カーニバル - stray cat -



 王城警備の為、アイリスは王城バイルシュミット城へと急いでいた。王城警備とは言っても、実際に王城内部を警備するわけではなく、主に王城の周囲や庭を警備することになっている。主として王城内部を警備するのは王族を警護する近衛兵団の管轄である。
 しかし、アイリスの表情はすっかりと緊張で強張ってしまっていた。周囲や庭の警備だとしても、これほどまでに王城に近付いたことなどこれまでになかったのだ。バイルシュミット城は危急の際のことも考え、その周囲には軍令部や騎士団の宿舎が配されている。そのため、バイルシュミット城から離れたところで生活しているわけではないのだが、用がなければ近付くこともなく、普段はあまり気に留めることもない場所だった。
 こんなことなら誰かにアベルの代わりを頼めばよかったとアリイスは今更ながらに心細さを感じ始めた。しかし、今から代役を探す余裕はなく、腹を決めるしかない。息を吐き出し、軍令部へと続く道とは違うもう一つの小道へと歩を進めようとした矢先、「アイリスちゃん」と背後から声を掛けられる。


「エルンストさん!」
「今から王城警備だっけ?でもアベルと一緒だって言ってたよね、あいつはまだ寝こんでるの?」


 いくつかの書類の束を手にエルンストが宿舎の方から歩いて来たところだった。首を傾げる彼にアベルはまだ体調が優れていないのだということを伝えると、「まあ、夏風邪こじらせてるみたいだからね」と溜息混じりに口にする。そして、改めて辺りを見渡してエルンストは首を傾げた。


「それで、アベルの代役は?もしかして誰にも頼んでないの?」
「短時間の警備ですから、わたし一人でも平気ですよ」
「いや、短時間だろうが長時間だろうが任務は通常二人一組でしょ。特に女の子は夜間任務から外されてるんだよ、分かってる?」


 それは確かにそうなのだが、仮にも王城なのだから何も起こり様がないだろうとアイリスは眉を下げる。だが、エルンストは君は分かってないとばかりに呆れた表情で首を横に振る。


「普通は王城なんだから何も起きないだろうって思うだろうけど、それはただの慢心だよ。王城だろうが下町だろうが不届き者は必ずいるし、どれだけ安全だと思っている場所でもある程度は危機感持っていないと危ないよ」
「……気を付けます」
「そうしてください。まあ、でも今から代役探すっていうのも難しいだろうから今日のところは俺がアベルの代役になるよ」
「でも、エルンストさんはその書類を届けなきゃいけないんじゃないんですか?」


 だからこそ、彼は軍令部に向かう為に医務室を出て来たはずだ。しかし、エルンストは気にしない気にしないと言わんばかりにアイリスを促して王城へと向かって歩き出す。時間はないため、彼が代わりに警備任務に付いてくれるということは心細さを感じていた手前、有り難くはある。だが、本来エルンストが果たさなければならない事を後回しにしてまで手伝われても心苦しいだけなのだ。
 アイリスはそう主張するも、「平気だよ。これ、司令官に届けるだけだから」と平然とした様子でぺらぺらと書類を捲る。ゲアハルトに届けなければならない書類ならば、それこそ急がなければならないのではないかとますます彼女は眉を下げる。そんな様子に彼は小さく噴き出した。


「大丈夫だよ。ただの怪我人の報告書だから。こんなの後回しで平気平気、サインすればいいだけなんだから」
「でも……」
「それに、こういうのを持って行ったら司令官はすぐに取りかかろうとしてしまう。あの人は仕事をし過ぎで減らすっていう考えをしない人だからこっちが調節してあげて丁度いいぐらいなんだよ」


 確かに、ゲアハルトが仕事をし過ぎているとはアイリス自身も思っていることではある。もう少し休んで欲しいと思うのが正直なところだ。だが、サインだけで済むなら尚更先に出してしまった方がいいのではないかとも思う。
 だが、こうして話しているうちにもバイルシュミット城へと続く門へと到着してしまった。隣を歩くエルンストはアイリスが声を掛けるよりも先に「王城警備に来たんだけど」と守衛に話しかけてしまう。


「アイリスちゃん、担当区域は?」
「あ、中庭です」
「中庭、中庭……第二騎士団所属のアイリス・ブロムベルグとアベル・フォルストが担当と記載されていますが、」
「アベルは体調不良で休んでる。彼の代役で俺が来た。事前通知が遅れて悪いんだけど、急病でね」


 担当区域と担当軍人が記載されている書類を確認し、アイリスを一瞥してから訝しむような表情で守衛はエルンストを見た。恐らくは書類には担当軍人の特徴なども記載されているのだろう。だが、アイリスと共にいるエルンストはアベルの特徴とは合わず、彼も白衣を羽織ったままである。そのため、何者なのかと疑われたのだろう。
 どうするべきだろうかと困惑していると、「身分証明を」と守衛はエルンストに白衣のポケットから何かを取り出し、それを守衛に手渡す。


「元第一所属、軍医のエルンスト・シュレーガーだ。身分証明は腕章とその指輪を紋章を確認して」


 エルンストの名前を聞くなり、守衛の背筋が一気に伸びた。そして、恐縮しきった様子で受け取った腕章と指輪を確認し、すぐにそれを彼の手に戻す。すっかりと大柄な身体は縮こまり、慌てた様子で門を開けた。
 直立不動で敬礼する守衛に「ご苦労さま」と声を掛けたエルンストは中に入るようにアイリスを促した。先ほどまでとは打って変わった守衛の様子に驚きつつ、言われるがままに門を潜る。
 改めて目の前に聳え立つ白い王城を前に彼女は息を飲んだ。遠目には見慣れた城ではあったものの、こうして目の前にすると印象ががらりと異なって来る。荘厳なバイルシュミット城を見上げ、感嘆するしかないアイリスに苦笑を浮かべたエルンストは「中庭はこっちだよ」と歩き出してしまう。


「あの、エルンストさんって元々は第一所属だったんですね」
「そうだよ。俺も司令官もバルシュミーデ団長も二年前までは第一所属だったんだ」
「ヒルダさんもですか?」
「これでも俺たち同期なんだよ。俺は特例で一年早く入隊したから歳は二人よりも一つ下だけど」


 それを聞いて、彼がゲアハルトと親しく、ヒルデガルトを苦手としている理由が漸く理解出来た。その頃はまだ団長や軍医といったそれぞれの立場ではなく、同じ一軍人として共に背中を預けて戦っていたのだろう。
 だが、現在はエルンストだけが前線を退いている。その理由についてはレックスから噂話程度のことではあるものの、兄弟で跡目争いをしたことが原因であるということを聞いている。それが本当かどうかは知れないが、エルンストの兄が死亡したことだけは事実らしい。
 特例で一年早く入隊するほど、エルンストは将来を望まれていた。けれど、約束されていた未来は決して今のような立場ではなかったはずだ。一体何があったのか、それを聞いてみたい衝動に駆られるも、寸でのところでそれを思い止まる。彼が今こうして軍医をしている原因になったことは少なからずエルンストの亡くなった兄が絡んでいる。家族のことに土足で踏み込んでいいとは思えず、アイリスは口を閉ざすしかなかった。


「この庭、秋になると白い綺麗な花が咲くんだ。王城の庭だけあって年中花が咲いてるけど、俺は秋の花が一番綺麗だと思う」
「詳しいんですね」
「よく出入りするからね、これでも陛下の主治医だから。ああ、そうだ、秋になってその花が咲いたら一緒に見に来る?」


 思いもしない誘いに思わず足が止まってしまう。それと同時に脳裏に蘇ったのは今朝方、エマに言われた言葉だ。思わず頬に熱が集まり、アイリスは顔を伏せた。興味はあるものの、エマの言葉が頭から離れず、上手く言葉にならない。エルンストに他意はないのかもしれないが、どうしても色恋を抜きにして受け止められなかった。


「でも、その……エルンストさんは兎も角としても、わたしは王城になんて足を踏み入れる資格はありませんから」


 今日はたまたま、王城警備が割り振られていただけでしかない――当たり障りのないことしか言えない自分に情けなさを感じながら口にすれば、エルンストはそんなことは気にする必要はないとばかりに笑った。


「平気だよ、俺が入れてあげるから」
「……う、……あの、さっきも思ったんですけど、エルンストさんって本当に何者なんですか?さっきの守衛の方も急に態度を改めるし……」


 レックスやエマから名門貴族の出自であるということは聞いている。しかし、だからとは言っても先ほどの守衛の態度はあまりにも度を過ぎていたように思う。そのことを思い出しながら尋ねれば、エルンストは「俺自身は大したことはないんだよ」と微苦笑を浮かべながら歩き出した。
 付かず離れずの距離を保ちながら彼の返事を待っていると、「手を出して」とエルンストは言った。言われるがままに手を出すと、掌には先ほど彼が守衛に渡していたものらしい指輪が載せられた。


「俺の父から数えて二代ぐらい前、父の大伯母が当時のベルンシュタイン王に輿入れしたんだ」
「こ、輿入れ!?それって、」
「嫁入りだね。正妃だったんだって」


 それを期に一気にシュレーガー家は家格を上げて名門貴族と呼ばれるようになった、エルンストはそう口にした。


「えっと……それじゃあ、エルンストさんと陛下は……えーっと……」
「何て言う関係になるかはよく分からないけど、遠縁ではあるよ。でも、さっきも言ったように俺自身は大したことはない。……ただ」
「ただ?」
「祖父や父はこの縁に固執してる。俺はそれが馬鹿馬鹿しくて仕方ないけど、その言い分は分からなくもないんだ。王家と縁があるとなると、やっぱり他の貴族よりも優位に立てるからね。ほら、その指輪にはうちの紋章が刻まれてるんだけど、分かる?獅子の紋章でしょ」


 そう言われて手渡されていた指輪に嵌めこまれた青い宝石を見つめる。そこには確かに、獅子の紋章が刻み込まれていた。
 獅子はベルンシュタイン王国の紋章でもある。それとは似て非なるものではあったが、紋章などに詳しくはないアイリスでも獅子の紋章は特別なものであるということは重々知っていた。それを与えられているということは、それだけエルンストの実家であるシュレーガー家はベルンシュタイン王国の中でも屈指の名門貴族であるということが伺える。
 そういった雰囲気がエルンスト自身にはないからこそ、今まで普通に接することが出来た。しかし、改めて本来ならば関わることのないはずの相手だと思うと今こうして隣を歩いていることが現実とは思えなかった。


「どうかした?」


 エルンストに指輪を返すと、彼は不思議そうに首を傾げた。何がどうしたのだろうかと彼と同じように首を傾げて見せると、「ぼんやりしてたよ。疲れた?」と苦笑混じりにエルンストは言った。アイリスはどう答えようかと考えるも、言い繕うほどのことでもなく、考えていたことをそのまま彼に伝えた。すると、エルンストは苦笑を深め、そうだねと頷く。


「色んな偶然が重ならなかったら、俺と君は出会うことはなかっただろうね。生まれた場所も違う、歳だって七歳も違うし、そもそも接点もない。色んな偶然が重なったからこそ、俺は君と出会えた」


 決して良い偶然ばかりが重なったわけではないけど、と付け足し、エルンストは肩を竦めて見せた。アイリスが軍に入隊した切欠は良いものとは言えず、彼が前線から退いた原因も良いものとは言えない。けれど、それらが齎した結果は決して悪いものではなかった。
 アイリスは苦笑を浮かべ、「そうですね」と頷く。エルンストと初めて出会った場所は、彼女にとっては戦場だった。たくさんの怪我人の間を縫うように歩きながら的確な処置を行っていく彼に叱咤されたことを思い出す。その後、エルンストに慰められ、貶されもした。けれど、今は少しだけ目を細めて笑みを浮かべてくれることの方が多い。交わす言葉も柔らかく、業務以外のこともよく話してくれる。
 随分と距離が縮まったことを思うと、やはりそこで蘇るのはエマの言葉だ。アイリスはそれを必死に頭の外に追いやり、少し先を歩いているエルンストへと駆け寄る。今は任務中であり、何者かが侵入しないか、目を光らせなければならないのだ。気合を入れ直し、アイリスは一番星が輝き始めた空を見上げ、何事もなく終わることを願った。


 
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