会戦 - secret mission -



「今朝方、国境連隊からクラネルト川西岸の帝国領ライゼガング平原に帝国軍本隊を確認したとの報告が入った」


 カーニバルを終えて十日が過ぎた頃、バイルシュミット城の会議室は緊迫した空気に包まれていた。会議室には国軍司令官であるゲアハルトや国王であり第一騎士団の団長でもあるホラーツを始め、国境に派遣されていない各騎士団の団長などの軍部の上層部や一部の上層部の文官らが集まっていた。
 そんな面々を前にして、ゲアハルトは今朝方届いたばかりの帝国軍の動きについての報告を伝える。ヒッツェルブルグ帝国とは今までに何度も国境での小競り合いが続いていたものの、一度も本隊が動いたことはなかった。しかし、今朝入って来た報告によると、帝国軍本隊がクラネルト川西岸に位置するライゼガング平原に陣を構えているというものだったのだ。
 近いうちに本隊が動き、今まで以上の大規模な白兵戦になるだろうとはゲアハルト自身、予想はしていた。だからこそ、本隊同士がぶつかり合う中、十分な戦力を持って別働隊として動けるように遊撃部隊を創設した。だが、大規模戦線はもう少し遅いだろうと彼は予想していたのだ。何より、カーニバル中を狙わずに敢えて時期をずらして本隊を動かしたことがゲアハルトには引っ掛かっていた。


「そんな……」
「……ついにか」


 そんな声にざわめく会議室に「静まれ」と厳粛な声が響き渡る。上座に座るホラーツは厳しい表情で口を閉ざした彼らの顔を順繰りに見つめる。


「いつか来るとは分かっていたことだ。慌てず、国民を守る為に何をすべきかを今話し合うべきだろう。……ゲアハルト、続きを」
「はい、陛下。……国境連隊からは遂次、報告が入っているが帝国軍本隊に動きはないとのことだ。どうやら帝国は我々の出撃を待っているようだ」


 出来ることならゲアハルトとしても、このまま帝国軍は動かずに撤退して欲しいところだ。しかし、食糧難や貧困に喘ぐ帝国が何の手柄もなしに本隊を撤退させるはずもない。出兵するにあたっても、予想を上回る無理をしてのことのはずだ。だからこそ、帝国軍は何が何でも勝ちに来るだろう。
 もう少し帝国軍の兵力を削ることが出来ているのならば、ゲアハルトも出兵することに異存はない。だが、未だに帝国軍の兵力はベルンシュタインを大きく上回ったままであり、このままぶつかり合っても余程のことがない限りは勝利は薄い。かと言って、このまま日和見をしているような余裕はない。今はまだ帝国軍本隊に動きはないものの、それは今だけのことだ。


「……ゲアハルト、今一度聞くが、此方から打って出るしかないのだな?」
「……現状、それしか手は御座いません、陛下」


 ホラーツには会議の前に話を通している。今の現状、勝敗、ある程度の作戦についても伝えてある。彼自身、こうして確認はしているものの、既に理解もしているのだろう。この現状において、出来ることは少なく、国を守る為には打って出るしかないのだということを。
 今までは国境での小競り合いや侵入して来た帝国軍を追い返すなど、それほど規模は大きくはなく、被害も国規模で考えるとそれほど大きいものではなかった。だが、これから開かれるであろう戦端は決してそのような生易しいものではない。勝っても負けても大きな被害を受けることは必至だった。
 だが、このまま何もせずにいれば、帝国軍本隊がすぐに動き出してクラネルト川を越えてベルンシュタインに攻め込んで来るだろう。それを考えると、やはり選べる選択肢は一つしかないのだ。


「……全軍、出撃の準備を。皆も異存はないか?」


 ホラーツの言葉に集まっていた団長らは顔を上げ、引き締めた表情で頷いた。その表情に迷いはなく、彼らもまた、これしか方法はないのだということを理解しているのだろう。
 そして、ホラーツは視線を下座にいる初老の男へと向けた。二年前まではホラーツの横に立ち、国軍司令官の座に就いていたルヴェルチを見つめ、彼は目を細めた。司令官から失脚したルヴェルチは今は文官として、ホラーツを支えている。だが、裏で動いているということはゲアハルトもホラーツも掴んでいる。この件でも何かしら一枚噛んでいるのではないだろうかと、二人は疑っているのだ。


「ルヴェルチ、異存はないか?」
「はい、陛下。私もこの件については全軍出撃しかないかと考えております。ゲアハルト司令官、作戦概要を」
「……ああ」


 深まる疑いとは裏腹にルヴェルチは本心からそう思ってるとばかりに真剣な表情でゲアハルトに説明を促した。その表情が本物であるのか、見透かそうとするように彼は目を細めつつ頷いた。
 しかし、こうして疑ってばかりいても時間が経つだけであり、今は少しの時間も惜しい為、ゲアハルトは片手を上げて指示を出す。それにすぐさま反応した壁際の兵士はあらかじめ用意されていたクラネルト川流域の大地図を壁に掛け始める。そして、ゲアハルトに指示棒を手渡すと、すぐに壁際へと兵士は下がった。


「現在、帝国軍本隊が布陣しているのは此処、ライゼガング平原の西。兵力は現在、斥侯を出して探らせている。その報告によって多少変更は在るだろうが、我々はクラネルト川中流域からライゼガング平原に侵攻して布陣する」


 指示棒でクラネルト川中流域を指し示し、「二層三層の防衛線を引き、帝国軍を迎撃する」と口にすると、すぐさま反論の声が上がる。打って出るべきであると主張するのは第十騎士団の団長のベーデガーであり、彼はゲアハルトの司令官就任に反対したルヴェルチ派の人間でもあった。


「ならば、第一層は貴方にお任せしよう、ベーデガー団長。ご自由に帝国軍に向かって打って出て頂いて結構だ」
「な……っ」
「帝国軍は兵力こそあるものの、食糧難に喘いでいる。それに対して此方は兵力こそ少ないが、食糧には困っていない。ならば、そう急かずともゆっくりと攻めればいい。しかし、この策はどうやらベーデガー団長の気には召さないようだ。血気盛んで大変結構、……おや、顔色が悪いようだが、どうされた?ベーデガー団長」


 矢面に立てとばかりのゲアハルトの言葉にベーデガーは顔を青くしている。このように返されるとは思いもしなかったのだろう。悔しげに唇を噛み締めるベーデガーに冷えた視線を向けていると、彼は拳を握り締めながらも大人しく椅子に腰かけた。元より大した度胸もないのだから、何かにつけて噛みつこうとしなければいいものを――ゲアハルトは視線を外し、ちらりとルヴェルチを見た。
 自分の派閥の者が言い包められているというのに、ルヴェルチは何も言おうとはしない。以前の彼ならば間違いなく、ベーデガーに加勢していた。それはベーデガーも考えているらしく、ちらちらとルヴェルチに視線を送っている。だが、ルヴェルチはまるでそれに気付いていないとばかりに地図を見て思案顔を作っていた。


「どうやら、ベーデガー団長はお一人では心細いようだ。……では、エメリヒ団長」
「は、はい……」
「ベーデガー団長も親しい貴方が一緒ならば心強いだろう。存分に帝国兵を蹴散らして頂きたい」


 口調こそ柔らかなものだが、その声音と視線は冷やかなものだった。初夏を過ぎ、夏真っ盛りだというのにその視線を向けられた第十一騎士団団長のエメリヒは身体を震わせた。彼もまた、ルヴェルチに助けを求めるような視線を向けるも、それにもやはり彼は取り合わない。
 あまりにもらしくないルヴェルチの様子に違和感を感じながらも、ゲアハルトは逸れていた話を元に戻す。さすがにルヴェルチの派閥の人間のみに先鋒を任せるわけにはいかない。そのため、第四騎士団も共に戦列に加えて残りの第一から第六で二層三層を構成すると説明した。実際には長期戦を狙って戦列を交代しながら帝国軍を迎え撃つ形となり、決して専守防衛というわけではない。
 それに気付いたらしいベーデガーは殊更渋面を作り、ばつが悪そうな顔をしていた。それと同時に酷く苛立たしげな様子でもあり、ルヴェルチが無視を決め込んでいることに対して余程苛立っているらしい。


「本隊同士の交戦中に別働隊が動かないとも限らない。それに備えて、第七と第九、国境連隊で国境線を構える。第八はリュプケ砦で待機。第十二は南方の捕虜収容施設の防衛に当たってもらう。出撃は今より三時間後、各団長は出撃する兵士の名簿を提出するように、以上だ」
「各自、ゲアハルト司令官の指示に従って騎士団を率い、戦うように。諸君らの活躍に期待する」


 ホラーツの強い意志の籠った声に会議室に集まっていた面々は自然と背筋を伸ばす。そして、椅子から立ち上がり、ホラーツに敬礼するとすぐさま出撃の準備や指示を出すべく、会議室から飛び出していく。彼らの背に混じって会議室を後にするルヴェルチの背を睨むような視線でゲアハルトは見つめ、そして姿が見えなくなってからいつの間にか肩に入っていた力を緩める。


「……それでは、俺も行きます。ホラーツ様」
「ああ、私もすぐに用意をしなければ」
「……やはり、行かれるのですね」
「当たり前だ。私は国王だが、第一の団長でもある。まだまだ若い者には負けていられないさ」


 出来ることなら、今回の戦闘にはホラーツには出て欲しくないというのがゲアハルトの本音だった。ホラーツはベルンシュタインの国王であり、決して失ってはならない人物だ。後継者もまだ育ち切っていない今、もしもホラーツを失うようなことがあれば、たちまちベルンシュタインは混乱に陥るだろう。否、混乱程度で済めばまだいいとさえ、ゲアハルトは考えている。
 そんな彼の考えも分かっているはずのホラーツは、それでも人のいい笑みを浮かべて大丈夫だとばかりの表情をしている。だからこそ、ベーデガーやエメリヒには死地へと行けと平然と言えても、ホラーツには何も言えないのだ。視線を伏せるゲアハルトに立ち上がったホラーツは近付くと、まるで親が子にするように腕を伸ばしてフードを被った彼の頭を軽く叩く。


「もうこうして頭を叩いてやるのも難しいか。……随分、成長したな、ゲアハルト」
「……もう二十四ですから」
「昔は私よりも小さかったのになあ。……なあ、ゲアハルト」
「……はい」
「私はお前を信頼している」


 頭に置いていた手を肩に置き、ホラーツは目を細めて笑う。昔はなかった目尻の皺を見ると、彼も歳を取ったのだということを改めて実感した。肩に置かれた手にも皺ができ、自分よりも上にあったはずの目線も気がつくと今では逆になってしまっている。自分が成長した分だけ彼は老いたのだということを目の当たりにすると、何とも言えない気分になる。
 掛けられた言葉はじわりと心に染み渡り、それと同時にホラーツにさえ隠れて動いていることが申し訳なく思えて来た。それを思うと、自然と視線が下がってしまう。けれど、そんなゲアハルトに対して、彼は穏やかな笑みを向けていた。


「お前を信頼しているからこそ、私は安心して戦場に行くことが出来る」
「……ホラーツ様」
「もしも、私が死んだとしてもお前がいるからだ」


 そんなことを言わないで欲しい――ゲアハルトは首を横に振り、口元を覆うマスクの下で唇を噛み締めた。まるでいなくなってしまうような言葉ではないかと、そう思ったのだ。
 顔を伏せる彼にホラーツはただただ穏やかに笑い、自分の子どもを見つめるようなそんな優しい眼差しを向ける。ゆっくりと肩を撫でてやりながら、「人は必ず老いて死ぬ。それが自然の摂理であり、お前よりも老いている私が先に逝くのは定めというものだ」と穏やかな声音で口にする。
 確かにその通りだということはゲアハルト自身、よくよく分かってはいることなのだ。けれど、どうしてそれを今言うのかと、ホラーツを責めたい気持ちにさえなってしまう。分かっているのだから、敢えてそれを口にする必要なんて何処にもないだろう、と。


「なに、そんなにすぐ死ぬ気は私もない。だから、そんな顔をするな」
「……はい」
「私はただ、お前がいるから安心して戦えるということを言いたいだけだ。私がいなくなったとしても、お前がいれば、この国は決して間違った方向に進むことはないだろうと心から思えるからだ」


 その言葉にゲアハルトは何も言うことが出来なかった。寄せられる信頼の大きさに、応える自信がなかったのだ。今まで、司令官としてベルンシュタインの為に戦って来た。けれど、それは決してこの国の為だけを思ってのことではなく、多くの兵を失い、周りの人間を傷つけても来た。それを思えば、ホラーツにそのような言葉を掛けられるような、信頼されるような人間では決してないのだと、彼自身は思ったのだ。


「……俺は、ホラーツ様のご期待に応えられるような器ではありません」
「そんなことはない。お前は私の期待に応えてくれる」
「俺は、」
「ゲアハルト、私は何もお前一人で私の期待に応えろと言っているわけではないぞ」


 やんわりと遮られ、彼は口を噤んだ。再び視線を伏せるゲアハルトにホラーツは微苦笑を浮かべながら、ゆっくりと彼の肩を叩く。


「人間、一人では立てぬと言うだろう?私だってそうだ。国王として多くの国民の命を預かり、団長として多くの兵士の命を預かるのはとても重たい。一人ではその重さに押し潰されて身動きなんて取れなくなってしまう」
「……」
「だが、私は一人ではない。コンラッドがいてくれた、お前がいてくれた。他にも多くの者たちが私を支えてくれた。だから、私は今もこうして立っていられる。……それはお前も同じだろう?ゲアハルト」
「……はい」
「ならば、お前を支えてくれる者たちと共に私の期待に応えて欲しい。お前を支えてくれる者たちなら、きっと大丈夫だ。お前が信頼する者なら、私にとっても信頼できる者だ」


 それだけ言うと、ホラーツは「私もそろそろ準備をしなければな。出撃する者の名簿は後で誰かに持って来させるとしよう」と言い残して会議室を後にした。暫しその背を見つめていたゲアハルトは深く息を吐いた。
 言い知れない感情が胸の中に溢れていた。しかし、今はそれを気にしている場合ではない。自身もまた、第二騎士団を率いて出撃しなければならないのだ。それまでにもしなければならないことは多くある。軍令部の執務室に戻るべく、ゲアハルトは足早に会議室を出るも、廊下に出て数歩も行かないうちに足は止まった。


「ヒルダ……」
「お前のことだ、どうせ先ほど説明した作戦以外のことも考えているんだろう?」
「……ああ。そのことで君も呼ぼうと思っていた」


 表情を引き締め、ゲアハルトは壁に凭れかかっていたヒルデガルトに共に来るように告げ、軍令部へと向かって歩き出す。その歩みに迷いはなく、先ほどまで浮かべていた表情も纏っていた雰囲気も今は微塵もそこに残っていない。
 執務室にはエルンストも待っているのだと隣を歩くヒルデガルトに言うと、あからさまな溜息を吐き、「お前とエルンストが絡むとなると、碌な作戦ではないだろうな」と眉を寄せた。けれど、止めるように言わないということは、彼女はゲアハルトの立てる作戦を信頼しているということでもある。それを有り難く思いながら、「まあ、碌な作戦ではないだろうな」と彼は微かな笑みを滲ませて他人事のように言ってみせた。


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