カーニバル - stray cat -



「今日からカーニバルだ。この日を楽しみにしていた国民は多く、ブリューゲルは大いに賑わう。同様に不届き者も多く紛れ込むだろう。そういった者を見逃さぬよう、各自任務に当たってくれ」


 以上だ、そう言ってゲアハルトは早朝からの警備任務に当たっている者は出立するようにと促す。
 リュプケ砦からの帰還から日が経ち、ベルンシュタイン王国の王都ブリューゲルは三日間続く、初夏のカーニバルを迎えていた。この日の為に遠方の街からブリューゲルを訪れている者も少なくなく、王都はいつも以上に人で溢れている。ゲアハルトが先ほど口にしたように、人が集まればそれだけ窃盗などの犯罪を働こうとする者も紛れ込む。そういった者に対処するべく、各地に散らばっている騎士団の一部も呼び戻されていた。
 既にそれぞれの騎士団が持ち場を割り当てられ、騎士団長によって配置も決められている。それに従って宿舎を出る者や昼間や夜間の警備に備えてもうひと眠りしようと部屋に戻る者もいる。アイリスは初日、アベルと午前中から夕方まで巡回警備に当たっている。しかし、まだ持ち場に付くには時間がある。どうしようかと考えていると、「おはよー」と眠たげな声が背後から掛かる。


「あ、レオにレックス。おはよう」
「ああ、おはよう。アイリスはまだ時間あるのか?」


 あるなら今から朝飯、一緒に食べないか。
 振り向けば、そこにはすっきりとした顔立ちのレックスと眠たげな様子のレオがいた。そして二人ともこれから食堂で朝食を取るところらしい。アイリスはその誘いに頷き、連れ立って食堂へと向かう。それに逆らうようにして部屋に戻って行く者も少なくない。そんな流れの中にアベルの姿を見つけ、アイリスは慌てて声を掛ける。すると、レオ以上に眠たげで不機嫌そのものの表情を浮かべたアベルが振り向く。


「今から朝ご飯食べるんだけど、アベルも食べようよ」
「……要らないよ」
「そんなこと言わずに食べておいた方がいいぞ。担当に当たってる間は腹が減っても食べる余裕なんてないからな」
「そうそう、食える時に食っとくもんだぜ。ささっと食べてそれで寝たらいいだろ」


 ほら、行くぞ、と言うとレオは半ば強引にアベルの腕を引いて歩き出した。アベルは離すようにと抵抗するも、それにいつもの覇気はなく、結局はレオにされるがままとなっている。まるで兄と弟だ、とアイリスがその背を見ていると、「オレたちも行こう」とレックスに声を掛けられ、止まっていた足を動かし始めた。
 食堂には数多くの軽食が用意されていた。食堂もカーニバル中はいつものメニューとは違い、手軽に手早く取れるものが中心となるようだった。レオはいくつかのパンを取り、アベルは渋々といった様子でサラダを選んだ。そして眠たげなゆっくりとした足取りで二人は端の席へと歩いていく。


「アイリスは何にするんだ?」
「うーん……、これにする。レックスは?」
「これとこれと……あとアイリスと一緒のやつ」
「朝からよく入るね」


 アイリスはフルーツサンド、レックスはフレンチトーストやジャムパン、そして彼女と同じフルーツサンドを選んだ。レックスが選んだものを見遣り、アイリスは思わず苦笑を浮かべる。量も然ることながら見事に甘いパンばかりを選んでいる。すると、彼女が苦笑を浮かべていることに気付いたレックスは照れ隠しのように視線を逸らすと、「疲れてる時は甘いものがいいだろ」と言い訳を口にする。僅かに頬を赤くして顔を逸らすレックスに気付いていない振りをしながら、アイリスは「そうだね」とこっそりと微苦笑しつつ頷いた。
 テーブルに到着する頃にはサラダを完食していたアベルが眠気に負けたのか、テーブルに突っ伏していた。その隣ではレオがパンを片手に船を漕いでいた。どうしてここまで眠たがっているのだろうかと首を傾げながら空いている席に着くと、レックスは二人の様子に呆れて溜息を吐いた。


「アベルは元々朝が弱いからな、いつもの起床時間より早く起こされたからこうなるのも仕方ない。レオは……まあ、カーニバルが楽しみで寝られなかったんだろうな、昨日」


 子どもみたいだ、とレックスは溜息を吐きながらジャムパンに口を付ける。しかし、その理由もレオならば納得出来る気がするアイリスはそんなこと本人に言ったら怒っちゃうよ、とだけ言って彼に倣って朝食のフルーツサンドを食べ始める。挟まれた甘いクリームと酸味のある果物に顔を綻ばせていると、つんと隣に座っていたレックスに頬を突っつかれる。


「何するの」
「クリーム付いてるぞ」
「えっ」


 慌てて指摘されたところに指を伸ばそうとするも、それよりも先にレックスが持っていた布巾で口の傍を拭われる。これではまるで幼子のようではないかと恥ずかしげにアイリスは眉を寄せながらも「ありがとう」と口にする。そしてクリームが付かないように気をつけながらフルーツサンドを口にしている間にレックスはジャムパンを食べ終えたらしく、フレンチトーストへと手を伸ばしていた。
 その間もアベルは相変わらず眠ったままであり、ついにはレオまでパンを片手にテーブルに突っ伏してしまっている。どうしたものかと溜息を吐いていると、「おいおい、この後は巡回に出るんだぞ」とレックスが呆れた様子でレオに視線を向けながら言う。

「午前中は巡回なの?」
「いや、ちょっと巡回するだけでオレとレオは午後から警備に当たってる。早朝の巡回は面倒だぞ、出店の荷物で道が塞がっててそれを退かせたりするのが目的なんだけどな」
「それはちょっと……大変そう……」


 出店を出す者も三日間の荷物を持ち込んでいる。それらが何百人も訪れているのだ、道が塞がらないわけがない。それらをカーニバルが始まる時間までに片付けさせなければならないのだから、早朝の巡回に当たっている者の苦労は想像に難くない。急がなくていいのかとレックスに問えば、何百人もの人間を一度に王都に入れれば混乱してしまう為、少しずつ時間を分けて入場させているらしい。レックスとレオの巡回当番は三度目の入場が始まる際に始まるらしく、そろそろ用意をし始めなければならない頃だという。


「レオを起こさないと」
「ああ。……ったく、こいつは」


 レックスは溜息を吐きつけると、腕を伸ばしてレオの頭を掴み遠慮なく揺さぶる。起きろ、と声を掛けられたレオは唸り声を上げ始め、その様子を見守っていたアイリスはもう少し優しく起こした方がいいのではないかとレックスに言う。しかし、「こいつはこれぐらいしなきゃ起きないんだよ」とフルーツサンドを食べながらレオの頭を揺さぶり続けた。


「い、痛いっつの!何すんだよ!」
「お前はいつまでもパンを片手に寝てるからだろ。そろそろ時間だ、早く用意しろ」
「へっ!?もうそんな時間なのかよ!ああ、もう……!」


 漸く目を覚ましたレオは頭を掴んでいるレックスの手を払い退けると、憤慨した様子で言う。彼からすれば安眠を妨害されたも同然だ。しかし、時間が迫っていると言われれば、急いで手に持ったままのパンを食べてしまわなければならない。慌てた様子でパンに齧りつくレオを見ていたアイリスはつい笑みを漏らしてしまう。アイリスにしっかりと見られていたレオは途端に羞恥で頬が赤くなるも、寝ていたのは自分自身である為、誰にも文句が言えずに何とも言えない表情を浮かべていた。
 そうこうしている間にレックスはパンを完食し、「オレは先に行くぞ」とレオを置いて席を立ってしまう。「あ、待てよ、レックス!」とパンを片手にレオも席から立ち上がるが、食べながら歩くという選択肢はないらしく、一気にパンを口に放り込み、牛乳が入ったコップでそれを流し込むように食べると、「それじゃあオレも行くな」とアイリスに軽く手を振り、足早に食堂を出て行った。
 残されたアイリスは相変わらず眠っているアベルに微苦笑を浮かべつつ、まだ一切れ残っているフルーツサンドに手を付けながら、窓の外へと視線を向けた。外はまだ薄暗くはあるものの、遠くからは賑やかな声が聞こえていた。普段はなかなか顔を合わさない他の騎士団の兵士と顔を合わせ、旧交を深めている者も多くいるのだろう。カーニバルは人が多くて散々だとアベルが言っていたこともあったが、それを思うと決して悪いことではないとアイリスは思っていた。


「アベル、ほら、起きて」
「……」
「寝るなら部屋に方がいいよ」
「……此処でいい」


 食事を終え、テーブルを片付けたアイリスが相変わらず眠っているアベルへと声を掛ける。何度か肩を揺さぶり、名前を呼んで漸く返事が返って来た。しかし、アベルは部屋ではなくこのまま食堂で寝ていると言う。だが、突っ伏したままの姿勢では寧ろ疲労が溜まり、人の出入りも激しい場所である為、あまり休まらないだろうとも思うのだ。どうしようかと考えつつ、一先ずアベルの隣に腰かけると、彼がゆっくりとした動作で身体を起こした。


「部屋の方がゆっくりと休めると思うけど」
「……でも、部屋だと本気で寝ちゃって時間になっても起きられなさそうだから」


 それを言われてしまえば、アイリスも何も言えない。男子寮への立ち入りは禁止されている為、彼女が起こしに行くということは出来ない。かと言って、誰かに頼もうにも誰もが忙しく動き回っているか疲労困憊になっているかどちらかの状況でそのようなことを頼めば、迷惑でしかない。ならば、こうして目の届く範囲でいた方が対処しやすいということは明らかだった。
 アイリスとアベルの巡回警備はカーニバルが始まる少し前から始まる。それまでにはまだ十分時間もある。仕方がないか、と彼女は一息吐くと、「わたしが起きてるからアベルは此処で寝なよ」と口にする。


「あ、そう?それじゃあお言葉に甘えて」
「甘え過ぎだよ!」


 自分で言ったことではあるものの、あまりにあっさりし過ぎている。いそいそと体勢を整えてテーブルに突っ伏すアベルにアイリスはがっくりと肩を落とし、溜息を吐く。しかし、腕の隙間から見え隠れする幼さの残る寝顔を見ていると、毒気を抜かれてしまう。
 起きているとは言ったものの、どうしようかと思っているといつにも増して厨房が忙しそうであることに気付く。カーニバルの為に常駐している騎士団に加えてより多くの兵士が宿舎で寝泊りをしている。その分、食事の量も倍増していることもあって厨房も忙しいのだろう。こうしてただ座っていることも手持ち無沙汰であり、何か手伝えることがあれば手伝おうとアイリスは席を立つと、忙しく人々が動き回っている厨房へと足を踏み入れた。


「……何してるの」


 太陽も昇り切り、薄暗かった外も明るくなっている。そろそろアベルを起こした方がいいだろうかとアイリスが手を休めたところで、身動ぎした彼が眠たげな顔ではあるものの、テーブルに突っ伏していた身体を起こした。そして、アイリスの手元を一瞥し、訝しむような顔をしつつ首を傾げる。


「何って、イモの皮剥き」
「それは見たら分かるけど……何で?」
「お手伝いだよ、厨房の。いつも以上に詰めてる騎士団が多いから食事の用意も大変なんだって」


 そう言いつつ、アイリスは慣れた手つきでナイフでイモの皮を剥いていた。するすると足元のバケツの中に落ちていく皮をアベルは何とも言えない表情で見ていた。そして「これはどうするの?」と皮を指差して言う。バケツの中には大量の皮が入っていた。


「家畜の飼料にするんだって」
「……へえ。それじゃあ、そのイモを剥き終わったらそろそろ行こうよ」
「うん、ちょっと待っててね」


 アベルは視線をイモから外すと、身体の筋を伸ばし始めた。突っ伏す体勢で寝ていた為に凝ってしまっているのだろう。そんな彼を横目にアイリスはイモの皮を剥き終える。「慣れてるんだね」と意外そうに言うアベルに孤児院でよく手伝っていたのだと言うと納得した様子だった。
 イモとナイフ、そして皮をアベルに手伝ってもらって厨房に運べば、余程助けになったらしくとても感謝された。大したことはしていないと思うも、役立ったのならよかったとアイリスは二言三言言葉を交わし、アベルに促されて食堂を後にした。宿舎の出入り口は丁度戻って来た兵士らも多く、人で溢れていた。そんな中、見知った顔を見つけたアイリスは驚いた表情を浮かべながら声を掛ける。


「メルケルさん!」
「ん?ああ、アイリス、……それにアベルか」


 傷が癒えたらしいメルケルも任務に就いているらしく、丁度戻って来たところのようだった。アイリスが声を掛けると朗らかに返事をするも、その隣にアベルの姿を見つけるや、僅かにその顔が顰められた。だが、それも一瞬のことで、次の瞬間には元の表情に戻っていた。
 もう動いてもいいのかと尋ねれば、「ああ、平気だ。リュプケ砦では世話になった、ありがとう」とメルケルは安心させるように笑って見せた。具合もいいとばかりに軽く身体を動かせて見せる様子にアイリスがほっと安堵すると、これから巡回警備なのかとメルケルが問い掛ける。


「そうだよ。それじゃあ、僕たち急いでるから」
「あっ、アベル!もう……、メルケルさん、お疲れ様です」
「ああ。気を付けてな」


 早く行くよとばかりに彼女の腕を掴んで歩き始めるアベルにアイリスは溜息を吐き、メルケルへの挨拶もそこそこに出入り口から外に出た。宿舎の玄関も混み合っていたが、外に出ても然程変わらなかった。アベルはうんざりとした様子で人混みを避けながら歩いていると、レックスやレオの姿もそこにあった。戻って来たばかりらしく、アイリスとアベルの姿を見つけると二人は大きく手を振って駆け寄って来た。途端に溜息を吐くアベルにアイリスは肘で脇を突き、それを窘める。


「二人ともお疲れ様」
「今から行くのか?」
「うん、そうなの。二人は巡回どうだったの?」
「ほんと、疲れたの何の。あいつらオレらのことを手伝い扱いするんだぜ」
「そんなこと言って、お礼に色々貰ってただろ」


 呆れた様子でレックスは溜息を吐きながらレオが抱えている紙袋に視線を向ける。レオはうっと言葉を詰まらせると、「それは、その……」と言葉を濁らせる。疲れた、と文句こそ言ってもその表情はそれほど嫌がったものではない。寧ろ、嬉々として手伝った結果として、色々なものを貰ったのだということは簡単に想像出来た。
 アイリスは「手伝って貰った人たち、とっても助かったんだと思うよ」と口にした。困っている人を見かけると、レオは声を掛けずにはいられない性質なのだろうとアイリスは思っていた。だからこそ、入隊した日に右往左往としていた自分にも彼は声を掛けたのだろう、と。


「ほら、そろそろ行くよ」
「分かってるよ。それじゃあ行って来るね」
「気を付けてな、いってらっしゃい」
「アベル、しっかりやれよー」
「あんたじゃないんだからちゃんとやるよ」


 溜息混じりに言いつつ、アベルはアイリスを促して歩き出す。肩越しに振り向き、見送ってくれるレックスとレオに手を振り、アイリスはすたすたと先を歩いてしまうアベルに駆け寄った。
 宿舎を出て、巡回担当として当たっている王都ブリューゲルの東区に向かう。辺りは人や店、賑やかな声で溢れていた。店だけでなく、見世物をする大道芸人らも多く、人だかりが出来ている。それらの合間を縫うように歩き、アイリスとアベルは東区へと向けて歩き続けた。



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