カーニバル - stray cat -



「こうしている間にも着々と準備は進んでいます。予定通りに事が運べば、ゼクレスに駐屯している帝国軍本隊の準備も整うでしょう」
「……日数としては後どれぐらいでしょうか」
「そうですね、10日ほどでしょうか」
「10日!?そんなに時間を要していてはベルンシュタインもカーニバルの余韻が冷めてせっかくの隙が、」
「何をそんなに焦っていらっしゃるの?ルヴェルチ卿。ブルーノ、お茶のおかわりを」


 くすくすと笑みを漏らしながらカサンドラは壁に凭れかかっているブルーノに空になったカップを差し出す。おかわりを要求されたブルーノは納得がいかないとばかりに舌打ちしながらも、言われるがままにそれを受け取って壁際のティーセットで紅茶の用意をし始める。
 平気で話の腰を折るカサンドラにルヴェルチは内心、苛立ちを募らせながらも表面上は努めて冷静を装うも眉間に刻まれた皺からも苛立ちが募っていることは隠しきれていない。


「焦りもしますよ、カサンドラ嬢。貴女はまるで戦争というものを分かってはおられないようだ。いくら腕が立つといっても、貴女方がお得意なのは暗殺でしょう。戦争という白兵戦では、まずは、」
「分かっていらっしゃらないのは貴方様の方ではありませんか、ルヴェルチ卿。我々鴉の本分はよく分かっていらっしゃるようだけれど、戦争というものが一体何なのか分かっていらっしゃらないのは貴方様の方でしょう」
「……ならば、カサンドラ嬢。私に戦争が何たるものか、ご教授頂きたい」


 奥歯を噛み締め、苦虫を噛み潰した表情をありありと浮かべるルヴェルチにカサンドラは艶然と笑う。そのまさに対極の様子に彼女の隣に座している少年は笑いを噛み殺すことに必死な様子だった。何とか余裕の構えを取ろうとするルヴェルチの様が面白くて仕方ないのだろう。どれだけ取り繕うとも、茶化すようなことばかり言うカサンドラを前に苛立ちは既に隠せぬほどに募り尽くしているらしい。
 そんなルヴェルチを前にしても、カサンドラの態度は一向に変わらない。相変わらずの笑みを浮かべながら、ブルーノが運んで来た紅茶に舌鼓を打ち、満足げな様子で紅茶の香りを楽しんでさえいる。


「ルヴェルチ卿、戦争というものはカーニバルと同じです」
「カーニバル?」
「そう、人間同士が殺し合い、血に塗れ、倒れた屍を踏み、国の為、王の為と叫びながらも自分が生き残る為だけに剣を振るい、魔法を使い、どちらかが果てるまで続く死臭に塗れたカーニバル。そんな素晴らしいカーニバルの幕開けの為に時間は必要不可欠なものです」
「……」
「一方的な殺戮では面白くないではありませんか、卿。カーニバルという名の戦争は、互いの力が拮抗してこそ盛り上がるというものです」
「……それでは、勝率が五分五分です。カサンドラ嬢、これは遊びではない」


 真っ直ぐにルヴェルチはカサンドラを睨み据える。彼が抱く野望を果たす為には、何としても次に開かれる戦端では帝国軍が勝利しなければならない。だが、彼女はまるで戦争を遊戯のようにしか捉えていないことはその口振りからは明らかだった。
 帝国内では恐れられる存在ではあるものの、手を結ぶ相手を間違えたのではないかと今更ながらにルヴェルチは考えながらも、今更この話をなかったことにすることも出来ない。それを口にした瞬間、鴉の存在を目にしている者としてカサンドラらによって葬られることは明らかだった。
 こんなところで死ぬわけにはいかない――ルヴェルチは眉間に更なる皺を寄せながら、目の前で紅茶を喫しているカサンドラを睨んだ。その視線に彼女は柳眉を僅かに下げて微苦笑を浮かべる。


「そのように睨まれましても……、卿、戦争なんてものはカーニバルだと言ったところではありませんか。要は楽しむ為の娯楽、見世物です」
「……カサンドラ嬢」
「ご安心頂いて構いませんよ。貴方様の目的は果たして差し上げますから。けれど、ただ果たすだけでは面白くはないでしょう?」
「……」
「物事には、より効果的に見せる為の演出が必要です。それこそ、事の次第が後々に影響を及ぼすのであれば尚の事」
「大丈夫だよ、ルヴェルチさん。カーサの作戦は完璧だよ、こっちに負ける要素はないし、勝てるカードはこっちにある」
「では、それがどのようなものか、是非この場でご説明願いたいものです」


 大丈夫だと口で言われて、納得出来るものではない。既に自分が裏で動いているということを、ゲアハルトは掴んでいるだろう。それでもなお、何も仕掛けて来ないということは泳がされているだけに過ぎない。そんな中、自分が選択を一つでも間違えたとなれば、即刻消されてしまうだろう。
 それを避け、ゲアハルトを出し抜く為にも目の前の鴉らがしようとしていることは知っていなければならない。だが、カサンドラは笑うだけで決してそれを口にしようとはしない。それに苛立ちが募り、「いい加減に、」と声を大にしたところで声は喉に絡みつき、テーブルを叩こうと振り上げた手は宙に止まる。


「あまり大声を出されないで、ルヴェルチ卿。耳が痛いわ」
「……っ」
「卿は予定通りにシリル殿下の王位継承に向けて動き、白の輝石を入手して頂ければそれでいいのです。それ以外のことは瑣末なこととして、私たちにお任せください」
「悪いようにはしないよ、ルヴェルチさん。ボクたちはただ楽しみたいだけなんだよ」
「そう、これは私たちにとってまたとないカーニバル。ベルンシュタインを国旗の如く赤く染め上げる祭の始まりなのですから」


 冷やかなその声と視線にルヴェルチは言葉を詰まらせる。此処で引き下がっては、対等な地位にいられないことは分かってはいるものの、それでも言葉が出ないのだ。
 けれど、同時に気付いた。元より対等な地位など、有り得ないのだと。自分は鴉にとって、ヴィルヘルムにとって体のいい傀儡でしかないのだと――ベルンシュタインに入り込む為だけの協力者でしかないのだと。しかし、それでも何とかルヴェルチはカサンドラを睨みつける。良いように使われて終わるだけの弱い人間にはなりたくないという、それだけの矜持が彼を奮い立たせるのだ。


「……次の開戦まで10日といいましたね。帝国軍本隊を動かすとなれば、何処で戦端を開くのでしょう」
「帝国領ライゼガング平原、そこが次の戦場です。けれど、布陣についてはお教え出来ませんし、ベルンシュタインの布陣も教えて頂かなくて結構です」
「カサンドラ嬢……何度も申し上げますが、」
「結構です、と申し上げたではありませんか、ルヴェルチ卿。私は同じことを二度三度言わされるのは好きではありません」
「……っ」
「たとえ知っていようといなかろうと、結果は変わらないのです。ならば、我々が少しでも楽しめるように、ゲアハルト司令官のお手並みを拝見した方が余程楽しい。この子も言ったでしょう?勝利へのカードは既にこの手にあるのですから」


 そう言ってカサンドラは空になった紅茶のカップをテーブルに戻す。それを一瞥したブルーノが凭れていた壁から背を離すも、「おかわりは要らないわ、ブルーノ」と片手を上げてそれを制した。
 そして、そのままルヴェルチから視線を外して部屋の中、それぞれの場所にいる鴉の面々に視線を向け、「そんなことよりも、ちゃんと確認は済んでるの?」と彼女は優雅に首を傾げる。


「確認とは……」
「ああ、卿にはお伝えしていませんでしたね。私たちがカーニバルに来た目的はただ一つ、今は亡きコンラッド・クレーデル様の養女の顔を確認に来たのです。誤って殺してしまってはいけませんから」


 つまり、こうしてルヴェルチと顔を合わせているのはあくまでその目的のついで、ということである。暗に示されるその事実に彼は唇を噛み締めるも、カサンドラの笑みは深まるばかりだった。
 

「目的って言っても、カーサの目的の半分以上は花火でしょ?」
「あら、それは言ってはいけないことよ。それに私はちゃんと確認したもの。貴方はどうなの?」
「ボクは遠目に見たよ。ブルーノは?」
「俺も見た。見てないのはアウレールだけだろ」


 アウレールと呼ばれた屈強な男は僅かながら困惑した様子で「娘の顔はどれも同じに見える」とぼそりと呟いた。ルヴェルチが来てから始めて発した言葉であり、カサンドラはその声音にくすくすと笑い、耐え切れないとばかりに少年は腹を抱えて笑い出した。
 ルヴェルチもコンラッド・クレーデルの養女であるアイリスについては知ってはいるものの、何故こうして殺してはならない相手として重要視されているのかまでは分からないでいた。彼にとってはただの娘であり、兵士にしか見えないのだ。そんな彼の考えに気付いたらしいカサンドラは口角を吊り上げて笑う。


「彼女はクレーデル様の白の輝石の研究について、何か知っているかもしれません。クレーデル様がお亡くなりになった時に散々取り調べを受けているようですが、結局は何も分からないままだそうです」
「それならば、」
「けれど、我々にとってその研究資料はとても重要なもの。たとえどんな些細な手掛かりであったとしても、手に入れなくていけません。ですから、ルヴェルチ卿、何としても彼女を手に入れて頂きたいのです。万が一にも殺すことなんてあってはならない……よろしくて、卿」


 そこまで言い切るカサンドラの瞳は冷たく、もし誤って殺してしまうようなことがあれば、自分の命は容易く奪われるだろう。ルヴェルチは喉を鳴らし、そして小さく「分かりました。肝に銘じておきます」と呟く。その返事に満足げにカサンドラは頷くと、壁に凭れかかっているアウレールへと視線を向け、困った人だと言わんばかりに肩を竦めた。


「薄い金髪に紫の瞳の可愛らしいお嬢さんよ。その特徴に当てはまるお嬢さんは一切手に掛けずに捕縛なさい、それなら貴方も出来るでしょう?アウレール」
「ああ、それぐらいなら」
「それでは、そろそろ私たちも行きましょう。ブルーノを残して行きますから、何かあればお伝えくださいね、ルヴェルチ卿」


 カサンドラは音もなく立ち上がり、それを皮切りに他の面々も動き出す。ルヴェルチも見送る為に立ち上がるも、そんな彼を横目に淡々とした様子で彼女らは扉へと向かって歩を進める。そして、扉に手を掛けたところでカサンドラは思い出したように立ち止まり、一人壁際に残っているブルーノを振り向いた。


「ああ、そうでした。ブルーノ、お薬はちゃんと飲むようになさいね」
「……分かってる。さっさと行けよ」
「今度の一件は全て貴方に掛かっているのだから、しっかり頼むわよ。ヴィルヘルム殿下のお叱りは受けたくはないもの」


 それだけ言うと、カサンドラらは足早に部屋を後にした。一気に静まり返り、張り詰めていた緊張感も糸が切れたようにぷつりと切れる。そのままソファに座り込んだルヴェルチは肺に溜まっていた空気を全て吐き出すかのように盛大な呼吸を繰り返し、そして不意にまだこの部屋には鴉の一人であるブルーノが残っているのだということを思い出した。途端に背筋を伸ばすルヴェルチだったが、部屋の中を幾度見渡してもそこにブルーノの姿はない。
 バルコニーから出て行ったのか、閉められていたはずのガラス戸が開け放たれていた。じとりと生温い夜風が吹き込む。いつもならば、それを不快に思うはずだったが、今はその生温かさが有り難いと思うほど、背筋は冷や汗で濡れていた。


121015

inserted by FC2 system