おかえり - home -



「何というか……、筋は悪くないけど……」


 翌日、アイリスはアベルと共に攻撃魔法用の鍛錬場にいた。数時間前、約束通り宿舎の前にいたアベルにリュプケ砦で強化兵と戦ったことを話し、どうしても攻撃魔法を身に付けたいのだということを伝えた。事情はアベルも分かってくれたが、彼は教授することを渋った。アイリスの覚悟を軽視しているわけではないが、やはり向いていないと一点張りだったのだ。
 しかし、何度も説得を繰り返し、ついにはアベルが根負けして現在に至るのだ。だが、現状としては彼の言う通り、アイリスは攻撃魔法に向いていなかった。炎を出すように言われても、出て来るのは雷や氷、水と別のものが出て来てしまう。アベルがいくら理論やコツを説明しても、成功回数はほぼ無いに等しい状況だった。
 このままでは「やっぱり無理だ」と匙を投げられるのではないかとアイリスの内心は焦りで満たされていく。そうなると、どんどん失敗が続き、最終的には何も起こせなくなってしまった。いくら魔力を練り上げても、何の変化も起きない。額に浮いた汗を掌で拭い、そしてもう一度と杖を構え直せば、「ちょっと待って」とアベルに制止された。


「待って、あともう少し、」
「別に止めるなんて言ってないでしょ。ちょっと待ってって言っただけ」


 焦ったところで上手くいくもんじゃないんだから、もう少し肩の力を抜いた方がいいよ。
 彼女の内心を見抜いていたアベルは溜息混じりに言うと、鍛錬場の端へと歩を進める。そして肩越しに振り返り、その場から動こうとしないアイリスを手招きした。それに誘われるように彼へと駆け寄れば、アベルは木陰の中へと入り、そこにしゃがみ込む。空は青々とした快晴で太陽を遮る雲さえなく、日差しは強かった。それに対して木陰の中は涼しく、アイリスはほっと息を吐きながらアベルの隣に腰を下ろした。


「ここまで教えて上手くいかないってことは、あんたの中に迷いがあるんだと思うよ」
「……わたしは、」
「別にあんたの覚悟を疑ってるわけじゃない。本気だっていうのも分かってる。でも、あんたはやっぱり優し過ぎるんだよ」


 だから、あんたは迷いを捨て切れない。
 アベルはそう言いつつ、落ちていた木の枝を拾い、それで地面に絵を描き始める。二つ並んだ丸を描き、片方を丸を塗り潰す。そして右の丸だけの方を指して「こっちがあんたで、もう片方の黒いのが僕」と口にする。


「根本的に持ってる魔力の性質が違うんだ。性質っていうのはその人間の育ってきた環境だとか経験によって左右される。恨みとか憎しみが強いほど、魔力は攻撃的なものになる。それに対して、優しさだとか慈しみみたいなものが多くを占めている場合は防御だとか回復に向く。あんたがそれだ」


 魔力はそもそも全ての人間が持っているものでもない。先天的なものであり、どのようにして持って生まれて来るのかも判明していない。生まれた頃より使えるものもいれば、ある日突然使えるようになる者もいる。アイリスの場合は後者であり、その力があったからこそローエで戦火に巻き込まれても生き残ることが出来た。
 アベルの説明に耳を傾けていたアイリスは、自身が後者であると言うアベルに眉根を下げた。遠まわしにやはり攻撃魔法は向いていないと懇々と諭されている気持ちになったのだ。そして、彼の説明でいけば、冷え冷えとした黒い魔力を持ち、攻撃魔法しか使えないアベルは何かに対して恨みや憎しみを抱いているということになる。
 アイリスはアベルについて知っていることは殆どない。共に生活を送る上で好き嫌いなどは見ていれば分かったが、どういう理由で軍に入隊したのか、彼を推薦したルヴェルチとはどういう関係なのかといったアベルの過去については何も知らなかった。知られたくないこともあるだろうから、無理に聞くつもりはない。それでも、やはり知りたいという気持ちはあった。


「普通は、多少の違いはあっても半々に混ざり合ってる。だから、得手不得手はあっても一応どちらも使えるって人が多い。うちでは本人の性格とか特性に合わせてどちらかに特化させることになってるけどね」


 まあ、何処ぞの胡散臭い軍医みたいにどちらをやらせても上手く使いこなすっていう人もいるけどね、と付け足し、木の枝の先で白い丸の輪郭をぐるぐるとなぞる。アベルは覚悟を疑っているわけではないと言っていたが、それでもこういった話が続くとこれで鍛錬を終わらされるのではないかと不安にもなる。一緒に頼んでくれたレックスに対しても顔向け出来ない、とアイリスが眉根を下げていると、「だから、そういう顔しないでよ。別に僕はあんたの鍛錬を投げ出すなんて言ってないでしょ」と表情の変化に気付いたアベルが溜息を吐く。


「あんたは優しいから、だからこそ防御も回復も誰より上手に出来るんだよって話。だから、そんなあんたが攻撃魔法を身に付けるのはかなり時間が掛かるってことを言おうとしてたの。そもそも、たった数日、鍛錬して僕から教えられたからって易々と成功されたんじゃ僕も堪ったもんじゃないよ」


 急ぐ気持ちも分かるけど、急いだところでどうにもならないのはあんたも魔法士の端くれなら分かるんじゃないの。
 溜息混じりに口にした彼の言葉は、彼女自身、よくよく分かることでもあった。今でこそ防御魔法も回復魔法も容易く使いこなすことが出来ているものの、決して最初から成功していたわけではない。養父の下で毎日鍛錬を続けて漸く安定して使いこなせるようになったのは、入隊する数か月前のことだった。その時にはもう養父はこの世を去っていたが、教えられた鍛錬をひたすら毎日続けることで手に入れられた力だ。アベルの言うように、数日鍛錬をしてアベルに教えを乞い、それだけで使いこなせるようなれば誰も苦労はしないのだ。
 何事も身につけて確かな力とするには時間が掛かる。どれだけ急いても、そればかりはどうしようもないのだ。急いて身に付けたところで、それは付け焼刃でしかない。そんな力で敵うほど、帝国軍は甘くはないということをアイリス自身、身を持って知っている。


「だから、もっと効率的にやるべきだと思ったんだ。全部を教えてる時間も鍛錬する余裕もない。だから、雷一本に絞ろうと思うんだ」
「雷だけ?」
「そう、雷だけ。よく考えて、司令官はまず一人で単騎駆けさせるような人じゃない。必ず二人一組以上の人数で動かす」


 例えば、アイリスとアベルのように攻撃と防御に分けた組み合わせや、その二人に対して前衛のレックスとレオを加えた組み合わせなどだ。もしくは、後衛で防御に特化した防御魔法のみの小隊や攻撃魔法のみの小隊など、そういった役割に分けてそれぞれの兵士を割り振っている。単騎駆けと言えば、先のリュプケ砦でエルンストが特務として実行していたが、それも決してゲアハルトが指示したわけではない。
 アベルの説明に頷いて先を促せば、彼は「だから、あんたが配置されるのは後衛で防御に徹しない限り、必ず攻撃を専門にする兵士もあんたと一緒にいるはずなんだ」と口にする。


「攻撃を専門に行う人がいる限り、あんたが積極的に敵に攻撃を仕掛ける必要性は低い。あるとすれば、あくまでも補助だ」
「補助?」
「そう、例えば相手の動きを鈍らせたりだとか、そういう時だよ。誰かが怪我を負って前線から下げたい時に相手の動きを止めるまでいかなくても鈍らせれば、その隙に引かせることが出来るからね」


 その為に一番効果的なのは雷だ、とアベルは説明した。あくまで補助的に使うだけ、そう思えば少しは成功率も上がるはずだ、と。命を奪うほどの魔法は、アイリスの性格上、どうしたって発動することは困難だ。ならば、あくまで補助に徹して使用するしかない。しかし、それも上手く使いこなすことが出来れば、相手の動きを止めるだけでなく、いずれは気絶させることも可能だろう。つまり、それは仲間を守ることも出来る上に相手の命を奪うことにもならない。血すら流すことなく、相手を倒すことが出来るのだ。


「あんたにはこの方法が向いてると思うし、正直なところ、この方法が時間がない今は限界だと思う」
「……うん、ありがとう、アベル」
「別に、お礼を言われることなんてしてない。僕が教えてるのに上手くいかないなんて思われたくないだけだよ」


 ほら、分かったら始めるよ、とアベルは木の枝を放り出す。しかし、一向に立ち上がろうとしない。どうしたのだろうかと立ち上がっていたアイリスは隣にしゃがみ込み、「どうしたの?」と首を傾げる。気分でも悪いのだろうかと思っていると、アベルはばつの悪い表情で此処でやろう、と小さく呟いた。


「それはいいけど……どうして?」
「……苦手なんだよ、暑いのが。だから日陰がいい」


 アベルが言うように、木陰を一歩出れば燦々とした陽光を一身に受けることになる。それでもまだ風が吹いている分、それほど暑いわけでもない。初夏でこの調子なら本格的な夏になれば、一体どうなってしまうのかと心配になるも、「それじゃあ此処でやるね」と頷いて見せる。今の彼の様子からすると、たとえアイリスが木陰を出てやろうと言っても自分は決して木陰から出ないだろう。アベルでも苦手なものがあるのかとこっそりと微苦笑を浮かべていると、「じゃあ、まずは手に電撃をまとまわせて見て」の一言で早速、改めて鍛錬が開始となった。


「もっと電撃が手を包むようなイメージでやって」
「うん……」
「イメージが弱過ぎるよ。もっとしっかりと」


 ちりちりと小さな音を立てながらアイリスの白い手の周りに青白い小さな電撃が明滅する。しかし、それはアベルが見本として見せたものとは比べものにならないほど小さく弱々しいもので、とてもではないがネズミ一匹さえ気絶させることは出来ないだろう。しかも、その弱々しい電撃も不発が多い。それでも、雷だけに絞る前よりは余程安定はしていた。


「まあ、初日にしてはまだマシじゃないの。ただ、実戦で使うにはまだまだだけど」
「最終的には飛ばせるようにならないと……」
「急いては事を仕損じるよ、焦ったところで上達はしない。それに攻められればあんただって格闘戦になるかもしれないんだ。その時に至近距離で電撃を喰らわせられればあんたも身を守れる」


 その時は急所を狙うこと、とアベルは放り出していた木の枝を再び持ち、地面に人間の身体を模した絵を描く。そしていくつか急所に丸を付けつつ、説明し始めた。
 人間の身体にはいくつもの急所があり、それは誰しも共通の急所だ。ただし、急所は必ず狙われる箇所であり、だからこそ人は防具でそこを守ろうとする。そういった箇所はいくら魔法であっても通用しないことも考えられる。ただの兵士程度であれば、防具があろうともそれを破って攻撃することも可能だろう。しかし、上官クラスの兵士となれば、魔法耐性のある防具を使用している場合もある。


「それに加えてあんたの身長だと頭だとかはまず届かない。飛ばせば届くだろうけど、緊急事態でそれをやるにはあまりにも時間がない。だから、狙うならここ」
「足の付け根?」
「そう、ここは意外と盲点だ。こんなところに防具を付ければ機動力も下がるからね」


 鼠径部を指し示したアベルは万が一の時はまずこの部位を狙うようにと言う。電撃をより操れるようになり、出力も彼のように強くなれば大人一人気絶させることも容易いと彼は言った。その言葉を聞きながら、アイリスは改めて自身の手の周りに放出されている電撃を一瞥する。本当にそんなことが出来るのだろうかというほど微弱だった。しかし、まだ鍛錬を初めて一日も経っていない。弱気になどなっていられない、とアイリスは自身を奮い立たせる。
 すると、まるで頃合いを見計らったかのように「昼飯の時間だぞー」という声が聞こえて来る。振り向けば、そこにはレックスとレオの姿があった。どうやら二人も鍛錬場で剣を振るっていたところらしく、楽な服装のままだった。


「限がいいところなら、そろそろ昼飯にしたらどうだ?」
「そうだね、僕もお腹空いたし、此処は暑いし……」
「暑いって言ったって、まだ初夏だろ?そんなんで夏を乗り切れるのかよ」
「……煩い。見てて暑苦しいからあんたは汗拭きなよ」
「あ、暑苦しいって何だよ!」
「まあまあ落ち着いて。レオも汗拭かないと風邪引くよ」


 微苦笑を浮かべながらアイリスがいつものように口論を始めるレオとアベルの仲裁に入れば、「こういうアイリスみたいな言い方は出来ないのかよ!」とアベルに余計に食って掛り始めた。止めようとしたのに、逆に火に油を注ぐ結果となってしまったアイリスは困り果てた様子で溜息を吐く。しかし、余程暑さが苦手らしいアベルは適当にレオをあしらうと足早に宿舎へと向かって歩き出してしまう。
 地団太を踏むレオにレックスは「ほら、食堂行こうぜ」と声を掛け、アイリスも促して歩き始める。「レオ、行こうよ」と彼女も声を掛ければ、相変わらず悔しげな表情だったが、漸くレオも歩き出した。食堂へ向かい最中もレオはアベルについて可愛げがないと文句を言っていたが、こうしたやりとりを見ていると、不謹慎ではあるが、やはりほっと安堵もするのだ。
 生きて戻って来れたからことのやり取りだ。口論をする二人にはほとほと困りものではあるが、それでもやはり心のどこかで嬉しさもある。何てことのない日常の一瞬であるとしても、それがとても大切なものだということは戦場に出てから気付いたことだ。だからこそ、それを守る為にも攻撃魔法の鍛錬にはより力を入れなければならないとも感じた。


「午後からも頑張らないと……」
「お、気合十分だな。それで、午前中はどうだったんだ?」
「アベルにいじめられなかったか?」


 食堂に入り、端の席に座っているアベルの元に向かいながら改めて気合を入れていると、レックスとレオがそれぞれに午前中のことを尋ねる。そして、丁度レオの言葉がアベルの耳にも届いたらしく、「僕がいじめるわけないでしょ」と眦を吊り上げた彼が睨むようにレオを見遣った。途端に始まる口論にアイリスとレックスは顔を見合わせて肩を竦めた。
 とりあえず先に昼食を確保しよう、と口論に没頭する彼らのことは放置し、二人はカウンターへと向かった。騒がしいけれど、悪くはない光景だった。こんな日がいつまでも続けばいいと思わずにはいられないほどの、騒がしくも大切な時間に思えたのだ。


「アイリス、午後の鍛錬はこの馬鹿を実験台にするよ」
「ええっ!?」
「ちょ、何でそうなるんだよ!」
「あんたが自分は役に立つんだーなんて言うからでしょ、だったら役だって見せてよ」


 トレイを手に戻れば、いつの間にかそんな話になっていたらしい。大方、レオがアベルの教授に文句を付けたのだろうということは予想に難くないものの、だからといって実験台にするにはアイリスにも抵抗がある。しかし、今の状況のアベルに何か言おうものなら、教授することを翻意しそうでもある為、ここは笑って流すしかない。
 心の中でレオに謝罪しつつ、アイリスは何事もなかったかのように昼食を取り始める。これはレックスに習ったことだ。まともに相手をすると巻き込まれるぞ、と。隣では彼女と同じくレックスが我関せずとばかりにパンを口に運んでいる。そんな二人にレオは「この薄情者!」と悲鳴じみた声を上げた。
 初夏の燦々とした陽光が窓から差し込み、爽やかな風が開け放たれた窓から吹き込む。そこで聞こえる賑やかなやり取りと空腹を満たす温かな食事。誰一人欠けることなく、こんな日々が続くことを彼女は心の中で願った。



120831


inserted by FC2 system