涙 - the return -



「本当に大丈夫?」
「ああ」
「うん」
「本当に本当に、どこも無理してない?」
「大丈夫だって」
「いい加減しつこいよ、アンタも」


 アベルはすっかりと呆れた様子で溜息を吐き、レックスは苦笑を浮かべている。彼らの傍には馬が用意され、その更に向こうには手首を縄で繋がれた帝国兵らが立ち並んでいた。捕虜とした帝国兵らをこれから収容施設へと、軽傷であるレックスとアベルと少数の兵士が連れて行くことになっているのだ。
 二人を見送るべくやって来たアイリスとレオだが、彼女の表情は晴れなかった。いくら軽傷だとしても、レックスもアベルもその顔は疲労の色が濃かった。本心としては、少なくとも万全な状態で行って欲しいところだった。だが、既にこのことは決定されたことであり、用意も整えられている。何より、アイリスにはその決定を覆すような力はないのだ。
 アイリスはちらりと視線を帝国兵らへと向ける。何倍もの人数の帝国兵らが万が一、蜂起したらいくらレックスやアベルでも一溜まりもないだろう。そんな想像が脳裏を過り、慌てて頭を振って外へと追いやる。彼女のその行動に何となく察するものがあったらしいアベルは「今更、抵抗するような馬鹿なことをしたりしないよ、あの人たちは」と溜息混じりに言う。


「そうそう、指揮官はバルシュミーデ団長たちがブリューゲルに連行して行くんだからさ」
「そうだけど……」
「アイリスはマイナス思考になり過ぎ。オレとアベルなら大丈夫だから、そんなに心配するな」


 手を伸ばした軽くアイリスの頭をぽんぽんとレックスが撫でていると、用意が整ったことを共に護送するらしい兵士が伝えに来た。レックスは返事を返すと、改めてアイリスとレオの顔を見遣る。


「じゃあ行って来る。ブリューゲルで会おう」
「おう。頑張れよ、二人とも」
「分かってるよ。無理しない程度にアンタも頑張りなよ」
「うん、アベルも。いってらっしゃい、二人とも」


 アイリスがそう声を掛けると、レックスとアベルはそれぞれ返事を口にして馬へと跨った。そして兵士に指示を出しながらゆっくりと馬を歩かせ始める。徐々に遠のいていく二人の背を、心配げな顔で彼女は見送った。
 彼らの背中が見えなくなるも帝国兵らの列は未だにこの地に残ったままだ。一体どれだけの人数が捕虜となったのだろうかと気になるも、それ以上に気になっているのは二人の行き先である収容施設だ。その収容施設というのは、先日エルンストと捕虜の移送について話していた時に出かけた話題だった。


「ねえ、レオ。収容施設って何処にあるの?」
「ん?ああ、収容施設っていうのはいくらかあるんだけどさ、今回あいつらが行ったのはベルンシュタインの南にある収容施設だな。この様子だとあいつらが戻って来るのは少し時間が掛かるかもな」


 列を為しながら歩いている帝国へと、その列に付いているベルンシュタイン兵の様子を眺めながらレオは教えてくれた。帝国兵を捕虜とした場合、いくつかの収容施設に分けられるらしい。分ける基準は主にその兵士自身の身分の高さやヒッツェルブルグ帝国に属する国々のどこの国の兵士かなどで分けられているという。また、指揮官クラスの兵士は収容施設ではなく、直接王都ブリューゲルへと連行され、そこで厳しい尋問を受けることになるのだとレオは口にした。


「詳しいんだね、レオ」
「まあ、そりゃあアイリスより長くこの軍にいるし、オレもああして護送したことあるからさ」
「そうなんだ……、って、わたしたちもそろそろ戻らなきゃ」
「じゃあ、オレも何か手伝うよ」


 レオと連れ立ってテントへと戻ると、そこは負傷兵で溢れ返っていた。とは言っても、既に治療を受けた兵士らばかりであるため、今すぐに手当をしなければならないということはない。既に王都には伝令を出し、王都から負傷兵を帰還させる為の多くの馬車とアイリスらに代わってリュプケ砦付近に配置となる部隊が向かっているはずである。早ければ今日の昼頃にも到着する手筈となっている。アイリスはテントの脇にいくつか重ねられている書類を手にすると、それをレオに手渡した。


「怪我の具合から馬車に乗せて最優先でブリューゲルに帰還させる兵士だとか、この名簿に載せられている人は自力で戻れない人なの。その人たちから優先して馬車に載せるからレオにはこの名簿に載ってる人たちを一か所に集めて欲しいの」


 あと数時間もしないうちに馬車は到着するはずだ。手際よく馬車に載せる為にもなるべく固めておいた方がいい。レオ自身、怪我人である為、あまり無理はさせたくはないものの、寝ているのは性に合わないから手伝いたいと今朝方、言われていたいたのだ。それならば、と丁度その場にいたエルンストがこの仕事を回すようにとアイリスに言ったのだ。
 そのエルンストは、テントを離れているようだった。昨日はあれから共にテントに戻って手当に明け暮れ、全て終わった頃には月が中天にかかっていた。朝、目が覚めるとテントではエルンストが目印とも言える白衣を翻しながら重傷を負っている負傷兵の様子を見ていた。そして、レオに任せる仕事を言い残して、それ以来、姿を見ていない。
 一体何処に行ったのだろうかと思いつつ、アイリスもレオと手分けして名簿に記載されている負傷兵の名前を読み上げながら目的の兵士を探していた。すると、「アイリス」と名前を呼ぶ声が聞こえた。


「ヒルダさん!これから護送ですか?」
「ああ。……出る前に、メルケルの様子を見てからと思ってな」


 声を落とし、ヒルデガルトは心配げな表情で言う。いつもメルケルと共に行動しているということもあり、彼女の傍に彼がいないことはアイリスにとっても違和感のようなものがあった。しかし、ここでアイリスが顔を曇らせてはならない。「メルケルさんのところに案内しますね」と努めて明るい声音で口を開き、ヒルデガルトを伴ってテントの奥へと向かった。
 メルケルの容体は落ち着いてはいるものの、強化兵によってかなりの重傷を負わされた。回復魔法で傷は治癒出来たものの、受けたダメージから当分の間は戦線に復帰することは出来ないだろう。そのことを説明しながらテントの奥へと進み、メルケルが寝かされている簡易ベッドの傍まで来たところで脇に避けた。


「……眠っているんだな」
「身体を治す為に、睡眠を欲してるんですよ」
「随分と無茶をさせてしまったからな、……王都に帰還したら改めて見舞わないと」


 起こしてしまわないように小声で口にするヒルデガルトの申し訳なさそうに僅かに歪められた微苦笑を見つめていると、「アイリス、名簿のこの人なんだけど、」と名簿に視線を投じながらレオが小声で話しかけて来た。一体どうしたのだろうかと彼の方を振り向いて口を開くも、言葉を形成するよりも先にヒルデガルトが「お前は何をしているんだ!」と小声ではあるものの、迫力のある様子でレオを叱責した。
 どうやら彼女の姿が見えていなかったらしいレオはいきなりの叱責とヒルデガルトの姿に身体を竦ませ、「な、何でここに!」と通常の声量で発してしまう。すぐに気付いて口を押えるも、一度口にした言葉をなかったことには出来ない。起こしてしまっていないだろうかとレオは口を押えたまま辺りを見渡していると、その隙に彼に詰め寄ったヒルデガルトがレオの肩を掴んだ。


「い、っ」
「怪我人だろう、お前は!」
「いや、でも……オレは動ける方だから、」
「今痛いと言いかけたじゃないか。回復魔法は万能ではないんだぞ」
「それは、分かってますけど……でも、」
「でももだってもない!」


 あくまで小声ではあるものの、こうも近い距離で語気を強められれば、元より苦手としていることも相まってレオは逃げ腰になる。助けてくれとばかりにアイリスにちらちらと視線を向けることもあり、慌てて「あの、レオに手伝ってもらってるのはエルンストさんも許可してます」と間に入る。すると、今度はエルンストは何処だとヒルデガルトは眦を吊り上げる。
 彼女が心配することは尤もだった。レオは決して軽い怪我ではなく、回復魔法で回復させてはいるものの、そもそも疲労も溜まっているのだから本来ならば横になっているべきなのだ。アイリスもエルンストも最初はそう主張したのだが、レオはそれをはっきりとした表情で否としたのだ。その時のことを思い返していると、レオはどこか緊張した面持ちでヒルデガルトの目を見返した。


「あの人は悪くありません。オレがやりたいと言ってやってることです」
「だからお前は怪我を、」
「名簿に載ってる人を探すことぐらい大したことではありません。それに、オレは隊を率いていました。そんな人間が動けるのに臥せっているところなんて見せられません。それにオレが動いてることで少しでも兵士を安心させたい、それだけです」


 上官の行動一つで士気は変わる。既に戦闘は終えているものの、いつまた起こるか分からないのが戦闘だ。そんなとき、自分たちを率いる上官が臥せっていたとなれば、士気に関わる。だからこそ、レオは自分は動けるから、それを周りに見せて安心させてやりたいのだとアイリスとエルンストに告げた。その想いを汲んで、この程度のことなら任せられるだろうということで任せられた仕事がそれだ。
 ヒルデガルトも、彼の主張は理解出来るのだろう。そして、きっと彼女もレオと同じ立場ならば、同じことをしたのではないかとアイリスは考えていた。暫しの睨み合いが続くも、先に視線を外したのはヒルデガルトの方だった。彼女は一つ溜息を吐くと、「あまり無理はするなよ」と告げてレオの肩を叩いた。そして、アイリスにメルケルを頼むと口にすると、「団長、準備が整いました」とヒルデガルトと共に護送に就くらしい兵士がやって来た。


「ああ、今行く。ではな、二人とも。ブリューゲルでまた会おう」


 微かな笑みを浮かべてそう言ったヒルデガルトはメルケルを一瞥し、足早にテントを後にした。その背を見送り、彼女の背が完全に見えなくなったところでレオは盛大な溜息を吐き出した。ずっと緊張していたらしいその様子にアイリスは苦笑いを浮かべていると、「オレ、本当にあの人苦手なんだよ」とばつが悪そうにレオは頭を掻いた。
 レオはもう一つ溜息を吐き、「それで、この名簿の人なんだけど」と自身が手にしている名簿を指しながら話を元に戻す。どうやら、レオがいう兵士は、一晩明けて具合が悪くなっているらしく、優先的に帰還させた方がいいのではないかということだった。レオに連れられてその兵士の元に行くと、確かに顔色が悪かった。アイリスは傍に膝を付き、兵士の様子を注意深く見ながら傷の具合を診た。


「どうだ?」
「熱があるみたい、それに……この人、魔法が効き難い体質なのかも」


 熱の原因である怪我を治癒しようとアイリスは取り出した杖で僅かながら一晩休んで回復した魔力を使ってみるも、その傷はなかなか塞がらない。時折、こういった特異体質の者がいるということは聞いていたが、こうして目にしたのは今回が初めてだった。その体質に、アイリスは強化兵のことを思い出した。エルンストはきっと、彼らの遺体を回収するべくテントを空けているのだろう。
 そのことを考えていると、「そうだね、アイリスちゃんの診立て通りだと思うよ」という声がすぐ近くから聞こえて来た。耳に届いたその声に顔を上げると、いつもの軽い笑みを浮かべたエルンストがそこにいた。


「とりあえず解熱鎮痛剤で様子を見ようか。レオ、この薬をその人に飲ませて」
「へ?オ、オレが?」
「そう、レオって他に誰かいる?頼んだからね。アイリスちゃん、ちょっとこっちに来て、手伝って欲しいことがあるんだ」
「あ、はい。それじゃあレオ、よろしくね」


 言うだけ言うとすぐにテントを出て行ったエルンストを追うべく、アイリスはレオに一声掛けてから足早にテントを出た。テントを出ると、既にエルンストは歩き出しており、その爪先はリュプケ砦に向いていた。砦に何か用があるのだろうかと首を傾げるも、彼が特務としてリュプケ砦に突入していたことを思えば、それに関することであるだろうと検討は付いた。駆け足で彼の隣に追いつくと、「ごめん、急ぎなんだ」と彼は口にした。


「オレがリュプケ砦に特務で行ったことを知ってるのは君とレックスだけだから、君にしか頼めなくて」
「いえ、大丈夫です。……何をしに行くんですか?」
「そんなに身構えなくても平気だよ。ちょっと家捜しするだけだから」


 そう言いながらも、エルンストの歩くスピードは変わらず速いままだった。小走りで漸く隣にいられるアイリスは、彼を含めて自分の周りにいる人々がいかに気遣って自分に合わせて歩いてくれていたのかがよく分かった。
 そうこうしている間に眼前には白旗を掲げた砦が迫る。この砦を落とす為に一体どれだけの血が流れたのだろうか――アイリスはリュプケ砦を見上げながら、前線の光景を、強化兵を、死んでいった兵士のことを思った。


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