崩壊 - the fall -



「どういうことだよ、カサンドラ。定刻までは自由にしてていいはずだろ?」
「事情が変わったのよ」
「予定は未定って知ってる?ブルーノ」
「うるせっこのガキ!」


 月が昇り始めた頃、鴉の面々は定刻ではないにも関わらず、カサンドラによって招集されていた。定刻まで惰眠を貪ろうとしていたブルーノは酷く機嫌の悪い様子であり、そんな彼にカインは溜息混じりにブルーノもうるさいよ、と間髪入れずに言い返すが、「両方うるさいわよ」とカサンドラがばっさりと二人を切り捨てる。二人は物言いたげに彼女を見るも、落ち着けとばかりにアウレールに肩を叩かれてしまう。結局のところ、口を閉ざすしかない二人は互いに顔をふいと背ける。


「そもそも何で緊急招集なんて事態になったんだよ」
「ルヴェルチ卿から知らせが届いたのよ。シリル殿下と正妃様から真夜中の呼び出しを受けたって」
「何だよ、それ。今夜お前を始末するって見え見えの呼び出しじゃねーか」
「だからボクらが呼び出されるんだよ、馬鹿なの?ブルーノは」
「んだと、」
「やめなさい。カインも挑発するようなことを言わないの」


 ブルーノもそれぐらい流せるようになりなさい、とカサンドラはぴしゃりと言い放つ。それに対して彼は言い返そうとするも、「やめときなよ」というアベルの控えめな制止を受けて舌打ちするに留まった。これから自分たちの進退が掛かった行動に移るというのにこのような状態で大丈夫なのだろうかという不安が過るも、考えるだけ無駄かとカサンドラは溜息を吐く。
 元々、鴉に属している人間に協調性などあってないようなものだ。共通の目的があるわけでも、性格的に似通った者が集められているというわけでもない。単純に能力的な部分だけを買われて属しているに過ぎないのだ。だからこそ、鴉を束ねるヴィルヘルムに対して恩義がある者や帝国に忠誠を誓っている者もいるが、そうでない者もいる。要は性質の悪い者の寄せ集めなのだ。
 それを再認識しながら、カサンドラはそれぞれの顔を順繰りに見た。部隊として編成されてはいるものの、今までは単独任務ばかりだったのだ。いざこうして全員で出撃するのだと思うと、上手く作戦通りに行動出来るのだろうかとさすがの彼女も不安に思う。協調性がないだけでなく、カインの気まぐれなど不確定要素が多すぎるのだ。


「もう一度言っておくけれど、アイリス嬢は見つけ次第捕縛。多少の怪我を負わせるぐらいは構わないけれど、殺しちゃ駄目よ。分かってるわよね、カイン」
「分かってるよー……」
「どうだかな。お前、俺が止めてなかったら止めを刺してたろ」


 先日、カインが単独行動を取ったことはブルーノが彼を連れ戻したことで知った。まさか勝手に動くとはカサンドラも考えていなかったのだ。その原因は、アベルが隠れ家を抜け出したことにあったものの、下手をすればアイリスは死んでいたのだ。彼女の生死自体はそれほど気にはならないが、アイリスに託されているであろうコンラッド・クレーデルが隠した白の輝石の研究内容への手掛かりが失われてしまっていたかもしれない。
 それを思うと、先のカインの行動は決して許されるものではない。しかし、その罰を与えようにも、カサンドラが彼を呼び出した頃にはカインの片目は弟と同じように失われた。話を聞けば、自分自身の手でナイフを使って潰したのだという。その話をカインは酷く嬉しそうに語っていた。
 さすがに自分の目を潰した彼にそれ以上の罰を与える必要性は感じられず――尤も、彼はそれを罰とは思っていないが――それを罰として、カサンドラは注意と二度目はないという警告を与えて処罰を終えたのだ。だが、二度目はないということをカインが本当に理解しているかどうかは知れない。いざとなれば、アイリスを前にすれば、彼はまたナイフを手に彼女を殺そうとするかもしれない。
 アイリスの何がそこまで彼を駆り立てるのかは知れない。だが、今回ばかりは殺させるわけにはいかないのだ。何とかして鉢合わせしないように配置しなければと思うものの、混戦が予想されることもあって上手く行くとは限らない。カサンドラは内心溜息を吐きながら、口を固く閉ざしているアベルへと視線を向けた。


「アベル、ちゃんとカインを見張ってて頂戴」
「……分かってるよ」


 それだけ言うと、アベルはふいと顔を背けてしまう。カインとはまるで違う、酷く塞ぎ込んだその様子に本当に連れ出して大丈夫だろうかという不安もあった。しかし、彼を一人にして勝手な行動に出られても困る。ならば、連れて行くしかないのだ。
 顔を背けているアベルの横顔を見るだけでも、彼がベルンシュタインに対して何か思うところがあるということは見え見えだった。しかし、それを指摘したところでアベルはそれを認めないだろう。だが、潜入中、仲間として共に行動していたアイリスらを前にして、彼が戦えるかどうかは怪しいところではある。潜入するには、仲間を裏切るには、あまりにも彼は優しすぎたのだ。


「待機させてる部隊も既に動き始めてるわ。王城でのルヴェルチ卿とシリル殿下らのお話が始まるまでに間に合うかは分からないけれど、私たちがすることに変更はなしよ」
「白の輝石を奪って王家の人間を皆殺しにしてルヴェルチさんも殺してあの女を誘拐すればいいんだよね?あ、でも王女様はカーサが殺すんだよね」
「そういうことよ。でもね、どんな事態になるか分からないんだからちゃんと指示に従いなさい、カイン」
「分かってるよー……」


 どうかしら、と溜息混じりに呟きつつ、カサンドラは顔を上げる。何はともあれ、事態は動き始めたのだ。ならば、今からああだこうだと指示したところでどうしようもない。動き始めた事態に合わせて、自分たちが成し遂げなければならないことを成し遂げるだけだ。
 一度解散の指示を出し、カサンドラは居間を出て行く彼らとは反対にソファに腰掛けた。ついにこの時が来たのだと、言い知れない感情が込み上げて来る。それを堪えるように身体を抱き締めて俯くも、身体の震えは止まらない。やっと願いが叶うのだと、全身が悦びに打ち震えていた。


「やっと……やっと、……殺せるのよ」


 ずっとずっと憎くて仕方なかったエルザを手に掛けることが出来る。目前に迫ったそれにカサンドラは悦びを押し殺すことが出来なかった。堪え切れず笑みは漏れ、震えが止まることはない。彼女の口から零れる哄笑は止まることなく大きくなり、やがて部屋中に広がり響いた。







 夜も更け、城内はしんと静まり返っている。シリルは月明かりが差し込む執務室に一人でいた。特に何かをするというわけではなく、深く椅子に腰掛けて瞼を閉じていた。まるでそれは来たるべき時を待つかのようであり、とても静かな表情だった。部屋に聞こえる音はなく、時折吹き込む夜風がカーテンを揺らす音だけが聞こえている。
 シリルはふと閉じていた瞼を持ち上げると、深く息を吐いた。肘置きを握っていた手を目線まで持ち上げ、微かに震えているその手を見ると、彼は自嘲するような笑みを浮かべた。震えているその手を情けなく思ったのだ。


「……自分で決めたことなのにな」


 ぽつりとシリルは呟くと、ゆっくりと椅子から立ち上がる。そして、微かにカーテンが揺れるバルコニーに近寄り、そこから見える庭園と星が輝く夜空へと視線を向けた。とても穏やかな夜であり、明日は晴れることが分かるほどに雲一つない夜空だった。けれど、その晴々とした空とは異なり、シリルの表情は曇ったものだった。
 しかし、顔を伏せ、数度深呼吸を繰り返した彼の表情からはそれまで浮かんでいた迷いや恐れといったものが消えていた。茶色の瞳は力強く、はっきりとした意志を湛えていた。シリルは踵を返すと、椅子に掛けていた上着を羽織り、身支度を整える。そして、時計を確認した後に彼は振り返ることなく執務室を後にした。


「母上、失礼致します」


 程なくして辿り着いたキルスティの居室は既に人払いが済まされていた。扉を開けると、椅子に腰掛け、緊張した面持ちの彼女がそこにいた。その緊張は明朝の即位式を控えているからか、それとも昼間にシリルが提案したことについてなのかは知れない。ただ、ホラーツを手に掛けてまで自身を王座に就けようとしている者が今更緊張などするものだろうかとシリルは微かに嘲るような笑みを浮かべた。


「シリル……」
「どうされました、母上。もしや、怖気づかれましたか?」
「……そのようなことはないわ。ただ、貴方が来ずとも私が上手くあの男の処理を、」
「いいえ、母上。私を王にする為に動いて下さった母上の手をこれ以上、汚させるわけには参りません」


 尤もらしいことを口にしながらシリルは椅子に腰掛ける。本当はただ、彼女では無理かもしれないと思っただけのことだ。ルヴェルチも自身が既に用済みであるということは分かっているだろう。そんな彼が手ぶらでのこのこと現れるとは考え難い。だからといって、自分がこの場に来たところで何か出来ることがあるというわけでもない。
 それでも、こうすることが最善であると考え抜いてのことだ。自分に出来ることは限られている。しかし、それをやらずに何もかも好きにさせていいとは思えず、ここまで来たのだ。もう逃げることは出来ない。シリルはぎゅっと肘置きを握り締める。その直後、こんこんとゆったりとしたノックが聞こえてきた。


「失礼致します」


 誰何を問わずとも、それがルヴェルチであるということは分かっていた。キルスティは緊張した面持ちで入室を促す。開いた扉から姿を現したのはやはりルヴェルチであり、彼はにこやかな笑みを浮かべていた。勧められた椅子の横に立つと、折り目正しく一礼し、「御即位、おめでとうございます」とシリルに対して口にする。


「ああ。貴様の尽力のお陰だ。感謝している」
「勿体なきお言葉で御座います」


 ルヴェルチが手を回さなければ、ホラーツの死はもっと先のものだっただろう。しかし、既にそれは済んだことであり、過去をとやかく言ったところでどうすることも出来ない。シリルはルヴェルチに椅子を勧め、ゆっくりとした動作で腰掛けた彼を改めて見遣った。
 元々はゲアハルトの前に司令官に就いていた男だ。だが、二年前に失脚して以来、今の今まで特に目立った功績はなかった。そんな彼がどのようにしてホラーツを暗殺したのかは知れない。無論、彼が直接手を下したわけではないだろう。何者かに命じたのだろうが、ならば、何故もっと早くに動き出さなかったのかという謎が残る。
 結局、ルヴェルチが誰と手を結んでいるのかを知ることは出来ないまま、今日に至ってしまった。キルスティと明朝の即位式についてを話す彼を見るも、その顔から答えを得ることは出来ない。だが、それも時間の問題だとシリルは強く肘置きを握り締める。


「……それでは、キルスティ様。そろそろお約束のものを」
「ああ、そうだったわね。お前のお陰でシリルは王位に就くことが出来る。ルヴェルチ、お前への恩義は忘れないわ」
「有り難きお言葉で御座います」
「お前には引き続きシリルの補佐をして欲しい」


 そう言いつつ、キルスティは膝に抱えていた箱を開ける。それを横目にシリルは冷やかな視線をルヴェルチに向けていた。彼の視線は今や箱へと注がれ、それ以外のことに気が回っていない様子だった。そうしている間にも箱が開かれ、キルスティはそこに長年保管していた白の輝石と呼ばれる白くくすんだ石を取り出す。
 そしてそれをルヴェルチへと差し出そうとした直後、すっとシリルは手を上げた。その直後、キルスティの部屋に潜んでいた近衛兵らが一斉に姿を現し、ルヴェルチを包囲して剣や杖の切っ先を彼に突き付ける。それは一瞬のことであり、事前に知らされていたキルスティも驚いた顔をしていた。


「……これは、どういうことでしょうか、殿下」
「見て分かるだろう。貴様は用済みだ、ルヴェルチ」


 用済みとなれば排除するものだろう、とシリルは口にするも、目を見開いていたルヴェルチはゆっくりとその表情を崩す。そして、彼は愛想のいい笑みを浮かべると、「それもそうですね」と頷いた。


「しかし、それは何も殿下にだけ言えたことでは御座いません。私にも言えることでしょう」


 そう言うなり、ルヴェルチの背後からはどこからか五人の人間が現れた。赤髪の女に小柄な子どもが二人、フードを目深に被った青年と寡黙な中年の男が一人と点でばらばらな者たちだった。しかし、どこからともなく現れた彼らに近衛兵らは顔を見合わせ、警戒している。
 

「殿下、貴方はもう用済みです」


 ルヴェルチのその一言と共に室内の緊張感は一気に高まった。つまり、元々、ルヴェルチもシリルやキルスティを処分しようと思っていたということだ。そして、彼の背後にいる者たちこそがホラーツを手に掛けた者たちだということでもある。キルスティは悲鳴を上げ、半ば転びそうになりながらも近衛兵らの後ろに隠れる。箱をぎゅうっと抱き締めた彼女は、シリルにもすぐに下がるように言葉を詰まらせながら早口に言った。
 しかし、シリルは椅子に腰かけたまま、真っ直ぐにルヴェルチを見つめた。キリスティのように下がるということは逃げるということでもある。そのようなつもりはシリルにはない。否、それだけはしてはならないと思ったのだ。
 彼はルヴェルチの言葉に口角を吊り上げて笑う。用済みなどと言われたことは初めてだった。だが、気分を害したということもなく、シリルは足を組み換え、「クーデターでも起こすつもりか?」と肘置きを爪が食い込むほど握り締めながら、彼は嘲るような口振りでそう言った。
 雲一つなかったはずの空にどこからともなく雲がゆっくりと流れ込んで来る。それは薄く月を覆っていった。



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