恋情 - the treachery -



 エルンストに動きがあったという報告は聞いていた。だからこそ、自身も執務室へとやって来たのだ。万が一に備えて剣を持ち、嘘であって欲しいとそれが叶わぬ願いだと知りながらも願いつつ、慣れ親しんだ執務室の扉を開けた。そして、予想していた通り、そこにはエルンストの姿があった。
 分かっていたことだ。聞かされていたことだ。それでも、いざこうしてその姿を目の当たりにすると、どうしてと思わずにはいられなかった。いつものように勝手に棚を荒して隠していたワインを飲んでいるのならばよかった。惰眠を貪りに来ているのならよかった。けれど、エルンストの手には彼に伝えていた白の輝石の隠し場所にしていた一冊の本があり、その手は今まさに石を取り出した直後だった。




「……エルンストは、恐らくカサンドラと内通している」


 太陽が沈んでから数時間後、ゲアハルトは軍令部の一室で視線を伏せながらそう口にした。その場に集められていたレックスやレオ、第二騎士団の兵士らは何を馬鹿なと言わんばかりの表情で誰もが有り得ないと思う一言を口にしたゲアハルトを見つめた。けれど、最も有り得ないと思っている彼が敢えてそれを口にしたということの意味も、レックスらは同時に理解した。
 恐らく、とは言ってはいるものの、殆ど確かなことなのだということに彼らも気付いたのだ。しかし、気付いたとしても、それを理解できるというわけではない。エルンストがカサンドラと手を組む理由が何処にも見当たらないからだ。何より、彼は他の誰よりもカサンドラのことを憎んでいる。その憎悪は本物であり、簡単に捨てられる、なかったことに出来るような類のものでもない。だからこそ、誰もがゲアハルトの一言をすぐには信じられなかったのだ。


「内通してるって……そんな、まさか」
「エルンストさんはあの女のことを憎んでるんですよ?有り得ませんよ、そんなこと……」
「俺だって信じたくはなかったさ。……ただ、あいつが手を結んでいると考えると、辻褄が合う」


 ゲアハルトは微かに頭を振ると、相変わらず視線を伏せたまま口を開いた。


「まず、エラルド・アルバトフの件だ。こいつはシリル殿下らの国葬の後、すぐに王都の別邸からベルトラム山方面の本邸に戻っている。このことに関しては門兵に確認を取っているから間違いないだろう。だが、おかしなことにアルバトフは本邸に戻ってから連日、クレーデル邸に縁談の手紙を送りつけている」
「……確かに、ベルトラム山方面の本邸から王都まで連日手紙を寄越すっていうのは……距離的にも時間的にも無理なことですが」
「ああ。あくまでクレーデル家からの返事を受けて更に返事を送りつけているのなら、不可能だ。あちらから連続的に送りつけているのならば有り得ない話ではない。が、恐らくその線もない」


 実際に目にしているわけではないため、確かなことは分からない。しかし、エラルド・アルバトフの本邸に向かわせた国境連隊が発見したエラルドらの遺体はこの数日のうちに殺されたものではなく、数週間は経過していたという。それを考えると、エラルド自身がアイリスに縁談の手紙を書いたとしても、それは最初の一通だけであり、それ以降の手紙は全て別人によるものであると考える方が妥当だとゲアハルトは言った。


「だとしても、どうしてアルバトフ卿だったのか……、確かに、あの方はそんなに印象のいい方ではなかったけど……」
「そう、それだ。エラルド・アルバトフははっきり言ってしまえば、かなり印象が悪い貴族だ。……それを利用したんだろう」
「利用?」
「カサンドラがアルバトフを騙った理由だ。あいつはアルバトフの印象が国内でも悪いことを知っていた。だからこそ、それを利用したんだ」
「……でも、利用するって言っても……」


 どういう意味なのかとレックスとレオは互いに顔を見合わせている。しかし、彼らが疑問に思うことも決して無理のない話だ。ゲアハルト自身、半分以上、自分の憶測で話しているのだ。だが、カサンドラのことは少なからず知っている以上、彼女の狙いを念頭に置けば、然して想像することは難しいことではなかった。


「カサンドラの狙いはあくまでエルンストと手を結ぶことだろう。そのために必要なものが、……アイリスだった」
「……アイリスが……」
「ああ。カサンドラはエルンストと手を結ぶ為に、あいつが動かなければならないような状況を作り出した」
「だからってどうしてアルバトフを……」
「……そうか。分かった、アルバトフ卿を騙ってアイリスに縁談を持ち掛ければ、エルンストさんなら横槍を入れるって……」
「そうだ。カサンドラはそれを狙ったんだろう。あいつはエルンストが彼女のことをどう思っているのかも全て知った上で動いた」


 虫唾が走った。付け入ることの出来る隙であるということはゲアハルトも分かっていた。仮に自分がカサンドラの立場であり、同じ状況であったのなら同じことをしたかもしれない。だが、それを自身の友人に仕掛けられたとなると話は別だ。それも、エルンストだけでなく、アイリスをも巻き込んでのことだ。到底許せることではない。
 だが、許せないのは自分に対しても同じことだ。どうしてこんなことになるまで気付けなかったのかと過去の自分が恨めしくて仕方なかった。けれど、本当に気付けなかったのだろうかとも思う。気付いていない振りをしていたのではないのか、と自分に問い掛けた矢先、「でも」とレックスはやはり納得がいかないと言わんばかりの顔で口を開いた。


「エルンストさんなら気付いたはずです。あの人が簡単に引っ掛かるなんてこと……」
「それに気付けない状況もカサンドラは作っていたはずだ。エルンストが自分の手に易々と引っ掛かることはないとあいつも分かっていただろうからな。いつもの状態なら、気付いていたはずだ」
「……確かに、ちょっとエルンストさんの様子、おかしかったかもしれません」


 ぽつりとレオの呟いた言葉にゲアハルトは微かに顔を歪めた。彼の言う通りだった。おかしかったのだ。様子がおかしいということにゲアハルトも気付いていた。いつもと違う、どこか辛そうで苦しそうな様子を見せていた。それに気付いていたのだから、もっと踏み込んで事情を聞いていればよかったのだ。
 実家と、父親と折り合いが悪いことを知っていたからこそ、また何かあったのだろうとばかり思っていた。それもあるのだろう。だが、気付いていたのだから捨て置かずに声を掛けていればよかったのだ。エルンストと彼の父親であるディルクの確執は分かり切ったことであったとしても、聞くべきだったのだ。


「ああ。……要はエルンストにプレッシャーを与えていたということだ。追い詰めて追い込んで、普通の判断が出来なくなるように」
「……」
「あいつはあれで案外、プレッシャーに弱いところがあるからな。弱いというか、慣れていないというか……」


 そのことも分かっていたのだ。今まで蔑ろにされ、放置されて来たからこそ周囲からの期待や圧力に存外強くはないということも、知っていたのだ。けれど、大丈夫だと思っていたのだ。いい加減、慣れていると、上手くかわすことが出来ると。実際、エルンストはそうして来ていたのだ。だが、カサンドラが介入したことによってバランスが崩れたのだろう。彼女はエルンストの急所を的確に突いて、彼を突き崩したのだ。


「恐らく、シュレーガー家もアイリスとの縁談を考えていたはずだ。彼女はレオ、お前の後ろ盾になり得る存在だ。彼女自身に力はなくとも、元々お前の母君のアウレリア様の後ろ盾だったクレーデル家の当主だ。その地位の意味は大きい」


 シュレーガー家はギルベルトを失い、王女であるエルザとの縁談を失った。シリルも薨御している以上、レオとの縁談で取り入りたいところだろう。しかし、シュレーガー家本家に娘はおらず、エルンストしかいない。そうなると、彼がエルザと縁談を結ぶか、アイリスと縁談を結ぶかということになるはずだ。
 だが、ディルクがアイリスとエルンストの縁談をまとめるだろうかと考えた時、ゲアハルトはその可能性を打ち消した。エルンストは名門シュレーガー家の跡取りだ。いくらレオの後ろ盾とはいえ、家格も劣るアイリスと縁談を結ばせるだろうか――それならば、兄に代わり、エルザとの縁談を結ばせるだろう。そうなると、アイリスには傍流の男を宛がうことなるはずだ。
 それをエルンストが知っていたならば、彼はどうするだろうかと考えると、後はカサンドラの予想通りに動いたのだろうとしか思えなかった。エルンストがディルクの命令に反してまで動くことは簡単なことではない。彼は実の父親のことを厭っていた。しかし、真っ向から反抗できるかと言われればそうではないということも自分は知っていたのだ。
 止められなかった。考えれば分かったはずのことだ。現に今もこうして予想出来ている――そして、それが間違っていないことも分かっていた。


「シュレーガー家はエルンストではなく傍流の男とアイリスの縁組を考えたはずだ。その上、状況としてはエラルド・アルバトフがアイリスの縁談を申し込んでいる。エルンストはそれをカサンドラから知らされたはずだ。悪評ばかりが目立つアルバトフか自分の親戚にアイリスを任せることが出来るのか、……あいつにしてみれば、考えるまでもなかったんだろう」


 親戚とは言っても、エルンストの性格上、親しくしていたとは考え難い。そんな相手にアイリスを任せることをエルンストが選ぶとも思えず、かと言って、ディルクに楯突くという選択肢も彼にはなかったはずだ。だが、悩んでいる時間はない。エラルド・アルバトフとの縁談の話が進んでしまう――そして、実際、カサンドラは半ば強引に話を進めたのだろう。
 そうなると、後はエルンストが独断で動くしかない。エラルド・アルバトフは既に殺されているというのに、あたかも生きていると思い込まされているが為に、妨害しなければならないという心理しか彼には働かなかったのだろう。全てカサンドラが綿密に立てた計画であり、それが予定と然程変わらず成功したというのだから恐ろしい。
 恐らく、その計算の内には自身の動きも組み込まれていたことだろう。自分の注意がエルンストよりもアイリスに傾いていたことも、カサンドラには気付かれていたのかもしれない。それを思うと、彼女への嫌悪感以上に自分自身に腑抜け具合に苛立ちが募った。


「ゲアハルト司令官、よろしいでしょうか」


 コンコンという控えめなノックの後、無機質な声が聞こえて来た。話の内容が緊迫したものだったためか、室内に響いたノックの音にゲアハルトを除く誰もが肩をびくつかせた。元より、この場は非公式なものだ。誰もが見つからぬようにこっそりと集まっているということもあり、この部屋にピンポイントでゲアハルトを尋ねて来る者の存在にレックスらは僅かに緊張した面持ちを浮かべる。
 ゲアハルトはこの部屋で集まっていることを限られた数人にだけ伝えていた。“ふくろう”と名付けた内偵任務を与えた兵士に対してなのだが、彼が戻って来たということにゲアハルトは表情を僅かに強張らせながら入室するように促した。扉を開けて室内に身を滑り込ませた男の顔は特徴といった特徴もない、何処にもでいるような顔立ちのごく普通の男だった。ゲアハルトは彼から視線を相変わらず緊張した表情を浮かべているレックスらに戻すと「彼はシュレーガー家を内偵させていた兵士だ」と彼の正体を告げる。


「先日、彼にはシュレーガー家、というよりもエルンストの動きについて調べるよう言い渡していた。……このような場で悪いが、結果を報告してくれるか」


 まさかゲアハルトがそこまでしているとは思いもしなかったのかレックスらは一様に驚きの表情を浮かべていた。無論、ゲアハルト自身もこのようなことをすることは本意ではない。しかし、シュレーガー家――というよりも、現当主であるディルクは十分、警戒するに値する人物であり、予てより内通者を潜入させていた。今回の場合は、“ふくろう”をシュレーガー家自体よりも彼らが抱えている私兵への内偵を進めさせていたのだが、エルンストに内通の疑いが出たこともあり、彼への内偵調査が任務に加えられたのだ。


「率直に申し上げますと、エルンスト・シュレーガーの行動は掴み辛く何度も撒かれていました。こちらの存在に気付いているというよりも、警戒心が強いのか……兎も角、はっきりとした行動を掴むことは出来ませんでした。申し訳ありません」


 警戒心が強いことは確かであり、エルンストならやましいことがなくとも追手を撒くような行動するようにも思う。しかし、疑惑がある以上は、徹底的に調べ上げる必要があるということであり、もう少し内偵の人数を増やすべきだろうかと考えていると「ただ、」と付け足すように“ふくろう”が口を開いた。


「アイリス・ブロムベルグが誘拐されたその日、少なくともエルンスト・シュレーガーはシュレーガー家の邸にいなかったことは確かです」
「……何」
「こちらは私兵、使用人など邸の複数の人間から確認出来たことですので間違いないかと」
「ま、待ってください!確か、アイリスが誘拐された日に集まってた時……エルンストさんはシュレーガー家の邸にいたって……!」


 レックスは堪らず声を上げた。“ふくろう”の報告が間違いではないのならば、集まっていた者たちの前でエルンストは嘘を吐いたということだ。シュレーガー家の邸に居たはずの彼の存在が確認出来ないということは、エルンストは何処か別の場所にいたということであり、先ほどまでゲアハルトが推測に推測を重ねて口にしていた推論が一気に現実味を帯びる。
 邸にいたという報告が聞きたかったゲアハルトは“ふくろう”の報告に顔を僅かに青くした。つまり、自分が立てた推論が正しいかもしれない可能性が高まったということだ。だが、万が一にもその報告が誤りである可能性もまだ存在してはいる。その可能性を確かだと判断するに足るものではないということは分かってはいるのだが、今はその僅かな可能性にも縋りたい心境だった。
 エルンストはこれまでずっと共に戦って来た仲間だ。ゲアハルトにとっては最も近しい友人だ。そんな相手が裏切ったなどとは、思いたくなかったのだ。だが、今は戦争中であり、裏切ることなど日常茶飯事なことではある。現にカサンドラは自分たちを裏切り、ルヴェルチはこの国そのものを帝国に売り払おうとしていた。そのような状況で友人は裏切らないなどという確証は何処にもないのだ。


「……エルンストを捕縛する」
「司令官、」
「真偽は兎も角としても、疑わしいことに変わりはない。少なくともあいつはアイリスが誘拐されたその夜、シュレーガー邸にいなかったにも関わらず、俺たちには邸にいたと口にした」
「……」
「捕縛して洗い浚い吐き出させる。……それで、はっきりするさ」


 拳を握り締めながらゲアハルトは声を絞り出した。下手に動かれるぐらいなら、それをさせなければいいだけのことだ。捕縛してしまえば、たとえ何かしらの罪を犯していたとしても少なくともこれ以上、罪を犯すことは出来なくなる。苦渋の選択ではあるが、これ以上にいい方法など有りはしないのだと口にしようとした矢先――「司令官っ」と僅かに焦りの表情を浮かべた先ほど“ふくろう”同様に特徴のない顔立ちをした兵士が部屋に身を滑り込ませ、彼の姿を確認したゲアハルトは目を見開いた。彼はエルンストの監視に付けていた兵士だったからだ。


「エルンスト・シュレーガーに動きが、……軍令部、司令官の執務室に侵入しました」


 捕縛してしまえばこれ以上、罪を重ねさせずに済む。そう、口にしようとした矢先の報告だった。まるでタイミングを見計らったかのような行動にゲアハルトは顔を歪めた。後手に回り過ぎている自分自身に舌打ちしつつも、彼はすぐに指示を出す。


「レックス、お前は第二の半分の兵士を連れてシュレーガー邸に迎え。ただし、あそこの私兵と事は構えるな。ないとは思うが、エルンストが逃げ込むことへの牽制だ。それから、念の為に北区の城門は閉鎖させろ」
「了解です」
「残りの第二で軍令部を包囲。人手が足りなくとも、他の騎士団には伝えるな。緘口令を敷く。指揮は君に任せる」
「わ、分かりました。了解です!」
「レオはすぐに城に戻れ。エルンストもお前に危害を加えることはしないだろうが、万が一もある」
「でも、司令官、人手が足りないならオレも、」
「お前に付ける護衛に割く人員はない。城に戻れ、いいな」


 それだけ言うと、ゲアハルトはすぐに動き出すよう命令する。今は一刻の猶予もない状況だ。エルンストには白の輝石の隠し場所を伝えてあるのだ。それを手にすれば、彼はすぐに軍令部を離脱することだろう。そうなると、エルンストの行方を掴むことは困難になる。だからこそ、今すぐこの軍令部内で片を付けなければならない。なるべく第二騎士団の中だけで事を収めることが出来れば、エルンストの処断についても融通をつけることが出来るのだ。
 非情に成り切れていない自分の甘さが嫌になる。これまでだって多くの人間を切り捨てて来たのだ。現に、自分はアイリスを見捨てた。それにも関わらず、エルンストだけはどうにか助けようと考えているのだ。レックスやレオにしてみれば、思うところはあるだろう。それでも、容易く切り捨てるには惜しい存在なのだ。矛盾していることは分かっている。私情を挟んでいるということを指摘されれば、弁明の余地もない。それでも、エルンストのことをアイリス同様に切り捨てることは出来なかった。


「あいつは俺が止める。必ず、止めてやる」


 自分自身に言い聞かせるように、ゲアハルトはぼそりと呟いた。そして、腰に差している剣の柄に触れ、どうかこれを抜くことがないことを祈りながら、足早に自身の執務室へと急いだ。





「……エルンスト」


 目を見開くエルンストを前に、ゲアハルトは小さく唇を噛んだ。想定していた中でも最悪の光景が目の前に広がっている。嘘であって欲しかった。ただの想定に過ぎないで欲しかった。悪い予感で、終わって欲しかった。様々な言葉が脳裏を過る。けれど、目の前に広がっている光景こそが事実であるのだということも分かっていた。


「それを此方に寄越せ」


 一歩を踏み出す。このまま見ているわけにもいかない。エルンストを逃がすわけにもいかない。慎重に、向き合わなければならない。今ならまだ間に合うのだということを自分に言い聞かせながら、ゲアハルトはもう一歩、前に踏み出した。そして、手を差し出すと「今ならまだ間に合う」と口にする。


「……」
「エルンスト」
「……そんな言葉を司令官の口から聞くなんてね、意外だよ」


 ぽつりとエルンストは呟いた。ゲアハルト自身、まだ間に合うなどと自分が口にすることになるとは思いもしなかった。今までにも裏切る者がいなかったわけではない。だが、そういった人物を目の前にしても今と同じ言葉が出たことはなかった。問答無用で捕縛し、それが不可能であれば排除して来た。
 それにも関わらず、エルンストに対して吐き出している言葉は他ならぬ自分自身の甘さだ。捨て切れていない甘さが、今になって露呈したようなものだ。説得なんてせずに今すぐ拘束するべきであるということは分かっている。エルンストが手にしているものは隠し場所を教えていた白の輝石だ。それを無断で手にしている以上、反逆の意がないと判断することは出来ない。間に合うなどと甘いことを言わずに今すぐ捕縛するべきなのだ。それでも、これ以上は進めずにいた。


「問答無用で捕縛すると思ってた」
「……」
「そうするべきなんだよ。……俺は、白の輝石を奪取しようとしてる。……アイリスちゃんをカサンドラに攫わせたのも俺だよ」
「……っエルンスト、お前」
「自分が何をしたかは分かってるよ。でもね、不思議と後悔はしてないんだ」


 自嘲するような笑みを浮かべながらエルンストは言う。その深い青の瞳はどこか諦めているようだった。


「俺はね、どうしてもあの子が欲しかったんだ。自分のものにしたかった。俺のことだけ、見て欲しかった」
「……」
「一緒にいて欲しかったんだよ」


 けれど、それと同じぐらいに焦っていたのだと言う。そこまで言うと、エルンストは口を噤んでしまった。だが、彼が焦った理由は少なからず察することは出来た。
 アイリスはとても優しかった。それこそ、戦場に立つことが似合わないほど、真っ直ぐで優しい性格をしている。その真っ直ぐさがエルンストには眩しかったのだと思う。自分のことをシュレーガー家の人間として見ず、扱わず、近付かず、ただの一人の人間として見てくれることが嬉しかったのだろう。だからこそ、彼は一緒にいたいのだと、近くにいて欲しいのだと――自分を選んで欲しいと願ってやまなかった。
 その気持ちは分かる。ずっとシュレーガー家の人間としてしか扱われず、見られなかったエルンストにしてみれば、他意はなかったとしても、アイリスのそういった態度は嬉しかったのだろう。その気持ちは分かるのだ。けれど、だからといって、今回の彼の行動が許されることではない。そうさせてしまった原因が少なからず自分自身にあるということは分かっているのだが、それでも、許せることではなかった。


「エルンスト……だからといって、お前を野放しにするわけにはいかない。戻って来い」
「……俺が戻ったとしても、アイリスちゃんはどうするの?」
「お前が全てを話して、彼女の居場所を教えるのならそこに兵を出すことを約束する」
「大勢の前でアイリスちゃんを切り捨てるって明言してるのに?」


 覆すの、とエルンストは顔を歪めて笑った。出来るはずがないと思っているのだろう。ゲアハルトが今まで自分の意見も命令も翻したことがないことを知っているからこその笑みだ。だが、ゲアハルトにしてみれば、自分の意思を翻すことでエルンストが大人しく投降するのならば易いことだった。それで済むのならば、いくらでも翻意する気だったのだ。


「ああ」
「……それが本気だとしても、俺は受け容れられないよ」
「エルンスト、」
「だって、それじゃあ意味がない。アイリスちゃんをあいつに預けた意味がない。教えられないよ」


 首を横に振り、エルンストは明確な拒否を示した。翻意することがゲアハルトの譲歩だということも分かっているのだろう。そして、それが本気であることも気付いているはずだ。けれど、それでもエルンストの気持ちは変わらない。


「俺はね、誰にも取られたくないんだ。他の誰にも」
「……」
「だからあいつに預けたんだ。自分だけのものにしたいから、あいつの手を取った。……この気持ちは、司令官には分からないよ」
「エルンスト」
「分からないよ。心の底から望んだものが、いつだって手に入らなかった俺の気持ちなんて、分かるはずがない!分かるなんて言って欲しくないっ」


 顔を歪めて叫ぶその様にゲアハルトは唇を噛み締める。


「絶対教えない。……その所為で、たとえあの子が死んだとしても、俺は自分のエゴを貫き通すよ」
「……っ」
「そうじゃなきゃ、ここまでした意味がない。何もかも捨てた意味も、裏切った意味がないんだから」


 もう戻れないんだよ、という声が聞こえた気がした。戻れないからこそ堕ちていく道だと知りながらも前に進むしかないのだと、そう言っているように聞こえてならなかった。
 エルンストは一度顔を伏せると、そのままぎゅっと手に白の輝石を握り締めてすらりと腰の剣を抜いた。鈍く光るそれを構え、真っ向からゲアハルトと向き合う。その瞳はほの暗く、爛々と輝いている。言葉では言い聞かせられないことは明らかであり、抜きたくはないと思いながらもゲアハルトも手にしていた剣を抜いた。
 ぽつりぽつりと窓を叩く微かな雨の音が聞こえてくる。先ほどまでは晴れていた夜空をいつの間にか雨雲が覆い隠していた。




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