崩壊 - the fall -



「急げ、隠れ家の兵士とうちの私兵に伝達!隠れ家の兵士はルヴェルチの邸、私兵はすぐに城に向かわせろっ」


 バイルシュミット城から轟いた爆発音が騎士団の宿舎にまで届いていた。騒然とする宿舎の中、エルンストは次々と指示を出していた。ルヴェルチと帝国軍の特殊部隊である鴉が手を組んでいる以上、何かしらの事が起きるということは予想していた。そしてそれが、シリルの即位を目前にした今、起きる可能性が高いということも分かってはいた。
 だが、念の為に行動しておくにはあまりにも行動が制限され過ぎていた。シュレーガー家の私兵を満足に動かすことは出来ず、騎士団の指揮系統もルヴェルチの所為で混乱したままだ。それでもゲアハルトが捕縛されてからもエルンストの働きかけで一応は機能するようにはなっていた。しかし、やはり万全とは言い難い。
 エルンストの指示で動き出す兵士らを横目に彼は営倉へと足早に向かっていた。到着したそこは薄暗く、宿舎の喧騒とは裏腹に静まり返っていた。そんな中、足音を響かせるとがたりと鉄格子の向こうで動く気配がした。すぐに月明かりに照らされた青白い手が鉄格子を掴み、「何が起きたんですか」と眉を寄せたレックスが口を開いた。


「ルヴェルチが動き始めたみたいだ。現時点でお前の謹慎は解除する」


 白衣から取り出した鍵で扉を開くと、エルンストはすぐ傍に立てかけていたレックスの剣を出てきた彼に手渡す。そして、「お前は今すぐルヴェルチの邸に向かってくれ」と彼を伴って宿舎へと踵を返した。宿舎内はそれぞれ部隊長が慌ただしく点呼を取り、出撃の準備に取り掛かっていた。そんな人々の合間を縫いながら医務室まで戻ると、エルンストは白衣を脱ぎ捨てる。


「隠れ家に詰めていた兵士もルヴェルチの邸に向かうように指示を出した。途中で合流出来るはずだよ」
「了解です。エルンストさんは?」
「俺は城に向かう。……正直、今のこの状況は司令官を助け出して指揮権を掌握する絶好の機会なんだよ」


 あまり大声で言えたことではないものの、この状況は好機とも言えた。ゲアハルトがヒッツェルブルグ帝国の第一皇子であるということが知れ渡っている以上、生半可なことでは失った信頼を取り戻すことは出来ない。しかし、今のこの混乱の極まった状況であれば、今まで司令官として戦勝を挙げてきたゲアハルトの指示も通りはずだ。そして、帝国軍の脅威を取り除くことが出来れば、彼の失った信頼も少なからず回復するに違いない。
 そのためにもまずはゲアハルトの救出に向かわなければならない。だが、いくつか気掛かりなこともある。東の塔に幽閉されているレオの牢の鍵はエルンストの手元にある。そして、アイリスとエルザ、シリルの無事も気掛かりだった。恐らくは、アイリスとエルザは共に行動しているはずであり、何とか城の外に脱出しようとしているはずだ。だが、この状況で連絡など取れるはずもなく、安否は不明のままだ。
 だが、今はそのことばかり気にかけてはいられない。エルンストは装備を確認しながら「兎に角、お前は今すぐルヴェルチ邸に向かって家人を確保。もし、ルヴェルチ本人がいるようであれば捕縛、それが無理なら殺していい」と早口に言うと、レックスは「了解です」と落ち着いた様子で答えた。


「ここでルヴェルチを完全に失脚させる。……それが片付いたら城に応援に来て」
「分かりました。ご武運を、エルンストさん」


 それに手を挙げて応じるとレックスは足早に医務室を後にした。その背を見送ったエルンストは小さく溜息を吐き出す。ルヴェルチ邸を押えることは必要なことではあるが、レックスを向かわせる必要があったかと言われれば答えは否だ。戦力として考えると、城に向かわせた方がいい。
 しかし、城には恐らく、レックスが仇を討とうとしている鴉の人間もいるだろう。その者を前にして、彼が自制出来るとはエルンストには到底思えなかったのだ。決して人のことをとやかく言えた義理ではないということは分かってはいたが、彼には復讐なんてことはさせたくはないと確かにそう思ったのだ。
 アイリスは常々口にしていた。復讐なんてしたところで意味はなく、生み出されるものは憎しみでしかないと。それは彼女だけでなく、アイリスの養父であるコンラッドも口にしていたことだ。だからといって、自分は二人の言葉通りに復讐心を捨てることは出来ない。だが、せめてレックスは自分と同じようにならなければいいと考えていた。


「おい、エルンスト。此方の準備は整ったぞ」


 ノックの後、唐突に扉が開いた。入っていいなんて言ってないのにと思うも、今は非常事態であり、待っている時間さえ惜しいのだろう。入室してきたヒルデガルトは既に準備を整えている様子であり、それは彼女だけでなく、出撃準備をしていた宿舎に詰めている騎士団全体に言えることだろう。
 エルンストは剣を腰に差すと、表情を引き締めてヒルデガルトと向き合った。そして、「全体の指揮はヒルダに任せるよ」と口を開く。予想外の言葉だったのだろう。ヒルデガルトは目を見開き、どういうことだと理由を迫った。


「悪いけど、俺は司令官の救助とカサンドラの始末を優先する」
「待て、ゲアハルトの救助を優先したい気持ちは分かるが、」
「この状況を司令官が収めることに意味があるんだ」
「……だとしても、お前一人では無茶だ。それにカサンドラの相手をするなら余計に行かせられない」
「うちの私兵を連れていく。……今日であの女との因縁に決着を付けてやる。それでやっと……」


 やっと、俺もエルザも前に進める。
 そのためにはどうしても自分自身の手でカサンドラを討ち取り、彼女に奪われた実兄の遺体を取り戻さなければならない。そうでなければ、どれほどの時間が経とうとも前に進むことなど出来はしないのだ。


「大丈夫、すぐ司令官を連れ出すからそれまでの辛抱だよ」


 何とかなる、と根拠も言わずに口にするエルンストにヒルデガルトは溜息を吐く。しかし、彼の気持ちも分かるのだろう。彼女はそれ以上は止めずに、ただ、「必ず生きて戻って来い」とだけ言い残すと医務室を後にした。その背を見送り、エルンストは何とも言えない、微かな笑みを浮かべていた。






「……っ、やってくれるじゃない」


 視界を庇うように翳していた手を退けると、美しく整えられ、血で染まっていた居室は一面、火の海になっていた。肉の焼ける不快なにおいに顔を顰めながら、カサンドラはゆっくりと身体を起こして周囲を見渡した。
 爆発の瞬間、カサンドラは魔法石も爆発することを承知の上で防御魔法を展開した。そうしなければ、いくら鴉という特殊部隊に所属しているといっても普通の人間と何ら変わらない肉体である彼女たちも一溜まりもない。展開した防御魔法を爆発が止むまで次々と新しく張り直すことによって何とか爆発から身を守ることは出来たものの、何の被害もなかったというわけではない。
 身体のあちこちに痛みが走り、火傷や打ち身を負っているのだということが伺える。しかし、今はそれらに構う心理的余裕も時間的余裕もない。カサンドラは傍に倒れていたブルーノとカインの傍に膝を付くと、二人の頬を軽く叩いた。すぐに顔を顰める二人にほっと安堵すると、彼女は「ほら、起きて」と一度大きく二人を揺さぶった後にすぐに立ち上がった。


「……う、……」
「早く白の輝石と鍵を渡してくれたなら、こんな風に苦しまずに済んだのに」


 カサンドラは呆れ返った表情でシリルを見下ろした。彼も同様に火傷や打ち身を負っていた。どうせ助からないと分かっていただけにそこまで真剣に防御魔法で守られていたというわけでもなく、全身に火傷を負い、血塗れになっているシリルの姿は惨たらしかった。
 しかし、それでもまだ息はあった。苦悶の表情を浮かべ、微かな呻き声を洩らしている。それを見つめながらカサンドラは血が付くことも厭わずに手を伸ばし、焼け焦げているシリルの上着へと手を伸ばした。だが、その指先が小箱に届く前にどろりと焼け爛れた指先が彼女の手を握った。


「わ、……た……」
「渡さないとでも言いたいの?だったら阻んでみなさい」


 出来るもならね、と口の端を吊り上げて嗤うと、カサンドラは握り締めるその手を乱暴に振り解き、上着のポケットから焼け焦げた小箱を取り出した。中身は無事だろうかと不安になるも、蓋を開けるとそこには変わらず白く鈍く光る小さな石があった。その形状は彼女が帝都で見た黒の輝石と寸分違わぬものであり、カサンドラはほっと安堵の息を吐く。
 そして、尚も手を伸ばすシリルの腕を床に叩きつけると再び上着を検め始める。レオを閉じ込める東の塔の牢獄の鍵があるはずなのだ。念には念を入れて彼の居室を調べるようにと侵入している帝国兵にも指示は出しているものの、カサンドラ自身の手で次々とポケットを調べる。だが、鍵は持っていないらしく、どこを探しても出てくる気配はなかった。

 
「……見つか、る……もの、か……」


 焦れるカサンドラを前にシリルは口の端を歪めて嗤った。渡す渡さないの問題ではなく、そもそも持っていなかったのだということが伺い知れ、彼女は顔を羞恥に赤く染めると振り翳した手をシリルの頬に叩きつけた。ぐちゃりと指先に血が絡みつくも、それを厭わずにカサンドラは何度も手を振り下ろす。その度に血が飛び散り、それが衣服を汚すも彼女は何度もシリルの頬を打った。
 次第にシリルの反応はなくなり、また微かな呻き声とひゅーひゅーという呼吸の音が微かに聞こえるだけになった頃、漸くカサンドラは殴り続ける手を止めた。その頃には白い手が赤黒く染まり、指先がずきずきと痛みを訴えていた。暫く茫然とその手を見ていると、「おい、カサンドラ」と背後から声を掛けられる。ゆっくりと振り向けば、そこには何とも言えない表情を浮かべたブルーノとカインが身体を起こしていた。


「俺たちはもう行くぞ。鍵もなかったんだろ?」
「扉なんて壊しちゃえばいいんだよ。それとも塔に火でも付けちゃう?」
「……そうね、それがいいわね。けれど、確実に殺さなきゃ駄目よ」


 ぽつりと呟くカサンドラにカインは明るい返事を返す。そして、さっさと居室を後にするその背にブルーノは溜息を吐くと「お前も大概にして、さっさと動き始めろよな」と普段の彼女が聞けば眦を吊り上げるような一言を残して歩き出した。カサンドラはそれを黙って見送ると、微かな呻き声しか漏らさなくなったシリルを無表情で見下ろす。
 火傷を負ったその顔は先ほどまでとはまるで違っていた。血に塗れ、赤黒く焼け爛れたそれにカサンドラは顔を歪める。カインであればそれを見るなり醜いと叫んで悦んだことだろう。だが、彼女は違う。徐々に顔を顰め、不快げに唇を歪めるとぼそりと地を這うような声音で呟いた。「……汚らしいのよ」と、そう一言。


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