涙 - the return -



 エルンストの手伝いを終えて彼と共にリュプケ砦を出ると、そこは兵士や馬車で溢れていた。応援に来たらしい国境連隊の兵士らが負傷兵を馬車へと移し、物資の積み込みや運び出しなど慌ただしく動いている。それらの様子を見つつ、「何だか人が多くありませんか?」とアイリスは隣にいるエルンストへと尋ねた。


「多いねー……。まあ、何故か第八が来てるから多いんだろうけど」
「第八が?」


 そう言われて改めて兵士らをよく見てみると、エルンストが言うように確かに国境連隊とは異なる軍服を着ている騎士団兵の姿があり、その腕章には八の文字があった。しかし、ヒルデガルトが要請したのはあくまでも馬車と今後リュプケ砦に留まることになる国境連隊の中隊のみだ。
 疑問に思いつつ、エルンストと共に足を止めていると、「やっと戻って来たのか!」と慌ただしく動く兵士らの合間を縫うようにしてレオが走って来る。そのように走っては傷に障るのではないかとアイリスは心配げな表情を浮かべるも、それに気付いたレオは大丈夫だってと笑みを浮かべる。


「レオ、第八が来てるのって司令官の指示?」
「あ、はい。そのことも含めてガストン団長がエルンストさんに話があると。アイリスも」
「わたしも?」


 エルンストに話があるのならば分かる。ヒルデガルトがいない今、リュプケ砦にいるベルンシュタインの兵士を束ねているのはエルンストだ。しかし、アイリスにも話があるというのは彼女自身、首を傾げてしまう。特に要職に付いているわけでもなく、隊を預けられてはいたものの、あくまでも小隊だ。
 そんな自分まで含めて話とは一体何なのだろうかと思っていると、レオは苦笑いを浮かべながら「だって、アイリスは遊撃所属だろ」と指摘した。そこまで言われて漸く、アイリスは自分自身が第二騎士団においてどのような立場にいるのかを理解する。遊撃部隊所属であるということを忘れていたわけでも、意識していなかったわけではない。だが、本人の意識としては、そこまで重要な立場であるとは思いもしなかったのだ。
 もっと気を引き締めなければとアイリスは思い直し、こっちです、と先導して歩き始めたレオの後に続いた。暫く歩くと、馬車の近くで指揮を執っているガストンの姿があった。


「ガストン団長、エルンストさんとアイリスが戻って来ました」


 指示を出し終えた頃を見計らってレオが声を掛けると、すぐにガストンが振り向いた。そしてエルンストとアイリスの顔を見ると、「ご苦労だった、無事で何よりだ」と労いの言葉を口にした。宿舎の鍛錬場でいつも厳しいことしか言われていなかった彼女はその言葉に驚いた様子で目を瞠るも、すぐに破顔し、会釈した。
 エルンストは特に気に留めた風もなく、「それで、話というのは?」と早速本題を切り出す。そんな彼の様子にガストンは僅かに眉を寄せるも、エルンストがそういう性格であるということは元より分かっているらしく、軽く溜息を吐くに留めて本題を口にする。


「司令官からのご指示でリュプケ砦には暫くの間、第八が詰めることとなった。此方に残っている第二第三の動ける兵士は王都に帰還すること、特に遊撃部隊所属とエルンストは即時帰還の命令だ」
「名指しか……、それはまあいいんですけど、クラネルト川に敵影ありで司令官が呼び戻されましたけど、そちらはどうなったんです?」
「クラネルト川の件なら既に此方の勝利で片が付いた。出兵して来ている割に手応えもなく、あっという間に押し返せて不気味だという話だった」


 あまりにあっさりと退却していった帝国軍に違和感を覚え、今回は追い返すに留めて追撃は控えたらしいとガンストは言う。そのあまりにも呆気なく退却したことに指揮していたゲアハルトが違和感を感じたのだろう。何かしら帝国軍が罠を張り巡らせていたのかもしれないということは予想に難くなく、アイリスは進軍せずにブリューゲルに帰還したらしいゲアハルトに安堵した。


「帝国軍も何を考えてるのやら……。でも、司令官を呼び戻さずにいたらそのまま進軍していた可能性もあるから結果的には陛下のご命令のお陰かな」
「その件だが……」
「……陛下に何かあったのですか?」


 エルンストの言葉にガストンの表情が曇る。何かあったのだろうかとアイリスは顔を曇らせるも、レオは彼女以上に心配している様子だった。


「第一を率いてクラネルト川に向かわれようとしたのだが、体調が芳しくなく、それで司令官を呼び戻すことになった。今ではもう体調も戻られているが、自分のせいでベルトラム山の戦線が司令官を欠く状態となってしまったとしきりに気にされていた」
「ああ、だから俺にも即時帰還の命令か……」


 漸く納得した様子のエルンストを不思議に思っていると、ほっと安堵した様子のレオが「エルンストさんは陛下の主治医なんだ」と耳打ちする。アイリスは思いもしなかった言葉に驚きの表情を浮かべた。だが、彼の若さで国王の主治医という誉れ高い地位にいるのは、名門貴族の出だけでなく、軍医としての経験に裏打ちされた実力が伴っているからだろうとアイリスは尊敬の眼差しで彼を見た。


「でも、もう体調も一応戻られているんでしょ?俺はまだ少しやることが残ってるからこの二人を先に戻してください」
「ですが、エルンストさんは陛下の主治医なんですから、」
「陛下が心配なのは分かる。だけど、自分の所為で俺自身がしなきゃいけないことが出来なかった、放り出して戻ったなんてことをしても、あの御方は喜ばないし、寧ろ怒るよ。何でちゃんと終わらせてから戻って来なかったんだって」
「……そうだと思いますが、でも」
「俺もすぐに戻るよ。それじゃあ、ガストンさん、こっちの二人は即時帰還の従ってすぐにでも馬車に突っ込んでおいてください」


 それだけ言うと、エルンストは足早に歩き去った。テントの中に消えたその背にレオは物言いたげな顔をしてはいるものの、彼が口にしたことも一理あると感じているらしく、不平不満を口にすることはなかった。
 レオは余程、国王を尊敬しているのだろう。アイリスは彼の様子をそのように捉えつつ、「レオ、行こうよ」と彼に声を掛ける。


「陛下が心配なら早くブリューゲルに帰らなきゃ。司令官に聞いたら、きっと詳しいご容態も聞かせてもらえるよ」
「……そうだな。ごめん、気を遣わせて」
「ううん」


 首を横に振り、ちらりと視線をエルンストが消えたテントに向く。しかし、彼が姿を見せることはなく、アイリスとレオはガストンに連れられて即時帰還の第二第三の遊撃部隊所属の兵らを集めた馬車へと乗り込んだ。どうやら二人が最後だったらしく、程なくて馬車は王都ブリューゲルへと向かって走り出した。


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