カーニバル - stray cat -



「それじゃあ、任務終了ってことでこれから司令官のところに行こうか」
「司令官のところ、ですか?」


 王城警備の交代に来た兵士に任務を引き継ぎ、アイリスはエルンストと並んで石畳の小道を歩いていた。空は既に暗く、遠くからはカーニバル最終日を最後まで楽しもうとしている者たちの楽しげな声が聞こえて来る。それらに耳を傾けていると唐突にエルンストはゲアハルトの元に行こうと口にしたのだ。


「あ、書類を届けにですか?」
「それもあるけど、それだけじゃあないよ」


 他に何があるのだろうかと思いつつ、特にこれから予定があるというわけでもなかった為、エルンストに付いて行くことに決めた。思えば、ゲアハルトと顔を合わせるのはカーニバルの初日に彼が警備任務にあたる兵士らを叱咤激励する為に宿舎に顔を出したとき以来だ。
 それでも、この数日を彼が忙しくしていたことは想像に難くない。こうしてカーニバルが催されていても、帝国との間の戦端は開かれたままだ。こういう時だからこそ、警戒を強める必要があり、ゲアハルトの元には数多くの報告書が届いていたことだろう。ちゃんと休んでいたのだろうかと彼の身のことを考えていると、いつの間にか軍令部のゲアハルトの執務室の前に付いていた。


「司令官、入るよー」
「ちょ、エルンストさん!そんな急に、」
「いいのいいの、いつもだから。ね、司令官」
「お前はアイリスの爪の垢を煎じて今すぐ飲むべきだ、エルンスト」


 ノックもなしにエルンストは一気に扉を開けてしまった。アイリスは途端に慌てるも、既に扉は開かれて彼も一歩踏み込んでいる。しかし、そんなエルンストの行動もゲアハルトにとっては慣れたものらしく、呆れて溜息混じりではあるもののこれといって怒ってはいない様子だった。
 幸運にも室内にはゲアハルト一人であり、他に来室している者はいなかった。そのことにほっとしていると、「いくら俺でも中に司令官以外の人がいたらこんなことはしないよ」と微苦笑を交えて言われるも、どうにもその言葉には説得力がなく、アイリスは何とも言えない表情を浮かべる。いくら中にゲアハルト以外の者がいなかったとしても、やはり部屋に入るときはノックするものだろうこっそりと溜息を吐いた。


「それで、どうしたんだ?二人して」
「俺は書類の提出に。アイリスちゃんとはさっきまで一緒に王城警備に行ってたんだよ」
「……アベルはどうした」


 エルンストから書類を受け取り、それに目を通しながらゲアハルトは問う。体調不良で寝込んでしまっているのだとアイリスが説明すると、「そう言えば、以前鍛錬場で会った時も暑さにぐったりしていたな」と彼女の攻撃魔法の鍛錬中に会った時のことを口にする。あの時も彼が言うように、アベルは暑さにぐったりとしていた。その頃よりも日中の気温は高くなり、人混みの中を駆け回っていたのだから本格的に体調を崩しても致し方のないことだった。


「ちゃんと診てやったのか?」
「もちろん。本人は嫌がってたけどアイリスちゃんにも頼まれたからね。まあ、あと数日寝ていたら治るよ」
「ならいいが。……ああ、そうだ。そこの棚を開けてくれ、アイリス」


 書類へと視線を落としていたゲアハルトは不意に顔を上げ、壁際の棚を指差した。一体どうしたのだろうかと思いつつ、言われた通りに棚の扉を開けると、大きめの紙袋があった。それを開けるようにと促された彼女がそれを開けてみると、様々なお菓子が紙袋の中に入っていた。ゲアハルトとお菓子、という構図がすぐには飲み込めず、きょとんとしていると「ホラーツ様からだ」と彼は口にした。


「え?」
「ホラーツ様がアイリスに、と。昨日持って来られたんだ」


 思いもしない言葉にアイリスは暫し目を瞬かせ、漸く脳が理解に及んだところで「ど、どうしてわたしなんかに……」と信じられない思いでいっぱいだった。顔を合わせたのは、ゲアハルトに紹介されたあの時一度だけだ。ホラーツも彼女の養父であるコンラッドと親しくしていたとは言ってはいたものの、相手は一国の主である。
 こんなにたくさんの菓子を贈られるほどの間柄ではなく、受け取っていいのかと悩んでしまう。有り難くないわけではないのだが、やはり気後れしてしまうのだ。ホラーツは親しい友人だったコンラッドの養女として接してくれているのだろうが、アイリスにしてみれば自分はあくまでも養女であり、親子として過ごした時間はあまりにも短い。だからこそ、ホラーツに気に掛けてもらうことは身の程を過ぎたことに思えてならなかったのだ。


「アイリスのことを気に入っていらっしゃるからな。要らないなら、俺からお返ししておくが」
「い、いえ!有り難く頂戴しますが……、司令官、ホラーツ様にお会いになったら有難うございますとお礼を伝えて頂いて構いませんか?」
「ああ。必ず伝えておく。……それからエルンスト、よくやった。これで進めてくれて構わない」


 ゲアハルトはアイリスに笑みを浮かべて頷くと、目を通していた書類をエルンストに手渡した。何についてのことかは知れないが、首を突っ込むわけにはいかない為、アイリスは紙袋を取り出して棚の扉を閉めた。
 書類を受け取ったエルンストは「本当に人遣いが荒いんだから」と溜息を吐きつつ、その書類を丸めて白衣のポケットに仕舞った。これで彼の用事も終わったのだから宿舎に帰るのだろうかと思って扉の方に爪先を向けると、「何処行くの?」とエルンストに声を掛けられる。


「え?もう宿舎に帰るんじゃないんですか?」
「違うよ。寧ろ用事はこれからだよ」


 そう言いつつ、エルンストは勝手知ったる我が家とばかりにアイリスが菓子の袋を取り出した棚とは別のそれへと近づき、棚の奥へと手を伸ばす。途端に「おい、エルンスト」とゲアハルトは顔を顰めて声を掛けるも、エルンストはそれを無視して棚からワインを引っ張り出した。
 次いでグラスも同様に取り出すが、その個数は丁度三人分であり、余計にゲアハルトの眉間には皺が寄る。そんな彼に気付いているエルンストだが、やはりここでも無視を決め込み、「はい、アイリスちゃん」とグラスを彼女に持たせてしまう。


「あの、エルンストさん。わたしは未成年なのでお酒はちょっと……」
「えー……今日はカーニバルの最終日だよ?ちょっとぐらいいいじゃない」
「いいわけあるか、この馬鹿。未成年に酒を勧めるな」


 ゲアハルトは溜息混じりに言うと、アイリスからグラスを受け取る。ベルンシュタイン王国では十八歳からは成人とされ、飲酒や喫煙が認められている。しかし、彼女の年齢は十六歳であり、飲酒も喫煙も認められていない。
 グラスを取り上げたゲアハルトにエルンストは「司令官もアイリスちゃんもお堅いんだから」と溜息を吐くも、溜息を吐きたいのはこちらの方だとばかりに二人は顔を見合わせて溜息を吐いた。結局、ワインではなく、ジュースが用意されてその場は収まったものの、エルンストがゲアハルトに鉄拳制裁を加えられたことは言うまでもない。


「はい、それじゃあ無粋な明かりは消すとしよう。もうすぐカーニバル最終日の名物が始まるからね」
「名物って……」
「花火だな」


 カーニバル最終日の夜は、三日間にも及ぶ国を上げてのカーニバルの終わりに相応しく、盛大な花火大会が行われる。アイリスもこれまでに二度、花火を見たことがあった。
 部屋の明かりは消され、それと同時に室内を照らし出すのは青白い月光だけとなる。エルンストは執務机の後ろのガラス戸を開けてバルコニーに出た。それを見ていると、「此処に座るといい」という声が後ろから聞こえ、振り向くと椅子を持って来てくれたらしいゲアハルトが微かな笑みを浮かべていた。


「有難うございます、司令官」
「いや。そこからでも外はちゃんと見えるのか?」
「大丈夫ですよ。司令官は見えますか?」
「ああ、問題ない」


 バルコニーに出た方がより見やすいだろうが、その間際の辺りからも夜空はしっかりと見ることが出来る。こうして明かりも消したということは、そろそろ花火が上がり始めるのだろうと思うと、今か今かという気持ちになってくる。そわそわと落ち着かな様子のアイリスにゲアハルトは微苦笑を浮かべ、「アイリスは花火が好きなのか?」と声を掛けられる。


「好きですよ。とっても綺麗ですから、……でも、一瞬で消えちゃうのは少し、寂しいです」
「……そうか」
「司令官は花火はお好きですか?」
「そうだな、……俺も花火は好きだよ。ただ、打ち上げられて輝くその一瞬が全てだというのは、空しいと思うが」


 そう口にしたゲアハルトの横顔を見遣り、アイリスは何と声を掛けていいものかと悩んだ。何を好きだと思い、何を嫌いだと、空しいと思うかは人それぞれだと考えている。だから、彼が花火は夜空に輝く一瞬が全てであり、それを空しいと思うことをとやかく言うつもりは彼女にはない。
 けれど、それを口にしたゲアハルトがあまりにも切なくなる表情を浮かべていたのが、気がかりだったのだ。それでも、掛ける言葉はなく、ただその横顔を見ていることしか出来ない。自分の力の無さを歯痒く思いながら、口から出た言葉は「花火、楽しみですね」という取るに足らないものだった。


「あ、空っぽになった」
「おい、エルンスト。飲むのが早すぎるぞ、お前はもう少し遠慮しろ」
「それを言うなら、司令官は人遣いの荒さをどうにかするべきだよ。そう思うよね、アイリスちゃん」
「えっと……飲み過ぎは身体によくありませんよ?」


 「アイリスちゃん、司令官の肩を持つの?」と言ってエルンストは大袈裟なほどに驚いた表情を浮かべている。肩を持つつもりはなかったものの、ゲアハルトが言うように確かに瓶を一本を開けるにはあまりにも早すぎる。もう少し酒とはゆっくり飲むべきものなのではないだろうかと思っていると、室内に戻って棚の前に立っているエルンストは「エルンスト、話を聞け」というゲアハルトを無視して新たに何本もワインを探し出してしまう。
 しかし、彼女からしてみればゲアハルトもどうして執務室にワインを隠し持っているのだろうかと思わず口に出しそうになる。それに、飲み過ぎだとは注意しているものの、飲むなとは一言も言っていないあたり、要するにゲアハルトも酒を飲むのが好きなのだろうとアイリスは判断した。


「司令官とエルンストさんはよくお二人でお酒を飲むんですか?」
「まあ、割と飲むかな」
「お前が勝手に引っ張り出して飲み始めるだけだろう」
「そんなこと言って、司令官だって一緒に飲んでるんだから同罪だよ。けど、司令官と飲むのが一番いいかなー……レックスやレオはすぐ酔っ払うから」
「そうなんですか?」


 二人が酒を飲むところを見たことがないアイリスはエルンストの言葉に目を瞬かせる。成人しているため、飲むこともあるだろうとは思ってはいるものの、レックスもレオもどちらかと言うと酒よりも菓子の方を好いているイメージが強い。すぐに酔っ払うとエルンストは言っているがどういう状況になるのかは少し興味があった。


「ああ。レックスは酔うと説教して来るぞ」
「レオはそれを見て笑い転げてる。笑い上戸なんだよ、あいつ」
「えっと……意外、です」
「それを一応本人たちも自覚してるみたいだからね、あんまり一緒に飲んでくれないんだよ」
「好き好んで醜態を晒したがる者もいないだろ」


 溜息混じりにゲアハルトが口にしたところで、唐突に扉が叩かれ、「失礼致します!」と慌てた様子の声が掛かる。すぐに入室が許可され、転ぶように入って来たのはアイリスも顔見知りである後方支援所属の兵士だった。エルンストの姿を見た彼はほっと安堵の表情を浮かべ、「エルンストさん、急患なんです!」と声を掛ける。


「急患?そっちで対処出来ないの?」
「すみません、あちこちで酔っ払いが喧嘩をしているらしくて人手が足りないんです」
「えー……せっかくこれから花火って時なのに。あーあ……本当に司令官っていいところ持っていくよね、役得で羨ましい」
「……うるさいぞ、エルンスト。さっさと行け」
「分かってますー……。もう、酒癖悪い奴は飲まないで欲しいな」
「あの、エルンストさん。人手が足りないならわたしもお手伝いにいきます」


 こうして慌ててエルンストまで呼ばれるのだから、余程人手が足りていないのだろう。アイリスは手伝うと申し出るも、「ううん、君はいいよ」とやんわりと断られてしまう。
 少し手を伸ばして彼はアイリスの頭に手を置き、「君の任務はもう終わってる。気持ちは嬉しいけど、たまにはゆっくりした方がいいよ」と言って一気にグラスを煽った。婉曲的に、これは後方支援の仕事だからと言われているのが分かる。それは、差し伸べてくれた彼の手を取らなかったことを、暗に思い起こさせた。


「……でも、本当に忙しくなってこっちが回らなくなったら手伝ってもらおうかな」
「……はい」
「それじゃあ、それまでは特等席からの花火見物を楽しんでよ。三日間、任務以外に俺の手伝いまでしてくれたアイリスちゃんにご褒美だ」


 じゃあね、と言い置くとエルンストは足早に執務室を後にした。それを見送り、椅子に座り直すとゲアハルトは微苦笑を浮かべていた。


「司令官?」
「いや……そうやって自分に出来ることをすぐに探す辺りが、君らしいと思って」
「……そりゃあ、わたしは自分に出来ることをしたくて入隊しましたから」
「そうだったな。……だが、たまにはちゃんと自分のことを労わった方がいい」


 頑張ることがいいことだが、頑張りすぎて身を壊しては意味がない。
 ゲアハルトの言葉にアイリスは「そうですね」と頷いた。どれだけ頑張っても、それで自分を害しては意味がない。そんなことをしても、誰も喜んではくれないのだ。


「……でも、わたしは司令官が思ってるよりもずっと頑丈ですよ」
「そうか?」
「ええ、そうです。少なくとも、初めて司令官にお会いした頃よりはずっと」
「……そうだな、そうかもしれない」
「かもしれないのではなく、そうなんです」


 今も、彼からしてみれば自分は守って貰わなければならないように見えるほど、弱いままかもしれない。けれど、それでも少しは強くなったつもりだ。力も付いた、心も少しは強くなった。相変わらず辛くて苦しいことがあると、どうしても泣いてしまうことはある。それでも、蹲って自分の力で立ち上がれないということはない。時間は掛かるとしても、ちゃんと自分の足で立ち上がることは出来るのだ。
 どうやったらそれを信じてもらえるだろう。ゲアハルトに、頑張ったなと褒めてもらえるのだろう。強くなったと、認めてもらうことが出来るのだろう。そのことを考えていると、不意に「ほら、始まるぞ」と優しい声が聞こえて来る。顔を上げると、身体の芯を揺さぶるような、重く響く音が鼓膜を震わせる。そして、数瞬の後に、夜空には大輪の花が咲いた。


「……綺麗」
「此処は打ち上げ場所の近くだからな。周りの背の高い建物はないからよく見えるんだ」


 ほんの一瞬、僅かな時間だけ咲き誇り、花火はゆっくりと消えていく。その残滓に手が届くのではないかと思うほどの距離にアイリスは息を呑んだ。それを皮切りに次から次へと花火が打ち上げられる。赤、青、黄色、緑、様々な色の花火が夜空を飾り、そして消えていく。
 彼女は咲き誇った瞬間を綺麗と言い、彼は散る様を空しいと言った。一緒のものを見ていても、感じ方が違うのはこれまで生きてきた時間の中で感じて来たことが違うからだ。彼は一体どのような時間を過ごして来たのだろうか――そっと花火に視線を向ける横顔を盗み見て、アイリスはぼんやりと考えた。
 花火を打ち上げる音が響く。身体の芯を震わせるその音に、心まで揺さぶられているように感じてしまう。ふわりふわりと妙に心が落ち着かないのは、きっと隣で香るワインの所為にして、アイリスは一際大きく輝いた青い花火が散る様を眺めていた。



121011

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