代償 - regret -



 ゲアハルトの意識が戻ってから数日が経ち、周囲は慌ただしさは日を追う毎に増しているようだった。そんな中、アイリスはその日、いつもよりもずっと早くに目が覚めてしまった。昨夜はエルンストがいない今、医務室のことはアイリスが一番よく知っているのではないかということで医薬品や消耗品の補充や発注に動き回っていたのだ。まだ身体に疲れは残っているものの、目はすっかりと冴えているということもあり、二度寝をすることも出来なかった。
 このままごろりごろりと寝返りを打つばかりなら、同室のエマらを起こしてしまうかもしれない。そう思った彼女はこっそりと部屋を抜け出して来たのだ。廊下の窓から外を覗くと、陽はまだ昇ってはおらず、薄暗いままだった。西の空には月も見えている。もうすぐ冬なのだということを自覚すると、途端に爪先から脳天まで寒気が走り抜けていくようにぶるりと身体が震えた。
 アイリスは腕を擦りながら、一先ずは鍛錬場に向かうことにした。最近は割り振られた任務をこなすことに時間が取られ、なかなか鍛錬に打ち込む時間が取れなかったのだ。そのことを思うと、今日こうして早く目が覚めたことは丁度よくもあり、アイリスは足早に誰もいないであろう鍛錬場へと足を進めた。


「え……、レックス」


 けれど、予想に反して鍛錬場には先客がいた。灯りも付けず、鍛錬場の中央で一心不乱に木刀を振るっているその人物の姿をよく見ると、そこにいたのはレックスだった。彼が迎えに来てくれた日以来、ずっと顔を合わせられずにいたこともあり、レックスの姿を見つけたアイリスは驚きに目を見開いた。
 今は普段ならば寝ていても何らおかしくはない時間帯だ。そんな時間にまさか自分以外にも起きている者がいるとは思わなかった彼女は今ならば話が出来るかもしれないと一歩踏み出そうとするのだが、鍛錬場に足を踏み入れた瞬間に伝わって来たそこに満ちる張り詰めた空気に息を呑んだ。


「……」


 とてもではないが、声など掛けられる様子ではなかった。そして、何より、ぴんと張り詰めた空気の中、一心不乱に木刀を振るうレックスのその姿があまりにも普段の落ち着いた様子とはかけ離れた様子だったことに気付くと、自然と開いた口を閉ざしてしまう。ともすれば、怪我をしてしまうのではないかと心配になってしまうほど、ただただ、我武者羅に木刀を振るっている。それはまるで、目の前の見えない敵に向かって剣を振り下ろしているかのようだった。
 あまりにもらしくないレックスの様子にアイリスは堪らず声を掛けたい衝動に駆られる。とてもではないが、見ていられなかったのだ。けれど、やはり声が口から出ないのだ。荒々しくもあり、危なっかしくもあるレックスの姿を見ていると止めなければと思うのに、あまりにも必死なその様子が、その気持ちを抑えつけるのだ。


「……誰だっ」


 声を掛けられず、かと言ってずっと顔を合わせられなかったこともあって心配が募っていたアイリスはその場を動けずにいた。けれど、すぐ傍の壁に凭れ掛かろうとした際に鳴った靴音が聞こえたのか、レックスは勢いよく振り向いた。そして、鍛錬場に現れた人物がアイリスであるのだということに気付くと、ばつが悪そうに視線を逸らした。
 その様子からもあまり顔を合わせたくはなかったのだということが伝わって来る。もしかしたら、この数日の間、一度も顔を合わせなかったのは意図的に避けられていたからかもしれないという考えさえ浮かんでくる。何か気に障ることをしてしまったのだろうかと考えるも、レックスがそのような理由で人を避けるとも思えなかった。
 気まずい沈黙が流れるも、このままでは駄目だと意を決したアイリスは「早いね。レックスがいるなんて思わなかった」と敢えてこれまでの数日のことには触れずに声を掛けた。ぴくり、と肩を震わせた彼は視線を逸らしたまま、曖昧な返事をする。


「ああ、まあ……お前こそ、珍しいな。まだ二度寝だって出来る時間なのに」
「目が冴えちゃって。せっかくだから久しぶりに身体を動かそうと思って来たらレックスがいたの」


 そう言うと、レックスは「そっか」とだけ口にした。いつもならば、それなら一緒にやろうと言ってくれていた。けれど、その言葉は出ず、彼の様子からも今すぐ話を切り上げたいのだということが伝わって来る。だが、アイリスにはその理由が分からなかった。


「怪我はもう平気なの?」
「ああ。……じゃあ、オレはもう行くから」
「……ねえ、レックス。聞いてもいいかな」


 踵を返して鍛錬場を後にしようとするレックスの背にアイリスは僅かに悩んだ後に声を掛けた。今でなければならない気がしたのだ。今を逃せば、またいつ会えるか分からない。今の状況を考えれば、それこそいつ出撃命令が出るかなんて分からないのだ。訳が分からないまま、気まずいままでいたくはない。アイリスはその一心で口を開いた。


「襲撃された後、何があったの?」


 大体のことはヒルデガルトから聞いている。馬車が襲撃され、アイリスとアベルを逃がして足止めに残っていたレックスは襲撃した帝国軍の兵士らを率いていた男と交戦した。そして、応援が到着した頃にはレックスが劣勢に立たされていたが、男は応援が到着するとあっさりと退却したのだという。
 レックスは決して軽いとは言えない怪我を負っていたこともあり、すぐに回収されて治療を受けたというところまでは聞いている。けれど、何かあったはずなのだ。そうでなければ、レックスのこの態度の理由が分からない。「何もないよ」と背を向けたままレックスは言うも、勿論、納得出来るはずもない。
 入口近くにいたアイリスは足早に鍛錬場の中央にいたレックスの元まで行くと、彼の目の前に回り込んで手を掴む。レックスの力ならば、容易く振り払われてしまうだろうが、それでも彼女はぎゅっとその手を握った。そして、視線を逸らす彼を真っ向から見つめ、「嘘吐かないで」と言う。決して咎めたいわけではないのだ。ただ、逸らされたその赤い瞳がとても苦しそうに、辛そうに思えたからこそ、放っておくことなんて出来なかったのだ。


「嘘なんて、」
「吐いてる。……見たら分かるよ、幼馴染なんだから」


 一緒にいた時間は決して長いとは言えない。それでも、幼い頃のレックスのことを知っているのだ。嘘を吐いているかどうかということぐらい、容易に分かる。何より、今の状態のレックスを見れば、誰もが嘘を吐いていることなど簡単に見破るだろう。それでも、敢えて“幼馴染なんだから”と言ったのは、自分に対してぐらいは吐き出して欲しいと思ったからだ。
 けれど、アイリスの気持ちとは裏腹にレックスの顔は目に見えて歪んだ。木刀を持つ手に力が籠り、悔しさや情けなさといった感情がその歪んだ顔に浮かんでいる。一体どうしたのだろうかと考え、アイリスは必死に先日の襲撃を受けた時のことを思い返す。帝国軍に襲撃され、帝国兵から逃げる為にアベルと共にレックスに足止めを任せた。それ以降の彼の行動についてはヒルデガルトから聞いたことしか分からない。
 一体何があったのか。それを改めて考えながら、ならばどうして彼は自分を避けていたのか、また、こうして怪我をしかねないような、らしくない鍛錬の仕方をしているのかも併せて考える。そうして、ふともしかしたらという考えが脳裏を過った。


「……襲撃した帝国兵の中に、あの人がいたの?」


 口に出してみると、すとんと全てのことに納得がいった。レックスの様子がおかしかった理由も、避けられていた理由も、何もかも。自分たちを襲撃した帝国兵の中に、否、彼らを率いていた者がアウレールだった――それが全ての理由であり、原因でもあった。


「……ああ、そうだよ。あいつがいた。オレはまたあいつに、負けたんだ」


 胸の内から吐き出すようにレックスは口にした。一度口にしてしまえば、あとはずるずると吐き出し続けるだけだった。エルンストがゲアハルトと交戦している時、応援に駆け付けようとした時にもレックスはアウレールと遭遇したのだという。だが、その時、アウレールが受けていた任務はあくまで妨害であり、また、レックス自身も急いでゲアハルトの応援に向かわなければならないこともあって少しばかり剣を交えただけに終わったのだと彼は言った。
 けれど、今回は本気だったのだと木刀を強く握り締めながらレックスは悔しげに言う。アウレールも本気で剣を向けて来た。これで漸く心置きなく仇討ちを果たすことが出来る――レックスはそう思った。だが、結果は惨敗。それも相手に情けを掛けられて生き残ったようなものだった。


「今までずっと、オレは剣の鍛錬で手を抜いたことなんてなかった。力だって手に入れたし、剣の腕だって認められた。それでも、オレは……勝てなかった」
「……」
「お前とアベルを追撃する帝国兵らを捨て置いてまでオレは自分の仇討ちを優先したのに、オレは勝てなかった上にあいつに情けを掛けられて惨めに生き残ったっ」


 ともすれば泣き出しそうな顔で、レックスは叫んだ。自分が情けなくて仕方ないのだろう。アイリスやアベルの無事よりも自身の悲願を優先したにも関わらず、それを果たすどころか仇に情けを掛けられたのだ。自分自身が情けなく、また、屈辱以外の何物でもなかったに違いない。


「オレは……自分が情けなくて惨めで、辛くて苦しくてどうしようもないんだ」
「……レックス、そんなこと、」
「力もないんだよ、オレには。鍛錬を続けたって、周りが認めてくれたって結局はこの程度だった。気持ちだけが強くても、実力が伴ってないんだよ」
「そんなことない」
「そんなことあるんだよ。だってオレは、幼馴染一人、満足に守れないんだから」


 泣き出しそうな顔で彼は笑った。そして、からりとレックスの手から零れ落ちた木刀が床に落ち、乾いた音が耳に届く。いつだって鍛錬に使った物を大事に扱っていたレックスらしからぬ様子に目を見開くも、彼はそのままアイリスに背を向けると鍛錬場の出入り口へと向かってしまった。咄嗟に「待って!」と声を掛けるも、レックスの足は止まらない。駆け寄ろうとするも、数歩も行かぬうちに足は止まってしまった。
 レックスはいつだって守ろうとしてくれていた。大事にしてくれていた。きっと今回の一件でも本当に心を砕いて事に当たってくれていたのだろうと思う。何より、最後に会ったのはレックスだったのだ。彼が責任を感じていないとは思えない。そのことを思えば、簡単に声など掛けられなかった。自分の存在がレックスを苦しめている――そのことを思えばこそ、足は床に縫いつけられたかのように動かず、爪先は彼が残していった木刀に当たり、からからと小さな音を立てていた。







 その日の午後、アイリスはバイルシュミット城の外縁部の庭にいた。ゲアハルトに許可を貰って訪れていたのだ。鍛錬場での一件の後、彼女はレックスに会えずにいた。これまで以上に徹底的に避けられているのか、宿舎でその姿を一目でさえも見ることはなく、宿舎の部屋にもいないらしい。何処に行ってしまったのだろうかと不安になるも、今はそっとしておいた方がいいのかもしれないと気掛かりに思いながらもアイリスはこの場を訪れていた。
 カサンドラらの襲撃を受けた際には荒れ果てていたものの、今となってはすっかりと元通りになっていた。まるで襲撃があったことさえ夢のように思える。けれど、実際に起きたことなのだということはアイリスが誰よりも知っていた。今でも時折思い出すのだ。近衛兵として城のいた時のことを、エルザと親しくしたことを、シリルを失った時のことを。じくりと、心が痛む。その痛みに、つい顔を伏せてしまう。――その時、ふと頭上から「アイリス!」という明るい声が降って来た。


「レオ……!」


 その声につられるように顔を上げると、城の渡り廊下から身を乗り出してレオが大きく手を振っていた。「おやめ下さい、陛下!」という周囲の慌てる声が彼女の元まで聞こえて来るも、レオは気にせず明るい笑顔を浮かべたまま、すぐに行くからそこで待っててと大声で言った。そして、アイリスの返事も聞かずに引っ込んでしまう。
 まさかレオに会うとは思いもしなかったアイリスはぽかんとした様子でレオが先ほどまで身を乗り出していた渡り廊下から視線を外せずにいた。バイルシュミット城はとても大きな城だ。こんなにも都合よく会うことなんてあるのだろうかと思っているうちに、庭までやって来たレオの周囲には以前自身も纏っていた深紅の軍服の近衛兵の姿はなかった。


「近衛兵は?」
「ちょっと離れてもらってる。それにオレは自分の身ぐらい自分で守れるよ」


 溜息混じりに言うその様子から普段からあれやこれやと周囲から言われているのだということが窺える。尤も、彼らはレオのことを思って言っているのだということは明らかだ。それを彼自身も分かっているからこそ、溜息を吐くことはあっても近衛兵らのことを邪険にすることはないのかもしれない。


「それで、今日はどうしたんだ?こんなところにいるとは思わなくてびっくりしたけどさ」
「司令官に許可は貰ってるの。……ちょっとね、この庭を見に来たの」
「庭って……兄上の庭ではなく、この庭を?」


 どうして、と言わんばかりにレオは不思議そうな顔をした。シリルが所有していた城内にある庭には、彼が隠していた白の輝石を見つけに行ってから一度も足を運んでいない。近衛兵としてこの城にいた頃には幾度となく足を運んでいたのに、今ではすっかりと遠のいている。そのことにもレオに言われるまでは気付けなかった。思っていた以上に、自分は余裕をなくしているらしいと改めて実感する。


「まあ、とにかく、こうして会えてよかったよ。アイリスが戻って来たってことは聞いてたけど、ちょっと忙しくてなかなか会いに行けなかったからさ」
「呼んでくれたらわたしから会いに行ったのに」
「それじゃあ意味がないんだよ。でも、本当に無事でよかったよ。お帰り、アイリス」


 ぽん、と手が頭に乗せられる。そのままわしゃわしゃと頭を撫で回されてしまうも、アイリスはされるがままになっていた。つんと、鼻の奥が痛くなって、じわりと目頭が熱くなったのだ。親しかった者たちが変わっていってしまう中、レオの温かさだけは変わっていなかった。そのことにどうしようもないほど、安堵したのだ。
 顔をくしゃりと歪める彼女にレオはぎょっとした様子で目を剥くと、「ど、どうした?!嫌だったか?ご、ごめんな!」と慌てる。そんな彼の慌てように顔をくしゃくしゃにしながらもアイリスは笑うと首を横に振った。レオは彼女の様子に心配げな顔をするも、深く聞こうとはせずに、「とりあえず、あそこに座るか」とやんわりとアイリスの背を押して庭の片隅にあるベンチに向かった。


「落ち着いたか?」


 それから暫しの間、並んでベンチに腰掛けるとレオは何も言わずにアイリスの頭を撫で続けた。そうしているうちにだんだんと落ち着きを取り戻した彼女はぐすりと鼻を鳴らしながら目の端に浮かんでいた涙をローブの袖で拭うと「ごめん」と謝る。考えるまでもなく忙しいレオの手を煩わせてしまったと頭を下げると、「何言ってんだよ」と少しばかり怒ったような声音で言った彼に頬を両手で押し潰されてしまう。


「謝ることなんて何もないだろ」
「で、でも」
「オレが好きでやってんの。お前が謝ることないんだよ」
「……レオ」
「アイリスが笑ってたら一緒に笑うし、泣いてたら慰める。普通のことだよ」


 お前だってそうだろ、と彼は笑った。その笑顔は以前と変わらない温かさに満ちたもので、頬から伝わる両手の温もりと同じだった。小さく頷いて見せると両手は離れ、レオはよし、と笑う。その笑顔を見る度に冷え切っていた心がじんと温かくなるようだった。


「アイリスは笑ってる方がいい。その方がオレは嬉しいし、癒される。最近ずーっと会議ばっかでおっさんの顔ばっかり見てたからさ」
「疲れてるのに、」
「ごめん、は無し。オレが好きでやってるんだからいいんだよ」


 先手を打たれ、アイリスは口を噤む。それと同時に失礼だとは分かりつつも、こんなに察しがよかっただろうかと思ってしまう。けれど、察しがよくなければならない場所に今、レオは立っているのだと思えば、当然とも思える変化だ。変わっていないとばかり思ったが、本当は変わっているのだろう。それでも、温かさを失ってはいないことに、やはり安堵するのだ。
 変化しない人間なんていないことは分かっている。自分だって周囲の者たちからすれば変わったと思われているはずだ。それでも、変わらないところはあるのだと、レオを見ていて実感する。


「今、やっぱり忙しいの?」
「うん、まあ……でも、忙しいのはアイリスも一緒だろ」
「それはそうだけど……」
「どういう状況かは言えないけど、……アベルがさ、色々と話してくれてるから。それで新たに分かったことの裏を取ったり、出撃予定を立てたり……まあ、色々」


 それに帝国軍も本腰を入れて動き始めてる。
 レオのその言葉にさっとアイリスの背筋を緊張が駆け抜けた。本腰を入れて動いているということは、全面戦争に発展するということだ。そろそろだとは思っていた。だからこそ、自分も周囲も慌ただしく出撃に備えて準備をしているのだということも分かっていた。けれど、それを国王であるレオの口から聞くとなると、やはり重みは各段に違って来る。


「あー、やめやめ!せっかく会えたんだから、こういう辛気臭い話ではなくてもっと楽しい話をしよう。な?えーっと……あ、ほら、レックス。あいつ、今どうしてる?好きにお菓子屋巡り出来て羨ましいっつの」
「……ちょっと、元気ないみたい」
「は?あいつが?鍛錬とお菓子をこよなく愛するあいつが?」


 本当に、と信じられないとばかりにレオは目を瞬かせている。余程、レオには想像がつかないらしい。もしかしたら、アイリスを元気づけるためにわざとそのような大袈裟な反応をしているのかもしれないが、彼女がこくりと小さく頷くとレオは頬を掻きながら「うーん……」と唸った。
 どうしたらいいか相談する機会かもしれない。そう思ったアイリスは今朝の出来事をレオに話した。すると、彼は何とも言えない表情を浮かべ、呆れたように溜息を吐く。


「まあ……あいつの気持ちが分からないわけではないけどさ」
「……」
「あの馬鹿、結局本末転倒だよな」
「え?」
「あいつはさ、多分……自分のことが許せなくて、情けなくて、仕方ないんだよ」


 あいつはただ、アイリスに無事でいて欲しい、笑ってて欲しいだけなんだよ。
 呆れた顔をしながらも、レオは優しい声音で言う。少しだけ目を細めながら、その理由を口にした。仇を討てなかったことだって悔しく思ってはいるだろう。情けを掛けられたことが情けなくて、惨めに感じているのだろう。けれど、それ以上に自分のことが許せないのだとレオは言う。


「お前の無事よりも仇討ちを選んだ自分が許せないんだよ」
「……」
「それと同じぐらい、自分のことが怖いんだよ。いつか、また同じようなことになったとき、お前のことを傷つけるんじゃないかって。あくまでもオレの予想だけどさ」
「……どうして、レオはそう思うの?」
「あー……友達だから、かな」


 レオはそう言って言葉を濁した。決して嘘ではないだろう。けれど、もっと他に確かな理由があるように思えた。けれど、それを問い質すことは出来ず。アイリスはそっか、と視線を落とした。何となく、レオの言う通りなのではないかと思ったのだ。レックスが自分のことを大事に思ってくれていることは知っている。そして、真面目で真っ直ぐな彼の性格を考えれば、仇討ちを何よりも優先した自分を許せずにいても何らおかしなことではない。


「とにかく、しばらく放っておいてやったらそのうち落ち着くよ」
「大丈夫かな……」
「平気平気。これぐらいでどうにかなるような奴じゃないよ。それはオレが保証するし、アイリスだって分かってるだろ?」
「……」
「あいつは、そんなに弱くないよ」


 だから笑って待ってればいいよ。レオはそう言うと、手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと先ほどと同じようにアイリスの頭を撫で回す。その手が先ほどと違って少し乱暴で、つい「痛いよ」と笑ってしまう。一度笑うと、あとは簡単だった。笑う度に心が解れていくようで、少しずつ温かくなっていくようだった。


「それじゃあ、わたしそろそろ行くね」
「おう。そういや、庭に何しに来たんだ?」
「……花をね、見に来たの。白い花」
「白い花?……ああ、そういやこの季節になると一面どこも白だったっけ……」


 そう言いながらレオは周囲に植えられている花々を見るも、それらはどれも赤や黄色といった花ばかりで白い花は咲いていなかった。アイリスもそれを不思議に思っていたのだが、どうしてだろうかと首を傾げていると「ああ、そっか」とレオは頷く。


「この辺り、確か襲撃された時に燃えてたからな……。多分、あっちの方は燃えてなかったから白い花があると思うけど、何でまた、見に来たんだ?」
「ちょっとね……約束があって」
「約束?」
「うん、もう忘れちゃってるかもしれないけど、わたしは覚えてたから」


 秋になったら一緒に来よう。そう、エルンストと約束したのだ。彼は覚えているかどうかは分からない。覚えていたとしても、幽閉されている彼がこの庭に来ることは出来ないだろう。たとえ出来たとしても、その花は冬を向ける頃には枯れているかもしれない。けれど、その約束を覚えている以上、見に来ないということは出来なかった。
 ベンチから立ち上がるとレオは一度口を開きかけるも、何も言わずに閉じた。そして、「それじゃあ、オレももう戻るな」と口にする。言い掛けた言葉はきっと、それではなかったはずだ。何を言わんとしていたかも気付きながらも、送り出してくれる彼の気持ちが嬉しくて、アイリスは気付かない振りをして頷いた。


「花を持って行きたかったら持って行ってもいいからな」
「うん、ありがとう」
「それじゃあ、今度はもう少しゆっくり会おうな」


 それだけ言うと、レオは足早に城に戻って行った。本当はこんなにも話す時間さえないはずだ。それでも、レオと話せてよかったと心底から思った。アイリスは城へと戻って行ったレオを見送ると、彼が教えてくれた方向に足を進めた。そして暫く歩いていくと、唐突に一面に広がる真っ白な花が視界に飛び込んで来た。
 風が吹く度に花弁が揺れ、いい香りがする。手を伸ばして柔らかな花弁に触れる。まるで一面、雪が降り積もった銀世界のようだった。エルンストが見に来ようと言っていた景色は美しく、彼がこの花を好きだと言った理由が分かったような気がした。けれど、今、隣に彼はいない。「綺麗ですね」そう言っても、そうでしょ、ときっと楽しげに言う彼の声は聞こえない。分かっていたことだ。独りで来ているのだから。それでも、思ったのだ。二人で来たかった、と。ひんやりと冷たい風が吹く中、アイリスはただ一人、白い花が咲き誇るそこに立ち続けた。



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