過去 - good bye,days -



「戻りました……!」


 書斎に息を切らせて飛び込んできたレックスの手には布に包まれた棒状のものがあった。アイリスが彼を起こしに行くなり、身支度もそこそこに飛び出したということもあり、赤い髪には寝癖がしっかりと付いたままだった。レックスが回収して来たそれを受け取ったゲアハルトは手早く布を取り去ると、「いきなり悪かったな、レックス。ご苦労だった」と労った後、エルンストと共に様々な角度から観察し始めた。
 それを横目にアイリスは額に浮かぶ汗を拭うレックスの髪に手を伸ばす。うわっ、と彼は素っ頓狂な声を上げるも、彼女は手を引っ込めることなく、「寝癖、付いたままだよ」と言いながら髪に指を通す。昔はそれほど差のなかった身長も今ではすっかりと差がつき、背伸びしなければ届きそうになかった。


「もういいって、アイリス」
「いいから。……もう、どんな寝方したらこんなに寝癖付くの?」


 僅かに顔を赤くするレックスに対して、アイリスは溜息混じりに口にする。眠ってからそれほど時間は経っていないにも関わらず、彼の髪にはくっきりと寝癖が付いてしまっていた。そんなレックスをからかうように「後頭部もやばいぞ」とレオは笑いながら言うも、かく言う彼も同じように寝癖を付けたままだ。


「お前が言うな!……それより、オレが取りに行ってる間、何か他に手掛かりは見つかったのか?」


 背伸びを続けるアイリスが転ばないように腰の辺りを支えながらレックスは呆れたように溜息を一つ吐いた後に口にする。彼が邸を捜索している他の兵士らと共に杖を回収に向かっている間、アイリスらは主に暖炉周辺を念入りに調べていた。その際、ふとまたあることを思い出したのだ。彼女は踵を床に付けると、レックスが回収に向かっていた間のことを話し始める。


「うん、あのね、この部屋の暖炉なんだけど――」


 大陸の南に位置しているベルンシュタインにも冬がある。冬になれば雪も降ることがある為、この書斎にも暖炉があった。だが、養父がこの書斎の暖炉を使用しているところを一度も見たことはなかったのだ。冬になると、コンラッドはいつも居間にいた。それ以外の時はいつも書斎にいることが多かった。どうしてだろうかと思わなくもなかったが、その理由を尋ねたことはなかった。
 アイリスがそのことを思い出し、ゲアハルトらに伝えると彼らは暖炉の中に注目した。それと同時に、邸の見取り図を用意するように言われ、彼女は慌ててアルヴィンの元へと駆け込んだ。既に夜更けだったものの、すぐに対応してくれた彼は何か他に手伝えることがあれば言うようにと言ってくれた。そんなアルヴィンに感謝しつつ、アイリスが見取り図を手に書斎に戻ると、狭い暖炉の中に大の男二人が身体半分ほど入っているという状況だった。
 レオにどういう状況かを尋ねると、彼は不服そうな様子で「中に何かあるかもって」と唇を尖らせながら教えてくれた。どうして機嫌を損ねているのだろうかと首を傾げていると、レオは言い辛そうに視線を伏せながらも答えてくれた。暖炉の中を調べることになった時、体格的にも自分が適任だと主張したのだという。だが、危険があるかもしれないからと却下されてしまったのだ。シリルが亡くなってからというもの、それまでは当たり前に出来たことが殆ど出来なくなってしまった――例えば、レックスが杖の回収に向かったが、いつもならばレオだってそれに同行していた――ことが気に入らないらしい。
 常ならば、命じられれば文句の一つも言うレオらしくない発言にアイリスは目を瞬かせるも、すぐに彼らしいと微苦笑を浮かべた。要は、特別扱いされたくないというだけのことだ。だが、現状ではそれも難しい。レオは即位を控えた身だ。その身に何かあれば、ゲアハルトの責任問題になることは間違いない。とは言っても、彼がそのような責任問題を恐れて保身に走っているわけではないということもアイリスもレオは分かっていた。


「それで、何かあったのか?」
「暖炉の壁に魔法石があったの、内側の壁の一部、人がしゃがんで通れるぐらいの大きさの」
「でも、魔法石って、魔力を注いで爆発させる石だろ?」
「それが違うんだってさ。なあ、アイリス」
「あのね、魔法石にも色々種類があって爆発させるものの方が多いんだけど、ごく稀に魔力を注ぐことで形を変えられる石もあるの」


 爆発させることの出来る魔法石に比べて、それほど流通しているわけでもないため、一般的には魔法石というとレックスが言ったような特徴を持つものだと考えられている。アイリスも少し耳に挟んだことのある程度のものであり、実際に目にしたのは今回が初めてだった。
 暖炉の傍に膝をつき、この辺りがそうなのだと指し示す。周囲に馴染むように加工されている為、一見してすぐに魔法石だということは分からない。そのため、今日まで誰にも気付かれることがなかったのだろう。それほど多く流通することのない魔法石がしゃがんで人が通り抜けることの出来るほどの量を使われていることからも、ホラーツが融通していた可能性も高く、この先にコンラッドが携わっていた白の輝石の研究に繋がるもの、もしくはそれそのものがあるかもしれないのだ。


「でも、この見取り図からすると隠し部屋なんて……」
「隠し部屋がそのまま奥に続いているとは限らないよ。それにその見取り図自体、細工されてるかもしれない」
「地下室の可能性ってことですか?」
「ああ。それに、やはりこの杖が鍵だった。杖、というよりも杖に付いているこの石だが」


 そう言うと、ゲアハルトは杖の先端に付いていた透明の石を取り外した。取り外せるものだとは思いもしなかったアイリスの掌の上に置かれたそれを「それは魔法石だ。恐らく、魔力を拡散させる特性があるものだろう」と彼は口にする。そのようなものが付いていたとは思いもしなかった彼女が掌の上に置かれたそれを見ていると、エルンストはその石がアイリスが攻撃魔法を上手く使えなかった原因だと言った。


「どういうことですか?」
「攻撃魔法は本来、魔力を練り上げて集めて放つものだよね。アイリスちゃんも杖を使わず、手で触れれば使えるように。でも、それを妨げていたのがその杖に付いていた魔法石。一見すればただの飾りに見えるからね」


 反対に防御魔法は拡散させて使うものだから、君が防御魔法を得意としているのもその魔法石の補助があるからだよ。
 エルンストの言葉にアイリスはただただ驚くことしか出来なかった。しかし、驚いている場合ではなく、アイリスはゲアハルトに促され、暖炉の前に膝をついた。彼女は掌の魔法石を一瞥すると、それに魔力を込め始める。そして、淡く光り始めるそれを先ほど見つけたばかりの魔法石で造られていた暖炉の内側の壁に押し付ける。すると、押しつけると同時に淡い光が魔法石で造られていた壁に広がり、その光が収束する頃にはどろりと壁が溶け、その向こうにはぽっかりと暗い闇が覗いていた。


「やはり地下か……」
「用意を整えてからの方がいいね。松明の準備をしてくるよ」
「ああ。レックス、他の奴らをこの書斎の周辺の警備に就けてくれ」
「了解しました」


 足早に書斎を後にする二人を見送り、アイリスは隣で悔しげな顔をしているレオに気付く。今までならば、彼にも指示があった。しかし、今となっては殆どと言っていいほど指示はなく、ただ、守られる存在となってしまっている。レオはそんな立場が嫌なのだろう。だが、それが分かっていても不用意なことは言えない。アイリスは彼の悔しさに気付きながらもどうすることも出来ないことに視線を伏せた。
 程なくして準備は整い、レックスを先頭に、エルンストをしんがりにして地下に降りていくことになった。松明を手にレックスがぽっかりと開いたそこを覗き込むと、どうやら階段があり、風の流れもあるらしい。慎重に降りていくレックスに続き、ゲアハルトとアイリス、レオ、エルンストの順番に続いていく。
 橙色の松明に照らされたそこは決して広いとは言えないものの、人一人が余裕で歩くことの出来る幅と高さがあった。まさか書斎からこのような場が繋がっているとは思いもしなかったアイリスは驚きの表情を浮かべながら周囲を見渡す。しかし、程なくして先頭に立っていたレックスが足を止めた。


「どうした?」
「行き止まりです。……ですが、鍵盤があります」
「鍵盤?」


 それほど広くはないそこで入れ替わりながら先頭に立ったゲアハルトは暫しの後にアイリスに来るように口にした。鍵盤、となると、やはり脳裏を過ったのは養父に教わった曲名も知らない物悲しい旋律のあの曲だ。それさえも白の輝石に繋がる鍵なのだろうかと考えながら、レックスとレオの脇を通り抜けて先頭で松明を片手に持つゲアハルトの傍に立つ。
 彼が松明で照らしているそこには、確かに鍵盤があった。しかし、邸にあるものとは異なり、それはどうやら石で出来ているものらしく、松明の灯りを反射していた。


「石の鍵盤……ですよね」
「ああ。だが、恐らくこれも魔法石で造られたものだろう」
「失敗したら爆発したりして」
「エルンスト。……アイリス、失敗したとしてもそれはその時、考えればいいことだ。今は君に頼るしかない、やってくれるか?」


 茶化すエルンストを窘め、ゲアハルトは緊張に身を硬くするアイリスの肩に手を置き、微かな笑みを浮かべて言う。失敗したとしても俺が何とかするから、と言わんばかりのその様子に彼女は小さく頷いた。
 そもそも、失敗以前にアイリスが今から弾こうとしている名も知らぬあの曲が答えとは限らない。鍵盤に見せかけた、何か別の意図を持ったものかもしれない。その可能性はあったが、それ以上にアイリスがコンラッドから覚えさせられたその曲の方が余程可能性としては高かった。
 失敗してもゲアハルトが何とかしてくれるのだと分かっていても、緊張はなかなか解れない。仮に自分がミスをすれば、魔法石が爆発して全員この地下に生き埋めになるかもしれないのだ。それを思うと、簡単には鍵盤に手を伸ばせない。けれど、躊躇っている時間もない。今この場でカサンドラらに襲撃されれば、それこそ袋の鼠だ。アイリスは意を決して鍵盤に手を伸ばす。ひんやりと冷たいそこに指を置き、何度も養父に教わった物悲しいあの曲を弾き始める。
 不思議とピアノの音が響いて聞こえてきた。そこには鍵盤しかないにも関わらず聞こえてくる確かなピアノの音にアイリスは目を見開くも、意識を鍵盤に向け、一音一音、正確に演奏する。それと同時にふと思ったのは、美しくも物悲しいその曲を、養父は一体どういう思いで、誰に向けて作ったのかということだ。けれど、答えは出ぬまま、曲は終わり、アイリスは最後の一音を鳴らすと、そっと手を引いた。


「あっ」


 それと同時に、ぐにゃりと鍵盤に向かって右の壁が溶け始めた。その様子は先ほど、アイリスが杖に付いていた魔法石を暖炉の内壁に押しつけた時と同じものであり、その先には再びぽっかりとした暗闇が広がっていた。唖然とした様子でそれを見つめていたアイリスにゲアハルトは「よくやった」と彼女の頭に手を乗せる。
 そして、再びレックスが先頭となって開いたそこへと足を踏み入れた。そこは一段と気温が下がったように感じられ、アイリスは軽く腕を擦った。けれど、それ以上にこの先に何が待ち受けているのかということが気になってならなかった。此処は今、邸のどのあたりなのだろうかとぽつりと呟くと、隣を歩いていたレオが「多分、庭の辺りだとは思う」と答えた。


「風もあるから、庭の何処かに空気穴があるはず。それにしても、よくこんなの造れたよな」
「そうだよね、どうやって造ったんだろう」


 とても一人で造ることが出来るようなものではなかったが、ホラーツが協力していたかもしれないことを考えると、決して不可能なことではないだろう。そのように結論づけた矢先、先頭を歩いていたレックスが足を止め、「今度は石板、ですね」と松明で照らしだしながら口にした。


「どうやら、今度は正解を書き込まなければならないらしい」
「書き込むってどうやって……」
「その杖を使うんじゃない?魔法石を嵌め直して」


 石板を探るゲアハルトとエルンストは溜息混じりに言う。正解へのヒントも何もないのだ。彼らが溜息を吐くことも無理はない。だが、ここまで厳重に守っているのだ。重要な何かがこの先にあるに違いないという期待は募るばかりだ。だからこそ、彼らは様々な答えを口にする。今回はとにかく書き込んでみなければ分からないということもあり、エルンストとアイリスが防御魔法を幾重にも展開した状態でゲアハルトが石板に書き込むということになった。だが、いくつか答えを書き込んでみるも、先ほどとは異なり、なかなか先に続く道は現れそうになかった。


「あー……あ!アイリス、は?」
「わたし?」
「いや、正解が。さっきの鍵盤のところもアイリスがいなきゃ辿り着けないようになってたから」


 ぱっと閃いたとばかりに口にするレオに頷いたゲアハルトは石板にアイリスの名前を書き込む。しかし、それでもやはり一向に変化が見受けられない。そこからまた誰もが唸り始め、なかなか案も出なくなった頃、ふと「あの曲の名前じゃないの?」とエルンストが口にした。曲名を教えられていないというところからしても、曲名がないと言うよりも伏せられていたと考えることも出来る。
 しかし、答えに辿りつく手掛かりを何も託されていないとは思えず、アイリスは記憶を遡るも、曲名についてはそれほど気にしていなかったということもあり、思い出せそうになかった。そんな中、ふとすぐ傍で何とも言えない表情をレックスが浮かべていることに気付く。思えば、邸でピアノを弾いた時も、彼は同じような顔をしていた。


「レックス、何か心当たりでもあるの?」
「え?」
「あ、ううん……言い辛そうにしてるように見えたから」
「何か知ってるのか?レックス」


 ゲアハルトに問われ、彼は視線を伏せた。その様子からも何か知っているらしいことは明らかなのだが、どうにも彼は言葉を濁す。けれど、今がそういう状況ではないということも分かっているのだろう。レックスは顔を上げると、「昔、師匠から聞いたことがあるんです」と口を開いた。


「オレがこの邸に泊りに来た時、師匠があの曲を弾いてくれたことがあって……その時に、傍にいられなくなった人のことを想って作った曲だと、言っていました」
「傍にいられなくなった人の……」


 それがどのような意味合いを持つ言葉かは知れず、養父にそのような相手がいたということも知らなかった。やはり、心当たりはなく、どうしようかと頭を悩ませるもゲアハルトは僅かに目を見開いた後に石板に向き直って何かを書き込み始めた。彼には心当たりがあるのだろうかと、気になって手元を覗き込もうとするもそれよりも先に文字が書き込まれた石板が淡い光を放った。どうやらゲアハルトが書き込んだそれが正解だったらしい。
 程なくしてどろりと壁の一部が溶け、そこに扉が現れた。鋼鉄で造られたらしい頑丈な扉には鍵が本来ある場所に窪みがあり、エルンストが膝を付いてそれを観察した後、「多分、杖のその石を嵌め込むんだと思うよ」と彼は場所をアイリスに譲る。ゲアハルトから杖を返されたアイリスは杖の先に付いていた、これまでただの飾り石だと思い込んでいた魔法石を取り外し、膝を付いて慎重に窪みに石を嵌め込む。
 すると、それはぴったりと嵌り、それと同時に鈍い音を立てて扉が開いていく。長く誰も出入りしていなかった為か、ぶわりと埃が巻き上がり、アイリスは咳き込んでしまう。「大丈夫?」と近くにいたエルンストがその背を軽く叩きつつ、松明を持ったゲアハルトは慎重な足取りで扉が開いたそこに足を踏み入れる。


「……此処か」


 ぽつり、と呟いたゲアハルトの声が耳に届いた。咳が収まったアイリスが顔を上げ、部屋に足を踏み入れるとそこには様々な書物が積み上げられ、研究内容らしきものが書き記された紙が無数に置かれていた。余程長く、この部屋が使われていたらしく、見るからに古い紙も少なくない。床には書物だけでなく、丸めて捨てられた紙も多くあった。
 そこにはアイリスの知らないコンラッドの一面が色濃く残されていた。この場で、彼は白の輝石の研究をしていた。全てを解き明かすことが出来たのだろうかと室内を見渡しながら考えていると、不意に寒気が込み上げ、アイリスはくしゅんと小さくくしゃみをした。


「此処は冷えるな。書斎に戻ろう」
「だ、大丈夫です!せっかく此処まで辿り着けたんだから、」
「だが、もう夜も遅い。来方が分かったんだ、急ぐことはない」
「でも……」


 自分のくしゃみの所為で引き上げることになるなど、申し訳なさすぎるとアイリスは食い下がるもゲアハルトは研究室から出るようにと全員を促す。彼女は堪らず、「平気ですから!」と声を張り上げるも、無理をするなと出るように促されてしまう。せっかく目の前に探し求めていた研究資料があるのに、と彼女は眉を寄せる。自分のくしゃみ一つで捜索を切り上げられたとなると、申し訳なさでいっぱいになる。


「アイリス、そんな顔をするな」
「でも……」
「夜も更けてる。それに今日は元々見つけたとしても運び出すわけにはいかないからな」
「え……?」
「翌々日は国葬だ。その準備もある、下手に資料を持ち出すぐらいならこの場に置いておいた方が余程安全だ」


 あの研究室に辿り着くことは難しいからな、とゲアハルトは扉を閉じると同時に元の壁に戻った魔法石の壁を一瞥する。研究室に辿り着くには、少なくとも三か所の仕掛けを解く必要があり、それにもアイリスの存在や杖、それからゲアハルトが知る最後の石板に書き込む答えが必要だ。無理に壁を突破しようとすれば、それこそ魔法石が爆発するきっかけにしかならず、結果、この場から動かさない方が安全だというゲアハルトの主張は理解できる。
 引き上げるいい合図だった――そう言ってからかうゲアハルトにアイリスは顔を赤くしながら唇を尖らせた。そのようなつもりでくしゃみをしたわけではないのに、と思っているうちに、暖炉から差し込む書斎の温かな光が差し込む。その明るさに目を細めていると、先に出ていたレオに手を差し出された。
 差し出された手を握ると、半ば引き摺られるようにして引っ張り上げられ、温かな書斎の温度にほっと息を吐く。そんな彼女に続いて暖炉の奥からゲアハルトが出てくると、暫しの後にどろりと溶けていた魔法石が元の形状である壁に戻った。まさかこんな仕掛けがあったとは、とそこを見つめていると「アイリス」とすぐ近くからゲアハルトの声がした。


「は、はい」
「これからあの曲を人前で演奏することは控えてくれないか。それからあの鍵盤を弾くことも、少なくとも俺かエルンスト、それからもう一人以上誰かがいる時にだけにして欲しい」
「了解しました」
「お前たちもこの場でのこと、そこから先で起きたことは一切他言無用だ。いいな」


 ゲアハルトの厳命にエルンストらは敬礼を返す。その後、すぐに書斎には警備の兵が置かれることとなり、邸に来ていた第二の兵士が警備に当たることとなった。一気に物々しさを増した書斎にアイリスは戸惑いの表情を浮かべた。仕方がないこととは言え、自分の知っている温かみのあった養父の書斎が変わっていくような気がしたのだ。
 けれど、そのようなことを口にしている場合でもない。決して奪われてはならないものへの入口が此処にあるのだ。アイリスは杖をしっかりと握り締め、緊張している自分自身を落ち着かせるように呼吸を繰り返す。そして、「病み上がりなんだから、そろそろ休んだ方がいいよ」というエルンストに促され、アイリスは自室へと向かって歩き出した。



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