。


「オレはアイリスを置いて逃げるなんてこと出来ないし、絶対にそんなことはしない」
「……けど、」
「けどもだってもない。仲間を置き去りにするなんて出来るわけないだろ。そんなことしたら、オレは絶対に一生後悔する」
「……レックス」
「それにさっきも言っただろ。オレが守ってやるって」


 自分で決めたことを成し遂げられないなんて、もう嫌だ。
 そのように口にするレックスの横顔は酷く哀しげでアイリスは口を閉ざした。何かあったのだろうかとも思うが、今はそれを聞いている時間はない。彼がそう言ってくれることはとても嬉しくはあるものの、だからといって受け入れるわけにはいかない。自分が此処に残ったところで出来ることなど無に等しく、足止めをすることさえも今のこの身体では満足に出来ないだろう。けれど、それでも下ろして欲しいと頼むのは、彼のことを同様に守りたいと思うからだ。


「レックス、お願いだから、」
「嫌だ。此処にお前一人残してどうなる?犬死するだけだ。防戦一方になって体力尽きて……そんなの絶対に嫌だ」
「……」
「オレは国とか仲間とか、そういう自分にとって大事なものを守りたくて此処にいるだ。アイリスのことだって例外じゃない、お前は大事な仲間だよ。だから、大事なものを守る為に戦ってるのに、お前だけ置いて行けるわけないだろ」


 優しい声音が耳に届いた。自分のことを大事だと言ってくれる彼には、もう何も言うことが出来なかった。下ろして欲しいなどとはもう言えない。それはそのままレックスのことを傷つける――アイリスはきゅっと唇を噛み締め、顔を伏せた。もしも自分がレックスの立場だったなら、きっと同じように置き去りになんて出来ない。そのことを思えば、余計に申し訳なさが募った。
 それと同時に、レックスが口にした言葉が彼女の心に響いていた。大事なものを守る為に戦ってる、と彼は言った。その言葉を聞いて漸く、アイリスは自分に足りていないものが何なのかということに気付いた。彼女が入隊した理由は、自分の力で人を守りたいというものだった。それは今でも変わっていないが、アイリスの入隊理由とレックスが口にした言葉は似ているようで違っている。守る為に戦う彼とただ守りたいと守るだけの彼女とでは、そもそも行動からして違う。
 守りたいと思うことは誰にだって出来ることだ。しかし、守る為に戦うということは誰にでも出来ることではない。実際にアイリス自身、守りたいとは思っても、そこに戦うことを結びつけなかった。否、結びつけることが出来なかった。戦うことで相手を傷つけることを恐れていたのだ。しかし、傷つけることを恐れていては、守りたいものを守ることは出来ないのだということにアイリスは気付いた。守ろうと思った小隊の兵士を守ることが出来なかった。それは、自身が守る為に戦わなかったからに他ならない。


「よし……、ちょっと開けてるところがあるから、あそこであいつを迎え撃つか」


 レックスの言葉に伏せていた顔を上げると、前方には森の開けた場所があった。アイリスは視線を前方から後方へと移し、先ほどよりも距離の縮まっている強化兵を見つめた。元はただの人間だったはずが、今ではすっかりと変貌した姿となり、元の姿の面影を辛うじて残しているといった様子だった。だが、それでも相手を人ではない、とは思えない。けれど、戦わなければならないということは明白だった。そうでなければ、自分もレックスも生き残る術はない。
 森の中の開けた場所へと駆け込んだレックスはアイリスを下ろすと、彼女に下がっているようにと伝えて自身は剣を抜いた。肩で呼吸を繰り返し、疲労し切っているのだということは簡単に見て取れた。それに対して追いついた強化兵の様子は変わらない。体力も増強されているらしく、少しも疲れた様子は見受けられなかった。
 状況はまさに最悪の一言に尽きる。それでもレックスは果敢に剣を手に強化兵へと斬りかかっていく。勢いよく剣を振るい、そのまま何度も斬りつけていくも、強化兵はその攻撃に怯むことなく、一歩踏み出す。痛みを感じることはないらしく、自身の身体から血が流れようとも、傷を刻まれようとも、気にした様子はない。死の恐怖すらないのだろう。そんな相手にどのようにして勝てばいいのか――アイリスは杖を握り締めながら、熱に浮かされながらも必死に頭を働かせる。
 きっと自分にも何か出来ることがあるはずだ、と彼女は辺りを見渡した。魔法は一切、通用しないという点で自身に出来ることの殆どが消え去った。それでも、何も出来ないと諦めるわけにはいかない。レックスが動けるうちに何か手を打たなければと必死に考えるも、毒矢によって体内にたとえ少量であっても入り込んだ毒はアイリスの身体を苛む。傷の痛みと熱に眉を寄せて耐えながら、彼女は懸命に辺りを見渡してこの状況を打開するヒントを探した。


「……っ、こいつ、本当に厄介だな」
「大丈夫!?」
「ああ、まあ何とか……けど、正直、ちょっときつい。逃げる準備だけはしておいてくれ」
「そんな……」


 強化兵から距離を取り、レックスは額に浮いた汗を拭う。けれど、次から次へと頬を伝っていく汗は玉のようで、彼の限界が近いことが伺い知れる。時間がない――焦りばかりが募る中、それではだめだとアイリスは努めてゆっくりと呼吸を繰り返す。焦っていては大事なものを見逃してしまう、それだけはだめだと自身に言い聞かせる。
 そして、不意にアイリスは視線をすぐ近くの切り立った崖へと向けた。そこそこの高さがあり、登り切ることが出来れば逃げることも出来るかもしれないが、そもそも崖は垂直の壁を形成しているため、自分たちがそこを登って逃げるということは出来そうにない。このまま強化兵から逃げるのなら、後方の森に飛び込むしかないのだろう、とそこまで考え、アイリスはもう一度、崖を見上げた。ある考えが脳裏を過ったのだ。


「……レックス」
「は、っ……はぁ、……何、どうした?」
「強化兵をこの崖の下に誘導できる?」
「……それは、出来るだろうけど……何をするつもりだ?」


 訝しむように眉を寄せるレックスにアイリスは深い呼吸を一つ置いた後に、「強化兵の上に崖を崩す」とはっきりとした声音で言い切った。思いもしない言葉に彼は目を見開き、ちょっと待て、と早口に言う。


「確かにそれが出来たらいくらこいつでもすぐに動けるなんてことはないだろうけど……でも、本当に出来るのか?」
「出来る出来ないの問題じゃないよ、やらなきゃレックスもわたしも助からない」
「……それは、」
「わたしは確かに攻撃魔法が苦手だけど、でも、やらなきゃだめなの。そうじゃなきゃ、レックスのことを守れない!わたしのこと、仲間だって言ってくれたよね。それはわたしにも言えることだよ、レックスはわたしの大事な仲間。だから、わたしだって仲間を守る為に戦う」


 いつまでも守られてばかりいたくはない、自分に出来ることを精一杯にやりたい、自分のことを大事だと言ってくれた大事な仲間を守りたい。その気持ちだけだった。凛とした声で口にしたアイリスにレックスは暫し驚いた表情を浮かべていたが、すぐに表情を引き締めて頷いて見せた。そして改めて強化兵へと向き直り、剣を構え直す。


「分かった。オレはアイリスを信じる、あいつをそこの崖の下に誘導すればいいんだな?」
「うん、わたしも一緒に動くから多分誘導自体は難しくないと思う。ただ、崖の下から移動しないように注意して欲しいの」
「了解。こっちはオレに任せて、崖はお前に任せるぞ」


 了解、と返し、アイリスはゆっくりと動き始める。最初に攻撃を加えた彼女を狙っている強化兵はアイリスが言うように、彼女の動きに合わせてゆっくりと移動し始める。更にそれに合わせてレックスが攻撃を加え、徐々に崖の下へと移動させていく。
 そして、問題はここからだった。攻撃魔法を苦手とするアイリスがそれを用いて崖を崩さなければならないのだ。言い出したのは他の誰でもなく彼女自身ではあるものの、上手くいくという自信はなかった。あるのは、成功させなければならないという強い意志のみだった。
 アイリスは杖を構えて魔力を集中させる。そして練り上げた魔力を炎に変換して崖を攻撃する――も、杖から出たのは、炎ではなく、電撃だった。それは崖へとぶつかり、ぱらぱらと僅かに崩れながら表面に罅が入る。どうして上手く変換できないのか、という疑問は当然沸き上がるも、今はそれを考えている暇はない。続けて二度三度と攻撃魔法を打ち込むも、威力の差は激しく、あまりに弱い魔法が崖を微かに揺らし、または強過ぎる魔法が崖を抉って岩石が落下して来る。魔法も炎のつもりが電撃となり、電撃のつもりが氷塊となるなどコントロールし切れていなかった。


「な、何で……」


 あまりにも上手くコントロール出来ずにいる自身に、結果的には上手くいっていても愕然とせずにはいられない。けれど、「あとちょっとだ、アイリス!」とレックスに声を掛けられると、あまり落ち込んでもいられない。元はと言えば、嫌だ嫌だと攻撃魔法の練習を一切して来なかった自分に非があることは明らかであり、アイリスは戻ったら反省して練習しなければと思いつつ、杖に魔力を集める。
 魔法を使えば使うだけ、崖は崩れていく。あと数発も当てれば、作戦通りに強化兵を瓦礫の山の下敷きにすることが出来るだろう。それを心苦しく思わないわけではないものの、それでも手を休めるわけにはいかなかった。氷塊を精製しながらも、どういうわけか炎が杖から飛び出す。その熱さに煽られながら、彼女の身体はぐらりと傾いだ。倒れかけるも、何とか杖を付いて身体を支えたところで、崖の崩れる大きな音が鼓膜を揺らした。


「アイリスっ」


 その崩れ方は想定していた以上に激しいもので、どうやら元々脆い地質だったらしく、崖は砂埃を上げながら崩れていく。レックスはアイリスの腕を掴むと、そのまま転がり落ちて来る岩石から身を守る為に後方へと走った。しかし、崩れた岩石が落下する度に地面を揺らし、二人は体勢を崩す。咄嗟に彼女を抱き込んだレックスは砂煙が立ち込める崖があった場所へと視線を向け、動く影がないことを確認してから「よくやったな、アイリス!」と声を掛ける。
 鼓膜を揺らすその声にアイリスはのろのろと視線を上げ、崩れた崖をその目に映すと「……よかった」と小さく呟いた。まだ完全に倒し切れたのかどうかは定かではないものの、それでもダメージは相当のもののはずだ。レックスは少し乱暴な手つきで彼女の頭を撫で回し、「よくやったよ、大した奴だよ、お前は!」と褒めている。その言葉に返事をしなければ、と思うアイリスだが、それ以上に身体がだるく、そして熱かった。そんな彼女の普通ではない状態に気付いたレックスは目を見開き、ぐらりと身体から力の抜けたアイリスを支えると、「アイリス?おい、しっかりしろ!」と硬く目を閉ざした彼女に声を掛け続けた。



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