覚悟 - break away -



「準備はいい?」
「うん、いつでもいけるよ」


 レックスらと別れ、十分が経過しようとしている。彼らは今頃、 入口に向かって来た道を走っているところだろう。本当ならば、レックスらが入口まで戻ってから攻撃を仕掛けたいところだが、あまり時間もない。
 アイリスは杖を構え、そこに魔力を込める。広く分厚い壁をイメージしながら防御魔法を展開していく。高台から抜け道である洞窟を守るように広く展開し、準備が出来たことをアベルに伝える。外はまだ暗いものの、出立した時よりも明るくなりつつあり、アイリスとアベルは身を小さく屈ませながら洞窟から抜け出した。
 高台の上に移動すると、眼下には帝国軍の本陣のテントがあった。動いている人影もややあり、今からそこに攻撃を仕掛けるのだと思うと、やはり戸惑いがある。


「どうかした?」
「……ううん」
「同情なんてしないでよ」
「分かってるよ」


 此処に立つ時点で、これからどのようなことが起きるのかということは覚悟している。それも全て承知の上で出立したのだ。ただ、何も思わずに、感じられずにいられるというわけではないというだけのことだ。しかし、それはこの場にいる誰にとっても当てはまることだ。帝国憎しと戦う者もいれば、そうでない者もいる。帝国兵とて人間だ。人を殺すことを躊躇う者は当然存在している。
 アベルは一つ溜息を吐くと、アイリスの前に立ち、眼下の帝国軍本陣に向けて掌を翳す。そして水中花作戦の際のように、どす黒く濃い魔力が彼の周りに拡がっていく。


「目でも瞑って耳を押えてなよ。見たくないならさ」
「……ううん」
「今から嫌なものを見ることになるよ。夢に見るかもしれないよ」
「それでも……関わったことをなかったことには出来ないもの。それなら最初からちゃんと目に焼き付けるよ」


 それぐらいしか出来ないから、心の中でそう付け足して、アイリスは視線を伏せた。相手は帝国軍だ、ローエを焼き払い、自分から家族を奪った憎い仇だ。しかし、彼らにも自分と同様に故郷があって家族や友人がいるのだ。自分はこれから、自身と何ら変わらない人を手に掛けるのだ。より正確に言えば、直接的に手を下すわけではないものの、間接的に死に追いやることになる。そんな彼らに対して出来ることと言えば、見たくない、聞きたくないと目を覆い、耳を塞ぐことではない。彼らの様を目に焼き付けることだ。そしてそれを決して忘れずにいることが、これから彼らを手に掛ける自分に出来るただ一つのことだ。
 アイリスは後悔はないとばかりに強い眼差しを以てアベルを見つめた。彼女の視線を暫し見つめ返した後に「終わってから泣きべそをかいても知らないよ」とだけ言うと、翳していた手を払う。そして帝国軍本陣へと飛来する炎の魔法。予想外の奇襲に起き抜けの帝国兵らの悲鳴と怒号が沸き上がる。そんな彼らに対して、アベルは一切手を抜くことなく、次から次へと攻撃を仕掛けていく。


「……っ」


 目を逸らさない、その光景を目に焼き付ける。そう決めたのは彼女自身だが、その有様を見て何とも思わないというわけでは決してない。この行為によって、自軍の損害は大幅に減少するということも、延いてはベルンシュタインの為になるのだということも分かっている。それでも、「……酷い」と口にせずにはいられない。その小さな呟きは帝国兵らの悲鳴や怒号に紛れてアベルの耳には届かなかったようで、彼は黙々と攻撃を加え続けている。
 そうして幾らかの時間が過ぎた頃、漸く帝国兵らはアイリスとアベルの存在を発見した。上空からの攻撃に対して、漸く落ち着きを取り戻したらしい帝国兵らの反撃が始まる。次々とアベルの攻撃魔法を掻い潜ったそれらがアイリスの展開している防御魔法の壁にぶつかっている。一際分厚く、広く展開しているそれは破られる気配はないものの、火力自体は帝国軍の有利であり、油断することは出来ない。一度、念の為に防御魔法を更に掛け直したところで微かに「歩兵をあの高台に向かわせろ!」と指揮する帝国兵の声が耳に届いた。
 立ち上る黒煙や燃える炎、そして倒れる帝国兵という一瞬にして大きく様変わりした眼下の帝国軍本陣へと目を凝らすと、明らかに指揮官然とした男が兵らに指揮を飛ばしていた。どうやらその男が今回の帝国軍の作戦を指揮している指揮官らしい。


「……見つけたの?」
「うん、あそこの黒髪の人が多分指揮官だと思う」
「別に外したって間違ってたって構わないよ、帝国兵であることは同じなんだから。とりあえずやってみればいいんじゃないの?」


 ゲアハルトからは可能であれば、帝国軍の指揮官の捕縛を命じられている。無理はしないようにとも言われてはいるものの、戦況としてはアイリスとアベルが優位に立っている。今ならば上手く魔法を扱うことが出来れば、捕縛することも可能だろう。そうなれば、帝国兵は烏合の衆と化し、無駄な戦いにはならないはず――アイリスは杖を構え、ヒルデガルトに教えられた通りのイメージを頭の中で浮かばせながら、杖の魔力を込める。
 しかし、まるでそれを遮るかのように展開している防御魔法が破れかかる、ぴしりという亀裂が入る音が耳に届く。アイリスは対象を身を守る為の防御魔法へと変更し、破られかけた壁へと魔力を集中する。この壁が破られることは、そのまま死を意味している。決して破られるわけにはいかないのだ。


「平気だよ、落ち着いて。もうレックスたちもこっちに来てる。ほら、あそこ」


 眉を寄せるアイリスにアベルは声を掛け、視線を戦場と化している帝国軍本陣の脇に広がる森へと視線を向けた。よく目を凝らせば、薄暗闇の中を走り抜ける者たちがいた。木々の合間から微かに見えるその姿は見知った紅の衣服を纏ったベルンシュタインの兵士だった。アイリスやアベルの位置からは確認することは出来ないが、反対側にはレオが同様に兵を率いていることだろう。
 アイリスはほっと安堵の息を吐き出し、「あと、もう一度だけ」と口にする。指揮官を捕縛出来るチャンスはあと一度だけだろう。展開している防御魔法を維持したまま、指揮官を捕縛するということは容易なことではない。眼下の兵らはそれこそ何とかアイリスやアベルを高台から引き摺り下ろそうと躍起になっているのだ。いくら優位であるからといっても、レックスやレオらが既に挟撃の準備に入っているとしても、気を抜くことは出来ない。
 杖を構え直し、再度意識を帝国軍指揮官へと集中させる。相手を包み込むのでなく、縛り上げるイメージを思い浮かべながら指揮官の周りに防御魔法を展開する。どうやら自身の身の周りの変化に気付いたらしい指揮官の男の怒声が耳に届く。しかし、その意味を脳が認識するよりも先にアイリスは男の身体を反転させた防御魔法で拘束した。


「やった……」


 そのまま縄で身体を拘束されたように、地面に身を横たえている。怒鳴り散らしているようだが、その言葉を掻き消すようにレックスとレオが中隊を率いて帝国本陣を挟撃し始める。アイリスとアベルの攻撃に完全に気を取られていた帝国兵らは真横の森から現れたベルンシュタインの兵士を前に逃げ腰になっている。
 しかし、まだ諦めていないらしい帝国兵らは剣を振るい始め、その場は一気に混戦状態へと移行する。そうなると、アベルとアイリスに出来ることはない。味方も含めて攻撃するわけにもいかず、当初の予定通りに撤退しようとアベルと共に洞窟に入ろうとした矢先、「おーい!」とレオの声が耳に届いた。何事かと高台から混戦状態から一気に次の作戦行動である第二騎士団の中隊による追撃と第三騎士団の中隊による本隊との帝国軍本隊の挟撃へと兵らがそれぞれに動き出す中でレオは縄を片手にアイリスへと手を振っている。


「捕まえたぞ!よく頑張ったな!」


 アイリスが魔法で捕縛した帝国軍の指揮官の身体には縄が掛けられ、その先をレオがしっかりと握り締めている。その様を見ると心苦しくもあったが、成功したのだということは自体は嬉しく、アイリスは控えめにレオに手を振り返した。彼はこれから後方へと後退した帝国兵の追撃に加わることになっている。「気を付けてね!」と声を張り上げれば、遠目でも分かるほどに明るくレオは笑った。
 大丈夫だと言わんばかりのその様子に安堵の息を吐くと、「そろそろ行くよ」とアベルに声を掛けられる。既に終えたような心地になってしまっていたが、今まさに山中は戦場となっているだろう。アイリスは気を引き締めると、先に洞窟へと入ったアベルの後を小走りで追い掛けた。


「疲れた?」
「結構ね。アベルは?」


 抜け道の中程まで来たところで唐突にアベルが口を開いた。アイリスは一瞬虚を突かれた顔をするも、身体的にも精神的にも感じている疲労感を肯定した。防御魔法は確かに得意ではあるものの、帝国軍に破られない為に魔力の多くをそこに注ぎ込んでいた。それで疲れていないはずがないのだ。アベルも同様に手を緩めることなく攻撃し続けていたのだから、同じぐらいに疲れていることだろう。
 アベルは「そりゃあね」とだけ言って溜息を吐く。彼はゲアハルトのいる本陣まで一度戻った後に前線で指揮を執っているヒルデガルトの指揮下に入り、本隊を援護することになっている。その疲れた横顔に大丈夫なのだろうかと不安を感じていると、僅かに不機嫌さを滲ませる黒曜石の瞳がアイリスを映した。


「別に僕は平気だよ。アンタと一緒にしないでくれる」
「……何よ」
「それより、いくら疲れたからって気を抜かないでよね。山の中は戦場だよ、此処は予定されてる戦場の区域の外だけど予定は未定、規模が広がってる可能性だってある。山中だから混戦に持ち込まれているかもしれない。だから油断はしないで」


 アベルの言う通りだ。分かった、と頷き返し、アイリスは遠目に見え始めた洞窟の出口に目を凝らした。耳を澄ませても戦場で耳にする怒声や悲鳴といった声は聞こえては来ない。しかし、だからといって油断するべきではない。何が起こるか分からないのだ。特に帝国軍は退路を断たれている状況でもあり、何が何でも生き残る為に剣を振るっていることだろう。それに対してベルンシュタインの兵らは退路もあり、兵力も現在の戦闘においては余裕もある。その慢心が命取りに成りかねない。
 その後、黙々と歩き続けているうちに洞窟の出口に到着した。アイリスとアベルは外の気配を伺いながらそっと洞窟から出ると、遠くには戦場特有の音が響いていた。どうやら予定通りに作戦は進んでいるらしい。見つからないうちに早く戻ろうと言うアベルの言葉に頷き、アイリスは駆け出した彼の後に続いて走り出した。


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