会戦 - secret mission -



「アイリス、起きろ。アーイーリースー」


 軽く肩を揺さぶられ、眠りに沈んでいた意識が浮上する。それと同時に視界に飛び込んで来たレオの顔にアイリスは目を見開き、咄嗟に距離を取った。そんな彼女の様子にレオは微苦笑を浮かべながら、「もう着いたから降りるぞ」と促され、馬車が停車していることに気付いた。
 王都ブリューゲルを出立した頃は明るかった空も今では橙色に染まっている。差し込む西日の眩しさに顔を顰めながらアイリスは馬車を降りると、凝り固まっていた身体を解すように筋を伸ばす。馬車に乗っている間に作戦行動の確認をした後、それぞれ仮眠を取ることにしたのだ。戦場に出ると、次はいつ休めるかは分からない。休める時に身体をしっかり休めなければ動かなければならない時に動けなくなってしまう。


「これからすぐに行くの?」
「ああ。オレたちが橋に辿り着くまでに他の橋や補給路も潰すから、それに気付いて警戒されるかもしれない。そうならない為にも出来るだけ早く進んでより奥に侵入しておきたいんだ」
「……他の第二の人たちのことも心配だもんね」
「……ああ。出来るだけ早く合流したいな」


 今回の工作任務は極秘のものだ。それも、帝国軍に対して極秘であるだけでなく、ベルンシュタインの内部においても極秘扱いになっている。同じ第二騎士団の団員には説明されているだろうが、その間、彼らは他の騎士団にこのことが漏れないように細心の注意を払わなければならない。
 また、アイリスらが抜けている間、戦力も半減している。故に第二、第三騎士団の出撃は後回しにされてはいるものの、それにも限度がる。出撃すれば、その人数の減り具合からすぐに別行動している者がいるということが知れ渡ってしまうだろう。つまり、この極秘任務には制限時間があるのだ。


「わたしたちが一番奥まで行くんだから、他の隊の人たちの方が戻るのは早いよね」
「そうだな。離脱経路も俺たちとは違ってる。早ければ、明日の昼には合流してるかもな……それで人数が誤魔化すことが出来ればいいんだけど」


 アイリスらを除く他の小隊は工作任務を終えると、それぞれ最短経路でライゼガング平原の陣に即時帰還する手筈となっている。だが、彼女らはゼクレス国近郊まで侵入することもあり、場合によっては帝国軍の兵士と交戦状態になる可能性も有り得る。無論、たった四人で帝国軍の主要植民地の兵士と戦うわけにはいかない為、帝国軍と遭遇することがあれば橋の爆破後、即時撤退してリュプケ砦方面に脱出することになっているのだ。
 とは言っても、仮に帝国軍に見つかることなく、任務を完遂出来たとしても、脱出経路はリュプケ砦方面と決まっている。侵入した経路を戻ろうにもそこは既に他の小隊によって道が分断された後なのだ。故に、アイリスらはリュプケ砦方面を経由してクラネルト川中流域の帝国領ライゼガング平原に向かうことになる。


「リュプケ砦には第八騎士団が国境連隊と共に布陣しているらしい。オレたちが帝国兵を引き連れて戻っても、尻拭いはばっちりというわけだ」
「引き連れて戻ることにならないといいんだけどね」


 ガストンが厳しい表情で待ち構えていることを考えると、つい微苦笑を浮かべてしまう。最近、鍛錬場でも顔を会わせることはなく、どうしているのだろうかと思っていたものの、レックスの口ぶりからは健在であることが伺えた。そのことにほっと安堵しつつも、頭の中で侵入経路と脱出経路、そしてリュプケ砦からライゼガング平原までの道のりを考え、そのあまりの長距離移動に顔を顰めた。


「橋から平原の陣にすぐに合流出来たら楽だったのに」
「まあな。でも、たった四人で突破できるほど帝国軍は甘くはない。突っ切ろうなんてしてみろよ、あっという間にぼろぼろに突き殺されるのが関の山だ。つまり、オレたちの隊だけはライゼガング平原で戦うことじゃなくてあくまでこの工作任務がメインってことだろ」


 レックスはそう言うと、目を通していた地図から顔を上げてにっと笑うと、地図を指弾した。「司令官も言ってたけど、無理せず最善を尽くそうぜ。橋を爆破して、帝国兵に吠え面掻かせてやるんだ」と彼は悪戯っぽく笑った。その常と変わらない様子にアイリスは安心感を覚えつつ、そうだねと頷いた。
 本隊のことを思えば、心配は募る。けれど、場所がそもそも離れているのだからこの場から彼らに対して何かするということは出来ない。最前線に立つというエマのこともやはり不安だが、信じるしかないのだ。自分に出来る最善のことを、自分が今いる場所でするしかない。それがアイリスにとってはレックスらと一緒に橋を落とすことであり、ライゼガング平原で戦う本隊のことを信じるということだった。


「馬連れて来たぞー」


 経路を確認しておこう、とレックスの手元の地図を覗き込んでいると、唐突に背後からレオの声が聞こえて来た。彼の言葉に振り向くと、そこには二匹の馬がいた。ベルトラム山での戦闘と同様だろうとばかり思っていたアイリスは移動手段として馬が連れて来られたことに驚いた。
 目を瞬かせる彼女にレオの隣に立って手綱を握っているアベルは「歩いて行ったら何日掛かると思ってるのさ」と呆れかえっていた。言われてみれば確かにそうであり、アイリスはうっと言葉を詰まらせて恥ずかしさに頬を紅潮させた。そんな彼女にアベルはあからさまな溜息を吐いた。


「アベル、お前そうやってすぐに人を馬鹿にするの、止めろよな」
「別に馬鹿にしてなんかないよ。何で分からないんだろうって思っただけ」
「はいはい、喧嘩は終わり。用意が出来たならさっさと行くぞ」


 睨み合うレオとアベルの間に入ったレックスは慣れた様子で二人を引き離し、馬の背に積んでいる袋の中身を確認する。その中には今回の工作任務で用いる火薬が詰め込まれていた。今回、アイリスらが爆破工作する橋は特に大きい部類の橋ということもあり、その火薬の量は少なくない。また、火薬を補助する為に魔法石が詰まった袋も馬の背に積まれていた。
 魔法石とは、魔力に反応する石のことであり、魔力を与えることによって反応する。許容量内の魔力であれば、石は光り、明かりの代わりにすることも可能だ。だが、今回は許容量を超える魔力を与えることによって爆発させることを目的として使用されることとなる。魔法石の爆発との相乗効果でより強く火薬を爆発させるのだ。


「これだけあれば崩せるだろうな、恐らく」
「実物を見てみないと何とも言えないけどね」
「お前は本当に……ああ言えば、こう、」
「はい、終了。確認も済んだから行くぞ」


 レックスは苛立たしげに口を開いたレオを遮り、慣れた様子で馬に乗った。そんな彼にレオは口をへの字に曲げながらもう一匹の馬に近付き、アイリスを手招きした。


「アイリス、一緒に乗ろう。馬に乗ったことはある?」
「何度か乗ったことはあるんだけど……」



 乗馬経験は決して豊富とは言えず、馬を自在に操ることが出来るかと言われれば答えは否だ。しかし、レオは気にした様子もなく、「そっかそっか」とだけ言うと、ぽんぽんとアイリスの頭を軽く叩く。大丈夫とばかりのその手に安堵しつつ、促されるままに馬の鞍に手を置く。しかし、馬の背というものは案外高く、慣れていなければ登ることも一苦労だ。案の定、悪戦苦闘するアイリスにレオは小さく笑う。


「わ、笑わないでよ!」
「ごめんごめん。ちょっと意外だったからさ」
「意外?」
「オレの中では、アイリスは何でもすぐに出来ちゃう子だったから乗馬経験がなくとも乗るぐらいはすぐに出来ると思ったんだ。だから意外ってこと。ほら、鞍をちゃんと持って」


 促されるままに鞍をしっかりと握ると、レオの手がアイリスの腰を掴んだ。そしてそのまま軽々と持ち上げられ、容易に馬に乗せられてしまう。あまりにもあっさりと乗せられたこともあり、きょとんと目を瞬かせていると「それじゃあ俺も乗るから」と声を掛けられるも、その声が耳に届くと同時にレオの背中が視界一杯に広がった。


「あ、ありがとう、重かったよね」
「全然平気。鍛錬嫌だーっていつも言ってるけど、これでも軍人として鍛えてるから」


 目の前に迫ったその背中は思っていたよりもずっと逞しく広かった。普段、あまり意識していないものが目の前に迫り、どうしたらいいのかと内心慌てていると、「出発するぞ」とレックスの声が聞こえる。声が聞こえて来た方を見遣ると、馬の手綱を握っているレックスとそんな彼の後ろに座っているアベルが視界に映った。
 馬車は酔い止めが利いて何とか大丈夫だったアベルだが、今度も大丈夫なのだろうかと努めて別のことを考えて意識を逸らしていると、レックスが馬の横腹を蹴り、ゆっくりと馬を走らせ始めた。


「それじゃあオレたちも行くよ。アイリス、落ちないようにちゃんと掴まってて」


 肩越しに振り向いたレオはそう言うなり彼女の手を取り、腰に腕を回させる。しっかりと掴まったことを確認してから、「怖かったら遠慮なく言って」とだけ言うと、レックスと同じように馬の横腹を軽く蹴って馬を走らせ始める。最初はゆっくりだったものの、次第に速度を増していく。馬車とは違い、風を生身で感じ、目線もいつもよりも高い。慣れればどうということはないが、落ちたら痛いどころでは済まないだろうなと考えてしまうと、周りを見る余裕は急激になくなる。自然とレオの腰に回している腕にも力が入った。


「どうした?」


 それに気付いたらしいレオは腰に回されているアイリスの手に触れ、とんとんとその手を軽く叩く。馬の蹄の音の方が大きいというのに、不思議と彼の声は耳に届いた。「怖い?」と問うその声にアイリスは考えていたことをそのまま伝える。すると、レオは肩を震わせて笑いを噛み殺し始めた。


「笑いすぎだよ……」
「ごめん。アイリスが落ちる時はオレも一緒に落ちるのに一人で落ちる気だったから、つい」


 アイリスの腕はレオの腰に回っている。ならば、後ろに乗っている彼女がバランスを崩して落馬したなら、その腰に掴まられている彼も同様に落馬するのが道理だ。責任重大だ、とばかりに顔を青くするアイリスはそろりとレオの腰に回していた手を離そうと力を緩める。けれど、その手が離れる前にぎゅう、と痛いぐらいにレオに手を握られる。


「平気だよ。絶対大丈夫。アイリスが落ちるような荒いことはしないから」
「……でも」
「いいから。それか、前に乗ってくれてもいいけど」
「……このままでいい」
「そっか、残念」


 さすがにレオの前に乗るのは恥ずかしく、アイリスは改めてレオの腰に回している腕に力を入れた。それでも、彼女の手を握った手は離れない。そんなに心配しなくても落ちないように気を付けるのに、と思うものの、何も言わずにされるがままになる。
 そうっと顔を上げると、覆い茂る木々の隙間から橙色の空が見え隠れしている。もう少しで陽も沈むだろう。今頃、本隊はどの辺りだろうかと考えながら、思ったことは誰も失うことなく、この戦いが終わることだった。誰も失うことのない戦いなどあるはずもないとは頭では分かっていても願わずにはいられない、祈らずにはいられない。アイリスは瞳を伏せ、ただただ、それを願い、祈り続けた。

 

 

121025

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