悪夢 - traitor -



「シリル殿下、一体どういうことでしょうか」


 夜も更けた頃、シリルは執務机の向こうから問い詰めて来るルヴェルチにうんざりとした表情で溜息を吐いた。昼間の地下牢でのルヴェルチの様子を思い出せば、彼がこうして後から押しかけて来ることは明らかだったものの、いざこうして本当に押しかけられると面倒以外の何物でもなかった。
 どういうことかと言われても、そういうことだとしか言いようがない――シリルはそう思いつつも、「何のことだ」とぶっきらぼうに言う。無論、ルヴェルチが何を指しているのかはシリルも分かってはいたが、素直に答える気にならなかったのだ。さっさと理由を言った方が早くルヴェルチに退室を促すことは出来るのだが、だからといって彼の欲しいままに情報を与えるつもりのないシリルは手元の書類に目を通す振りに努めていた。


「レオ殿下を移送したことです!アイリス・ブロムベルグに地下牢への立ち入りを許可した件も私は聞いていません!」
「言っていないからな」
「殿下っ!」
「そう言う貴様こそ、私に言っていないのことがあるのではないのか」


 そうだろう、とばかりにシリルは書類から視線を上げ、唇を噛み締めるルヴェルチを見た。返す言葉もないらしい彼は眉を寄せてはいるものの、「……私は、代理執政官として知っておく必要があります」と唇を震わせながら口にした。尤もらしいことを言ってはいるが、代理執政官としてルヴェルチが行ったことなど高が知れているということも事実だ。
 お飾りの職位であることは明らかであり、代理執政官に任じた後も大した仕事は回ってはいないはずだ。それでも自分は代理執政官だから、とそれを盾にするのだから、ある意味では大した人間だとシリルは感心さえしていた。


「あいつの移送は軍部にあいつを連れ出そうという動きがある為だ。だから、あいつの居場所を誰かに明かすつもりはない、連れ出されては困るからな」
「……しかし、私は」
「代理執政官殿は他にもいくらでもすることがあるだろう。あいつの件は私が預かる、貴様の手出しは無用だ。もうすぐ王位継承権の剥奪の決定も下るからな」


 そう言うと、ルヴェルチは目に見えて苛立ちを明らかにした。しかし、シリルは臆することなく手出しは無用であると言い切り、視線は書類へと戻す。次は何を言い出すのだろうか、アイリスに許可を与えた件だろうかと書類の文面を読み進めながら考えていると、唐突にルヴェルチは「確かにレオ殿下を地下牢から連れ出そうとする軍部の動きはありました。しかし、」と口を開く。


「わざわざ殿下がレオ殿下を移送した理由が分かりません。それではまるでレオ殿下の御身を守ろうとしているようではありませんか」
「……」
「殿下はレオ殿下から王位継承権を剥奪しようとしていらっしゃる。しかし、元々手続きなど踏まずとも、亡き者にしてしまえば煩わされることもなかったはず。キルスティ様も殿下のことを思って先日、」
「ルヴェルチ」
「……はい、殿下」


 ルヴェルチの言うことは決して間違ってはいない。レオの王位継承権を剥奪する方法は決して手続きだけではないのだ。継承権を有しているレオ自身を亡き者にする方が余程簡単で手間が掛からない。だからこそ、キルスティもレオを暗殺しようとした。尤も、彼女の場合はシリルの為ということも勿論あるが、それ以上に未だに憎く思っている第二妃アウレリアの息子を亡き者にしたいという思いも大きかったはずだ。
 しかし、それまで黙っていたシリルはルヴェルチの名をぴしゃりと呼び、彼の言葉を遮った。その顔にはありありと不快感が浮かび、睨むようにルヴェルチへと茶色の瞳は向けられていた。その視線の鋭さはホラーツとよく似たものであり、視線を一身に受けているルヴェルチは生唾を飲む。


「貴様は酷く短絡的な考え方をするな」
「……」
「この状況であいつを殺して利があるのは私であり、それは周知の事実だ。だが、それを実際にやってみろ」


 義弟を殺して玉座に就いた王など、私の名に傷を付けるだけだ。
 そのような事例が今までになかったというわけではない。寧ろ、王家においては血生臭い話ではあるが、決して珍しいことでもなかった。シリル自身、そのような話に対して不快に思っているというわけではなく、王家とはそういうものであると思っている。しかし、それをいざ自分の即位の為に行うとなれば話は別だ。
 シリルは書類を執務机に放り出すと、肘置きに肘を付き、軽く頬杖を付きながらルヴェルチに対して目を眇める。侮蔑を含んだその視線を前に彼は唇を噛んでいた。


「貴様は私の名に傷を付けたいのか?」
「いえ、そのようなことは決して……!」
「どうだかな。……母上も勝手なことをしてくれたものだ。事を急がずとも、私の即位は確定しているというのに」
「……」
「私の即位の為にわざわざベルンシュタインの国宝を臣下に与える約定を交わすなど、母上も愚かなことをなさる」
「……っ」


 どうしてそれを、とばかりに肩を震わせ、目を見開くルヴェルチから視線を逸らし、シリルは呆れて何も言えないとばかりに溜息を吐く。先日、偶然立ち聞きしたことではあったが、その話が真実であるという証拠まで得たわけではない。しかし、ルヴェルチの様子からキルスティとの間にそのような取引があるということは確かであるということが伺えた。
 愚かなことをする、とキルスティだけではなく、ルヴェルチに対してもシリルは思った。そのような取引をしたところで一体何になるというのだろうかと思うのだ。とは言っても、シリルの中で国王という地位がそれほど価値のあるものとして捉えられていないということが大きいだけであり、そういう意味では彼のその考えこそが異端でもあった。
 シリルにとって即位は面倒なだけであり、国王になるということ自体、そもそも興味がなかった。ルヴェルチが有能な人間であれば、代理執政官ではなく執政官として政務の一切を引き受けてもらいたいとさえ考えているほどだ。無論、彼があまりにも執政官として機能していないということもあり、いくら政務に興味がなくとも今はシリルが政務をこなしてはいる。だからこそ、今も何とかベルンシュタインは国として機能していた。


「貴様、あんなものを手に入れてどうするつもりだ」
「……殿下には関係のないことで御座います」
「そうか、私の即位を出しにして手に入れるくせに、私は関係ないと言うのか、貴様は」
「……」


 頑なに口を閉ざすルヴェルチをシリルは探るように注視する。しかし、伏せられた顔から表情を伺うことは難しく、代わりに硬く握られて微かに震えているその手へと視線を向けた。指先が白くなるほど握られたその拳からも、どうしても白の輝石がルヴェルチにとっては必要なものであるということは伝わってくる。
 それを使ってルヴェルチが何をするつもりかは分からない。だが、シリルからしてみれば白の輝石にまつわる話――それを手に入れた者は願いを叶えられる――は一切信じる価値のないものであった。キルスティが白の輝石をどういうわけか手にしているが、それも恐らくは自身の即位を現実のものとする為に行ったことなのだということは想像に難くない。
 恐らく、白の輝石を手に入れたキルスティは石に対して心から願ったことだろう。だが、願いは叶うことなく、キルスティは白の輝石を手放す代わりにルヴェルチの協力を得た。そのことから察するに、たとえ願いが叶うという話が真実であったとしても、少なくとも欲深な人間の願いが叶うことはない。つまり、ルヴェルチの願いが叶うはずがないのだ。


「まあいい。貴様が何の為にあの石を必要としているかなどどうでもいいことだ」
「……」
「だが、あまりにも貴様の勝手が目に余るようであれば、どうなるかは分かっているのだろう?」


 茶色の瞳を細めて言うと、ルヴェルチは暫しの沈黙の後に「失礼致します、殿下」と深く一礼して部屋を後にするべく踵を返す。その背を見送りながら、「息子の二の舞にならぬよう、精々気を付けるんだな」とシリルは声を掛けた。途端に、固まったように足を止め、ルヴェルチは振り向いた。
 蒼白となったその顔からは息子であるテオバルトの話題がシリルの口から出て来るとは思いもしなかったのだろう。目を瞠っているルヴェルチも口を開こうとしないところを見ると、どうやら既にテオバルトがどのような結末を辿ったかを知ってはいるようだった。下手なことをするからだ、と顔を歪めながら一礼の後に退室したルヴェルチに対して内心思いつつ、シリルは深く溜息を吐いた。
 事態は自身が想定していたものよりも難解になり、面倒なことになりつつある。上手く事が進めばいいが、そればかりはどうなるかは知れない。兎に角、今自分に出来ることを出来るうちにしておくべきか、とシリルはゆっくりとした動作で椅子から立ち上がると、ルヴェルチが出て行ったばかりの扉を開き、人気のない廊下を歩き出した。しかし、数歩も行かぬうちに足を止め、周囲を見渡す。


「……何だ、……何故このようなところで薔薇の香りが……」


 微かに鼻腔をくすぐる薔薇の香りがした。此処はシリルやキルスティが生活する居室があり、貴族は勿論、城仕えの侍女でさえ、滅多に近付くことのない場所だ。ただ、今は近衛兵団や警備兵を増員して警備に付けている。しかし、いくら何でも兵士が香水を付けているとは考え難い。近衛兵団の所属の兵士は貴族層が多いが、さすがに任務中には付けてはいないはずである。
 一体何なのかと考えているうちに鼻腔を確かにくすぐった薔薇の香りは失せてしまう。シリルは微かに眉を寄せながらも、今はそれよりもキルスティの元に向かわなければと爪先を実母の居室へと向けて再び歩き出した。程なくして居室の前に到着するも、シリルはそこに立ち並ぶ多くの近衛兵や警備兵の姿に思わず溜息を吐いた。
 何にそこまで怯えているのかと考えているうちに話は通され、シリルは近衛兵に先導されてキルスティの居室へと足を踏み入れた。室内には物々しい警備とは裏腹にキルスティ一人であり、息子の訪問を喜んでいるようだった。否、先日のレオの暗殺の一件以降、まともに口を効いていないということもあり、何とかそこから意識を逸らせたいのだろう。「すぐにお茶の用意をするわ!」と手ずから茶の用意をするあたり、そういった考えが伺えた。


「母上にお尋ねしたいことがあって伺いました」
「な、何かしら。ああ、そうだわ。つい先日、美味しいお茶菓子が手に入ったの、すぐに」
「母上」


 何としても話を逸らしたいらしいキルスティに対し、シリルは厳しい声音で彼女の名前を呼んだ。びくり、と彼に背を向けて茶の用意をしていた彼女は肩を震わせる。押し黙ったキルスティに視線を向けたまま、シリルは先ほど打って変わって優しい声音で囁きかける。


「母上、貴女が白の輝石をお持ちだと聞きました」
「……え?」
「私はそれを見せて頂きたいだけです。母上、私はその為に今日は伺っただけですよ」


 それだけです、とシリルは笑みを浮かべて見せる。恐らくはレオの一件を叱責されるとばかり思っていたのだろう。拍子抜けしたキルスティの表情は酷く間の抜けたものだったが、すぐに彼女は愛想のいい笑みを浮かべて「そうだったの、待っていて頂戴ね」と茶の用意を放り出して寝室へと向かって歩き出した。シリルはちらりと背後の扉を一瞥し、そしてバルコニーへと視線を向けた後、キルスティが白の輝石を取り出すべく入った寝室へと向かって歩き出した。



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