帰還 - the facets -



「……それで、アンタたちは何やってるの?」
「見て分かるだろ?お菓子食べてるんだよ」
「然も当然のように言うな!」


 さっき夕食食べたばかりだろ、とアベルはマフィンを食べているアベルに突っ込んだ。
 レックスとレオ、そしてアイリスが食堂の片隅で菓子を広げて食べているうちに時間は経ち、夕食の時間となった。そのままの流れで三人は夕食を食べることにしたのだが、その際に食事を取りに行ったレオがアベルを連れて戻って来たのだ。半ば無理矢理、アベルを席に座らせて四人で食事を取っていたのが先ほどのこと。食事を終えたアベルは一度片付けていた菓子をまたテーブルに広げ、それをきっかけにアイリスとレックスが菓子に手を伸ばしたのがつい今し方のことだった。


「甘いものは別腹って言うだろ?」
「アベルも食べていいぞ。オレの奢りだ」
「これおいしかったよ、アベル」
「誰も食べたいなんて言ってないでしょ!?この甘党三人組!僕を引き摺り込むな!」


 どうやら食が細いらしいアベルは自分の倍以上の夕食を食べた上で菓子を食べるレックスやレオに胸焼けを起こしているようだった。信じられないものを見るかのように顔を引き攣らせて向かい側に腰かけている二人を見るアベルにアイリスは苦笑を浮かべつつ、ポットから湯気の立つ温か茶を淹れると、それを彼の前に置いた。


「お茶でも飲んで落ち着いて」
「……もう部屋に戻りたい」
「何でだよ、アベルー。たまにはオレらと仲良くしようぜ」
「それに部屋って言ってもオレら、隣同士だから一緒に戻ればいい」


 嫌だ嫌だとアベルは頭を抱え、ついには「一人になりたい……」とまで言い出す始末だ。どうやら彼はあまり人と過ごすことが好きではないらしい。だから先ほどから機嫌が悪いのかとアイリスは合点がいくも、かと言って上手くアベルを逃がしてやる方便も思いつかない。何より、部屋まで隣同士なら何をしたところで徒労に終わることになるだろう。
 アベルはアイリスが淹れた茶に口を付け、大袈裟なほど大きな溜息を吐いた。それからじとりと向かい側に座るレックスとレオを見やる。


「こんなのが第二の部隊長なんて、第二も終わりだね」
「え!?レオも部隊長なの?」
「え?ちょっと待って、それ何の驚き?オレが部隊長っておかしい?」
「威厳がないからじゃないか?」
「お前にだって威厳なんてないだろ!?」


 少なくともお前よりはある、とレックスは自分のカップに茶を注ぐ。まともに相手にもされていないことに気付いたらしいレオはそんなに自分は部隊長らしくないだろうかと考え込み始めるも、「親しみやすいからから、部隊長って聞いて驚いただけだよ」とアイリスのフォローが入ると途端にレオは嬉しそうに破顔する。


「オレはレックスみたいに鬼隊長なんて呼ばれてないからなー」
「誰が鬼だ、誰が」
「鍛錬が相当きついからじゃないの?だからってレオみたいに緩すぎるのも考えものだけど」


 途端に三人が睨み合いを始める。これでは仲がいいのか悪いのか分かったものではない、とアイリスは苦笑いを浮かべた。それでも怒鳴り合いに発展しないところを見ると、ただ口々に言い合っているだけのようにも思えてくる。ただし、口が達者で尚且つ口が悪いアベルが一方的に言い伏せているだけの様を呈し始めたところで慌ててアイリスが間に入った。
 止めるなとレックスとレオが口を揃えて言うも、これ以上は周りの視線が痛いのだ。当の本人たちは何も気付いていないが、アイリスにしてみれば堪ったものではない。


「止めておいた方がいいよ。年下に言い負かされるなんて恥もいいところでしょ」
「お前、本当に可愛げないよな。アイリスと同い年とは思えないぜ」
「え!?ちょっと待って、アベルってわたしはと同い年なの?」


 アイリスと同い年ということはつまり、アベルは16歳ということになる。しかし、アベルのこの数日の様子や三人のやりとりを見ていると、彼女と同じ日に入隊したとはとてもではないが思えない。それを指摘すると、アベルはけろりとした顔で「だって入隊したのアンタと同じ日じゃないからね」と言ってのけた。
 一体どういうことなのか、アイリスは困惑した表情で事情を知っているであろうレックスとレオに視線を向けた。


「アベルは一年前に武官の推薦でうちに来たんだ」
「こいつ初めて会ったときからずーっとこんな風に突っ慳貪な態度で可愛げの欠片もありゃしない」
「僕に可愛げがあったらあったで気持ち悪がるくせによく言うよ」


 アベルは鼻で笑うと、そういうところが可愛くないんだと言ってレオは憤慨する。彼としては、同期といっても年下のアベルを可愛がりたいのだろう。しかし、当の本人が可愛がられるどころか今のような態度ばかり取るのだ。腹立たしいとばかりに憤るレオをアイリスは苦笑いを浮かべつつ、落ち着くようにと宥めた。
 そうしている間に推薦といっても本来は存在しない制度であり、特例だということ、一応形式に則るべきだという意見が出たということで先日の入隊試験を受験したのだということをレックスが口にした。つまりは、年齢制限を無視してでも入隊を望まれるほどにアベルには実力があるということなのだろう、とアイリスは感心し切っていた。しかし、当の本人の興味は憤慨しているレオにちょっかいを出すことに向いてしまっているらしく、レオもすっかりとヒートアップしてしまっている。


「言わせておけば……!この噂好き!噂ばっか聞きまわってるならちょっとは鍛錬しろ!お前は下町のおばちゃんか!」
「誰が下町のおばちゃんだ!鍛錬しろなんて言って、アンタは鍛錬殆どしてないでしょ!?人のこと言えない癖に自分のことを棚に上げるなんて最低だよ」
「う、うるせー!お前なんてな、」
「はいはい、落ち着けよ。お前がアベルに口で勝てるわけないだろ?レオ」
「えーっと……、アベルは噂話が好きなの?」
「尾鰭の付いたような不確かな噂話なんて好きじゃない。人の話を聞くのが好きなだけ、どんな話でもね。だからってそれを他人に言い触らすこともしないし、変な尾鰭付けて誇張することもしない」


 僕は噂好きのおばちゃんではないから、そう付け足すアベルは冷めた視線をレオへと向ける。そんな彼にまたもやレオが食って掛かろうとするも、何とかレックスが押さえ込む。とにかく話題を変えなければ、とアイリスは隣で憤慨するレオにお構いなしに茶を飲んでいるアベルに最近面白かった話は何なのかと尋ねる。
 アベルはちらりと視線をアイリスへと向け、持っていたカップをテーブルに戻した。


「第三が近々帰還するんだって」


 それを聞くなり、レックスとレオの顔色がさっと変わった。今まで顔を赤くして怒っていたレオさえも、一瞬にして静まり返り、その顔色は青くなってさえいる。その二人の様子にアイリスはどうしたのかと声を掛けるも、彼らは黙り込んだままである。
 アベルは彼らの様子に呆れた風に溜息を吐きつけると、にやりと音が付く笑みを浮かべて「情けないよね」と口を開いた。


「二人はね、第三騎士団が苦手なんだよ。騎士団が、と言うよりもそこの団長がね」
「怖い人なの?」
「ちょっと違うかな…、すごく厳しい人なんだよ。自分に対しても他人に対しても。つい最近まで北の国境に行ってたんだけどゲアハルト司令官が呼び戻したらしいよ。よかったね、バルシュミーデ団長に鍛錬でしごいてもらいなよ」


 にっこりと笑むアベルに対し、レックスとレオ――特にレオ――は死刑宣告をされたような形相である。レオは兎も角として、レックスまでそのような顔をするほどに厳しい人なのだろうかとアイリスは表情を強張らせる。しかし、こればかりは彼女もどうすることも出来ない。心の中で二人に対して合掌し、ふと疑問に思ったことをアベルに尋ねる。


「どうして司令官は呼び戻したんだろう」
「さあ、僕も詳しくは知らないよ。でも第三が戻って来たら大半の騎士団が此処に揃うことになる……何かあるのかもね」
「何かって……」
「それは僕にも分からないよ。何だろうね、例えば……陛下が第一の団長を退くとか?」


 ベルンシュタイン国王は国王でありながら第一騎士団を率いて前線に出ている。国王が前線にいては的にされる、狙われる、危ないから、と周りがどれだけ口を酸っぱくして言ったところで一度として聞き入れられたことはないという話をアイリスは聞いたことがあった。そんな国王も既に六十を過ぎた年齢だ。身体も全盛期のようには動かなくなっている――そろそろ第一騎士団の団長を退き、前線から遠のくのではないかと囁かれていた。


「まさか。前線指揮が好きなあの人が退くなんて有り得ないって」
「いくらそうでも老いには誰も勝てないよ」
「……だとしても、それで第三が戻される理由にはならないだろ?」
「いや……陛下が仮に退かれた場合、第一の団長を選ぶことになる」


 顔を顰めるレオに対し、レックスは冷静な顔つきで口にする。彼の言うように、団長を欠いた状態では指揮系統に支障が出ることは考えるまでもない。そのためにも早急に新しい団長を選任する必要が出てくる――その時に誰が次の第一騎士団の団長にふさわしいのか、実力や現在の地位から考えても、挙げられる人物はごく少数に限られてくる。
 さすがのレオも察するところがあったのか、その表情は唖然としたものに変わる。


「でも、司令官はオレらの、」
「あくまで仮定の話だよ。だけど、これだけははっきり言える……陛下は、ううん、陛下だけでなく良識のある人たちは、第一王子にだけは団長にしないってこと」
「どうして?」

 アイリスは不思議そうに目を瞬かせるも、そこで疑問も浮上する。代々第一騎士団は国王が、第二騎士団はその王子が団長になることが多いと聞いていた。しかし、現在の第二騎士団を率いているのは司令官であるゲアハルトだ。今まで特に意識していなかったが、そういう仕来りがあるということは知っていた。入隊の年齢制限が下げられるまでは、まさか自分がこうして入隊することになるとは思いもしなかったから、すぐには思い出さなかったのだろう。
 第一王子とはどういう人物なのか、アイリスは詳しいことを知らない。このベルンシュタイン王国には国王と正妃、そして二人の王子と一人の王女がいる。しかし、その顔を見たことはない。年に数度の式典や国を挙げての祭でその姿を見る機会はあるが、それも遠目に見ることしか出来ないほどの離れた場所からだ。何より、アイリスは王都出身でもないため、その姿を見たこともなければ詳しい話も聞いたことがなかった。


「使い物にならない盆暗王子だから」
「おい、アベル。口が過ぎるぞ」
「誰も僕たちの話なんて聞いてないよ。レックスは心配性すぎる」
「お前が危機感なさすぎるだけだ」


 レックスは顔を顰めるも、アベルは少しも気にした風もなく「盆暗を盆暗って言って何が悪いの。一度も戦場に来たこともないじゃない」と鼻で笑う。アイリスもさすがに窘めるも、アベルが気に留めることはない。


「だから陛下はゲアハルト司令官を第二の団長にした。司令官にもした……あの人は陛下のお気に入りだからね。だからこそ、いざと言うときに第二は気を付けなきゃいけないんだけどね」
「いざと言うとき……」
「そう、陛下が崩御されたとき」
「いい加減にしろよ、アベル。喩え話でもしていいことと悪いことがあるだろ!」


 縁起でもないことを言うな、とレオは声を荒げた。さすがに今の声は目立ち、食堂にいた者たちの視線を引いた。それでも、アベルの表情は崩れない。冷やかな視線をレオに向け、それから溜息を吐き出す。それに対してレオは苛立ちを露にするも、落ち着けとレックスがそれを制す。こんなところで騒ぎを起こすべきではないとレオに言い聞かせ、アベルに対しても口が過ぎると再度注意する。


「だけど事実だよ。うちのことを快く思っていない奴らは多い、その筆頭が盆暗王子の派閥だよ。……今は大丈夫でも、いつかは絶対に掌を返してくる」


 だから注意した方がいいってこと。アベルはそう言うと、席を立った。呼び止める間もなく足早に食堂を出て行ったところでレオは椅子をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がった。後を追うのではとレックスが腕を掴んで引き止めると、彼は一呼吸置いた後に「ちょっと外の空気吸って来る」と幾分か落ち着いた様子で呟いた。
 朗らかな印象をレオに対して持っていたアイリスは困惑した顔でレオを見ていた。朗らかだという印象は自分がただ単に彼に対して持っている印象であり、レオの全てではないということは分かっていたつもりだ。しかし、驚きはあった。優しい人物だと思っていたから、ここまで感情を剥き出しにするとは思いもしなかったのだ。
 席から離れようとしたところで、レオはアイリスの視線に気付いた。そこに困惑の色を見つけた彼は、暫しの後に「ごめんな、驚かせて」と申し訳なさそうに笑った。決して彼に謝らせたかったわけではないアイリスは慌てて首を横に振るも、声を掛ける間もなく、レオは食堂を出て行った。残されたアイリスとレックスは暫しの間、食堂の出入り口から視線を外すことが出来なかった。


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