会戦 - secret mission -



「以上がライゼガング平原における作戦行動だ。各自、頭に叩き込んでおくように。今から呼ぶ小隊以外の者は準備を済ませ次第、出撃する」


 第二騎士団を招集したゲアハルトは手早くライゼガング平原での作戦行動を説明すると、次いでいくつかの小隊を呼び出した。呼び出された小隊の中に含まれていたレックスを部隊長とする遊撃部隊のアイリス、レオ、そしてアベルは互いに顔を見合せながら列から離れた。四人の他にもいくつかの部隊が呼び出され、彼らの表情は緊張に引き締まっていた。
 他の団員たちはすぐに準備を済ませる為に足早に宿舎に戻り、その背を見送ってからゲアハルトは呼び出した小隊の者たちの顔を見渡した。そして、「君たちには別働隊として本隊とは別に極秘任務に就いてもらう」と先ほどまでの作戦行動の説明の為に使っていたものとは別の地図を取り出した。


「作戦行動はライゼガング平原の南北に流れているクラネルト川の支流に掛かっている橋を落とすというものだ。第二は北の支流、南の支流は第三が担当する。北の支流へはクラネルト川上流域のこの林の中を通って向かえ」


 地図を覗き込み、印の付けられている箇所を確認する。主だった橋だけを落とすのかと思っていたが、どうやら小さな橋も残らず落とすつもりらしい。これだけのことを決して多いとは言えない人数で行うのかと思うと、頑張らなければとアイリスはきゅっと握った拳に力を入れる。ゲアハルトは決して無理な作戦を立てるようなことはしない。ならば、彼が立案したこの工作任務は決して無理なものではないのだろう、と彼女は思った。
 その後、どの隊がどの区域の橋を担当するのか、ゲアハルトは割り振りを口にする。その際に橋を落とす順番を間違えると、帰還することが難しくなるとも付け加え、気を付けなければと地図を見る誰の顔も真剣さを帯びた。


「そして、最奥のこの橋、これが今回の工作任務の最重要破壊対象だ」


 ゲアハルトの黒い手袋に覆われた指が指し示すそれは、帝国最大の植民地であるゼクレス国の間近にある橋だった。地図にもはっきりと描かれているほど大きく、落とすとしても一筋縄ではいかないことは確実だった。緊張感が増す周囲を横目にゲアハルトは橋を指し示す指をゆっくりと北上させていく、すると、その指先はヒッツェルブルグ帝国の帝都アイレンベルクへと辿り着いた。


「気付いただろうが、この橋は帝都に続く道でもある。この橋を落とすことが出来れば、帝国の連絡網や交通網を麻痺させることが出来る。今の状況で帝国軍の内部を混乱させることが出来れば、此方が優位に立てる。……だが、この橋は帝国軍にとっても最重要拠点であることは間違いない。落とすとしても決して楽ではないだろう」


 戦闘中の混乱に乗じて侵入するとしても、最奥まで入り込み、尚且つゼクレス国に間近である最重要拠点の橋を落とすということは考えただけでも難しい。誰もが顔を顰めている様を見ると、それだけ誰もが困難に感じているということなのだろう。


「この橋の破壊はレックス、君の隊に任せる」


 その言葉にアイリスは目を瞠った。地図へと投じていた視線を上げ、ゲアハルトと部隊長であるレックスを見つめる。真っ向からゲアハルトを見たレックスのその横顔は真剣そのものだった。彼の肩にはアイリスやレオ、アベルの命が掛かっているのだ。たとえ司令官であるゲアハルトの命令であっても、無理だと思えばレックスは首を横に振るだろう。
 けれど、暫しゲアハルトを見つめていたレックスは、小さく頷いた。そして、同様に顔を上げていたレオもアベルも、そしてアイリス自身、その命令をしかと受け止めるとばかりに浅く頷いていた。
 最も難しく、そして最も重要な任務をゲアハルトは任せてくれた。この隊ならば出来ると、そう信じてくれたのだ。それを思うと、信じてくれた彼の信頼に応えたいと、心から思えたのだ。


「今回の工作任務はベルンシュタインがこれから先、帝国軍に勝利する為の重要な布石になる。各自、最善の行動を取れ。各隊の働きに期待している。戦果を挙げ、必ず生きて戻って来い」


 掛けられる激励にその場にいた兵士らは揃って敬礼する。ゲアハルトもまた敬礼を返し、解散となった。
 足早に去って行くゲアハルトの背を見送ると、周りは慌ただしく動き始めた。アイリスらもそれぞれ身支度を済ませて別働隊用に用意されている馬車に集合ということで一時解散となった。アイリスも足早に宿舎に戻り、部屋に駆け込むと室内は皆慌ただしく用意に駆け回っていた。


「アイリス!どうしよう、私最前線なの……!」


 部屋に入るなり、エマは顔を青くして駆け寄って来た。普段は笑みを絶やすことのない元気な少女だが、最前線に配置されたとなると、やはり平気ではいられないのだろう。特に、今回は初めての大規模戦線だ。緊張も普段の国境での小競り合いなどとは比べものにならないものだろう。現にエマの身体が縮こまってしまっている。


「大丈夫だよ。一人で戦うわけじゃないんだから……大丈夫、エマはちゃんと生きて此処に戻って来るよ」
「……アイリス」
「不安なのは皆一緒だよ。わたしだって怖いんだから」


 ゲアハルトの信頼や期待に応えたいと思っている。それは嘘ではなく、本心だ。けれど、それと同時にとても怖く感じている。ライゼガング平原の最奥まで侵入するのだ。味方はたったの三人であり、取り囲まれれば一溜まりもないだろう。もしかしたら、エマ以上に生きて帰って来れる確率は低いかもしれない。
 それでも、行きたくない、とは思わないのだ。どれだけ怖くとも、足が竦んでしまおうとも、自分で決めたことだ。出来ると信じてくれたゲアハルトに応えたい――それは、延いてはベルンシュタインの為になる。そして何より、自分の命を任せてもいいと思えるぐらい、信頼している仲間と共に行くのだ。だからきっと大丈夫、戻って来れる――アイリスは一つ頷くと、緊張ですっかりと冷えてしまっているエマの手を握った。


「でも、一緒に戦う仲間がいるんだよ。大丈夫、エマは一人じゃないんだから」
「……うん」
「辛くなったら、帰った時のことを考えて。そうだ、帰って来たら一緒に甘いものを食べに行こうよ」


 うん、とエマはこくこくと何度も頷く。目の端に涙を浮かべるエマのそれを指先で拭い、アイリスはそのまま手を引っ張って抱き寄せる。ぎゅう、と痛いぐらいに抱き締めて、少しでも自分の体温が彼女に移ればいいのにと瞼を伏せた。あまり時間はないことは確かだ。けれど、こんな状態の友人を放り出しておけるほど、アイリスは冷たくはないのだ。
 それから暫くして漸く落ち着いたエマはぐすりと鼻を鳴らしながら、「帰ったら、私のおすすめのお店を紹介するから、楽しみにしてて」と笑った。約束だよ、と小指を絡ませ、アイリスは用意を済ませたエマを見送った。そして、どうか交わしたこの約束が果たされますようにと祈った。
 用意を済ませて宿舎を飛び出した頃には、辺りは出撃の為の兵士で溢れ返っていた。そんな中を縫うように走り、何とか目的の馬車を見つけると、中には既にレックスらが乗り込んでいた。


「遅くなってごめんなさい!」
「いいっていいって。まだ来てない人もいるから」


 馬車に乗り込むなり、頭を下げるとレオは苦笑を浮かべながら自分の隣に座るようにぽんぽんと隣を叩く。促されるままに腰掛けると、向かい側に座っているアベルと視線が合った。そして、不意に「あ!」とアイリスは声を上げて立ち上がる。


「何?どうしたの?」
「アベル、ちゃんと酔い止め飲んだ?ほら、ベルトラム山に行った時……」
「あ……」


 飲んでない、とばかりにアベルは声を漏らした。すると、「お前、また酔うぞー」とレオは呆れたように溜息を吐き、前回その場に居合わせなかったレックスは意外そうにアベルを見ると「エルンストさんに薬貰って来た方がいいんじゃないのか?」と眉を下げる。つい先日まで風邪で寝込んでいたアベルは謂わば病み上がりの状態で出撃するのだ。そのこともあって三人が心配げな顔をすると、アベルは居心地が悪そうに眉を寄せる。


「心配し過ぎ……」
「アベルは無理するからこれぐらい心配して丁度いいんだよ。もう体調は平気なの?」
「平気だよ。あれからもう一週間以上経ってるんだから」
「それはそうだけど……あ、そうだ!わたし、メルケルさんに貰った薬を入れっぱなしにしていたような……」


 多分入れてあるはず、と荷物の中に手を突っ込んで目的の薬を探すと、すぐにそれは出て来た。中身を見ると、まだ丸薬がいくつも入っている。水と一緒に差し出すと、「……ありがとう」とぼそりと呟いてアベルは薬を口にした。何だかんだ言いながらも、やはり酔い止めは彼にとっては必要不可欠らしい。
 傍で見守っていたレックスとレオも安堵したらしく、「気分悪くなったら早めに言えよ」と口々に言う。掛けられる言葉にアベルはつんと顔を背けるも、黒い髪の隙間から見え隠れする耳は赤く、心配されて照れているのだということは目に見えて明らかだった。互いに顔を見合わせてアイリスらはこっそりと笑っていると、眦を吊り上げたアベルが彼女らの方を向き直った。


「何で笑ってるの」
「何でって……なあ?」
「丸見えというか……」
「アベルの耳、真っ赤だよ」
「……っ」


 アイリスが自分の耳を指差しながら伝えると、アベルは余計に顔を赤くしながらばっと両手で耳を覆い隠した。そんな彼の様子に笑いを催していると、「揃ったようだから出発するぞ」と馬車の御者役の兵士が声を掛けて来た。そして、馬車は緩やかに動き出す。これから数時間後には戦場なのだと思うと、やはり緊張してしまう。
 けれど、やるしかないのだ。一つ息を吐き出して自身を落ち着かせていると、「とりあえず、経路と手順の確認するか」とレックスが地図を取り出した。顔を突き合わせてそれを覗き込むと、これから自分たちがいかに重要なことをしようとしているのか、実感が湧いて来る。
 どうか成功しますように、皆で生きて戻れますように。そのことだけを切実に願いながら、アイリスはこれから自分たちが参加する作戦行動を確認した。馬車は速度を増し、小さく揺れながら進んでいく。幌の隙間から差し込むぎらつく陽光と入り込む熱を孕んだ風はまさに夏のものだった。














「報告します!」


 ゼクレス国の王城の一室。
 駆け込んで来た兵士はベルンシュタインが動き出したという報告を告げ、深く一礼すると足早に部屋を後にした。それを見送ったカサンドラはソファに腰掛けながら湯気の立つ紅茶に口を付ける。数時間後には戦端が開くというのに、彼女は常と何ら変わらず、紅茶を楽しんでいた。


「ついに、だね。ああっもう楽しみだね、カーサ!」
「そうね。けれど、貴方は少し落ち着いた方がいいわ」
「カーサが落ち着き過ぎなんだよ!ボクね、ずっとこの日を待ち侘びていたんだから!」


 落ち着いてなんかいられないよ、と少年はうっとりとした様子だった。そんな彼にカサンドラは笑みを零しながら、「ところで、ブルーノはちゃんと配置に付いたのかしら」と首を傾げる。今回、彼女が立案した作戦の全てはブルーノに掛かっているのだ。彼が失敗をしようものなら、ライゼガング平原での戦闘の意味はなくなる。尤も、その可能性も踏まえていくつもの作戦は織り込んでいる為、それら全てが破綻することは考え難い。それでも鴉を率いる第一皇子ヴィルヘルムの名代であるカサンドラにしてみれば、失敗は出来ないのだからたとえ杞憂だとしても、つい気になってしまう。


「恐らくは。失敗したとなれば、何らかの連絡があるはず」
「それもそうね。私たちは元々今回は高みの見物、何の滞りもなくいけばいいけれど……ゲアハルト司令官の策がどのようなものかにも因るから、最後まで分からないわね」
「大丈夫だよ、カーサ!少なくともヘルト砦に仕掛けたボクの策でベルンシュタインに損害を与えてやるから」


 そう言って先ほどから興奮し切っている少年はカサンドラに恍惚とした表情を向ける。彼女は微苦笑を浮かべながら、「あれは上手くいくかしら」と首を傾げながらカップをテーブルに置く。


「ボクの上手くいかないってカーサは思ってるの?」
「そうね。あの程度の策に引っ掛かるようならゲアハルト司令官の慧眼も曇ったということになるわね」
「酷いなあ……ボクは上手くいくと思ってるのに」
「ごめんなさいね。私も上手くいけばいいとは思っているのよ。けれど、私の知ってるゲアハルト司令官なら、まず間違いなく見抜くはず」


 カサンドラは唇を撓らせて笑みを作る。そんな彼女に拗ねた表情を向けながら、少年は唇を尖らせた。褒められるとばかり思っていたのに、正反対のことを言われてすっかりと臍を曲げてしまっている。そんな彼の表情に気付いたカサンドラは苦笑を浮かべながら優しい手つきで少年の頭を撫でる。


「ゲアハルト司令官は貴方が思ってる以上に凄い方よ。そんな方とこうして策の読み合いが出来るなんて、何という因果かしら」
「……カーサは楽しそうだね」
「ええ、とてもね。私かゲアハルト司令官か、どちらが勝つか……結果が出るのがとっても楽しみ」
「ボクはカーサが勝つと思うよ」
「そうだといいわね。さあ、紅茶を飲みましょう。アウレール、貴方もこちらにいらっしゃい」


 普段はブルーノに給仕をさせているものの、今日は彼がいないということもあって少年が給仕をしていた。慣れた手つきで淹れた紅茶をカップに注ぐと、紅茶の香りがふわりと香る。壁際に凭れかかっていたアウレールもテーブルへと近付き、紅茶を受け取った。今からまさにベルンシュタインとヒッツェルブルグの軍隊がぶつかり合うというにも関わらず、彼らの間に漂う空気は午後のひと時を楽しむそれだった。

 


121023

inserted by FC2 system