会戦 - secret mission -



 ゲアハルトの背を見送り、エルンストは肩の力を抜き大袈裟なほどの溜息を吐く。その溜息にびくりと身体を震わせるベーデガーに彼は眉を下げて曖昧に笑って見せた。


「司令官の横暴さに付いていくのも大変ですね、お互い」
「……は?」
「だって、いきなり砦を爆破しろーって言い出しますし……あまり面倒事は増やして欲しくないんですけどね。ヘルト砦は無人らしいし、落として物にした方が楽なのに」


 先ほどまで、ゲアハルトと一緒になってヘルト砦は爆破するべきだと主張していたエルンストが一転して主張を翻した。意味が分からない、とばかりにベーデガーは目を白黒させている。
 エルンスト・シュレーガーは国軍司令官ゲアハルトの腹心だ――それがベルンシュタインの兵士らにとっての共通認識だった。そんな男が目の前でゲアハルトの命令とは相反することを口にしたのだ。当然、すぐに信じることは出来ず、ベーデガーも何か企んでいるのではないかと疑うような視線をエルンストに向ける。
 そんな視線を一身に受けながら、彼は微苦笑を浮かべながら「思ったことを口にしただけですよ」と信用ないのかな、と肩を竦めた。しかし、ベーデガーからしてみれば、そんな所作も自分を欺こうとする演技にしか見えないのだ。相変わらずの疑い深く、探るような視線にエルンストは内心溜息を吐く。


「随分と疑い深く俺を見ますね、ベーデガー団長」
「……貴方の言動がいつもと随分違いますから」
「おや、随分と俺の行動を見て下さっているような口振りですね。まあ、さすがの俺も司令官を前に本人の悪口を言うようなことはしませんよ」


 俺だって命は惜しいですから。
 エルンストは笑みを交えて言うも、ベーデガーの様子を変わらない。どこまでも猜疑心の強い男だ、と内心面倒に思いながらも、表情はあくまでも友好的な笑みを湛える。


「あの人は人遣いが荒いし、何でも俺に丸投げで、俺はいつも管轄外の仕事までやらされて定時帰宅なんて夢のまた夢」
「……そんなことを私に話して何になるというのです」
「別に何も。強いて言えば、……そうですね、俺は貴方に同情しているんですよ。ベーデガー団長」
「同情?」
「ええ。ルヴェルチ卿なんかに与した所為で司令官に冷遇されているんですから」
「……っ」


 エルンストの言葉にベーデガーの顔が歪む。物言いたげに彼を睨むも、唇はきつく噛み締められ、動くことはない。言い返そうにも言い返せないのだろう。功を急ぐ理由は、そこにあるのだから。
 そんなベーデガーを前にエルンストは臆することなく、常と何らか変わらぬ飄々とした様子で「でもね、」と囁くように唇を動かす。


「いいことを教えてあげますよ、ベーデガー団長」
「……何だというのです」
「簡単なことです。司令官よりも上の人に手柄を立てて取り入ればいい」
「司令官よりも、上……?」


 考えたこともなかったとばかりにベーデガーは表情を緩め、目を瞠っている。その表情に噴き出しかけたエルンストは、それを紛らわせるように何気なく彼に背を向けた。何とか催す笑いを抑え、落ち着いたところで「簡単なことですよ」と事も無げに言いつつ、ベーデガーを振り向く。


「陛下に取り入ればいい」
「へ、陛下に!?」
「そうですよ。手柄を立てた者は誰であれ、きちんと評価される陛下ですから取り入ることは然程難しくはない」
「だが……陛下になんて……」
「俺が協力してあげますよ」
「協力?」


 確かにいい考えだろうとはベーデガーも思ったのだろう。考え込む素振りを見せる彼にエルンストは口の端を持ち上げながら更に言葉を重ねるも、その途端にベーデガーは警戒の色を表情に滲ませた。そんな様子をエルンストは内心意外に感じていた。思っていた以上に勘は鈍くないらしい。
 しかし、勘が鈍くなくとも、いくら警戒しようともエルンストには関係のないことだ。ベーデガーはたとえどのようなことであれ、拒否出来るような状況にはない。国軍司令官のゲアハルトに冷遇され、味方だったはずのルヴェルチには掌を返されてしまっている。そんな彼が新しい拠り所を得ようとしているということは想像に難くない。


「どうして貴方が私にそのようなことをするのですか」


 当然とも言える疑問がぶつけられる。真意を探ろうとする視線を真っ向から受け止め、エルンストはすっと浮かべていた表情を消し、濃い青の瞳を真っ直ぐにベーデガーに向けた。


「俺がシュレーガー家の次期当主だから、ですよ」
「……意味が分かりかねますが」
「簡単なことですよ。俺は次期当主としてシュレーガー家をより高みに伸し上げなければならない」
「だが、……シュレーガー家は王家とは血縁関係が……」


 それを口にすると、さっとベーデガーの顔色が変わる。エルンストは言わんとしていることを察したらしい彼から視線を外すことはなく、真っ直ぐに向けたまま淡々と言葉を口にする。


「ベーデガー団長、俺は今の俺の身体にも流れいるような薄い血縁関係は要らないんですよ」
「……」
「手を貸してください、ベーデガー団長。俺の言う通りに動き、手柄を立てて陛下に取り入り、そこで俺の名前を出してくれればそれでいい」
「……仮にそれをしたとして、私には利益がないでしょう。顔を覚えられたとしても、結局は貴方にしか利益がない」


 睨むようにエルンストの目を見返すベーデガーに彼は口端を吊り上げて笑って見せる。口ではそう言いながらも、目は正反対の考えを宿している。新しい拠り所に成り得る――そう考えているのだということが、ありありとその目には浮かんでいた。
 エルンストは利益がないと口にする彼にそんなことはないと首を横に振る。すると、途端にならばどのような利益があるのかと、ベーデガーは一歩踏み込んで来る。その様を見ただけでも、既にベーデガーは落ちたも同然だった。しかし、仮に落ちたと確信出来ていても、止めを刺すに越したことはない。特にこのような政治絡みの事柄は、反故されることなどよくある話なのだから。


「俺が、シュレーガー家がベーデガー団長の後ろ盾になります。……かつてルヴェルチ卿がそうであったように」
「……それは……本当に、……」
「ええ。……そうだな、俺の計画が成就した暁には、俺の従妹を貴方に差し上げます。それでどうですか?」


 その言葉にベーデガーは目を見開いた。つまり、姻戚関係を結ぶということである。思いもよらない言葉に先ほどのように目を白黒させる彼にエルンストは微苦笑を浮かべながら、「俺の最初の協力者なんですから、それぐらいするのは当然でしょう」と然も当たり前だと言わんばかりに言う。
 予想もしていない展開だったのだろう。なかなか落ち着くことの出来ないベーデガーを宥めると、「それじゃあ俺はそろそろ司令官の命令通り、ヘルト砦爆破の指示を出しにいかなければならないので」と陣の出入り口へと向かう。しかし、数歩進んだところで立ち止まり、夢心地のような緩んだ表情のベーデガーを振り返る。


「お分かりかと思いますが、この話は内密でお願いしますよ、ベーデガー団長」
「も、勿論です!それで、詳しいはお話はいつ頃……」
「早い方がいいでしょうから今夜辺り、奥の救護テントはどうでしょう。人払いを済ませておきますから、団長も誰にも見つからずに来て頂けますか?」
「分かりました。今夜、必ずお伺いします」


 こくり、と深く頷くベーデガーに笑みを返し、それではとエルンストは足早に陣を後にした。その瞬間に浮かべていた笑みは消え、足早に第二騎士団が駐留しているテントへと足を運ぶ。誰に爆破任務を依頼するべきかと考えながらも、今夜のことを思うとつい口元は笑んでしまった。








「帝国軍本隊はゼクレス国近郊に布陣している模様。現在のところ、目立った動きはないとのことです」


 ただ、この情報がゲアハルトの耳に入ったのは未明の頃だ。それから既に数時間が経過し、日も昇っている。進軍を開始している可能性も十分にあるのだということを言い添えると、現状報告を聞いていたホラーツは深く頷いた。


「たとえ進軍していたとしても、ライゼガング平原は広い。ゼクレスから此方まで行軍するだけでも歩兵ならば一日以上掛かるだろう。体勢を整え、迎撃準備を滞りなく終わらせれば、疲弊したところを突けるはずだ」
「陣の設営を終え、十分に休息を取らせた上でそのように致します。……それから、現在無人との報告を受けているヘルト砦についてですが」


 帝国軍の足掛かりを奪う為にも爆破する旨を伝えると、ホラーツはそうかと一つ頷くだけだった。


「爆破の必要があるとお前が判断するのならそれでいい。……私がお前の立場でも、同じことをしただろうからな」


 あまりにも稚拙な策だ、とホラーツは呟く。帝国軍がより効率的に、効果的にベルンシュタインを攻めるのであれば、ゼクレス国近郊に布陣するのではなく、より攻略対象に近い位置にあるヘルト砦に布陣するべきだ。しかし、帝国軍はそれをせずにゼクレス国近郊に布陣している。何らかの考えがあって布陣してはいるのだろうが、それを差し引いても今回の帝国軍の動きはあまりにもらしくなかった。
 ホラーツはゲアハルトと同様にヘルト砦に何らかの仕掛けが施されていると考えていた。そうでなければ、帝国軍の動きに納得のいく説明が思い浮かばないのだ。ヘルト砦に爆発物を仕掛け、ベルンシュタイン本隊の壊滅を狙うのか、それとも無人に思わせているだけで中に帝国兵が潜んでいるのか――可能性はいくらでもある。そういった可能性を排除する為には外から爆破してしまうことが最も確実な手段なのだ。


「……今回の帝国軍の指揮官はヴィルヘルムではないのかもしれないな」
「……その可能性は十分あるかと」


 このように帝国軍が本隊を動かす際の指揮官はヒッツェルブルグ帝国第一皇子であり、帝国宰相でもあるヴィルヘルムである場合が多い。だが、どうやら今回はその限りではないらしいことが現在までの帝国軍本隊の動きからは予想されている。一体何者が指揮官として本隊を動かしているのかは知れず、ゲアハルトはそのことに顔を顰めた。
 そんな彼にホラーツは目尻に皺を寄せながら笑みを浮かべ、「まあ、何にせよ、油断せずに行けばいいだけのことだ」と口にする。ゲアハルトは軽く頷きながら、今後帝国軍が取る可能性のある行動について思案する。


「ところで、別働隊は今頃どうしているのだろうな」
「恐らく、近郊の補給路や橋に到着し始めている頃かと。そろそろ作戦行動に入っているところでしょうが……目的の最奥の橋は最短でも本日の夜中頃になるのではないかと思われます」


 無論、それは何の障害もなく辿り着くことが出来れば、の話である。言外に含めつつ口にすれば、ホラーツは僅かに眉を寄せた。作戦内容について知っていても、やはり思うところはあるのだろう。それでも何も言わないことは、兵士の命よりもこれから先、ベルンシュタインが勝利を得ることの方が国王として選ぶべきことであると考えているからなのだろうとゲアハルトはホラーツの横顔を見つめた。
 しかし、ゲアハルトには他にも確認しなければならないことや指示を出すべきことが多くある。そろそろ行かなければとその旨を口にすると、ホラーツは表情を引き締めて「ああ、また何か分かればすぐに報告してくれ」と口にする。


「仰せのままに。……それからホラーツ様、何かお変りは御座いませんか?」
「いや、何もなかったが……どうかしたのか?」
「いえ……何もないのならいいのですが……此方の陣に来る時に何か引っ掛かりを覚えたので」


 視界の端を何かが掠めた気がしたのだ。その場にいた兵士にも確認してみたが、彼は何もなかったと答えた。自分の勘違いの可能性も十分あるため、はっきりと何がどうしたと言うことは出来ない。それを歯痒く思いながらも、このまま捨て置くこともどうにも出来そうになかった。これから開かれる戦端を前に気が昂っているのかもしれない――ゲアハルトは努めて自分自身を落ち着かせながらも、脳裏を過る不安に眉を寄せる。


「念の為に護衛兵を増やしましょう」
「私の護衛を増やす必要はなかろう。こんなにもベルンシュタインの兵が周りにいるというのに。お前の気にし過ぎだ」
「いえ、……ホラーツ様の御身に万が一のことがあってはいけません。貴方様はベルンシュタインを支える柱なのですから」


 あまりにも大きく太い、かけがえのない柱であるとゲアハルトは思うのだ。ホラーツがいなくなったベルンシュタインなど、考えられないほどに彼の中でホラーツの存在はとても大きなものだった。
 首を横に振って言葉を重ねるゲアハルトにホラーツは微苦笑を浮かべる。「お前は本当に心配性だな」と笑う彼にゲアハルトは眉を僅かに下げながら、それは貴方の所為だと内心呟く。あまりにも自分の身を顧みずに駆け出してしまう主君だからこそ、失いたくはなく、失ってはならない存在だからこそ、心配してもし切れないほどに心配してしまうのだ。


「分かった。お前の好きにすればいい。だが、私もまだまだ剣の腕は衰えてはいないぞ」
「存じています。ですが、念の為です。備えはいくらあっても足りませんから」


 それでは失礼致します、と頭を下げ、ゲアハルトは踵を返す。すぐに護衛兵を増員する手配をしなければ、と考えながら数歩進むも、「ゲアハルト」と背後からホラーツに呼び止められ、足はすぐに止まってしまう。何かあるのだろうかと振り向けば、ホラーツは真っ直ぐな視線を彼に向けていた。


「一つ聞き忘れていたのだが、どの部隊を最奥の橋に向かわせたのだ?」
「……俺の最も信頼する部隊を派遣しました」


 誰か、とは言えなかった。口を閉ざすゲアハルトを暫し見つめ、ホラーツは微かに表情を緩めると「そうか」と頷いた。信頼しているからこそ、疑う必要はないとばかりに安堵した様子の彼を前にゲアハルトは小さく唇を噛む。


「お前が信頼する部隊なら、きっとやってくれるだろう」
「……ええ、きっと、必ず」
「ああ。私も信じているよ」


 呼び止めて悪かった、というホラーツの言葉に頭を垂れ、ゲアハルトは今度こそ陣を後にした。しなければならないことは多くある。ホラーツの警護兵も増員しなければならない。考えなければならないことは多くあるというのに、先ほど向けられたホラーツの表情が脳裏から離れることはなかった。



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