簒奪者 - disperse -



「一体どういうつもりなの、シリル!」


 国葬を終え、別室に移動したキルスティは開口一番に金切り声をあげた。シリルは「別に良いではありませんか、母上」と対して気に留めることなく、自身に付けられていた過剰とも言える近衛兵らに下がるように指示を出す。その部屋に残ったのはシリルとキルスティ、そしてルヴェルチの三人だった。
 椅子に腰かけたシリルに対し、ルヴェルチは用意されていた茶器を使って給仕するが、キルスティは腹の虫が収まらないらしく、眦を吊り上げて声を張り上げるばかりだった。


「良いはずがないでしょう!あのような小娘の何処がいいというの、貴方はこの国の王になるのよ?もっとふさわしい、高貴な女性を娶らなければならないのよっ」
「正妃は母上のご指示通り、貴族の人間を迎えますからご安心を。ですから第二妃ぐらい私が好きに選んでもいいでしょう」
「第二妃ですって!?」


 とてもではないがそんなものは認められないとばかりにキルスティは目を剥いてシリルに詰め寄る。しかし、憤る母親を横目に彼はルヴェルチが淹れた紅茶に優雅な所作で口を付ける。温度差がありすぎる両者の態度を前にルヴェルチは黙々と茶を淹れ、それをそっとキルスティの前に置いた。
 しかし、ルヴェルチを気にする余裕などない彼女はシリルに対して「第二妃なんて認められるわけないでしょう!」と信じられないものを見るような目を向ける。


「何故認められないというのです、母上」
「第二妃なんて必要ないからよ。そのような存在があれば王位継承権の問題が出てくるかもしれない、国を乱す火種にしかならないのよ」


 然も当然のようにキルスティは言う。それをシリルは冷めた目で見ていた。よくそんなことが言えたものだ、とそう思ったのだ。少なくとも、彼女にそのようなことを言う資格はないと彼は思った。ホラーツの第二妃として迎えられたレオの母親に対し、辛く当たって彼女を死に追い込んだのは他の誰でもなくキルスティだということをシリルはよく知っていた。
 第二妃を迎えることは、確実に世継ぎをもうける為には必要な存在と言えた。確かに下手をすれば国を乱す火種にもなりかねないという一面はある。しかし、国の存続という観点から見れば、正妃以外にも国王は妻を娶るべきでもあった。だからこそ、ホラーツはレオの母親――アウレリアを第二妃に迎えた。


「シリル、貴方なら分かってくれるでしょう?あんな売女の息子に兄と呼ばれた上、あんな子が王継承権を持っているだなんて屈辱以外の何物でもないって。そんな思いを貴方の子にさせたくはないでしょう?」


 言い募りながらキルスティは腫れているシリルの頬に眉を下げ、そっとそこに触れる。ぴりりと走る痛みに柳眉を寄せながら彼は口を閉ざしていた。自分に対して言ってはいるものの、彼女のそれは実際にはキルスティ自身の思いを吐露しているに過ぎないとシリルは感じていた。
 押し付けられるそれらをシリルは頬に触れる手ごと振り払い、「要は子さえ生まれなければいいのでしょう?」と溜息混じりに言う。しかし、キルスティは「駄目よ!」と声を荒げ、シリルの手を取ると痛いぐらいに握り締めた。


「子が生まれようと生まれなかろうと、あの小娘だけは駄目よ」
「何故です、母上」
「あの小娘はコンラッドの養女じゃない。クレーデル家の人間なんて駄目よ!あの売女の、アウレリアの後ろ盾だった家の娘なんて貴方にはふさわしくないのよっ」


 シリルの手を握り締めながら必死の形相で声を荒げるその様はあまりにも異様だった。鬼気迫るその様子にシリルは僅かに後ろに身体を引くと、それを見計らったかのように扉が控えめにノックされた。ルヴェルチが応対に出ると、どうやらキルスティを呼びに来たらしい話が聞こえて来る。
 彼は密かに安堵の息を吐き出した。痛いぐらいに握り締められた手からするりと自身の手を抜き出すと「誰かがお呼びのようですよ、母上」とキルスティの退室を促す。彼女はその言葉に不快げに眉を寄せながらも、ルヴェルチが侍女から言付かった伝言を耳打ちすると、キルスティは致し方ないとばかりに溜息を吐いた。


「シリル、とにかくあの小娘を妃に迎えることは許さないわよ。貴方は私が選んだ名家の御令嬢と結婚すればそれでいいの。それで全て上手くいくのだから」


 それだけ言うと、キルスティは足早に部屋を後にした。こつこつと響く靴音が徐々に遠のき、完全に聞こえなくなったところで漸くシリルは重々しい息を吐き出した。
 昔から何もかもを押し付け、それが正しいのだとキルスティは言い張っていた。シリル自身、自分で何かを決めるということが億劫だったということもあり、全て頷いて来た。だからこそ、今回のような彼女の意に沿わない行動をしたのは初めてのことであり、正直なところ、とても緊張していた。
 いつの間にか握り締めていた拳を解くと、薄らとそこは汗ばんでいた。それを取り出したハンカチで拭いながら、もう一度深く溜息を吐き出す。肺に溜まっていた空気を全て入れ替えるように深い呼吸を繰り返し、幾分か落ち着いたところでシリルは「これでよかったのだろう、ルヴェルチ」と未だ部屋に留まっている彼に声を掛けた。


「ええ、勿論。予定通り、レオ殿下はシリル殿下に手を挙げた、後ろ盾もありませんから王位継承権を剥奪することも容易かと」
「そうか」
「……しかし、意外でした。あの娘を妃に迎えようなどと仰るとは」


 私はそこまでお頼みした覚えはありませんでしたので。
 ルヴェルチはそう言いつつ、キルスティと話しているうちに冷めてしまったシリルの紅茶を下げ、新たに淹れ直し始める。それを横目に彼は柳眉を寄せながら「ただの気まぐれだ」と呟いた。
 シリルはキルスティには内密でルヴェルチとある取引をした。それはレオの王位継承権を剥奪する為のものであり、その提案としてルヴェルチはアイリスの存在をシリルに教えた。予てより、ルヴェルチはレオだけでなく、ゲアハルトやエルンストの周囲を探っていたのだという。そして、ルヴェルチはレオに近しい女の存在に気付いたのだとシリルに話した――それがアイリスだった。


「あの娘にちょっかいを出せば、レオ殿下も黙ってはいないはずとお教えしましたが、気まぐれにしては」
「くどいぞ、ルヴェルチ。貴様の望みも同時に叶えてやったんだ、有り難く思え」


 ルヴェルチはアイリスの存在を教える条件として、彼女の身柄を手元に置きたいのだということを口にした。それがどうしてかまではシリルにも分からないが、やはり気に掛かる。しかし、聞いたところで素直に理由を口にするような男にも思えなかった。また折りを見て問い質せばいいだろうとシリルは小さく息を吐き出した。
 近衛兵団の所属となればアイリスは嫌でも城に留まらなければならなくなる。つまりは、手元に置いておきたいというルヴェルチの条件も満たしたのだ。後は自分を殴ったことを理由にレオの王位継承権を剥奪すれば、シリルの願いは達成される。とは言っても、いくら理由はあっても簡単に王位継承権を剥奪することは出来ない。手順を踏まなければならないのだ。しかし、レオに後ろ盾はなく、頼みの綱であるエルンストもさすがにすぐに動くことは先ほどの周囲に止められている様子を思い返せば無理だと思われる。
 こんなに上手く事が進むものなのかと頭の片隅で考えていると、「ええ、勿論。殿下には感謝しております」とルヴェルチは淹れ直した紅茶を差し出し、頭を垂れる。その丁寧な所作が胡散臭く見え、シリルはその様を鼻で笑う。感謝など本当はしていないくせに、と。


「だからこそ、一つ忠告を差し上げます。あまりあの娘には関わられますな」
「どういう意味だ」
「そのままの意味で御座います。殿下があの娘に構われると、キルスティ様がお怒りになるでしょう」
「……母上がアイリスに辛く当たる、と言いたいのか。そうだろうな、アウレリア様の時のように辛く当たるだろう」
「そうなっては困るのですよ、殿下。あの娘に死なれるわけにはいかないのです」
「……貴様、何を考えている」


 その声音は切実な響きがあり、シリルは柳眉を寄せた。ルヴェルチが何をしようとしているのか、何を目的に自分やキルスティに近付いて来たのかは知れない。ある時、突然、自分を次の国王に推すと言って近付いて来たのだ。ルヴェルチのことはシリル自身、よく知らなかったがゲアハルトによって失脚に追い込まれたということは知っていた。だからこそ、自分に近付いて来た理由は自身の復権だろうと彼は考えていた。彼は国王の座に興味はなく、ホラーツの様子を見ていても死期などまだまだ先だろうと考えていたのだ。しかし、父親は呆気なく死んだ。そして、国王の座は突然目の前に迫って来た。
 全てルヴェルチが仕組んだことのように思えてならない。だが、彼一人の手で国王殺しなど完遂することが出来るのだろうか――シリルにはそれが気になって仕方なかった。そして何より、ルヴェルチがこれから成そうとしていること、つまり自分の即位とアイリスの存在がどのように関係してくるのかが分からない。
 自分の知らないところで何かが確実に動いているのだということだけは確かだった。そしてそれに恐らくはアイリスが関わっているのだろう。だからこそ、ルヴェルチはアイリスを自身の手元に置くべく、自分に彼女の存在を教えたのだとシリルは考えていた。そして、彼もまた、自分自身の願いの為に彼女の存在を利用したのだ。


「私の考えていることは殿下の即位のことだけで御座います」
「どうだかな。……まあ、いい。だが、貴様の指示には従わないぞ、ルヴェルチ。私はアイリスが気に入った」
「殿下、それは」
「私に手を上げようとする女など初めてだ。母上が宛がってくる女はどいつもこいつも正妃の座が欲しいだけ、言い寄られるのも飽きた」


 あのような勝気な女は初めてだ、と付け足せば、目に見えてルヴェルチは顔を顰めた。余程、彼女の存在は彼にとって重要らしい。それが何故かはやはり分からないままだが、シリルとしてもこのままキルスティやルヴェルチの掌の上で踊るつもりはないのだ。 ルヴェルチが自分のことをどう思っているのか、周囲の評価がどのようなものであるのか、シリルは知らないわけではない。愚かな人間だと、政に興味のない、芸術にばかり傾倒している盆暗だと嘲笑われているということは知っていた。しかし、だからといってその印象を塗り替える気もシリルにはなかった。
 自分がどのように言われていようが、それはどうだっていいのだ。シリルにとって大切なことは、ただ一つのことだけだ。それを成し遂げる為に、ルヴェルチと取引をしたのだ。だが、まさか自分がアイリスを気に入るとは思いもしなかった。エルザの護衛に就いていた彼女を見た時は、然程何も思わなかったのだから驚きは一入だった。
 ただ、あの紫の瞳だけは印象的だった。あの色と同じ瞳を持つ者を知っていたからだ。しかし、シリルの知る者の瞳はもっと力強く輝いていたように思え、アイリスのものは傷つき、どこか澱みが見え隠れしていたように思えてならなかった。ゲアハルトやレオが目の前で捕縛されたからだろうかとも思ったが、それよりも前からあの瞳は澱んでいたようだった。


「……紫の瞳、確かギルベルトも紫だったな」
「ギルベルト……ああ、シュレーガー家の。しかし、彼は二年ほど前に亡くなっていますね」
「ああ。アイリスの目を見ると、あいつのことを思い出した。よく似た色をしているからな」


 二年前、エルンストの兄であり、シュレーガー家の後継ぎだった男が死んだ。彼と婚約していたエルザの悲しみようは決して忘れることは出来ない程のものだった。彼女も思い出しているのではないのだろうかと思いつつ、シリルは息を吐き出した。
 色々なことがあり過ぎて、どうにも身体を重く感じる。今日はもう部屋で休もうかと思う反面、楽器や絵筆に触れたいようにも思う。しかし、今はそれ以上に考えなければならないこともあり、シリルは何とも言えない表情になった。今更ながら、自分らしくないことをしようとしていると思ったのだ。常ならば、まず面倒事を避け、決して政に関わろうとは思わない。だが、今は自分から関わろうとしているのだ。しかし、それはこの国に生きる全ての民の為のものではなく、限られた少数の為のことだ。
 誰にも知られてはならない、気付かれてはならない。自分一人で成し遂げなければならないのだ。自分に出来るだろうか――その不安で胸がいっぱいになる。何かをしようなどと、しなければならないと、そんな風に思ったことなど今まで殆どなかったのだから。


「では、殿下。私はこれにて失礼致します。やらねばならないことが、」
「待て。……ルヴェルチ、私は貴様を代理執政官に任じた。この国の政は貴様が取り仕切ればいい。……だが」
「……何でしょう」
「レオとゲアハルトはまだ殺すな。父上の喪に服さなければならないというのに二人を殺したとなれば、私の印象が悪くなる」
「分かっております、殿下。先ほども申し上げましたが、私は貴方様をこの国の王に押し上げるのです。貴方様が不利になるようなことは致しません」
「ならばいい」


 下がれ、と言うと、ルヴェルチは頭を垂れて足早に部屋を後にした。扉が閉まり、靴音が遠のいたことを確認したシリルは深々とした溜息を吐き出した。そして、誰もいないことをいいことにテーブルに突っ伏してしまう。ひんやりとしたテーブルで未だ痛みの残る頬を冷やしながらじとりと汗ばんだ手を開く。
 緊張した。慣れないことをした所為だ、と掌を拭きながら溜息を吐く。しかし、慣れないからと逃げるわけにはいかないのだ。シリルはテーブルから起き上がると、既に香りの飛んでいる紅茶へと手を伸ばし、唇を付ける。しかし、一口飲んだだけでそれをソーサーに戻し、眉間に皺を寄せる。


「……不味い。紅茶もまともに淹れられないのか、あいつか」


 小さく舌打ちすると、シリルは椅子から立ち上がった。そして、自室へと戻るべく扉に歩み寄る。考えなければならないことは多くある。だが、少しぐらいは父の死の感傷に浸ってもいいだろうと思いつつ、活気のない、静まり返った廊下を歩き出した。



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