代償 - regret -



「ねえ、聞いた?またやられたらしいよ……」


 騎士団宿舎はしんと静まり返り、ひそひそとした話し声が飛び交っていた。だが、彼らの中ではある話題で持ち切りであり、誰もが不安げな表情を浮かべている。そんな中、カサンドラは「今回は第一に最近異動になった子なんだって」と早口に怖がった様子で口にした友人の言葉に同じような表情を浮かべて見せる。
 この数カ月の間、女性軍人を執拗なまでに痛めつけた後に殺害するという事件が続いていた。初期の被害者らは当初行方不明として扱われ、捜索されていたのだが、暫くして数人の遺体がまとまって発見されたのだ。その遺体のどれもが明らかに拷問を受けており、四肢が揃っているものの方が少ないほどだった。
 誰が何の為に行っているのか――被害者は女性と言っても、軍人だ、容易に手に掛けることが出来る相手ではないということもあり、王都は恐怖に包まれていた。今のところ、被害者は全て女性軍人ではあるものの、いつ一般市民にその手が伸びるとも知れないのだ。誰もが怯え、夜になるといつもならば賑やかな飲食街も最近ではすっかりと静まり返り、街には出歩く者はいないという。


「こんなことばかり続いて怖いわね」


 不安がる友人に対して頷きながらカサンドラは答えるも、その赤い瞳はどこか昏い光を湛えていた。怖いと言いながらも、その瞳の奥には愉しげな色が滲んでいるのだ。
 軍が威信を賭けて全力で捜索しているこの連続猟奇殺人の犯人こそが、カサンドラだった。仲間である女性軍人を捕え、拷問に掛け、許しを乞う相手の身体を切り刻み、殺す。手は血で赤く染まり、血と吐瀉物と糞尿の混ざったにおいが鼻腔を突く。不快感でいっぱいになるも、それ以上にその惨状を見て、自身の身体から流れ出す血溜まりの中に倒れ込む女を見て、興奮した。
 邪魔者を消しているのだ。いなくならなければならない存在を削除しているのだ。自分がギルベルトと結ばれる為には邪魔者を消さなければならない――それがカサンドラの行き着いた答えだった。邪魔をする者、彼に触れた者、優しくされた者、殺さなければならない相手はまだまだいる。これはまだ始まりなのだと、カサンドラは不安げな表情の下で口角を吊り上げて嗤っていた。


「本当に。……それに、ヒルダのことも心配。今回殺された子、ヒルダが可愛がってた子だもの……無茶をしなければいいけど」


 その言葉にカサンドラは昨夜、手に掛けた女のことを思い返す。ギルベルトと話し、褒められ、あまつさえ頭を撫でられてもいた。触れられたのだ。それを見た瞬間、頭に血が上った。今すぐにでも引き離して、殴りつけ、引き倒して首を締めあげたい衝動に駆られた。それでも、夜まで耐えたのだ。言葉巧みに宿舎から呼び出して王城に繋がる地下道にある知られていない小部屋に連れ込むまで、只管に耐えた。
 それからは愉しくて愉しくて仕方なかった。恐怖に震える彼女の身体を少しずつ傷つけていく。話したことを、褒められたことを、触れられたことを後悔するように。怖くて怖くて、今すぐ殺して欲しいと懇願するように、時間を掛けて痛みつけた。容易く殺しては面白くないのだということは、分かっていた。自分は傷つけられ、不愉快な思いをさせられたのだ。だからこそ、その分、ゆっくりと痛みつけてやらなければ気が済まなくもあったのだ。
 昨夜のことを思い返しながら、カサンドラはふとあることに気付いた。自分はもう、壊れているのだと。とてもではないが、今の自分の考え方が普通とは程遠いということは明らかだった。けれど、その事実に驚くでもなく、カサンドラはただそれを事実として受け容れた。そうだ、自分は壊れているのだ、と。
 彼のことを想うあまり、愛するあまり、自分はもう戻れないところまで来てしまったのだ、と。けれど、それがどうしたというのだ――カサンドラは自分自身の行為を止めるつもりはなかった。もしかしたら、今こうして自分のことを顧みたこの瞬間こそが、踏み止まる最後の機会だったのかもしれない。


「投降しろ、カサンドラ!」


 その夜のことだった。こっそりと宿舎を抜け出した矢先、一斉に潜んでいた騎士団の軍人らに包囲された。その中心には、苦渋の表情を浮かべているギルベルトがいた。どうやら自分が思っていたよりも――否、秘密裏に内偵調査が行われていたらしく、捜査の手がカサンドラにまで及んでいたらしい。
 もしかしたら、昨夜の一件も敢えて見逃されていたのかもしれない。思えば、やけに遺体が早く発見されていたようにも思える。けれど、確証を得る為であっても、一人の人間を見捨てているのだ。自身が加害者でありながらも、酷い判断をするではないかとカサンドラは顔を歪めて嗤った。
 いつかは知られてしまうとは思っていた。否、知られてしまってもよかったのだ。自分が彼と結ばれたいが為に何人もの女性軍人を手に掛けて来た。一人殺す度に近付けているようにも思えたのだ。無論、それがただの錯覚であるということも分かっていた。けれど、その瞬間の恍惚とした満足感を知ってしまうと、止めることは出来なかった。
 結局のところ、彼に近づきたかったということ以上に、刻みつけたかったのかもしれない。自分という存在をギルベルトの心に深く深く刻みつけて、一生忘れられなくしたかったのかもしれない――隣にいられないのなら、それぐらいは許して欲しい、それがカサンドラの言い分のようなものだった。
 狂っている。その自覚はあったし、理解されるとも思っていない。理解されたいとも思っていないのだ。自分のこの、狂ってしまうほどの想いをそう簡単に理解などされたくはない。誰にも理解されたくはないのだと、カサンドラは未だ信じたくはないのだという顔をしているギルベルトを見て思った。


「もう止めろ!どうしてこんなこと……一体何があったんだ!」


 そこからは互いに魔法を使った攻防戦となった。だが、既に陣形を整えている彼らを突破することは用意ではなく、また、突破する気もなかった。いつかは追い詰められるということは分かっていたのだ。だからこそ、逃走経路も予め用意していた。カサンドラはすぐに煙幕を張ると、すぐにその場からの離脱を計った。予め、煙幕には睡眠薬も混ぜているため、殆どの兵士は眠ってしまうだろう。その隙に王都の外まで逃げようと思っていたのだ。
 けれど、たった一人、追い掛けて来る者がいた。カサンドラが煙幕を使うことも予想していたのか、追撃するギルベルトの歩みに迷いはなかった。それでも多少なりとも、煙は吸い込んだらしく、足元が覚束ない。けれど、何とか自分を追い掛けてくることに驚きつつ、もしかしたら好都合かもしれないということに気付いた彼女はほくそ笑んだ。神は自分に微笑んだのだと、そう信じて疑わなかった。
 カサンドラは地下道までギルベルトを誘い込むと懸命の説得を続ける彼に対し、「投降してもいいですよ」と口にした。無論、ただで投降するつもりはない。投降すれば、自分は問答無用で死罪になるだろう。それだけの人数を私利私欲の為に惨殺したのだ。減刑の余地などあるはずもない。許されることなどないのだ。ならば、せめてひとつぐらいは我儘を聞いてくれてもいいだろう。そう思ったのだ。自分がたった一つ、願ったことを叶えてくれるのなら、その後は死んでもいいと思ったのだ。


「……それは、出来ない」


 一度だけでいいから抱いて欲しいと、願った。どうせ死ぬのだ。ならば、最後に一度だけ。それでもう何の抵抗もせずに捕まって、死罪に処されていいと思った。けれど、彼は頷いてくれなかった。馬鹿なことを言うなと思ったのだろうかとも思うも、きっぱりと言い放ったギルベルトの顔を見て、そうではないのだと気付いた。
 彼にはエルザがいる。とても大事にしているのだということは知っていた。だからこそ、今だって、たった一度だろうが何だろうが、彼女のことを裏切る真似はしたくはない――ただ、ただ、その思いだけで拒絶したのだということが、その顔を見て、目を見て、分かってしまった。
 何を言っても無理だということに気付いてしまった。たとえ自分が妥協しても、彼は頷いてはくれないだろう。そんなことなど、分かりたくなかった。知りたくなかった。最後の最後にギルベルトの手で、何もかもを叩き潰されたかのような気持ちに陥り、目の前が真っ暗になる。
 好きなのだ。本当に、ただ、好きなだけだったのだ。愛してしまった自分が馬鹿だったのだろうか。身の程を弁えなかった自分が愚かだったのだろうか。それでもやはり、愛しているのだということに思い至った時には、目の前にギルベルトが迫り、彼の紫の瞳は大きく見開かれ、いつの間にか握り締めていたナイフが深く、彼の心臓に突き刺さっていた。


「ふふっ、……はは、あはははははははははははははっ」


 嗤いが止まらなかった。手首を捻ってナイフを抜けば、血が勢いよく噴き出し、それがカサンドラの顔を濡らす。けれど、その生温くどろりとした頬を伝う血の感触さえ、心地よかった。どうやったって手に入らないことを思い知らされた。どれほど望んだところで、命を捨ててもいいからと望んだところで、それさえ受け容れてもらえないのだ。
 ならば、どうしたらいいのだろう。それを考えた時、ふと思いついたことがあった。受け容れてもらえなくても、彼を自分のものにする方法があるではないか、と。殺してしまえばいいのだ。
 血が溢れ出る胸を押えながらゆっくりと膝から崩れ落ちるギルベルトの肩を軽く押し、カサンドラは彼の上に跨った。息も絶え絶えの様子のギルベルトの表情が目に見えて強張った。その様子に彼女は満足げに笑う。抱いてくれないのなら、抱いてしまえばいいのだ。それだけのことだ。結果は変わらない。それを思うと、込み上げて来る嗤いを止めることは出来なかった。


「兄さん……っ、お、前……カサンドラ、何して……っ」


 それからどれほど時間が経ったことだろう。動く度に傷から溢れていた血の勢いがなくなり始め、組み敷いている彼の身体から体温もなくなり始めている。抵抗していた手足の力も抜け、だらりと投げ出され、自分を睨んでいた紫の瞳は虚空を見つめている。そんな中、唐突に駆け込んで来た者がいた。
 カサンドラは駆け込んで来たエルンストを見るも、緩慢に身体を動かし続ける。血に塗れたまま、自身の兄に跨る女を見て、さぞ気分が悪いことだろう――そう思いながらカサンドラが口角を吊り上げて嗤った瞬間、エルンストは口元を押えてそのまま床に込み上げて来たものを吐き出した。とてもではないが、受け付けられなかったのだろう。


「何をしていたのか……貴方の見た通りよ、エルンスト」


 カサンドラは深く呼吸を吐き出した後、ゆっくりとギルベルトの上から退くと気だるげにしながらも素早く身なりを整える。それでも、返り血を拭い取ることは出来ず、彼女の身体は赤に塗れていた。
 彼女は魔法でエルンストの動きを封じ込めると、その間にギルベルトの遺体に魔法を掛ける。このまま置いて行けば、亡骸は搬送され、最後に婚約者であるエルザと面会することになるだろう。それだけは許せないのだ。面会など許されないほどにぐちゃぐちゃにしようかとも一瞬思ったものの、やはりそれは躊躇われた。
 結局、氷の魔法を使ってギルベルトの身体を凍らせるに留まり、風の魔法を使って運び出すことにする。遺体を持ち運ぶ時点で手間は掛かるが、捨て置けない時点である程度の手間は致し方ないものとしてカサンドラは悠々と自身の魔法によって拘束されているエルンストの脇を通り抜けて王都の外へと繋がる地下道を歩き出した。不幸中の幸いは、追手がエルンストだけだったということもあるだろう。どうやら最初に自分を包囲した兵士らは眠ってくれているらしい。そうして彼女は、兵士らを出し抜き、たった一つの願いを叶え、けれど、愛した男を手に掛けて、その亡骸と共に出奔した。





「……もう、潮時かもしれない」


 ひんやりと冷たいギルベルトの身体に触れながらカサンドラは呟く。初めて魔法を掛けた時からずっと絶やさず、彼の身体を凍らせ続けている。最初はただ、血を止める為の処置として凍らせただけのことだった。けれど、出奔した後に黒の輝石の存在を知り、もう一度、ギルベルトを生き返らせることの可能性を掴んだが為に、目的は変わった。
 あれから既に二年経っている。たとえ、どれほど魔力を維持して彼の身体を変わらぬ状態で保っていたとしても、魔法にも限界はある。決して魔法が万能ではないということを日々思い知らされもした。もう、ギルベルトの身体の腐敗は始まっている。それはきっと、触れることを我慢し切れなかった己の所為なのだ。どうしても、冷たくはない彼の身体に触れたくなるときがあった。そして、その為に魔法を解いたことが何度もあった。
 腐らせたのは自分なのだと、カサンドラは顔を歪めて笑った。もう、時間がないのだ。急がなければならない。今すぐにでも黒の輝石を手に入れて編み出した術式を実行しなければ、ギルベルトの蘇生は成功しない。彼女の編み出した術式には、蘇らせる相手の身体が必要不可欠なのだ。こんなことなら我慢すればよかったと今更ながらに思う。けれど、最早どうすることも出来ない。今はもう、一刻も早く、黒の輝石を手に入れるしかないのだ。
 そのためには、形振り構っていられない。預けられいる兵の指揮など執っていられない。帝都に戻りさえすれば、あとは力づくでどうにかすれば、黒の輝石は手に入るかもしれないのだ。手中に収められなくとも、一時だけでもいいのだ。カサンドラはギルベルトの身体に顔を押しつけ、そして、覚悟を決めた。
 







「……な、何でこれ……こんなところに……」


 宿舎の自分のベッドで朝を迎えたアイリスは身支度を整えてから本来ならばこの場にあるはずのないものを見つけ、驚きに声を失った。幸いにも、今は同室であるエマらはそれぞれ警備や巡回などの任務に当たっている為、部屋にはいないのだが、慌てて口を閉ざして周囲を見渡してしまう。
 アイリスは昨夜、ヒルデガルトが付けてくれた護衛に付き添われて宿舎に戻った。既に就寝時間を過ぎていたこともあり、なるべく音を立てないように部屋に戻ったのだが、隣のベッドを使っているエマが物音に気付いて目を覚ましてしまった。彼女はアイリスの顔を見ると、酷く驚いた顔をした後に涙ぐみ、堪え切れない様子で勢いよくアイリスに抱き付いた。
 とても心配を掛けてしまっていたのだということを改めて実感しながら、アイリスはこのままでは他の人を起こしてしまうからとエマの肩にブランケットを掛けると彼女を連れて一旦部屋を出た。そして、これまでどうしていたのかということを話せる範囲でエマに伝えた。出来ることなら全て話してしまいたいところだが、それをしては彼女を要らぬ危険に巻き込むかもしれない。それだけはしたくはないのだと思いながら「もう戻って来たから平気だよ」と笑って見せた。
 それから夜も遅いということでエマが落ち着いた頃合いを見計らって部屋に戻ると、今日はもう身体を休めようと言うことになった。そうしてアイリスも漸く落ち着いて睡眠を取ることができ、ベッドに入るとすぐに泥に沈むように眠りに落ちた。けれど、眠ってから数時間後には、目を覚ましたエマ以外の同室も者たちがアイリスの帰還に気付き、問答無用で彼女らに叩き起こされてしまったのだ。彼女らにも同様に何があったのかを話し、互いに無事を喜びあった。そして、任務のあるエマらを見送った後、軍令部で寝起きしていた頃に使っていたものが入れられ、宿舎に運び込まれていた箱を整理しようとした時に本来この場にあるべきではないモノ――小さな袋に入れられた、白の輝石を見つけたのだ。


「でも、これ……多分、軍令部の部屋から運ばれて来たものだし……」


 偶然紛れ込んだとは考え難い。ゲアハルトが管理しているにも関わらず、彼が粗末な管理をするとは思えない。恐らく、敢えてこの荷物に紛れ込ませたはずだ。ならば、その理由は何だったのか――執務室の惨状から考えると、あのような状態になることもゲアハルトは想定していたのかもしれない。だからこそ、白の輝石をアイリスの荷物に紛れ込ませて戦闘状況には成り得ないであろう宿舎に移した、と考えることは出来る。
 兎にも角にも、色々と事情があったからこそこの場に白の輝石があるのだろうが、いつまでも回収されないままであっていいものではない。かといって、誰に預けていいかの判断を付けることは容易ではなく、だからといって荷物の中に再び紛れ込ませておくことも気付いた以上は出来るはずもない。
 結局、アイリスはローブのポケットに小さな袋に戻した白の輝石を入れて一先ずは階下に降りることにした。さすがにもうレックスも帰還しているはずだと思ったのだ。彼にならば相談することも出来るし、何よりレックスのことが心配だった。もしも何かあれば、誰かが知らせてくれるはずであり、そのことを思うと大事には至っていないのだろうとは思う。それでも、一度気になると顔を見るまでは安心出来そうになく、アイリスはベッドから立ち上がると足早に部屋を後にした。


「あー……レックスの奴、戻ってはいるんだけど……その、今は放っておいた方がいいと思うな」
「あの、どうしてですか?何処か怪我をしたとか……」
「そりゃあ、怪我の一つや二つはしてるけど、もう手当も済んでるし、大した怪我でもなかったよ。ただ……何か、すっげーイラついてるみたいだから、少しそっとしておいてやろうぜ」


 歯切れない悪い調子で、レックスと同室である彼は答えてくれた。彼の様子からも今はそっとしておいた方がいいのだということがありありと伝わって来る。イラついているのだと言っていたが、一体何に対して苛立っているのかは知れない。ただ、やはり心配ではあった。話をすることが出来ればいいのだが、無理矢理聞き出してもいい結果になるとは思えず、心配に思いながらも今は仕方がないのかもしれないと諦めるしかなかった。
 レックスとすぐに会えるとばかり思っていたこともあり、出鼻を挫かれてしまったアイリスは手持ち無沙汰だった。かと言って、気軽に出歩くわけにもいかない。まだ、周囲には帝国軍の追手がいるかもしれないのだ。特に今は、白の輝石を持ち歩いている。迂闊に捕まるわけにはいかないのだ。それを思うと、出歩くことも憚られ、結局のところは部屋にいるしかない。身体を休める必要もあるため、少し横になろうかと考えながら踵を返そうとした矢先、「アイリスさん!」と背後から呼び止められた。


「は、はい!」
「驚かせてしまってすみません。……実は」


 振り向くと、そこには昨夜宿舎まで送ってくれた兵士がいた。息を切らせた様子を見ると、どうやら急ぎの用らしい。どうしたのだろうかと考えていると彼は表情を緩ませ、「ゲアハルト司令官の意識が戻りました」ということを声を顰めて教えてくれた。まだ周囲には知らせたくないことらしく、アイリスは驚き、安堵するも、声には出さずに何度もこくこくと頷くに留めた。
 夜明け前には意識が戻っていたらしく、漸く安定して来たらしい。そして、アイリスが戻ったことを伝えると顔を見せて欲しいということで迎えに来たのだと彼は言った。都合がいい時に来てくれたらいいとのことだったが、白の輝石の件もあるため、ゲアハルトの体調がいいのであればすぐに行きたい旨を伝えると「先ほど起きていらっしゃったので大丈夫かと思います」と彼はアイリスを安心させるように穏やかに笑った。
 そうして彼に連れられてアイリスは軍令部に向かった。ゲアハルトが休んでいるのは別棟の一室であり、周囲は兵士らによって厳重に警備されていた。帝国兵らが襲撃することも考えているのだろう。物々しさに僅かに驚いた顔をしながらもアイリスは先導する兵士の後に続いた。そして、「此処です」と告げられた一室の前に立つと、彼は頭を下げてその場を離れて行った。
 アイリスは彼を見送ると、改めて扉を向き直った。そして、何度か深呼吸を繰り返すと軽く握った拳で扉を叩き、「ゲアハルト司令官、アイリスです」と声を掛けると。すると、暫しの後に「ああ、入ってくれ」というゲアハルトにしてはどこか気だるげな様子の声が聞こえて来た。やはりまだ体調は優れないのではないかとも思うもアイリスは促されるままに扉を開けた。



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