強化兵 - the berserkers -



 お互いに口を閉ざし、緩やかに時間が過ぎていく。洞窟に入口から差し込む光は青白く、まだ空には月が昇っていることが伺い知れる。夜明けまでまだ時間はあるらしく、自分たちがこうして身動きが取れない間も仲間は強化兵と帝国軍の兵士を相手に奮戦しているのだと思うと、こうしてじっとしているしかないことが歯痒かった。
 それはレックスも同じらしく、唇を真一文字に結んでいる。眠っていればまだ気持ちも幾分も楽なのだろうが、既に数時間にも及ぶ十分な休息を取った後であり、眠気もない。アイリスは膝を抱えたまま、ふと以前から気になっていたことを聞いてみようかと思い立った。ちらりとレックスを見ると、視線に気付いたらしい暗い赤の瞳が向けられる。


「どうした?」
「うん、……ちょっと、レックスに聞いてみたいことがあって」


 そう言うと、レックスは軽く目を見開いて瞬かせた。いきなりどうしたと言わんばかりの表情に、アイリスは「レックスとこうして話す機会ってあんまりなかったから」と言うと、それもそうかと彼は頷いた。食堂で顔を合わせれば一緒に食事を取り、廊下や道ですれ違えば挨拶はする。しかし、その場には大抵、二人以外にもレオやアベルの姿があった。だからこそ、こうして二人きりになる機会は今まで殆どなかったと言える。


「それで、オレに聞きたいことって?」
「どうして入隊したのかなって……、あと、急に孤児院を出ることになったでしょ?そのことがずっと気になってて……」


 言いたくなければ言わなくていいから、とアイリスは付け足した。もしかしたら何か事情があったのかもしれないと思っているからこそ、今まで口に出来なかった質問なのだ。無理強いしてまで聞き出すつもりはなく、聞いても支障がないなら教えて欲しいと思っている程度のことである。案の定、レックスは視線を逸らすと、「それは……」と言葉を濁らせている。困惑した表情を浮かべる彼にアイリスは慌てて、言いたくないならいいよと改めて口にする。


「いや、そうでもないんだけど……、どこから説明するべきかと思って。聞かれて困ることではないし、アイリスにしてみたら当然の疑問だと思うから話すよ。孤児院で別れて、次に会ったのが軍の宿舎だっていうんだから驚いただろ?」
「うん……、まさか入隊してるとは思わなかったから」
「オレもあそこでアイリスに会うとは思わなかった」


 クラネルト川に出撃命令が下る直前に宿舎の廊下で顔を合わせたことを思い出す。あの時のレックスの表情を思い出せば、彼がいかに驚いていたのかということが見て取れた。彼女と同じようにその時のことを思い出しているらしい彼は苦笑いを浮かべている。そして、それから暫し口を閉ざして視線を伏せた。どこから話そうかと考えているらしく、アイリスは口を閉じて静かに待った。
 レックスは「オレさ……、浮いてただろ、孤児院にいた時」とぽつりと呟いた。その言葉にアイリスが思い浮かべたのは初めてレックスがローエの街の孤児院にやって来た時のことだ。院長に連れられてやって来たレックスの顔は今でも脳裏に焼き付いていた。泣き腫らした目と憎しみに満ちた暗い赤の瞳、包帯だらけの小柄な体。一目で戦争に巻き込まれたのだということが分かった。
 孤児院に入ったレックスは周囲の子どもたちからは一人で離れたところにいた。話しかけた子どもを威嚇するように睨みつけ、アイリスも同様に近くまで行ったものの、その視線に負けて踵を返したものだった。院長らも彼には手を焼いていた。これから此処が家であり、自分たちが親であり、共に暮らす子どもたちが兄弟姉妹であると言っても彼は頑なに聞こうとしなかった。


「……院長先生たちが親で、孤児院が家で、アイリスや他の子たちが兄弟姉妹だって言われても、受け入れられなかったんだ」
「……」
「オレにとっての家はクナップにある家、父さんや母さんは院長先生たちじゃなくて、兄弟姉妹もお前や他の子たちじゃなくて、弟と妹がいて……。家族って言われてオレが思い浮かべるのは、ちゃんとあるんだ。家だってあって、思い出だってあって……」


 それなのに家は孤児院で家族はそこに暮らす人たちだって言われても、受け入れられなかった。だから、ああして周りから離れて一人でいた。
 そう訥々と語るレックスの言葉にアイリスは視線を伏せた。クナップの街というのは、ローエの街から少し離れたところにある、クラネルト川に近い位置の街だ。幾度にも及ぶ国境での戦いが街にも飛び火し、その際に街が焼き払われた。そのため、一番近い孤児院であったローエのブロムベルグ孤児院に引き取られることになったのだとレックスは付け足す。
 静かな声で話す彼に掛ける言葉は見つからなかった。アイリスには、レックスの気持ちの半分も理解することが出来なかったからだ。全く分からないということではないものの、それは理解には遠く及ばない。自分の家族というものを知る彼と知らない彼女の間にあるものは、決して小さくない。


「今になってみれば、オレってすごく失礼で恩知らずなことしてたんだなって思うよ。身寄りのないオレを引き取ってくれて、居場所をくれて……なのに、あんな態度取っててさ。アイリスは知らないかもしれないけど、いつも寝る間際になると院長先生がオレのところに来て、言ってくれるんだ。すぐにはみんなが家族で此処が家だって思えないのは当たり前だって。だけど、此処はオレの居場所だから、安心していいんだって言ってくれてさ」


 それがすごく嬉しかったんだ、とレックスは懐かしむように目を細めて嬉しそうな笑みを滲ませた。その時に掛けられた言葉が本当にうれしかったのだということがその横顔から伝わって来る。アイリスはいつも温和な笑みを浮かべていた院長の姿を思い出し、懐かしんだ。
 院長に言葉を掛けられ続け、それを通して次第にレックスは落ち着いていった。それでも、やはり周りの子どもたちとは距離を置いてはいたものの、以前のように近付いて来る全ての人間を睨みつけるといったことはしなくなった。声を掛けられれば返事を返し、頼まれた手伝いは引き受けていた。この頃から、時折ではあるものの、アイリスとも言葉を交わすようになった。


「レックスがみんなと話してくれるようになって、みんなも喜んでたんだよ。マルクもハンスもニコルもマリーも、院長先生だって喜んでた。レックスと話したとか手伝ってくれたとか、いつもみんな言ってたの。わたしだって嬉しかったんだよ。それに、――」


 どれだけみんなが喜んでいたのかをアイリスは生き生きとした様子で話し始める。実に楽しげに話すその様子はまるで今でも院長や孤児院で共に暮らしていた子どもたちが生きているかのような口振りであり、レックスは目を驚いたように見開いていた。微かにではあるものの、彼女の様子も普段とは異なっているようにも思えたのだ。一体どうしたのかと言わんばかりに訝しむ視線を向ける彼にアイリスは言葉を切り、不思議そうに首を傾げる。どうしたの、と問う彼女にレックスは僅かな間、アイリスの紫の瞳を見つめた。しかし、いくら見つめようとも様子は変わらない。レックスは視線を逸らすと、「それで、……ああ、そうだ。どうしてオレが入隊したか、だったっけ」と徐にそれを口にした。


「あ、それを聞いてる途中だったよね。ごめんね」
「いや、みんなが喜んでくれてた話が聞けてよかった。……オレはさ、自分にとって居場所だと思えるようになったあそこを守りたいって思ったんだ」


 馴染み始めると同時に大事に思えるようになった。だからこそ、今度は失わないように守りたいと思った――レックスはそう言って、僅かに悲しみを滲ませて目を細めた。そして、「そう思ったのがきっかけでいつか軍に入隊しようと思った、……そして、いつかオレの家族を殺した帝国兵に復讐するって決めた」と付け足した。その口振りはレックスから家族を奪った相手を知っているかのようなものであり、アイリスはその点を指摘した。すると、彼は知っていると小さく頷く。


「だから、オレは孤児院を出ることになった」
「え?」
「オレが孤児院に入ってから二年ぐらい経って、孤児院を軍人が尋ねて来たんだ。此処にクナップの街の生き残りがいると聞いて来たって」
「レックスのことを探してたの?」
「オレ自身を探してたわけじゃない、クナップの生き残りなら誰だって良かったんだ。要はその時に何があったのかを調べたいだけで……、何で二年も経った後に来るんだよって話だよな」


 後から聞いた話だけど、その当時の司令官はルヴェルチで事後捜査だとかそういうことは殆ど指示していなかったらしい、とレックスは眉を寄せて言った。本来ならば、被害実態を正確に把握する為にも生き残った人物に話を聞く必要がある。だが、どうやらルヴェルチはそういったことにはまるで感心を示さなかったらしい。だからといっても、やはり二年後というのは遅すぎるのではないかとアイリスでさえも不信感を感じずにはいられなかった。
 だが、入隊してみて分かったことではあるが、全ては上官の指示通りに動かなければならず、全ては上官次第ということだった。だからこそ、ルヴェルチのそういったこれまでの行動によって溜まっていたものがローエの一件の失策で周りから噴出したのだろうとアイリスは考えた。そうでなければ、さすがに失脚までには至らないはずだ、と。


「その時に出会った軍の人と色々と話してさ……、オレ、言ったんだよ。誰がクナップで見た、……オレの家族を殺した帝国兵のこと」
「……顔、見てたの?」
「いや、顔ははっきりと覚えてるわけじゃない。ただ、そいつの腕には黒い鳥の刺青があったのだけはしっかりと覚えてる」
「黒い鳥の刺青……」
「それを言ったら、その人は顔色を変えた。何かそいつ、結構ヤバい奴らしくて……もし、そいつを見たオレが生きていると知れたら事だからってことで、オレはその人に引き取られることになったんだ」


 だから、あんなに急ぎで孤児院を出ることになったんだ、とレックスは言った。そこまで急かされたわけではなかったが、そんな話を聞かされて、もし孤児院に何かあったらと思えば、長居することなんて出来なかったのだと彼は付け足した。大事な場所だと思い始めていたのだから、その速さも尚更のことだった。


「それからオレはずっと王都で暮らしてて、その人に師事して剣を習ったんだ」
「……その帝国兵に……」
「ああ、自分の居場所を守る為に、……そして、あの男に復讐する為に」


 はっきりとした声音で彼は復讐の為だと言い切った。自身の家族を奪い、街を焼いた帝国兵に復讐する為である、と。暗い赤の瞳の奥に、昏い色をした炎が揺らめいているようだった。以前、レオは彼がいつも熱心に剣の稽古を積んでいると話していた。けれど、それは自身が掲げて来た復讐を成し遂げる為の行動だったのだろう。アイリス自身、今までに何度もレックスが稽古場で稽古に励んでいる姿を見たことがあり、その真っ直ぐな剣筋に好感を持っていた。だが、決してそれは国を守る為だけのものではなかったのだということを、知ってしまった。
 きっかけは確かに自分の居場所となったローエの孤児院を守りたいという思いもあったのだろう。けれど、その孤児院も二年前にはクナップ同様に帝国軍の手によって火に放たれた。つまり、今となっては彼の目的は復讐を果たすことのみとなっているということになる。無論、レックスに国や仲間を守りたいという思いがないわけでは決してない。それは先ほどの言動やこれまでの彼の姿を見ていても明らかなことだった。だが、もしも、目の前に復讐する対象である帝国兵が現れた時に、レックスは冷静に状況を判断することが出来るのか――そのことが、気がかりだった。


「……レックス」
「これが、オレが軍に入隊した理由だ」


 そう言って彼は微苦笑を浮かべた。いつもなら、復讐なんて何も生み出さない、憎しみをただ増やすだけだから止めた方がいいと言うだろう。けれど、アイリスは何も言うことが出来なかった。自分の家族を殺され、街に火を放たれた憎い相手のことを、レックスは知っているのだ。彼が抱える憎しみの深さを、彼女は想像することも出来なかった。どれほどの悲しみなのか、憎しみなのか、想像することすら出来ない。
 大切な人を、場所を失う悲しみも憎しみもアイリスは知っている。けれど、それは謂わば、理不尽な暴力によって奪われたものであり、明確な相手がいるわけではない。帝国軍、という大枠はあったとしても、それはあまりにも大き過ぎる。そして、養父にも復讐は何も生み出さないと言い聞かせられたことの影響も大きい。だが、レックスは違う。あまりにも、違い過ぎる。だからこそ、話してくれてありがとう、とそれだけのことしか口にすることが出来なかった。


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