天気のいい昼下がり。仕事なんてやってられないや、と司令官が聞いたら眉間に皺を寄せて怒りそうな考えに至った俺は医務室を抜け出して宿舎の傍の外の鍛錬場に来ていた。勿論、鍛錬をするわけではない。鍛錬場を囲う柵を乗り越えた向こう側に用があるのだ。誰も見ていないかどうかを確認してからいつものように柵を乗り越えて木立を分け入る。
 この先にあるサボり場のことを知ってる人は多くない。何事もなく誰に邪魔をされることもなくのんびり出来るのなんて此処ぐらいかもしれない――そう思いつつ、暫く歩くと開けた小さな空間に辿り着く。木々は生い茂り、すぐ近くには小さな川もある。昼寝をするには最適の場所だ。
 太い木の幹に背中を預けて座り込み、ぼんやりとそこから見える空を見上げる。白い雲が浮かび、ゆっくりとゆっくりと動くその様子を見ていると眠たくなってきた。欠伸を一つ噛み殺し、惰眠を貪ろうと目を閉じた矢先――不意にがさり、と草が揺れ、足音が聞こえた。一体誰が俺の安眠を妨害するのかと顔を顰めながら目を開けると、そこにはきょとんと驚いた顔をしているアイリスちゃんがいた。


「……アイリスちゃん」
「こ、こんにちは……」


 川がある方向を姿を現したアイリスちゃんは手にタオルと木刀を持っていた。そんなものを持ってどうして奥から出てくるのかとも思うも、彼女もこの場所のことを知っている者の一人だ。休憩のために此処まで来て、奥の川で足でも付けて涼んでいたのかもしれない。が、少しばかり眠たそうなその顔を見ると、もしかしたら居眠りもしていたのかもしれない。


「……」
「……」


 今まさにサボって寝ようとしている俺と多分、鍛錬の合間に居眠りをしていたと思われるアイリスちゃん。何とも言えない空気が流れる。互いに重なる視線を逸らすこともなく、沈黙がその場を支配する。時折吹く涼しい風に揺れる木の葉の音しか聞こえない。


「……えーっと、とりあえず……座れば?」


 手招きしつつ近くに呼び寄せると、アイリスちゃんは少し悩んだ後にこちらに来てくれた。傍の木に木刀を立てかけると彼女は向かい側に腰かけた。その間もずっと視線は彷徨い続け、居心地が悪そうにしている。どうやら俺の予想は間違っていないらしい。尤も、アイリスちゃんは今日は非番のはずだ。自主的な鍛錬の最中に居眠りをしたとしても、それを誰かが咎めるなんてことは有り得ない。それでもこうして眉を下げて申し訳なさそうにしているのだから、アイリスちゃんは真面目な子だ。
 寧ろ、咎められるのは俺の方なんだけどなあとつい苦笑してしまう。俺は勤務時間中で特に昼休みというわけでもない。昼休みは昼休みでさっきたっぷり取ったところだ。だから、本当ならば医務室に詰めてないなければならない。が、回復魔法を使えるのは俺だけではないし、帝国軍と戦うこともなければこれといって俺が医務室でしなければならない仕事は多くはない。だからいいか、と思うのだが――司令官が聞いたら顔を顰めて眉間に皺を寄せて冷やかな目で見られるんだろうな、あれは勘弁して欲しい。


「今日は非番じゃなかった?」
「非番です。それで鍛錬してたんですけど……」


 休憩してるうちにうとうとしちゃって、とアイリスちゃんは溜息混じりに言う。情けない、とでも思ってるのかもしれないけど、今日は非番で本当は部屋でゆっくりしていても出掛けてもいいのに鍛錬をして、そうしてうとうとして寝ちゃっても誰も怒りやしないだろうに。もう少し力を抜いても誰も何も言わないし、寧ろその方が周りだって安心するだろう。
 そう指摘するも、アイリスちゃんは納得がいかないらしい。「足手纏いになりたくないので」と背筋を伸ばして言う彼女は色々と力不足を気にしているらしい。全く気にせずに努力もしないような奴とは比べものにならない立派な心がけだと思うし、そういうとこを好ましいとも思う。それでも、頑張りすぎることがいいとも限らない。物分かりが悪いわけではないけど、どう言い聞かせるべきかと頬を掻いていると「
それより、エルンストさんはお休みになるところじゃなかったんですか?」とアイリスちゃんは申し訳なさそうに口を開いた。


「え?ああー……まあ、ちょっとごろっとしようかなと思って来ただけだよ。今日は天気もいいから」
「お邪魔してすみません。わたしももう戻るので、」
「いや、いいよ。というか、注意しないの?」
「エルンストさんをですか?」


 俺がサボっているということはアイリスちゃんだって分かっているはずだ。それなのに、司令官のように注意することもなければ、レックスやレオのように呆れることもなく、アベルのように生ごみを見るかのような目で見て来ることもない。というか、アイリスちゃんにアベルみたいな目で見られたら生きていけない。ショックすぎる。
 アイリスちゃんはきょとんとした様子で目を瞬かせた後、苦笑を浮かべながら「しませんよ」と口にした。真面目な彼女にしてみれば、それは意外な一言だった。


「わたしまで注意なんてしたらエルンストさんも嫌でしょう?それにちゃんと時と場合を選んで抜けてることも知ってますから」
「あー……うん、まあそうなんだけど……」


 今なら大丈夫だと思って抜けてはいる。が、こうして然も当然とばかりに言われるとちょっとくすぐったいというか、何というか。頬を掻きながら視線を逸らすと、アイリスちゃんは可笑しそうにくすくす笑い始める。良いようにからかわれているような気がしなくもないけど、悪い気はしなかった。それでも何となく据わりが悪くて、そのままごろんと寝そべるとアイリスちゃんは「それじゃあ、わたしも行きますね」と立ち上がってしまう。


「え、もう行くの?」
「邪魔するのは悪いので」
「いいよ。邪魔じゃないよ」


 まるで駄々っ子だ。そう思いながらも慌てて起き上がり、アイリスちゃんの手を掴む。驚いた様子でぱちぱちと紫色の瞳を瞬かせる彼女に「それとも何か用事でもある?」と問い掛けると、アイリスちゃんは首を横に振った。本当にただ、俺の邪魔をしないようにという配慮らしい。それなら心配無用、邪魔だなんて思うはずもない。そのまま軽く手を引っ張ると、観念したように彼女は座っていた場所に腰を落ちつける。


「でも、休まれるんでしょう?」
「んー……寝ようかと思ってたけど、やっぱ止めた。アイリスちゃんと話す方が楽しいし」


 寝心地で言うと、医務室のベッドで寝た方がいいに決まってる。此処の方が静かで風通しもよくて気分がいいってだけ。でも、それよりアイリスちゃんと話す方がいい。彼女はきょとんと目を瞬かせた後、少しだけ嬉しそうに笑って「わたしでよければ喜んで」と答えてくれる。そのたった一言が、嬉しかった。だから、どうか司令官が眦吊り上げて連れ戻しに来たり、急患が来ないことを心底から願う。誰にも邪魔されませんように。誰にも邪魔されず、彼女と一緒にいられますように。



 








ぬるま湯の中の恋心


140507

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