カーニバル - stray cat -



「レオ、遅いね」
「どこかに寄り道してるんじゃないだろうな、あいつ」


 空は既に夕焼けに染まり、足元の影は長く伸びている。アイリスとレックスは広場の詰所の近くで観光客に道案内しているレオの帰りを待っていた。そろそろ任務終了の時間であり、夜間警備にも当たっているレックスとしては早く宿舎に戻って一休みしたいところなのだろう。それでも、「すぐ戻って来るから待ってて!」と言い残したレオの言葉通りに帰らずに待っている辺りが彼らしくもあった。
 はあ、とレックスは一つ溜息を吐く。これでもしもレオが寄り道をしていたとしたら、拳骨は確実だった。そうではないことを内心祈りながらアイリスは微苦笑を浮かべる。彼女自身、宿舎に戻ればあの黒猫の面倒だけでなく、栄養剤の調合の手伝いをエルンストから頼まれているのだ。しかし、すぐに戻るから待っててと言われている手前、先に戻るのも気が引けた。何より、今日は朝からずっと三人で行動していたということもあり、ばらばらに帰るというのも違う気がしたのだ。


「ま、どうせならその辺でも回ってみるか。もう任務も終わりだからな」
「そうだね。多分、此処にいなければレオのことだから大声で探しそうだからすぐに気付くだろうし」
「……それはそれで勘弁して欲しいけどな」


 いい歳なんだから、と付け足すレックスにアイリスは苦笑を漏らした。レックスと並んで歩きつつ、出店を覗く。出店が取り扱っているものの中にはブリューゲルではあまり見かけないものも多くあり、アイリスは興味深々といった様子で辺りを見渡していた。コンラッドに引き取られてから何度かカーニバルに足を運んだこともあったが、その当時よりも今の方が色々なものに目がいく。
 カーニバルは今日で二日であり、明日が最終日だったが、こうしてゆっくりと出店を眺める時間はなかった。いつも以上に慌ただしく時間は過ぎ去り、あっという間に残り一日となった。こうして人で溢れて賑わう王都も今日で見納めなのかと思うと、任務を考えればほっとするが、やはり寂しくもある。
 そんなことを考えながら歩いていると、「お、アイリス。お前、ああいう店好きじゃないのか?」とレックスが屋台を指差す。何だろうかと思いつつその屋台へと近づけば、そこは色とりどりの髪飾りを売っている屋台だった。並べられている様々な髪飾りの中からピンクの花が付いたものを指差し、レックスは懐かしそうに笑う。


「昔、こういうの付けてなかった?」
「あ……、そうだった。うん、こういうの持ってたよ。よく覚えてるね」
「まあ……お前が入隊して再会するまでは、オレの中でのアイリスはこーんな小さいままだったからな」


 レックスは苦笑を浮かべつつ、自身の腰よりも低い身長を手で示してみせる。それはアイリスの腰ほどの背丈であり、彼と別れたのが随分と昔のことだったのだということを改めて実感する。


「わたしが知ってるレックスはもう少し大きくて……、これぐらいだったかな」
「ああ、多分。でも、それでよくオレだって気付いたな」


 自身の胸下あたりを手で示すアイリスにレックスは不思議そうに言う。同じ孤児院で過ごしたといっても、それほど接点があったわけでも仲が良かったわけでもない。忘れられていたって何らおかしくはなかったのだ。けれど、彼女はレックスを一目見てすぐに思い出した。それはどうしてかと問う彼にアイリスは微苦笑を浮かべつつ、「レックスだってすぐに気付いてたよ」と首を傾げて見せる。それはどうなのかと言わんばかりの表情にレックスは言葉を詰まらせ、そのまま視線を逸らす。


「オレは……、お前がオレの名前を呼んだから、気付いたんだよ」
「声で?」
「ああ。お前は?」
「んー……面影、かな。この辺り、目元の辺りが少しも変わってないからすぐに分かったよ」


 赤い髪と赤い目に、昔と変わらない目元。だから気付いたのだとアイリスは笑った。最初はそれだけだったけれど、笑うと少し幼くなるその顔立ちを見ると、孤児院にいた頃にほんの数度だけ見たことのある幼い頃のレックスの笑顔と重なった。


「わたしは?わたしは変わった?」
「アイリスは……、うん、変わった」


 そう言って彼は笑う。夕焼けに照らされた少し幼さの残る笑顔を浮かべ、ほんの少し眩しそうに目を細める。


「綺麗になった」


 予想外の一言に、アイリスは言葉を失う。もっと違うことを言われると思っていた、背が伸びたとからかうのではないか、老けたなと意地悪く笑うのではないかと思っていた。けれど、彼が口にしたのはアイリスが予想していた言葉とは正反対のものであり、彼女はただただ驚きに目を瞠るばかりだった。
 驚きを露にするアイリスから視線を逸らし、レックスは照れているようだった。それでも訂正せず、「嘘だ、からかっただけ」とも言わず、口を閉ざしている。その様子からも彼が冗談でも嘘でもなく、その言葉を口にしたのだということが伝わってくる。だからこそ、余計にアイリスは何て言えばいいのかが分からず、視線を彷徨わせる。


「……だからその、驚いた」
「あ、……うん」
「さっきも言ったろ。オレの中でのアイリスは小さいままだったって。……だからさ、最初はすごくギャップがあって」


 まあ、さすがに今はもう慣れたけど。
 レックスはそう付け足しつつ、屋台の髪飾りへと視線を向けている。照れていた彼ではあるものの、今はすっかりと落ち着きを取り戻していた。それをずるく思いながら、アイリスはゆっくりと呼吸を繰り返して妙に早くなる動悸を抑えようとする。


「女の子ってちょっと見ない間にあっという間に成長して綺麗になるって聞いたことがあったけど、……本当だった」
「……褒めても何も出ないよ」
「何か欲しくて褒めてるわけじゃないっつの。せっかくオレが褒めてるんだからもう少し喜べばいいのに」


 レックスは肩を竦めて見せながら、並べられている髪飾りの中から赤い花のものを取り上げる。そしてアイリスが被っている白いフードを取り払い、それを髪に宛がう。そして満足げに何度か頷き、「やっぱりもうこういうのの方が似合うんだな」と笑う。


「似合わないよ、わたしは」
「何で」
「だって……」


 ふるふると首を横に振り、アイリスは半歩後ろへと下がってレックスの手から逃れる。彼の手にある赤い花の髪飾りはとても綺麗だったが、とてもではないが自分に似合うとは思えなかったのだ。そういったものはもっと普通の、戦場とは無縁の少女にこそ似合うものだと彼女は思っていた。
 昨日も同じことを思った。紫の髪の女性にお礼にと香水を握らされた時と同じ思いが脳裏を過り、次いでアベルの言葉が頭に浮かんだ。すぐに卑屈に考えるのは止めるようにと言われたが、だからといってすぐに変えられるものではない。褒めてくれたレックスには悪いとは思うものの、こればかりは彼女にもどうしようもなかった。
 レックスは溜息を吐くと、容赦なくアイリスの頭をぐりぐりと握った拳で締めつける。その痛みにアイリスは悲鳴にも似た声を漏らし、身を捩ってその手から逃れる。あまりの痛さに目の端には涙が浮かんでいる。


「もう!いきなり何するの!」
「お前が馬鹿なこと考えてるからだろ。どうせわたしは軍人だからーとか、こういうのは軍人じゃない子の方が似合うんだーとかそんなこと考えてたんだろ」
「う、……」
「ばーか。お前の考えてることなんてオレにはお見通しなんだよ」


 レックスは呆れた笑みを浮かべつつ「お見逸れしたか?」とおどけたように言ってアイリスの額を軽く指先で突っつく。そんな彼に返す言葉が見つからず、どうしてこうも自分の考えはすぐに相手に分かってしまうのだろうかと彼女は唇を尖らせた。レックスにもアベルにもすぐに見抜かれてしまう。それが悔しくて情けなくて仕方なかった。


「お前は軍人だけど、その前に女の子だろ」
「……そうだけど」
「だけど、じゃなくてそうなの。お前は女の子なの。お前は無欲すぎるし、もっと我儘言っていいぐらいなんだよ」
「……」
「まあ、しちゃいけないことがあるとしたら自分の殻に籠って悲劇のヒロイン面することだけだな」


 エルンストさんに怒られるぞ、とレックスは手を伸ばしてアイリスの頭をぽんぽんと撫でる。その言葉は以前、エルンストからも言われたことのあることだった。自分だけが傷ついているわけではない、自分だけが苦しんでいるわけではない。人を手に掛けることを恐れるのは、決して自分だけではないのだ。
 それを引き摺っていては前に進むことなど出来ない。後悔することも懺悔することも、それらは全てを終えてからでも出来ることだ。今はただ、少しでも前に進み、少しでも早くこの戦争を終わらせることこそが大切なことである。その為に自分に出来ることをしなければならない。自分に出来ることがあるのに、それをしないことは罪でしかない――エルンストに言われ、そして自分で考えて決めたことを思い出す。
 今更になってそのことを思い出したアイリスは何とも言えない表情でちらりとレックスを見上げる。ここまで言われなければ自分で決めた想いを忘れてしまうとは情けなさすぎる、と彼女は眉を下げた。しかし、幾分も憑き物が取れたかのような明るさを取り戻したその瞳にレックスは怒るでも呆れるでもなく、ただ安心したように笑った。


「何度でも迷えばいいよ。苦しむのも悩むのもそれは全部当たり前だ。だけど、アイリスは一人じゃないだろ」
「……うん」
「オレもいるしレオとかアベルもいる。みんな、お前と同じように苦しいし、悩んでる。……人を傷つけて、自分の心が痛むのは当然だろ」


 でも、だからってお前が下を向き続ける理由にはならない。
 そこから先は自分で考えろ、とレックスはアイリスの額を弾いた。痛むそこを撫でながら、アイリスは眉を下げつつもほんの僅かな笑みを浮かべて頷いた。全てを教えてもらったのでは意味がない。自分で考えてその答えを導き出さなければ、上を向くことなんて出来やしないのだ。
 レックスは薄く笑うと、屋台の店主に幾らかに金を払う。そして手にしていた赤い花の髪飾りをアイリスの髪に付け始めた。


「いいのに……」
「別に、オレが勝手にやることだから気にするなよ。……っと、ほら、よく似合う」


 薄い金髪を飾るそれにレックスは満足げな笑みを浮かべる。アイリスはそれをくすぐったく思いつつも、「ありがとう、レックス」と彼に礼を言った。勝手にやることだからとレックスは言ったが、それでもやはり嬉しいものは嬉しいのだ。指先で軽く髪飾りに触れていると、彼は赤い瞳を細めて笑みを滲ませる。


「そうそう、お前はそうやって笑ってるのがいい」
「……うん」
「……ところで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、」


 素直に頷くアイリスにレックスは笑みを深め、そして不意にどこか真剣な表情を浮かべて口を開いたところで唐突に二人の名前を呼ぶレオの声が聞こえて来た。思いも寄らぬタイミングで現れるレオにレックスは舌打ちし、「話はまた今度でいい。落ち着いた頃に話そう」とぼそりと早口で言いつつ、ぞんざいに彼女のフードを掴むと力一杯、それをアイリスに被せてしまう。思わず前のめりになりつつ、何とか踏ん張ってその場に留まり、急に何をするのだと恨めしげにレックスを見上げたところで彼の頬が夕焼けのせいだけでなく、赤くなっていることに気付く。
 その色を見て、髪にレックスが付けてくれた髪飾りが頭に浮かんだ。要はレオに見られたくはないということなのだろうと合点がいき、アイリスはこっそりと笑みを漏らしつつ目深になってしまっているフードを整える。すると、まるで見計らったかのようにレオが両手に紙袋を持って走って来た。


「お前、やっぱり寄り道してたのか」
「だって終わったら買っていいってレックスが言ったんだろ?」
「言ったけど……ったく、何でお前はそういうことだけ、きっちり覚えてるんだよ」


 レックスは額に手を遣り、大袈裟な程の溜息を吐きつける。しかし、レオは何処吹く風とばかりに視線を逸らし、「アイリスの好きそうなのも買って来たんだ。後で食べような」と笑顔を浮かべた。が、その背後で般若を背負って眦を吊り上げているレックスに気付いたアイリスはどう返事をしたものか、と引き攣った笑みを浮かべるに留める。


「その前にお前は夜間巡回だろ、この馬鹿!ほら、さっさと帰るぞ」
「ちょ、痛いっつの!引っ張るな!」
「お前は引っ張りでもしないとすぐに逃げるか寄り道するだろ!アイリス、お前もさっさと来いよ、置いてくぞ」


 レオを引き摺るようにして歩き出したレックスは肩越しに振り向きながらアイリスを急かす。その間もレオはしっかりと紙袋を抱えながらも必死に抵抗しているのだから、思わず笑ってしまう。すると、「笑うなよ、アイリスー」とレオの拗ねた声が聞こえて来る。けれど、普段の行動の結果でもある為、「仕方ないよ、このまま引き摺って行った方が早いかも」と彼女は悪戯っぽく言う。まさかアイリスにまでそのようなことを言われるとは予想していなかったらしいレオはがっくりと肩を落とし、「アイリスがグレた。お前のせいだ、馬鹿野郎ー!」とレックスに食って掛かるも、結局それは火に油を注ぐ結果にしかならない。
 傍から見れば何事だと言われるほどに騒々しいことではある。それでも、こうしてただ騒いで笑い合うことが出来るということの幸せを改めて実感しながら、アイリスは宿舎へと戻って行った。


120920


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