会戦 - secret mission -



 王都ブリューゲルを出立した翌朝、ベルンシュタインの国軍本隊がクラネルト川中流域を越えて帝国領ライゼガング平原に侵入した。殆ど休みなく行軍したこともあり、兵士らの顔にも疲れの色が浮かんでいる。しかし、休憩している暇はなく、慌ただしく陣の設営の為に動きまわっていた。
 そんな彼らを横目に一足早く設営された陣の中、ゲアハルトはうんざりとした表情を浮かべ、目の前にいる第十騎士団団長のベーデガーを見た。そんな彼の表情にベーデガーは顔を顰め、「ご納得頂けるまで、何度でも申し上げますが」と口を開く。


「此度の布陣は間違っている。このような場所に布陣しては我が軍が弱腰になっていると思われてしまう」
「だから、それがどうした。元々、会議の際にもこの地に布陣することは説明済みだ。文句があるならその時に言えばよかっただろう」
「それは……、こんなにも帝国軍本隊との間に距離があるとは思いもしなかったからです!」
「そんなことを俺に言われても困る。それは貴殿の勉強不足というものだろう、違うか?」
「……っ」


 羞恥にさっと頬を紅潮させるベーデガーにゲアハルトはあからさまな溜息を吐く。急にこのようなことを言い出したのは、恐らくは何かしらの手柄を上げたいが為だろう。当てにしているルヴェルチがどういうわけか派閥の人間であるベーデガーや第十一騎士団のエメリヒらに協力的でなくなったことがその原因だろうと彼は予想していた。
 普段通りならば、事あるごとに三人でゲアハルトの足を引っ張っていたのだが、その中心人物であったルヴェルチは掌を返したように何も言わなかった。そのことがやはり気がかりであり、何かするつもりなのではないのかと思案していると唐突にテーブルを力強く叩かれる。


「……まだ何かあるのか?」
「ですから、このようなところに布陣するのではなく、ヘルト砦を落とせばいいでしょう!今後の足掛かりにも出来ます。報告によると、あの砦は無人なのです。落とすことも容易い」


 何より、砦を奪取したとなれば兵士の士気も上がり、こちらも野営などしなくて済む。陛下の為にもその方がいい。
 そのように言い募るベーデガーをゲアハルトは苛立ちを込めた目で見上げる。しかし、その視線には気付かずにベーデガーは口を動かし続ける。たとえ無人の砦であろうとも“砦を落とした”という手柄を立てたいらしい。この様子からもルヴェルチはベーデガーやエメリヒと手を切ったことが伺える。
 しかし、何よりもゲアハルトを苛立たせたのは、ホラーツの為と言いながらも自分の為、自分の保身しか考えていないこの言動だった。


「……では、聞こう。ヘルト砦は何故、無人なのか」
「それは、……帝国軍は我が軍に恐れをなし、」
「ならば、帝国軍は降参するだろう。戦争などする必要がない」
「……しかし、」
「それでは、もう一つ。何故、帝国軍はベルンシュタインに近いヘルト砦に布陣しないのか」
「……」


 ベーデガーは口を開くも言葉が出ず、悔しげに唇を噛み締める。その様を冷えた目で一瞥し、何故この男が騎士団の団長職に就いているのだろうかとゲアハルトは溜息を吐きたくなかった。恐らく、ルヴェルチが傀儡に出来る男を適当に選んで団長職に就けたのだろうと考え、柳眉を寄せる。
 すると、頃合いを見計らったかのように「司令官、ちょっといい?」と陣にエルンストが入って来た。そして、ゲアハルトと向き合うように立っているベーデガーを一瞥するなり、僅かに目を細めて「話し中だった?」と首を傾げる。


「いや、大した話ではない」
「な……っ」
「そう?ならいいんだけど。クラネルト川全流域に水中花の設置が完了したって」
「そうか」
「それで、二人は何の話をしてたの?」


 興味深々だと言わんばかりの様子を装い、エルンストが尋ねて来る。ゲアハルトはそんな彼を一瞥し、溜息混じりに「貴重なご意見を頂戴しただけだ」と先ほど、ベーデガーが口を酸っぱくしてヘルト砦を落とすべきだと進言したことを話す。
 それまで口を閉ざしていたベーデガーはゲアハルトが話し終えると同時に、「シュレーガー殿もヘルト砦を落とすべきだと思うでしょう!」と早口に言う。何とか味方を付けたいといったその様子にエルンストは一瞬噴き出しかけ、ゲアハルトは呆れて何も言えないとばかりに溜息を吐く。自分とエルンストが懇意にしているということを、ベーデガーも知らないはずがないのに、よくもそういうことが言えたものだ、と。


「落とす必要なんてないと思いますけど、俺も」
「な、何故!このような地に布陣するよりも余程、」
「ヘルト砦に布陣した方が余程攻めやすいのは俺たちでなく、あくまで帝国軍ですよ。あの砦を足掛かりにベルンシュタインを攻める方が距離も近い。それなのに、そんな砦を捨ててもっと奥に陣を置いている辺り、何かしらヘルト砦に仕掛けられていると考えた方がいい」


 それは先日から予想していたことだ。ヘルト砦はベルンシュタイン攻略の為の要衝になり得る砦だ。それを何の仕掛けもなく、捨てるとは思えない。エルンストがそれを指摘するも、ベーデガーは尚も言い募ろうとする。諦めの悪い男だとゲアハルトだけでなく、エルンストも呆れる。


「そんなに手柄を立てないなら、貴殿に一つ任務を任せる」
「に、任務?」
「ああ。ヘルト砦を爆破して来い。エルンストが言うように、あの砦には何かしらの仕掛けが施されている可能性が高い。疑わしきは罰せよ、だ」
「司令官、それを言うなら疑わしきは罰せず、でしょ。普段は法順守のくせにこういうときは過激になるんだから」


 エルンストは苦笑いを浮かべながら言うも、「何を言い出すんだ!」とベーデガーは顔を真っ赤にして言う。任務と言われたが為に気を引き締めれば、彼の望むこととは正反対のことを命じられたのだ。憤慨するベーデガーを冷やかに見つめ、ゲアハルトは言い募る。


「ヘルト砦を足掛かりに帝国を攻めるつもりはない。我々が帝国を、帝都を攻める時に足掛かりにするのはゼクレス国だ」
「……し、しかし、……」
「何だ、まだ何か必要か?ならば、ヘルト砦を爆破する大義をやろう。そうだな……じゃあ、行軍に邪魔だから爆破して来い」
「じゃあって、司令官……それはあんまりだよ。お粗末過ぎる」
「だったらお前が考えてやれ。俺はこんな下らない問答をしている暇はない」


 溜息混じりに口にしたゲアハルトは話は終わりだとばかりに椅子から立ち上がる。だが、ベーデガーもここで引き下がるわけにはいかず、「ヘルト砦は落とすべきです!」と尚も言い募る。


「陛下の為にも、このような野営ではなく、しっかりとした砦の方が、」
「黙れ、ベーデガー」
「……っ」


 底冷えするような声音だった。突き付けられた言葉は刃のようで、ベーデガーはひっと小さく喉を鳴らす。向けられる視線には殺意すら混じっているようで、目を逸らしたいのにそれすら許されず、明るい青の瞳から目を離すことが出来ない。


「陛下の御為?違うだろう。貴様は陛下の御為だと言いながら、自分のことしか考えていない。ルヴェルチに捨てられたことが余程不安だったのか?だから自分で手柄を立てようとしているのだろ?」
「……それは、」
「自分の汚い欲の言い訳に陛下を出すなど、無礼にも程がある。……エルンスト、第二から二個小隊をヘルト砦爆破に回せ。どの部隊でもいい」
「了解」
「ベーデガー、そんなに手柄を立てたいなら、最前線に出ればいい。……尤も、貴様に最前線に立つ勇気があるならの話だが」


 それだけ言うと、ゲアハルトは足早に陣を後にした。他にもしなければならないことは多くある。苛立ちは相変わらず消えないものの、いつまでもベーデガーのことばかりを考えているわけにはいかない。
 クラネルト川全流域には水中花を設置している。別働隊を動きやすくする為にも出来るだけクラネルト川寄りに帝国軍を引き付けなければならず、そこから撤退した時にそのままベルンシュタイン領に侵入されることを防ぐ為に設置されている。一度使った手ではあるものの、恐らくは攻略されていないだろうと踏んでのことだ。
 上手くいけばいいが、と考えつつ、ホラーツの様子を見に行く為に彼のいる陣へと歩を進める。辺りは相変わらず慌ただしく動き回っているものの、ゲアハルトの姿を見れば誰もが手を止めて敬礼する。それらに手を上げて応えていると、不意に視界の端を黒い影が掠めた。咄嗟にそちらに振り向くも、そこには何もいない。僅かに眉を寄せていると、「如何されました?司令官」と近くで作業をしていた兵士に声を掛けられる。


「いや……そこに今、何かいなかったか?」
「え?いえ……特に何も見ていませんが……」
「……そうか。悪かったな、作業に戻ってくれ」


 兵士はゲアハルトに一礼すると、また作業に戻って行った。それを見送り、ゲアハルトは何だったのだろうかと考えながら、一際大きな本陣へと足を踏み入れた。状況や作戦行動などについて話さなければならないことは多くある。それらのことを考えつつ、ゲアハルトは内幕の中にいるホラーツに声を掛けた。



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