過去 - good bye,days -



「遅れてすみません……!」
「いや、構わない。即位前で忙しいところ、呼び出して悪かったな」


 シリルとキルスティの国葬から数日、アイリスらはクレーデル邸のコンラッドの書斎に集まっていた。ソファに腰かけていたところ、最後に遅れてレオがやって来たのだ。国葬が終わって以来、彼は即位の準備に追われていた。まともに顔を合わせるのは今日が少し久しぶりなこともあり、疲労の色が濃いその顔を見るとやはり心配になってしまう。
 ソファに腰かけて一息吐くレオに「大丈夫?」と声を掛けると、彼は何でもないとばかりに笑って平気だよと言う。本当に平気ならば良いのだが、こういうときはいつだって無理をしているということをアイリスも他の面々も知っていただけに一様に眉を寄せる。そんな彼女らの反応にレオはうっと言葉を詰まらせた。


「無理をして倒れでもしたら元も子もないぞ。今日は早めに休んだ方がいい」
「……そうします」
「ああ。それに、この場はそこまで背筋を伸ばす必要もない。知った者しかいないんだ、話の内容からすれば緊張しかないかもしれないが、それほど気負わずに聞いてくれ」


 ゲアハルトは事も無げに言うものの、だからといって緊張せずに聞くことは出来そうにない話だった。今日、この場に集められた理由は国葬が終わって以来、一気に進められた白の輝石の研究内容を元にそもそも白の輝石が何なのかをゲアハルトが話す為だ。本来ならば、上層部だけで情報を共有するのだろうが今回はその前にアイリスらに説明するとことになったのだ。
 それも簡単な理由であり、上層部を信用することが出来ないとゲアハルトやエルンストが判断しているからだ。白の輝石を手に入れ、その研究内容まで入手したとなればそれこそ上層部の動きはこれまでとは異なって来るはずだと彼らは言う。要は、それだけ白の輝石というものが上層部が独立して動き出すに値するほどの価値を持ったものだと言える。その動きが決して良いものではないからこそ、ゲアハルトやエルンストが警戒しているのだろう。


「白の輝石について以前知っていることを聞いた時、ベルンシュタインの国宝だということぐらいしか知らないと言っていたな」


 暫しの後にゲアハルトは口を開いた。白の輝石というその石の名前と伝え聞く形状、そしてそれがこの国が建国された時から伝わる国宝だということを知らない者はいないだろう。だが、失われて久しいそれは小さな頃に絵本の中で登場する程度のものであり、失われた国宝として興味を抱く者はいても、あくまで趣味程度の関心しか持っていない者が殆どだ。アイリス自身、話に聞いたことがある、という程度の認知でしかない。
 けれど、それを手に入れるが為に多くの人の血が流れたことを彼女は知っている。シリルが命がけでカサンドラら帝国軍の手から守り抜き、自分に託されたものだということを知っている以上、自分が思っているよりもずっとこの国にとって大切なものであるということは理解できた。


「白の輝石はそもそもヒッツェルブルグ帝国に存在している黒の輝石と対になっている、異界から次元を超えて現出したものだ」
「異界?」
「前に一度、召喚魔法について話したことがあったよね。あれはね、異界から生物を呼び出して使役する魔法なんだ。今のところ、確認されてる生物は狼と蛇……こちらの世界にも存在している生き物だけどね。原理的には俺たちの世界に存在していない生物を呼び出すことも出来る。だからこそ、禁術指定されてるってこと。まあ、代償が代償だから倫理的にも認めるわけにはいかないけど」


 召喚魔法の代償は術者の命だ。それを代償に異界から生物を呼び出して使役する――それが召喚魔法だ。単純にこの世界の何処かから生物を召喚しているものとばかり思っていたアイリスらは目を見開く。異界、などと言われても簡単には納得出来ないものの、ゲアハルトやエルンストが大真面目に話している以上、その表情から嘘や冗談だと笑うことは出来ない。


「コンラッド殿の研究結果を見ていても、召喚魔法は異界から生物を呼び出して使役していることは間違いないようだ。伝承では、大昔にはこの世界にはいない生物を呼び出した者もいるらしい」
「具体的に言うとどんな生物なんですか?」
「龍だ。いくつか伝承で残っている話もあるらしく、強ち嘘でもないらしい」


 緊張した様子のレオの問いに対し、ゲアハルトは変わらない表情のまま口にした。アイリス自身、孤児院で聞かせられた物語の中に龍が出て来ることはあったものの、それが実際にこの世界にいたとまでは思いもしなかった。無論、存在したことがないという確証はどこにもない。それでも、そのような生物がこの世界に存在したかもしれないとはすぐには信じられなかった。
 だが、誰もそれが嘘やただの伝承だと一蹴することはなかった。なかなか信じられなくとも、このようなことをゲアハルトやエルンストが冗談で言うとも思えなかったのだ。彼らは実際にコンラドットが行った研究結果を目にしている。そこから導き出された結論なのだと思うと、誰も何も言えなかった。


「先ほども言ったがこちらが所持している白の輝石と帝国が所持している黒の輝石は対の存在だ。どうして対になっているかは知れないが、今現在の状況からすると白の輝石は未覚醒、黒の輝石は覚醒間際と言える」
「覚醒すると、どのような影響があるんですか?」
「正確に言うと、未覚醒でもある程度は影響を及ぼしてるんだ」
「黒の輝石はある日突然、覚醒した。……俺はその場に居合せたが、本当に突然のことだった」


 その当時を思い返すようにゲアハルトは目を細めて視線を伏せる。ある日、黒の輝石が突如として光を放ち、それ以来、帝国の空には雲が満ち、殆ど雨が降り止まない状態になったということを話した。天候が荒れ、食物が育たなくなり、田畑が荒れていったのだと言う。
 そして、黒の輝石に触れた者は一様に豹変してしまうのだと彼は僅かに顔を顰めて言った。それを目の当たりにしたのだろう。口元を覆う黒い布の下で彼が悔しげに唇を噛み締める様が伝わって来た。アイリスはそれを見ていることが出来ず、視線を伏せる。


「黒の輝石は恐らく、ほぼ覚醒間際まで進んでいるはずだ。だが、こちらの白の輝石は未だ眠ったまま。コンラッド殿も覚醒方法について研究を残されているが、それも途中までのものだった」
「それなら、覚醒させる方法がないということですか?」
「ないというわけではないよ。異界から現出した輝石、と言っても結局のところは魔法石に連なるものと思われる。だから、ある程度の魔力を込めれば覚醒を促すことに繋がるかもしれない」


 まだ仮説の段階だけどね、とエルンストは口にする。それに言い添えるように、ゲアハルトは「それと、コンラッド殿はある仮説を立てていた」と言う。一体何なのだろうかとアイリスらが顔を見合わせていると彼は口を開く。


「コンラッド殿は輝石に意思があるとのではないかと考えられていた」
「意思、ですか?」
「ああ。白の輝石にはそれまでたくさんの者が触れてきたらしい。だが、覚醒することはなかったという。それは輝石が認める者がいなかったからではないのかと、コンラッド殿は考えていたようだ」


 ゲアハルトの言葉にアイリスは引っ掛かりを覚えた。白の輝石がまだキルスティの手によって隠される前、多くの者が触れたことがあるのだという。それ自体はいいのだ。だが、それならば白の輝石は何でもひとつ願いを叶えてくれるという伝承は一体どこから来たのだろうかと疑問に思ったのだ。
 しかし、そもそも異界の生物を呼び出す時点でその対価として命を持って行かれるのだ。願いをひとつ叶えるなど、対価がないとは思えない。叶えられた時点で、それこそこの世界に存在することも出来ないのではないだろうかと考えていると、「今後のことだが」とゲアハルトが言う。


「輝石に意思があるかどうかも含めて覚醒に向けて調査を進めていく。今のところ、特にこれといった覚醒に向けた手掛かりはないが、きっと何らかの手掛かりがあるはずだ」
「それに白の輝石を覚醒させないと拙いからね」
「拙いって、どういうことですか?」
「黒の輝石が覚醒間際の段階まで進んでいる以上、黒の輝石の影響がベルンシュタインにまで及ぶ可能性もある。未だにこの国が常と何ら変わらずにいられることはこの国に白の輝石があるからだ」


 黒の輝石が覚醒間際の為に周辺国にまで天候などの影響が出ている。その最たる影響を受けている国は他ならぬヒッツェルブルグ帝国ではあるが、周辺国だって然程大差はないのだという。そんな中、ベルンシュタインが唯一、以前と変わらぬ生活を送れている理由は白の輝石があるからこそなのだ。
 黒の輝石と対の存在である白の輝石があるが為にその影響を相殺することが出来ている。だが、白の輝石は未だ未覚醒のままなのだ。覚醒に近付いている黒の輝石の影響をいつまでも相殺し続けることが出来るはずもなく、恐らく遠くないうちに影響が出始めるのではということがゲアハルトやエルンストの考えだった。それを回避する為にも早急に白の輝石を覚醒させる必要があるのだ。しかし、それをするにはまだ情報が足りていない。今後は白の輝石に魔力を注ぎ込む傍ら、調査を続行するという方針に決まった。


「時間がない。出来るだけ早く何らかの手掛かりを得なければならない。今後はそれぞれ指示に従って動いてくれ」
「でも、白の輝石を覚醒させてこの国を守れたとしても黒の輝石が帝国にある限りは状況は変わらないのではないでしょうか……」
「問題ないよ。さっきも言ってたけど、二つの輝石は対になってる。どちらも条件が同じなら、対消滅させることは難しくないはずだからね」


 だからこそ、それをさせない為に帝国は白の輝石を狙っているんだろうからね。
 そう口にするエルンストにアイリスはカサンドラらが執拗に白の輝石を狙っていた理由やシリルが命がけで守ろうとした理由を理解した。そして、恐らくゲアハルトがベルンシュタインに来た理由もそうではなかったのだろうかと視線を伏せている彼を見ながら考えていた。


「指示に従ってくれとは言っても、今日はもう休んでくれて構わない。今まで忙しくしていたからな、特にレオは今日はもう休んだ方がいい」
「しかし、」
「いいから。休めるうちに休んでくれ。アイリスも」
「わたしもですか?」
「ああ。これから忙しくなるからな」


 そうは言われても、と思うものの、これから忙しくなることは間違いない。休めるうちに休んでおくべきだろうと思っていると、唐突に書斎の扉がノックされた。どうやらレオがそろそろ戻らなければならないらしい。王位継承権が復活したこともあり、即位を間近に控えた彼が多忙を極めているらしく、今日も無理に時間を作って来たらしい。
 倒れなければいいがと心配に思いながらもレオを見送ると、その場はそのまま解散となった。レックスはゲアハルトに呼ばれていたものの、アイリスはそのままエルンストと共に書斎を出た。エルンストも何やら忙しくしているらしく、「ちゃんと休まなきゃ駄目だよ」とだけ彼女に言うと、そのままクレーデル邸を後にした。
 それを玄関で見送ったアイリスは夕焼けに照らされてどこか寂しげに見えるその背中に何とも言えない胸騒ぎを感じていた。



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