「ところで、司令官ってどういう子が好みなの?」
「ぶふぉっ」


 ちょっと、汚い。
 思わず珈琲を噴き出した俺に対し、その原因を作ったアベルは顔を顰めて吐き捨てるように言う。こいつ、自分の所為だと分かってるのか。何の脈絡もなくいきなり、それもアベルが言うのだから他の誰だって俺のように珈琲を噴き出しても仕方がないはずだ。いや、珈琲とは限らないが。
 投げ寄越された布巾でテーブルを拭きつつ、努めて冷静さを装って(珈琲を噴き出した時点で冷静さなんてないのはお見通しだろうが)どうしてそんなことを聞くのかを問い掛ける。向かい側に座っているアベルは普段と何ら変わらない様子でカップに口を付けながら「ただの好奇心だよ」と言う。お前の好奇心の所為で俺は珈琲を噴き出したのか、殴るぞ。


「別にお前に話すことでもないだろう」
「言えないの?」
「人に聞くときは自分から話すのが礼儀だろう」
「それって名前の時だけでしょ。まあいいけど」


 何でこいつはいつも上から目線なのか、と思うもそれが常であるし、今更下手に出てへこへこ愛想よくしているアベルなんて想像しただけでも寒気がする。というか、そもそもこいつに異性への興味があったこと自体に驚いた。悪いことではないが、そういうことには何の興味もないとばかり思っていたからだ。
 そんなことを考えていると、じとりとした目が俺を見る。「僕の顔に何か付いてる?」と言うも、黒い瞳はじっと俺を見て何を考えていたのかを探ろうとしているようだった。


「お前がこういう話を持ち出すのは珍しいからどうしてかと考えていただけだ。興味もなさそうだからな」
「それを言うなら司令官だって興味なさそうだよ。選り取り見取り出来るのに。こないだもどこかの貴族の女と引き合わせられかけてなかったっけ?」


 何でそんなことまで知ってるのか、と溜息を吐いてしまう。大方、エルンストあたりが面白がって吹聴したのだろうが、色々と理由を付けて逃げ、……ではなく、断った。それを言うと、アベルは肩を竦めて「断ったのも知ってるけど、だからこそ気になるんだよ」と口にする。特定の相手さえいれば断るのだってあれこれ理由を付けなくても楽に出来るでしょ、と尤もなことを七歳したのガキに言われると、さすがにいらっとする。
 それが出来るならとっくにそうしている。が、出来ないからこそ逃げ回っているのではないか。無論、それをアベルに言うつもりはない。言ったところで火に油を注いで、余計に追求して来るに決まっている。レックスやレオなら簡単に煙に巻くことは出来るだろうが、あいつらよりも数段上手のアベルにはそうもいくまい。下手をすれば、エルンストよりも性質が悪いのがアベルなのだ。


「そもそも、身元のはっきりしない俺なんかに大事な娘を差し出す貴族の連中の方がおかしいんだ。そんな奴らをあしらう為にわざわざ特定の相手を作る必要もない」
「自分で身元がはっきりしてないって言っちゃうんだ」
「おい」
「冗談だよ。身元がどうあれ、やることやってれば誰も文句は言わないんだからいいじゃない。陛下のお墨付きだってあるんだから」


 変なところで元気づけるようなことを言うのだから、アベルのことはよく分からない。だが、以前までのこいつの様子を思い出すと、今のような言葉が出てくることはまずなかった。人のことを気遣うなんて、アベルはまずしない。というよりも、人と関わること自体を避けているようだった。それがここまで変わってこんなにも饒舌になるのだから、人の変化はまるで読めない。
 尤も、アベルがこんなにも変わったのは、アイリスのお陰なのだろう。普段、二人がどういうやりとりをしているのかはあまりよく知らないものの、頑なで人を寄せ付けなかったアベルをこんなにも変えたのだ。それを思うと微笑ましくもあり、それと同時に何とも言えない感情が過る。大人気ない、と思うも、黒い靄は一度気付くと少しずつ胸の中に広がっていくようだった。


「司令官?どうかした?」
「……いや、何でもない」
「そう?それじゃあ逸れた話を戻すけど、どういう子が好みなの?」


 このタイミングでその話に戻すのか――と、思わず頭を抱えたくなる。脳裏に浮かぶのは彼女のことだが、さすがにそれを口にするわけにもいかない。というか、アベルだって凡その予想は付いているはずだ。その上でこんな話を振って来るのだから性格が悪い。いや、俺だって人の性格をとやかく言うことは出来ないが、それでもやっぱりこいつは性格が悪い。


「お前はどう思うんだ?」
「司令官の好み?そうだな……」


 アベルはカップをテーブルに戻すと、軽く首を傾げる。予想は付いているのだろうから、言い当てることなど簡単だろう。ああ、そうだ、と頷いてやって、それでさっさと話を打ち切る。これでいこう。そう決めて、冷静に、努めて冷静に珈琲を飲んでいると「難しいよね、あんたの場合は」という呟きが聞こえて来た。


「甘党二人組と馬鹿軍医は簡単なんだけど」
「そうか?」
「そうだよ。レックスは一緒にいて守ってあげたい子が好きだし、レオは一緒に騒げる楽しい子、馬鹿軍医は自分のことを見てくれる子」


 要はアイリス、ということだ。でも、それぞれ聞いてみるとそうだろうなとは思った。それぞれ求めているものがそれ、というか。特にエルンストの場合は頷かざるを得ないし、そもそもアベルもよく気付いたなと感心する。黙認しているが、色々と探っているために過去のことも知っているのかもしれない。


「それじゃあ、お前はどうなんだ?」
「僕?……僕は……」


 はっきり言って、アベルの求めているものが何なのかは分からない。何も求めていない、欲がないように思えてならない。アベルは不自然なほどに、何も求めようとしなかった。だからこそ、意外だったというのもある。本人はどの程度自覚しているのか、重きを置いているのかは分からない。だが、少なくとも他の誰よりも何よりも、こいつの中ではアイリスは特別なのだということは見ていれば分かる。アベル自身の変化を見ていれば、否応なく思い知らされる。


「……距離感が、」
「……」
「距離感が上手く取れる子、かな」


 それはまた難しいことを言うなと漠然と思った。距離感を取れる者はいるだろう。だが、アベルが求めるレベルで上手く取れる者はそう多くはないはずだ。特に何を考えているか分からないアベルだ。どの程度近付くことが許されるのかも、どの程度踏み込めば嫌がるのかも、はっきり言って俺は分からない。今こうして、こんな話をしていることさえ、今までも予想もしたことはなかったのだから。
 不快にならない程度に踏み込み、嫌にならないうちに離れていく。言葉で言うほど、簡単なことではない。それをアイリスがやってのけたのだろうかと考えるも、実感は湧かなかった。俺の知っている彼女は確かに空気を読むことに長けてはいるし、順応性も高い。が、はっきり言ってアベルと打ち解けることはないと思っていた。


「……多分、だけど。あんまりこういうこと考えたことないからよく分からないよ」
「そうか」
「そうだよ。……考える余裕なんてなかったし、そんなこととは無関係な生活をしてたんだから」


 アベルがこれまでどういう生き方をしてきたのかは知らない。こいつの情報はいくら探ってもはっきりとしたものは出てこない。ルヴェルチの推薦で特例入隊をしている以上、注意しなければならない対象なのだ。探れるいい機会だろうとも思う。だが、無関係な生活をしてきたのだと口にしたアベルの顔を見ると、言葉が出なかった。
 全てを諦めたような、諦念に満ちた昏い目をしていた。たかだか、16歳の少年がするような目ではない。暗くて重い何かを抱えているようであり、その目はこいつが入隊してからずっと見せていた懐かしい目でもあった。ああ、そうだった。こういう目をしていた。指示には従っていたし、よく働きもした。だが、いつもずっと昏い目をしていたのだ。
 最近はすっかりとそれも変わり、明るくなったわけではないものの、目に少なからず光が宿っていた。だからこそ、忘れていた。俺としたことが、と思うも、変化としては良いものなのだ。色々と思うところはあるが、良い方向に変化しつつあるのならこのままの方がいいとも思う。


「……そう言えば、俺の好みの話だったな」
「え?ああ、うん。そうだよ」
「気になるのなら当ててみろ」


 話を切り換えれば、アベルはきょとんとした顔をする。昏い目は鳴りを潜め、大きい目をぱちぱちと瞬かせる。だが、すぐに口角を持ち上げて意地の悪い笑みを浮かべた。こういうところは少し、エルンストに似てもいる。入隊してから誰とも関わろうとしなかったアベルが少しずつ、アイリスと出会ったことで周りと関わり始めた。そうして、少しずつ周りから影響を受け始めて、少しずつ変化している。
 それはきっと良いことだ。後々、その結果がどのように出てくるのかは知れない。だが、少なくともそれはきっと、アベルにとっては大事なものになるはずだ。もしかしたら、というよりも十中八九、敵である可能性が高い相手ではあるのだが、それでも、どうにもこいつのことは敵として見なすことが完全には出来なかった。それは自分の捨て切れない甘さなのだろう。


「んー……意志の、強い子」
「ああ、正解だ」


 え、それだけ?とアベルは素っ頓狂な声を上げる。勿論、それだけではない。が、わざわざそれを言う必要もない。間違ってはいないのだからいいだろう、と思いつつ頷くと、アベルは納得のいかない顔をする。自分で考えて浮かんだ答えだろうに、そんな顔をするのは何故だ。アベルは腕組みすると探るような目で見てくる。そういう目は失礼だぞ、と注意しつつ幾分冷めた珈琲に口を付ける。「だってまだ隠してる」と然も当然のように口にするアベルに肩を竦めて見せた。








色鮮やかな堂々巡り


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