帰還 - the facets -



「あいつらのこと、誤解しないでやってくれ。アベルは物怖じしないというか……言いたいことは何でも言うというか、口が悪い上に達者で……でも、悪い奴ではないんだ。レオも普段はあんな風に怒ったりはしない。今回はアベルがレオを炊き付けて……あいつは陛下や司令官を尊敬してるからあんな風に言われて我慢できなかったんだ。……悪いな、驚いただろ?」
「うん、でも……大丈夫だよ」


 あの話になる前は、三人は騒ぎながらも楽しそうにしていたことを知っている。ついさっきのように揉めたことも、決して揉めようとして起きたことではないということも分かっている。アベルは起こり得ることを口にした、レオは尊敬している人物らのことを思って怒った。それだけのことだ、アイリスは気にしてないよと申し訳なさそうにしているレックスに笑いかけた。
 そしてふと、こうしてレックスと二人だけで話すのは此処に来てから初めてだったことに気付く。クラネルト川での戦闘の際にも言葉を交わしたが、こうして話せるような状況ではなかった。今にして見れば、レックスがレオやアベルに対して話しているような、そんな姿を見ることさえも今が初めてだった。孤児院にいた時とは全く違う人物に思えるほどに、アイリスが知っている幼い頃の彼と今目の前にいる彼は違っていた。


「どうした?」
「あ、ううん。何でもないよ。レックスとこうして話すのは初めてだと思ってただけ」
「ああ……そう言えば、確かにそうだよな。孤児院にいた頃は殆ど話してなかった、というか、お前だけじゃなくて他の奴らとも話してなかったけど」


 レックスも自分がそういう子どもだったということを忘れていないらしく、気まずそうに苦笑を浮かべた。どうして誰とも話そうとしなかったのか、聞いてもいいのだろうか――アイリスは尋ねたい衝動に駆られるも、その表情を見ていると結局言葉が出てくることはなかった。
 アイリスは空になった自分とレックスのカップに茶を注ぎ、じんわりと温かいカップを両手で包み込む。色々と聞いてみたいことはあるのだが、どれを聞いていいのかが分からず、唇は開いては閉じ、開いては閉じ、とそればかりを繰り返した。


「……アイリスは、どうして入隊したんだ?」
「ただ、人を助けたいって、守りたいって思ったから……それだけだよ、大した理由じゃないし漠然としたものだけど」
「帝国に復讐したいとか……そういう理由では、なかったんだな」


 意外だとばかりにレックスはアイリスを見た。そういう人物の方が多いからだろう。アイリスのような理由の者もいないわけではないが、絶対数としては少ない。たとえ最初は彼女のような理由を掲げていたとしても、戦争を経験していくにつれて徐々に理由が変質してしまう者も少なくない。今朝まで笑い合っていた友人が作戦から戻って来たら死んでいたということも珍しくないのだ。そんなことが続けば、戦う理由や目的などはすぐに変わってしまう。
 今は、彼女も入隊した理由を変えずに口に出来てはいる。しかし、それがいつまでも変わらずにいることが出来るかは分からない。それでも、ただの理想だと言われるような理由であっても、変わることがないようにいたいとアイリスは思っている。養父の言葉である、復讐や憎しみからは何も生まれはしないということを決して忘れずにいたいと、彼女はテーブルの下で手を握り締めた。



「レックスこそ、どうして入隊したの?それより、いきなり孤児院を出て行くことになったから驚いたんだよ」
「ああ、それは……まあ、色々あったんだ」
「言いたくないことなら言わなくていいよ」
「……悪い」


 レックスはある日、突然孤児院を出て行った。どうしてそうなったのか、何があったのか、幼かったアイリスは孤児院の院長に尋ねるもはっきりとした理由を教えてもらうことが出来なかった。だから、親戚が迎えに来たのか、見つかったのか、そのどちらかだろうと結論付けていた。しかし、どうやらそうではないということだけはレックスの様子から伝わって来る。そうであるのなら、彼ならば隠さずに口にするだろう。
 本人の言いたくないことを無理矢理聞き出すものではなく、アイリスは気にしないでと笑うもレックスは視線を伏せる。彼にとってこの話は地雷なのだろう。これからは気を付けなければ、と肝に銘じると話題を変えるように「そう言えば、」とアイリスは言葉を発する。


「これからどうなるんだろう」
「さあ……、それはオレにも分からない。だけど、厳しい戦いになるのは間違いない。帝国も余裕がないからな」
「でも、兵力は帝国の方が勝ってるんだよね」
「単純に数だけならな。帝国って言っても、純粋な帝国兵の数は少ない。帝国の属国から徴兵してる兵が過半数だ、って言ってもこっちより多いことに変わりはないか」


 ヒッツェルブルグ帝国は大小十カ国の国を属国としている。ベルンシュタイン王国との間で戦争が起きる以前、ある時期を境に急激に領土を拡大したのだ。何故そのような行動に出たのかは不明だが、一つに帝国を取り巻く環境にあるのではないかとレックスは言う。


「オレも聞いた話だけど、帝国では飢えや貧困が広がってるらしい。元々、帝国は北に位置していたから作物は育ち難かった。それでも、昔は育ち難くてもある程度は育ったし、こっちと貿易もしていたから食べる分には何とかなっていた」
「それなのにどうして……」
「それはオレにも分からない。だけど、土地が痩せるだけでなく不順な天候も続き……帝国は何とかしようとした結果、周りの国々を取り込んだのかもな。領土を広げれば何とかなるって……」


 馬鹿だろうと言わんばかりに、レックスは言葉を吐き捨てる。アイリスと同じく、帝国との戦争で家族を失っているレックスからしてみれば、どんな理由があったにせよ、帝国がしたことを許せるはずもない。拳を握り締めるレックスに、アイリスは申し訳なさを感じた。嫌なことを思い出させてしまった、と。しかし、出した言葉をなかったことにすることは出来ない。レックスは彼女の表情に気付くことなく、「それで、あいつらが次に目を付けたのがこっちだった」とうんざりとした口調で言葉を紡ぐ。
 南に位置する王国領は作物も十分に育ち、少なくとも飢えるということはない。天候もよく、温暖な土地だ。正反対の環境にある帝国からすれば、喉から手が出るほど欲しい土地だろう。ベルンシュタインの土地を手に入れなければ、帝国だけでなく、その属国も衰退することは必至。だからこそ、彼らは死に物狂いで剣を持ち、向かって来る。
 だが、もしそれが戦争の理由となっているのであれば、王国側から帝国側に援助を申し入れれば終わるのではないか――アイリスは目を伏せながらそう言うも、レックスは「それが出来たなら、オレたちだって戦争なんてしない」と溜息混じりに言う。


「陛下は、帝国で作物の不作が続いてると聞いた時点で援助を申し入れられていた。最初はそれを帝国も受け入れていたんだ。……だけど」
「……」
「急に帝国が掌を返して、こっちに宣戦布告して来た。それで開戦だ」
「……そんな」
「あいつらの考えてることなんて分からないし、分かりたくない。……オレはあいつらが許せない」
「レックス……」


 分かってしまった、彼が何故入隊したのか。レックスは、自分から家族を奪った帝国に復讐するつもりだ。
 その暗い色をした赤の瞳を見れば、彼の鎮まらない怒りが伺える。その瞳の奥にある怒りを見て、それでも尚、復讐なんて止めておくべきだとはとてもではないが言えなかった。復讐したところで失った家族を取り戻すことは出来ない――それは紛れもない事実だ。しかし、ただの綺麗事でしかない。このような言葉で彼の怒りや痛みを鎮めることが出来るのなら、レックスは今ここにいないはずだ。
 レックスを前にして、アイリスは何も言葉が見つからなかった。二人は確かに帝国によって、戦火で家族を失った。だが、二人の間には決定的に違う点があった。レックスは家族の顔を知っているが、アイリスはそうではなかった。彼が家族を失い、孤児院に連れて来られたのは8歳の時だ。それに対してアイリスは、生まれてすぐに家族を失っていた。家族の顔も知らず、どういう人物であったのかも覚えていない。アイリス・ブロンベルムという名前すら、孤児院の院長によって名付けられたものだった。
 だからこそ、アイリスとレックスは同様に戦争で家族を失っていても、その憎しみの度合いが違う。悲しいと思うのに、彼女には思い出せる人物がいないのだ。帝国を憎いと思おうとしても、失ったものの大きさすら分からず、憎むことすら出来ない。それが彼の怒りに対して、彼女が正反対にいる理由だ。
 

「……ごめんね、嫌なこと、思い出させたよね」
「いや……オレこそ、悪い」


 こういう話をしたかったわけじゃなかったんだ。レックスは申し訳なさそうな顔をしてアイリスに謝った。
 しかし、レックスが彼女に孤児院の話を聞いていたとしても、アイリスは彼にこれまでの話を聞いていたとしても、結局は先のような話に繋がっていただろう。二人から、戦争を切り離すことは、それぐらい難しいことだった。
 カップの茶はすっかりと冷め、香りも飛んでしまっている。気付けば、既に食堂に残っている人は疎らになっていた。「部屋に戻るか」とレックスは呟くと、紙袋に菓子を戻し始める。アイリスも一つ頷くと、テーブルを片付け、アベルやレオが残していったカップもまとめて盆に載せる。それを返却して食堂を出る頃には、消灯時間間際になっていた。


「ああいう話になって悪かった。もっと違う話がしたかったんだけど……お詫びってわけじゃないけど、これ。元々はお前にあげようと思ってたもんだから」


 そう言ってレックスは菓子の紙袋を差し出す。アイリスとレックス、そしてレオの三人で食べていたにも関わらず、まだ十分な量が残っていた。一体どれだけ買って来たのだろうと彼女は苦笑を浮かべながら「ありがとう」と紙袋を受け取る。そんなアイリスの様子にレックスは少しだけ困ったような笑みを浮かべた。


「何かあれば、オレじゃなくてもいいから誰かにちゃんと言えよ。レオでもアベルでも……アベルは口悪いけど、エルンストさんよりマシだから。いや、エルンストさんがいいならそれはそれでいい。兎に角、一人で溜め込むことだけはするな」
「うん、そうする。心配掛けちゃってごめんね」
「分かったなら、それでい」


 レックスは小さく息を吐き出すと、少しの笑みを浮かべ「それじゃあ、おやすみ」とアイリスに背を向けて歩き出した。その背を見つめ、アイリスも声を掛けると、肩越しに振り向いたレックスは彼女に軽く手を振った。その背が見えなくなるまで見送り、アイリスは部屋へと続く階段を上がっていく。その足取りは、この階段を下りて来たときよりもずっと軽いものだった。


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