入 隊 - the first -



 燃え盛る炎は全てを焼き尽くし、噎せ返るほどの血と肉の焼けるにおいは鼻腔を突く。催す吐き気に堪えながら、煤に塗れた手で幼い少女を抱き込む。助けを求めなくては――少女は声を嗄らしながら助けを求めるも、返事はない。
 誰か、誰か。そう繰り返しながら煙にやられた喉を押さえて咳き込んでいると、不意に抱き締めていた少女の腕がだらりと落ちた。自身に抱き着いていたはずの少女の手に既に力はなく、恐る恐る名前を呼びながら身体を揺さぶるも、息はなかった。
 つい一時間ほど前までは静かにするように注意しなければならなかったほど元気だった少女が、死んでいた。喉を痛めていることすら忘れ、彼女は泣き叫んだ。お姉ちゃんと呼んで慕ってくれていた少女の亡骸を抱き締めながら、燃え盛る炎の中で――時間を止めてと、この瞬間の事実を否定するように願った。
 いよいよ酸素は薄くなり、火の手は迫りつつある中、それでも彼女は少女を離さなかった。否、離すことなど出来なかった。ぎゅう、といつもなら痛いよと笑う少女のことを思い出しながら、その場に倒れ込む。呼吸は苦しく、もう声も出なかった。わたしはここで死ぬのだろうか、薄れゆく意識の中で彼女は楽しかった頃のことを思い出しつつ、意識を手放した。







「……っ、は、……は、……」

 ベッドから飛び起きたアイリスは荒い呼吸を繰り返しながら頬を伝う汗を拭った。
 大きく見開いた目で周りや自身の手を見つめ、自分が夢を見ていたのだということを実感する。そして自身を落ち着かせるように身体を抱き締め、呼吸が落ち着くのを待った。
 あの日のことを夢に見ることは初めてではなかった。孤児院が戦火に巻き込まれて既に二年が経っているが、決して忘れることの出来ない出来事だった。
 呼吸が落ち着いたところでアイリスはそっと音を立てないように気を付けながらベッドを下り、カーテンの隙間から外を伺った。外はまだ薄暗く、起床時間までまだ時間があることが伺える。同じ部屋で生活を共にしている者たちはまだ深い眠りの中らしく、誰もアイリスが魘されていたことには気付いていないようだった。
 そのことにアイリスは安堵するも、今からもう一度寝ようという気にもなれず、冷たい水で顔を洗えば気分も良くなるはずと着替えを手早く済ませて部屋を出た。




 ひやりと冷たい水は心地よく、それで顔を洗うと気分は幾分も良くなった。
 次いで鏡を前に髪を整え、そして最後に白いローブのフードを被った。ローブの左袖に付けられた紅色の腕章を整え、それを指先で撫でる。腕章に金糸で刺繍されているのはこの国、ベルンシュタイン王国の獅子の紋章だ。


「今日からわたしも軍人、か」


 紅色の腕章はベルンシュタイン王国において、軍人の証だ。
 この国は現在、隣国のリッツェルブルグ帝国と戦争状態にある。開戦されてから既に十年以上が経過しているが、未だに決着は付かずにいる。しかし、兵力も食糧も決して無尽蔵ではない。今は拮抗状態ではあるものの、それを維持し続けることは困難だった。
 だが、戦争に負けるということは帝国の属国になるということであり、植民地化されることは必至――だからこそ、退くことは出来ずにいた。そして、徐々に削られていく兵力を増強する為にこれまでの軍の入隊年齢を16歳まで引き下げることが決定され、その年に16歳になったアイリスは入隊を志願した。
 鏡の中に映っている自分を見つめ、アイリスは表情を引き締める。それでも、まだその顔には幼さが残っていた。

 部屋に戻ってもすることはなく、休んでいる仲間を起こしかねないということから朝の散歩と称して宿舎を出た。
 宿舎に入ったのは昨日であり、それも夕方であった為に周りに何があるのかということも含めて確認しておきたかったアイリスだが、時間帯が早朝である為、街は静まり返っていた。
 耳を澄ませば、小鳥の鳴き声が聞こえて来る。その鳴き声に思い起こされるのは、幼い頃に過ごしていた孤児院での思い出だ。楽しい思い出を脳裏に呼び起こすそれに耳を傾けながらぐるりと宿舎の庭を歩く。けれど、最後に思い出すのは今朝も夢に見た、孤児院が戦火に巻き込まれる記憶。
 アイリスは足を止め、顔を俯ける。あの戦火の中、生き残ったのは自分一人だけだった。楽しい思い出の中に出て来る人物たちは誰も生き残っていない。


「……、大丈夫。わたしは……大丈夫」


 憎悪の気持ちが決してないわけではない。復讐したいという思いが決してないわけではない。けれど、その気持ちのままに動いて生み出すものは自分や失った孤児院の兄弟のような、そんな存在であるということをアイリスは知っていた。
 憎悪も復讐も、それらは何も生み出さない。
 アイリスはそれを彼女を助け、一人になった彼女を引き取って育てた騎士団の男に教えられた。父と慕った男はアイリスに魔法の才を見出すと、それを使ってどのようにして身を守るかを教え込んだ。そして防御だけでなく、治癒魔法を教え、攻撃魔法も彼女に教え込んだ。しかし、攻撃魔法をアイリスが不得手とすると、彼はただ笑って頷いた。
 そんな彼も半年前の国境での会戦で命を落とした。悲しみも憎しみもあった。しかし、アイリスが軍に志願した理由は決して復讐の為ではない。父の教えの通り、憎悪も復讐も、それらは何も生み出さないことを知っている。だからこそ、自分の力で少しでも誰かを助けることが、守ることができればと思ったのだ。
 そして、その思いは実力も伴っていたこともあり、入隊試験を無事通過して現在に至る。

 庭を一周し終えた頃に起床時間を過ぎ、食堂からは空腹を刺激するいいにおいがして来る。
 アイリスは食堂へと爪先を向け、宿舎に入ると既に食堂は人で埋まり始めている頃だった。時間を潰し過ぎてしまったと小さく溜息を吐きつつ、列の最後尾に並ぶ。程なくしてアイリスの番になり、パンとサラダ、スープを受け取ると窓際の空いている席へと腰かけた。
 温かいスープを飲み、パンを食べつつ今日一日の行動を考える。アイリスは後方支援として怪我人の処置を主として従事することになってはいるものの、正式な配置はまだ決まっていない。そのため、今日は呼び出しがあるまで待機しているように命じられていた。待機命令が出ているため、遠出することは出来ないが、宿舎の周りを回ってみよかと考えていると、「この席、いい?」と声を掛けられる。


「あ、はい。どうぞ」
「ありがとな。それとおはよう」
「おはようございます」


 顔を上げて向かい側の席を見ると、窓から差し込む陽光を受けてきらきらと明るく反射する金髪の青年が立っていた。すぐに席を勧めると、彼はにっこりと愛想のいい笑みを浮かべて椅子を引き、感謝と朝の挨拶を口にした。アイリスも反射的に背筋を伸ばすと小さく頭を下げて口にする。その様子に目を瞬かせた彼に、ひょっとして昨日入隊したのかと尋ねられ、アイリスはこくりと頷いた。


「そっか。これからよろしくな、オレはレオ。お前は?あ、堅苦しい言葉遣いはしなくていいから」
「ですが……、」
「いいからいいから。上の奴らにはそりゃあ気を遣わなきゃだめだろうけど、オレにはしないで。それで、名前は?」
「アイリス。アイリス・ブロムベルク、後方支援に配属予定だけどレオはどこの所属なの?」


 敬語を取り払ったアイリスにレオは満足げに一つ頷くと、第二騎士団所属だと口にした。
 その単語に驚いたようにアイリスはパンを食べているレオを見やり、「だ、第二!?ごめんなさい、失礼な言葉遣いで、」と慌てる。


「いや、だからいいって」
「だけど、」
「別に第二に所属してるってだけだろ?いいっていいって」


 そう言ってレオは気にするなと笑ってサラダに手を伸ばすも、気にせずにいられるアイリスではない。
 第二騎士団と言うと、編成されている十二の騎士団の中で二番目の戦力を誇っているだけでなく、戦歴も第一騎士団と遜色ないと言われている武勇の誉れ高い騎士団だ。そんな騎士団に所属している相手に、とアイリスは顔を青くするも対するレオは気にせずに朝食を食べ続けている。
 アイリスはどうするべきかと困り果て、ちらりとレオを見る。ばちりと音を立てるように緑の瞳と目が合い、胃袋を掴まれたような感覚に陥る。


「アイリス」
「は、はい……」
「相手に礼儀を尽くそうっていうのはいい心がけだと思う。でもな、礼儀を尽くさないでいいって言ってる相手に尽くすのってある種の嫌がらせのように思わないか?もちろん、尽くさないでいいっていうのが社交辞令って場合もあるけど、オレの場合はその限りじゃない」
「……分かった」


 懇々と説くように真っ直ぐに目を見て言われると、言われた通りにしない自分が悪いような気がしてきたアイリス。結局は再度、敬語を取り払うこととなり、レオは実に満足げにうんうんと頷いている。
 その後は少し冷めてしまった朝食を食べながらレオの質問攻めが始まった。どうして入隊しようと思ったのか、という話から始まり、好きな食べ物の話になると、サラダに混ざっていたレオの嫌いな野菜がアイリスの皿に回って来た。人懐っこい彼の様子に幾分もアイリスの緊張が解れた頃、そう言えばとレオはスプーンを置いて彼の分の野菜を食べている彼女に今日の予定を尋ねた。


「今日は一日待機してるようにって言われてる。レオは?」
「オレも同じく待機命令。まあ、明日には出撃だろうけど。国境での小競り合いが激化しそうっていう知らせがあったからな」
「……そうなんだ」
「大丈夫だって。後方支援に配属予定なんだろ?いきなり前線に行けなんて命令されないって。それより、一日待機なら宿舎の周りとか行ってみるか?良かったら案内するけど」


 有り難い申し出ではあるが、いいのだろうかとアイリスはちらりとレオを見る。しかし、彼のいいに決まってると言わんばかりの表情を見ていると迷っていることの方がおかしく思え、二つ返事で彼の申し出を受けた。
 食事を終え、食器を戻してから食堂を出る頃には席を見つけることが難しいほど多かった人も殆どいなくなっていた。すっかりと喋り込んでしまっていたのだということを思い返していると、ふと目の前を赤い色が横切った。
 目を引き付けるその赤い色の髪を持つ男はアイリスの視線に気づくことなく、廊下を歩き去っていく。印象的な赤い髪と一瞬しか見ることが出来なかったその横顔に見覚えがあるような気がして、すぐに目を離すことは出来なかった。


「アイリス?どうした?」
「あ、……さっきの人が、知り合いに似てる気がして」
「さっきの……赤髪の?そういや、レックスも孤児院にいたことがあるって言ってたな」
「レックス!?あの人、レックスっていうの?」


 名前も同じだ、とアイリスは赤髪の男が歩いて行った方を見つめた。
 容姿だけでなく孤児院にいたことや名前からしても思い違いでなく、彼はアイリスの知っているレックスなのだろう。


「せっかくだし話す?……あ、でもあいつ多分、これから鍛錬する気だろうし……悪いけど、声掛けるのはまたの機会でいい?」


 鍛錬の邪魔するとあいつすごく怒るし、オレも巻き添え喰らって一緒にやらされる――レオは心底嫌そうな顔をしてそう口にした。どうやら、レックスの鍛錬は相当厳しいらしい。
 アイリスも、決して彼と話がしたいというわけではない。もちろん、できることなら話したいところではあるが、孤児院にいた頃の彼とは親しい仲ではなく、彼自身も孤児院をあまり好いてはいなかった様子だ。そして共に過ごした時間も2年程度で、すぐに出て行ったためにアイリスもそれほどよくは知らない相手なのだ。それは彼にも言えることで、そんな相手に声を掛けられても困るだろうとアイリスは判断したのだ。

 気を取り直し、「それじゃあ、案内するな」とレオが玄関の方へと爪先を向け、扉を開けて外に出る。天気もよく、風が心地良い。外は早朝とは違って子どもの声も聞こえ、穏やかな雰囲気だった。それでも軍の施設が密集しているためか、ある種の緊張感のようなものはある。
 一見すると本当に戦争中の国だろうかという印象を持つほどに穏やかで、自分は本当に軍人なのかということすら疑いたくなってしまう。隣にいるレオが「あそこのお菓子がうまくてさ」と明るく笑っていることも、そう思ってしまう一因だろう。紅色の腕章がなければ、まるで軍人には見えない彼の人懐っこい笑みにつられるようにアイリスも笑った。




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