開戦 - struggler -




 気配を消し、足音を殺し、レックスは所定の位置に身を潜める。潜入するに当たって必要なものは帝国兵らが纏っている装備だ。雪国ということもあり、顔も殆どをゴーグルで隠すその装備は丁度良く、これから奥深くまで潜入するためには必要不可欠なものだった。身を顰めながら周囲を窺いつつ、レックスは合図を待つ。
 合図はこれから襲撃することになる帝国兵から見て真正面の木の影に隠れている仲間に任せている。彼の位置からならば、周囲の様子も
見えやすい――しかし、その分、帝国兵に察知される可能性もあるため、最新の注意を払わなければならない。最も避けなければならないことは抜け道内に逃げ込まれること、仲間を呼ばれることだ。
 レックスは音を立てないようにゆっくりと鞘ごと剣を引き抜き、合図を待つ。周囲に潜んでいる仲間もそれぞれ捕縛の準備をしているはずだ。帝国兵を気絶させる役目はレックスが担い、残りの仲間で捕縛し、装備を剥ぎ取ってレックスが潜入している間に尋問するという手筈になっている。


「……後味のいいやり方ではないけど仕方がないか」


 そもそも戦争に後味も何もあったものではないだろう。やっていることは殺し合いなのだ、そこに大義を掲げて己が行為を正当化しているに過ぎない。レックスは小さく溜息を吐き出して思考を切り換えると、剣を担ぐ。そして、ちらりと視線を合図を出す仲間へと向けると、彼はさっと周囲に視線を向け、こくりと小さくレックスに対して頷いた後、さっと手を振った。
 それと同時にレックスは見張りの為に抜け道の傍に立っている兵士の背後に駆け寄り、鞘に収めた状態で剣を振るった。急所に一撃を与えると、どさりと帝国兵の身体は傾いだ。レックスは剣をその場に置くと、気絶したらしい帝国兵の脈を測る。指先に微かに感じる鼓動に安堵しつつ、レックスは彼の身包みを剥ぎ始める。
 レックスは自身の着ていたものを脱いで素早く回収した装備を身に付けていく。その傍らで姿を現した仲間たちがそれぞれにレックスの本来の装備や帝国兵を回収していく。最後に残った仲間に見た目を確認してもらうと「ばっちりオレらの憎き帝国兵にしか見えねーよ」と軽く握った拳で肩を押される。


「間違ってオレを攻撃するなよ」
「ああ、善処する。こっちはこっちで話を聞き出しとくから抜け道の方はお前に任せるぞ」
「了解した」


 レックスは頷いて敬礼すると素早く抜け道へと身体を滑り込ませた。そのまま周囲を伺いながらゆっくりと足を進めていく。この抜け道の見張りの交替間隔は他の抜け道よりも長い。つまり、然程多くの兵が割かれているわけではないということだ。先ほど装備を奪った帝国兵が交替したのはおよそ二十分前であり、あと四十分は本来であれば見張りの任に就いているところだ。
 このことから次の交替要員はまだ準備をしていないか、もしくは仮眠でも取っているはずである。探るならば今しかない――そう思って薄暗い抜け道を進み、攻撃目標である門の方へと方角だけを頼りに歩いていると不意に反対方向から足音が聞こえてきた。レックスは舌打ちするも、想定していたことではあったため当初の予定通り、その場に蹲った。
 元々、潜入した抜け道は出入りしている人数が他と比べて少ないというだけのことであり、ベルンシュタインよりも多数の兵力を帝国軍は保有している。つまり、“少ない”とは言ってもレックスらにとってみれば十分に多いのだ。地上からは見えない抜け道の内部に入ってしまえば、それこそ表に人が出ていないだけでどれだけの人数がいるかは分からない。
 しかし、それらは予想出来ていたことだ。努めて冷静に自分自身を落ち着かせながらレックスは呻き声を上げる。暫くそうして体調が悪い振りを続けていると、「お、おい、どうした!」と此方に向かって歩いて来ていた兵士が駆け寄ってきた。彼はそのままレックスの傍らに膝をつく。


「ちょっと……体調が悪くて」


 掠れた声を意識しながらレックスは顔が見えないように俯き、腹を抱える。その様子に「おいおい、大丈夫か?」と心配げな声を掛けながら休憩室に行った方がいいと蹲っているレックスに立つように促し、彼は身体を支えながら歩き出す。親切に付け込んでいることに良心が痛まないでもないが、それよりも予想していた以上に上手くいったことに安堵した。
 運がよかったのか、それとも彼らに危機がないのか――その両方か、兎も角、上手くこの場を切り抜けられる上に恐らくは内部資料などもるであろう休憩室に早速辿り着けることにレックスはこっそりと口端を持ち上げた。


「兎に角、ここで休んでろ。お前、今出てる見張りだろ?俺が代わりに行くから」
「すみません……」
「いいって。兎に角、お前は休んで体調整えろ。で、治ったらまた働いてもらうからな」


 それだけ言うとレックスを休憩室らしき部屋に押し込み、慌ただしく出ていってしまった。一人残されたレックスは表情を引き締めるとすぐに室内にさっと視線を配った。
 こじんまりとした小さな部屋だ。物で溢れた雑多な部屋だが、どこか温かみの感じられる場所だった。しかし、レックスは軽く頭を振って浮かび上がる感傷を追いやると、すぐに抜け道内部の資料を探し始めた。休憩室とはいっても、恐らくは全体図ぐらいはあるはずだ。出来れば変装出来るように装備品もいくつか回収したいところだが、最優先すべきは内部の図面だ。
 レックスは音を立てないように気を付けながら捜索を開始する。いつ戻って来るか、誰が来るか分からない状況ということもあり、自然と気持ちは急いてくる。しかし、急いては見落としをしかねず、レックスはゆっくりとした呼吸を心がけながら捜索に専念した。


「……これか、全体図」


 探し始めてそこそこの時間が経った頃、レックスは漸く抜け道内の全体図を見つけた。全体図を見た限り、どうやら読み通り、内部は全て繋がっているらしい。無論、攻撃対象の城門に近付けば近付くだけ内部は複雑になり、広さも現在地の倍以上はある。その分、収容できる兵士も多いことが見て取れる。
 レックスは全体図の資料を折り畳んで懐に仕舞い込むと他にも何かめぼしい資料はないかと探し始めた。そうして暫く探し続けると全体図以外にも様々な資料が見つけられた。より詳細な内部の地図の他に帝都内部の地図や攻撃対象である城門付近の地図があったのだ。こんなにもあっさりと入手出来るとなると管理が杜撰どころの話ではない。罠かもしれないとも思うが資料の古さから設計当初のものであるということが窺える。
 どちらにしろ、これらの資料の真贋を確かめている余裕はないのだ。ある程度正しいものとして使うしかない。しかし、こうして改めて城門の内部などに目を通すと、本隊到着までに占領した上で門を開放すること――もしくは開放し続けることは決して容易ではない。資料によると、城門と抜け道から繋がっている地下通路は繋がっているのだ。つまり、事が起きれば地下通路にいる兵士らは恐らく城門付近に集結する。その上、地上の帝国兵らも集まって来るのだ。それらを僅かな仲間たちと共に抑えることはまず不可能であり、最優先事項の城門の開放さえ難しいだろう。


「……何か手を考えないとな」


 時間も物資も限られてる。しかし、力押しでは勝てないと分かっているのだ。分かっていて力押しでどうこうしようと考えるほど、レックスも馬鹿ではない。時間は限られている。だが、物資ならば調達することは決して不可能ではない。それなりに危険は伴うだろうが、資料によると地下通路内に武器の保管庫があることも確認済みだ。
 しかし、どのように手を打つか――それが問題だった。物資を確保するにしても一人では運び出せる数に限りがある。そうなると、今度は潜入するために帝国兵の武装を用意しなければならない。が、どうやら余剰分も保管庫にあるらしく、休憩室内には物が多い割に肝心な装備品は見当たらなかった。
 いざとなれば先ほど休憩室まで案内してくれた兵士のものを剥ぎ取ればいい――レックスは思考を切り換えると、それぞれ見つけた資料を折り畳んで懐に仕舞った。それを服の上から押え、次の行動を考える。このまま奥まで進みたいところだが、下手に動けば怪しまれる。ならば、一度仲間たちのところに戻った方がいいだろう。その時に今見張りに出ている先ほどの兵士を気絶させ、装備を奪取する。そして、仲間たちにこれからの行動について話し合った上で再び潜入し、行動に移ることに決めるとレックスはすぐに休憩室を出た。


「ん?もういいのか?」
「ええ、すみませんでした」


 記憶を頼りに出入り口まで戻ると、レックスは代わりに見張りを買って出た帝国兵に対して申し訳なさそうに頭を下げてみせた。そして、「いいって。気にすんなよ」と気の良い返事をした彼に掴み掛かり、口を塞ぐとそのまま首を締め上げた。だらりと腕が下がったところで漸く開放し、レックスは彼を担いで出入り口から姿を現した。
 そして、周囲を見渡してから顔を隠しているゴーグルを外すと、様子を窺っていたらしい仲間の一人が少し離れた場所から腕を振ってきた。それに手を振り返したレックスは帝国兵を担ぎ直して彼らと合流するべく歩き出した。










「動ける人から馬車に移動してください!」


 最前線から遙か後方、アイリスは手当を終えた兵士らに声を掛けて回っていた。明け方から始まった帝国軍との戦闘は既にその趨勢がベルンシュタインへと傾いていた。それは恐らく、ゲアハルトが持ち直したということもあるのだろうがそれ以上に昨晩優勢だったことが帝国軍の油断を誘ったのだろう。
 既に掃討戦へと移行しつつあることもあり、後方に下がっている負傷兵を先遣している昨晩の負傷兵らと合流させることになったのだ。今回の戦闘での負傷兵は前回に比べると格段に少ない。そのことに安堵しつつも帝都はもうすぐそこまで迫っている。そのことを思えば、やはり兵力が徐々に削られているため、不安要素は決して少なくはない。
 けれど、不安だからと逃げ帰るわけにはいかない。逃げ帰ったところで補充できる兵力などないのだ。


「アイリス、君も馬車へ。先に合流地点に向かってくれ」
「了解しました」


 声を掛けて来た軍医に対して敬礼すると、アイリスも足早に馬車へと向かった。そこには身体の至るところに包帯を巻いた兵士らが多かったものの、彼らの士気は決して衰えていない。そのことに安堵しつつ、アイリスは馬車に乗り込むと「痛むところがあればいつでも声を掛けてください」と彼らに対して口にした。
 程なくして馬車は動き出す。アイリスは冷たい風を遮るべく幌へと手を掛け、後方へと遠ざかっていく最前線へと視線を向けた。あそこにはまだゲアハルトが残っている――しかし、彼ならばもう大丈夫だろうとアイリスは僅かに眉を下げて笑みを浮かべた。
 それから暫くの間、合流地点の街に到着するまでは時折痛みを訴える負傷兵の手当や備品の整理や補充の確認に集中していた。だが、深夜から殆ど休む暇もなく動き続けていたため、馬車の緩やかな揺れも伴って次第にうつらうつらと眠気が襲ってくる。それは周囲の負傷兵も同様らしく、彼らの殆どが眠ってしまっていた。


「君も寝ちゃって構わないよ」
「いえ、そういうわけには……」
「いいからいいから」


 欠伸を噛み殺している瞬間を見られたらしく、苦笑を浮かべながら負傷兵の一人が声を掛けて来た。彼らのように最前線に立っているわけではないのに、居眠りをするわけにはいかないとアイリスは首を横に振るのだが「休めるときに休むのは大事なことだよ、そこに最前線に立つとか後方だとかは関係ない」と諭すように言われてしまう。
 尤もなことであり、いざというときに動けなければそれこそ問題である。アイリスはそれじゃあ少しだけ、と医薬品がまとめられている木箱の傍らに腰を下ろした。そして、時折がたんと揺れる木箱に背中を預けると、途端に瞼が重たくなる。余程疲れていたのだということを思い知らされるようであり、あっという間に意識は泥の中に沈んでいくように途切れてしまった。


「――て。ほら、起きて。着いたよ」


 それからどれぐらい経ったのか――肩を揺さぶられてアイリスが俯けていた顔を持ち上げた頃には既に馬車は停まっていた。そのことに気付いて慌てて身体を起こすと、起こしてくれた負傷兵がその慌てっぷりに可笑しそうに笑った。「お疲れ様。合流地点に到着したらしいよ」と改めて声を掛けられ、アイリスは情けなさや恥ずかしさで顔を赤くしながら「すみません、起こしてくれてありがとうございました」と口にするとそそくさと馬車を後にした。
 馬車を下りると先に到着していた第三騎士団の面々を中心に荷物の運び出しや負傷兵の移送が始まっていた。それだけでなく、新たにこの街から徴発したらしい物資も数多く見られ、帝都への侵攻が間近に迫っているのだということを否応なしに感じさせた。


「アイリス!お前も先に来ていたのか」
「バルシュミーデ団長……、はい、つい先ほど到着しました。本隊も既に掃討戦に移行しつつありましたので夕方頃には此方に到着するかと」


 敬礼の後に報告するとヒルデガルトはそうかと頷いた。しかし、その表情は本隊が合流すれば明日にも帝都に攻め入るという状況にあるにも関わらず翳りがあった。彼女の表情の翳りに少なからず心当たりのあるアイリスは周囲を一瞥した後、声を顰めて「まだ覚醒していないんですね」と口にした。


「ああ。エルンストたちが今も実験に取り組んではいるが……そもそも、実験だからな。もしかしたらやり方が間違っているのかもしれない」
「それは……」
「お前やクレーデル団長を責めているわけではないよ。ただ、可能性の話さ。石自体、ずっと正妃が隠匿していたものだ。実物がないのにクレーデル団長は資料を集めてよく研究なさったと思ってる」
「……はい」


 ヒルデガルトが養父を責めているわけではないということは重々分かっていた。彼女の言っていることは間違ってはいないし、たとえ今も行われている養父の仮説を元にした実験が成功しなかったとしても、実物が手元にない状態で集めた資料から構築した方法であることを考えれば失敗して当たり前のことでもある。
 それでもやはり思うところはあるのだ。表情を曇らせるアイリスにヒルデガルトは幾分か慌てた様子で「と、とりあえず場所を変えよう」と口にする。彼女に促されるままにアイリスは馬車の傍を離れて徴発したらしい街の酒場へと足を踏み入れる。詰所代わりにされているらしく中には地図が広げられ、これまでの行軍が書き込まれていた。地図から見ても、帝都までの道のりはあと僅かなものだった。


「さっきの話の続きだが、私は今すぐに白の輝石を覚醒させる必要もないと思っている」
「え?でもそれじゃあ、」
「勿論、覚醒してくれた方がいい。ただ、望み薄なものに縋るわけにもいかない。ここまで来ているのに奇跡を信じて待ち続けることなんて出来ないからな」


 起きるか分からない奇跡など待てない――ヒルデガルトの言葉にアイリスは小さく頷いた。白の輝石の覚醒は急務ではあるが、どちらにしろ、やることは変わらない。ヒッツェルブルグ帝国の皇帝であるヴィルヘルムを討ち取り、彼が手中に収めている黒の輝石さえ確保することが出来ればこの戦争は終わるのだ。黒の輝石の取り扱いには注意が必要ではあるが、確保してから対処すればいいだけのことである。
 それも十二分に難しいことに変わりはない。しかし、白の輝石の覚醒が見込めない以上、いつまでもそれを主軸に置いた作戦に縋り続けるわけにもいかないのだ。ヒルデガルトはこのことをゲアハルトが到着次第、掛け合うつもりだと口にした。


「……あいつには、辛い戦いになると思う」
「そうですね。……でもきっと、司令官は成し遂げられると思います。大丈夫ですよ、きっと」


 悲願だと仰っていたけれど、それ以上日、ご自分で決められたことは必ず成し遂げられる方だから。
 だから大丈夫なのだとアイリスは笑った。決して心配していないというわけではない。寧ろとても心配ではあるのだが、それでも、きっと大丈夫だという気持ちの方が強かったのだ。ヒルデガルトはアイリスの言葉に目を瞠り、そして、眉を下げて笑った。敵わないはずだと小さく呟き、軽く溜息を吐く。


「ヒルダさん?」
「いや、何でもない。そこは私とお前の違いだと実感しただけだ」


 心配ばかりしている私と信頼しているお前とでは違うわけだ、と口にするヒルデガルトのアイリスはどういうことかと首を傾げる。しかし、彼女は説明を付け加えることはなく、代わりに「ゲアハルトの到着までにある程度資料を整理しておきたいんだ。手伝ってくれるか?」と口にした。「メルケルは隊を率いて斥候に出てるから今いないんだ」と肩を竦めて見せるヒルデガルトにアイリスは頷く。
 酒場の外では今も慌ただしく兵士らが動き回っていた。あともう少し、もう少しで全てが終わるのだと――そう思うと、自然と気分は高揚した。それは恐らく、動き回っている兵士らも同様なのだろう。出来ることならこのままの勢いで全て乗り切ることが出来ればいいのに、と思いつつ、アイリスは目の前に散らばっている書類の整理に取り掛かった。 





141125

inserted by FC2 system